第十二レポート:神の導きに従う者


 今回の件が藤堂のせいだと言われたら、俺は首を横に振るだろう。

 俺は自分を追い出した藤堂の事を好きではないし、そもそも奴がアンデッドを苦手としていたのがことの発端ではあったがそれでも――教会に所属するグレゴリオが藤堂を殺めてしまえば、それは間違いなく教会の落ち度である。


 無論、その程度で教会が揺らぐ事はないだろう。勇者に偽物のレッテルを張ることなどクレイオにとって朝飯前であり、それはそれでクレイオの権威に傷はつくだろうが、それだって恐らく、そこまで致命的なものではない。


 だがそれでも、こんな下らない理由で魔王討伐が失敗してしまったら、教会にも王国にも顔向け出来ない。


「……すいません、何もサポートできず……」


 部屋に戻ると、アメリアが肩を落とし、申し訳なさそうな表情で言った。

 確かにアメリアは殆ど喋らなかったが、謝罪は不要である。元々、アメリアにどうこうしてもらおうとは思っていない。まぁ、グレゴリオのあの反応は予想外だったし、また一つ彼女について謎は深まったが――。


 言葉を選び、声をかける。


「まぁ、仕方ない。あの男を得意とする人間がいるわけがないからな」


「……まぁ、そうですね」


 一度その本性を知ったのならば、常人ならば間違いなく近寄ろうとしないだろう。

 しかし、それでも何とかグレゴリオは俺の要求に対して頷いてくれた。不審そうな表情をしていたが、俺の『試練』とやらに関係がある事だと勝手に納得したのだろう。


 一段落ついた。これでようやく一段落ついた。



 ……などと考えてはならない。ヴェールの村ではその油断が命取りになりかけたのだ。

 

 念には念を入れる。


 窓際に行き、そっと眼下を睨みつける。

 ちょうどその時、宿の外に出たグレゴリオの背中が見えた。手に持った黒のトランクケースと丈の長い法衣は、遠くから見ても一発で分かる。


 声を潜め、アメリアに告げる。


「アメリア、俺は奴がちゃんと特に問題を起こさず第三教会に戻るか確かめる」


「……私が行きましょうか?」


 ややいつもより上ずった声で提案してくる。顔を見なくとも、無理をしているのがばればれだった。

 さすがのグレゴリオもシスターに手を出すような真似はしない……と思うが、フィールドワークは俺の領分である。逆に事務的な仕事はアメリアの方が得意だろう。


「いや、俺が行く。途中で万が一、億が一藤堂が襲われた際に、アメリアでは助けられないからな」


「……さすがにありえないと思いますが」


「ありえなかったらいいと思うよ」


 俺にしかできない。俺にしかできないのだ。

 グレゴリオを止めるには、グレゴリオと同程度以上のレベルで、同程度以上の戦闘経験を持ち、同程度以上に容赦のない、そんな人材が必要である。ちょっと俺の記憶にも心当たりがない。


 茶色のフード付きの外套を羽織る。まだ少し沈んでいるように見えるアメリアに指示を出す。


「一個一個問題を片付けよう。アメリアはクレイオへの現状報告と、藤堂達の動向の監視を頼む。藤堂達の動きに異変があったら即座に知らせてくれ」


「わかりました」


 切り替えが早いのか、感情の隠蔽が得意なのか、アメリアの声色はいつものそれに戻っていた。

 一歩近づき、その表情をじっと観察するが何も見えてこない。

 アメリアの方は首を傾げてこちらを見ている。もう大丈夫なのか?


 ……一度、ケアしてやったほうがいいかもしれないな……酒に付き合うのは気が進まないが。


「……行ってくる。グレゴリオが教会に戻ったのを確認したらすぐに戻ってくるが、それまでに何かあったら随時連絡を」


「はい。わかりました」


 メイスを置いていくべきか迷う。荷物になるし、俺のバトルメイスはアメリアの持っているメイスと比べて目立つ。

 だが、もし万が一グレゴリオと戦う事になったとすると、メインウェポンなしで戦うのは非常にリスクが高い。俺に退魔術が効かないように、グレゴリオにだって退魔術は効かないのだ。


 結局持っていく事に決めた。ついでに懐にちゃんとナイフが収まっている事も確認する。一般的に、人間は柔い。鎧などを着込んでいないグレゴリオにナイフは非常に有用である。もしかしたら俺のように、法衣の下にチェインメイルを着ている可能性もあるが、その時は顔や手などの露出部に当てればいい。眼球にナイフをつきたて脳髄をかき回せば、さすがのグレゴリオも死ぬに違いない。

 トランクを盾にされたら歯が立たないが……。


 装備を確認する俺に、アメリアが呆れたような口調で言った。


「アレスさん、やる気満々ですね……」


「……違う。これはあくまで念のため、だ。奴は有用だ。どうせ死ぬならこんなところで死なず、魔王に特攻して死んで欲しい」


 そうすれば、その後に戦う事になるであろう、藤堂達の勝率も多少は上がる事だろう。




§ § §




 レベルとはその者の持つ存在力の指標であり、高ければ高い程その存在は生物として強力だが、同時にそれはこの世界での権限レベルを指す。


 そう、権限レベルだ。レベルを上げた人間はレベルの低い人間ではどう足掻こうと出来ない事ができる。本来出来ない事を実行する権限がある。


 それは、魔力が高まるので使える魔術が増えるだとか、腕力が上がるので重いものを持てるだとか、そういう話ではない。

 それは例えば、物理現象を無視しある程度の重力を無視して素手で垂直の壁を登る事であり、完全に気配を消す事であり、数キロ先から気配を察知する事であり、殺意で人の動きを完全に拘束する事だったりする。


 そして、異端殲滅官はそのレベルが他の戦士と比較し、おしなべて高い傾向にあった。

 それは、そのレベルの戦闘能力がなければその職務が務まらないという事であり、同時にその任務の過酷さを物語っている。


 俺のレベルは異端殲滅官の中では一番高いが、俺が異端殲滅官になるずっと前から魔族を殺しまくっているグレゴリオのレベルも当たり前に高い。


 気配を完全に消し、距離をとってグレゴリオを追跡する。

 彼我の距離、およそ三百メートル。遮蔽物もあり、姿は見えない。


 人通りは多くはないが、少なくもない。強い風の音に足音。話し声。雑多な騒音の中、意識を感覚に集中しながら歩いている俺の耳にふと、グレゴリオの呟きが聞こえた。


 独り言だ。淡々とした声はまるで誰かに話しかけているようで、しかし周囲に他の人間はいない。


「ああ、アレス。貴方は……強い」


 音量は小さい。レベルが高いから聞き取れているのだ。恐らくレベルの低い一般人では、ごく近くにいても聞き取れないだろう。そんな声。


「貴方はまさしく神に選ばれてる。尽きぬ神力、鋼の精神、淡々と敵を処断する貴方はまさしく――第一位に相応しい。ああ、アレス。僕は――貴方と初めて出会った時……とても驚いた。まさかこのような人間が存在するなど、と。多くの僧侶プリーストと出会ってきたが、僕が驚いたのは後にも先にも――一度だけだ」


 その淡々とした声、賞賛の声が酷くおどろおどろしく聞こえる。

 俺は凡人だ。ただレベルが高く、そして運が良かっただけ。だからその声は的外れだし全く嬉しくもなんともない。


 言葉を発し続けながらも、その脚は止まる様子がない。その足取りは迷う事無く、俺の要求した通り第三教会に向かっていた。


「超越者。異端殲滅教会アウト・クルセイドの『超越者エクス・デウス』。二位は有象無象の類だ。他の異端殲滅官クルセイダーも取るに足らない。ああ、だが貴方は、貴方だけはッ! 僕は神が貴方にどのような試練を、運命を下したのかとても……興味がある」


 その足が目的の教会の前で立ち止まる。

 結局、外に出てからグレゴリオは一度も不自然な動きを見せなかった。


「これは運命だ」


 唯一の不自然な声はその声のみ。いつしか、その声は独り言ではなくなっていた。

 まるで歌うような声。やや感極まったようなその声に、俺も立ち止まる。

 姿の見えない距離、騒然とした周囲の状況。例えば俺とグレゴリオの立ち位置が逆だったとしたら、俺はグレゴリオの追跡に気づけないだろう。


 それを想定していなければ。


「アレス、貴方は今日この日に僕と出会ったのが偶然だと考えているかもしれませんが、これは……運命だ。僕たちは神の導きに従い、然るべくしてこの場所で出会った。忘れてはならない。僕も貴方も所詮は――運命の歯車の一つに過ぎないのです」


 その声には確信の響きがあった。

 狂信者なりの信条か。


 ……チッ。これは、尾行がバレてるな。


 いや、バレても構わない。元々、奴の勘が鋭い事はわかっていた。

 だが、バレても構わないが……尾行に気づかれたというその事実はかなり重い。


 自分が信頼されていないという事さえも折込積みか?

 狂信者ではあっても、完全に狂ってはいないと言うべきか。激しい『狂気』と垣間見える『理性』。


「ご安心ください。アレス。僕は今のところ、一切貴方の試練を邪魔するつもりはありません。大人しく――教会に閉じこもる事にしましょう。久しぶりに普通の教会の仕事をするのも……悪くはない」


 疑心暗鬼。どうしても信じられない。

 本当に大人しくしているつもりなのか。殺してしまった方がいいのではないか。

 かつてアメリアは疑心を悪徳と断じた。だが、奴にはそれを抱かせるだけの実績があるのだ。


「さようなら、アレス・クラウン。願わくば再び相見えん事を。神の――御心のままに」


 扉が閉まるばたんという音。それを最後に、グレゴリオの気配が消えた。


 数秒がまるで数分のようにも感じた。しばらく待ち、グレゴリオが出てこない事を確かめる。確かめ、俺はようやく踵を返した。

 いつの間にか荒くなっていた呼吸を整える。恐ろしい男だ。奴は俺を超越者と呼んだが、俺には奴の方がよほど超越しているように思える。

 スペック上は負ける余地がないはずなのに、全く勝てる気がしない。それは恐らく、奴が俺の持たない信仰を持っているからなのだろう。狂っていても偏っていても、強い意志を持つ者は手強いものだ。


「運命の歯車、か」


 グレゴリオの言葉を口の中で反芻する。

 それこそが俺の神への信仰が浅いその理由でもある。今この状況が全て神の導きによるものだとしたら、俺は神をぶん殴ってやりたい。


 ちょうどその時、アメリアから通信が入る。

 ここ一日、グレゴリオの事で占めていた頭を切り替える。とりあえずグレゴリオの方はその言葉を信じるしかない。


『スピカの件なのですが――』


 アメリアの言葉に耳を傾ける。

 アメリアからの通信。それは、状況が動く事を示していた。


 それがいい事なのか悪い事なのか、グレゴリオの言う通り神の導きによるものなのか、俺にはわからない。

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