第十一レポート:神の敵を討つ者

「あ……これは……お客様……!?」


 物音を聞きつけたのか、宿の従業員が食堂に駆け込んでくる。

 脚の折れたテーブルに椅子。他に客がいなかったので大した被害は出ていないが、酷い有様だ。


 顔を引きつらせ、俺とグレゴリオを交互に見る従業員に、グレゴリオが薄い笑みを浮かべ、何気ない動作で近寄った。

 懐から袋を取り出す。


「失礼しました。久方ぶりの再会で少々――弁済させていただきます」


 罪悪感の見えない表情に落ち着いた声色。頬を引きつらせていた従業員の表情が困惑に変わる。恐らく、相手がゴロツキなどではなく一見穏やかそうな僧侶に見えるのもよかったのだろう。

 世の中、一見化物に見えない奴の方が化物じみていたりするのだ。本当に世も末である。


 テーブルと椅子の弁済には些か多すぎる程度の額を渡されると、まだどこか戸惑いながらも、従業員が出ていった。

 部外者のいなくなった食堂。

 グレゴリオがまるで旧友に会うかのような喜びの表情を浮かべた。思わず一歩後退る。


 はっきり自分でも分かるくらいに顔を顰めているのだが、グレゴリオはそんな俺を一切構う事無く、つかつかと近寄ってくると、右手を伸ばしてきた。


 握手の姿勢だ。仕方なく手を取る。

 自身の指と比べ、全く力と呼べるものが見えない一般的な僧侶よりも貧弱に見える手だ。何故筋力のかけらも見えないこの手で魔族を撲殺出来るのか。目の前の男は間違いなく化物であった。


 というか、本当に歳いくつだよ……こいつ。


「お久しぶりです、アレス・クラウン。相変わらず、信仰はお変わりないようで」


「チッ」


「僕は今……喜びに満ちあふれています。我が同胞、数少ない我が同胞の中でも、事もあろうに貴方から呼ばれるとは。僕はこの幸運を神に感謝します」


「……死ね」


「ええ。アレス。僕も貴方と同じ気持ちです。魔族の全てを討ち滅ぼすまで、共に戦いましょう」


 俺の後ろに隠れていたアメリアがちょんちょんと俺の肩をつっつく。

 そして、耳元でぼそぼそと囁いてきた。


「アレスさん。この人、コミュニケーションが取れていません」


 言われなくても知っとるわ!

 元々、まともにコミュニケーションを取れるとは思っていないし、取りたいとも思っていない。この男と俺とでは住む世界が違い過ぎるのだ。

 アメリアの存在に今まで気づいていなかったわけでもなかろうに、グレゴリオが眼を大きく開き、大げさな声を上げる。


 俺に話しかけるのに使っていた物静かな声とはまるで異なる、意気揚々とした声だ。『話す』というよりも『叫ぶ』に近い。


「シスターーーーーーアメリアッ! 何故貴女がここにッ!?」


「ヒッ!?」


 俺はその時、初めてアメリアの恐怖の悲鳴を聞いた。気持ちはすごく分かる。


 肩を掴んで俺の後ろに完全に隠れるアメリアに、グレゴリオが爛々とした眼を向ける。それは獲物を狙う鬼の眼であった。

 先程聞いた一度殺されかけたというのは冗談でもなんでもなかったのかもしれない。


 ちょっとアメリアを連れてきた事を後悔した。後で影響が出ないか心配だ。


 腕をゆっくりと上げる。グレゴリオの感情を刺激しないように、少しずつ少しずつ。

 そして、人差し指を広げる。指をさす。グレゴリオの眼がアメリアから離れ、俺の指先を追う。指の先、椅子を見る。


「座れ」


 俺の命令に、グレゴリオが満面の笑みを浮かべた。事ある事に笑顔になるの、本当にやめて欲しい。


「いいでしょう、アレス。しかしその前に、シスター・アメリアとの関係を教えて頂きたい」


「部下だ。何か問題が?」


 手出してこねーかな。そうしたらさっさと手っ取り早く処分出来るんだが。

 グレゴリオの能力は確かに凶悪だが、不意打ちなしで一対一でやりあえば恐らく俺に軍配があがる。何故ならば奴は回復魔法も補助魔法も使う事ができず、俺には退魔術は効かないからだ。レベルも恐らく俺の方が高い。


 半ば挑発じみた俺の答えに、しかしグレゴリオは予想外の反応を見せた。眼を前回に開き、手を自分の前で祈りのように組み交わす。その瞳孔が一気に縮まる。


「それは――素晴らしいッ!」


「は?」


 若干引き気味な俺を他所に、ようやくグレゴリオが椅子に腰を下ろした。

 テンションの落差に付いていけない。押せば引き、引けば押してくる。


 次に出たグレゴリオの言葉、その口調は穏やかで静かなものになっている。


「貴方の元でならば、間違いなくシスターアメリアもその業を雪ぐ事が出来ましょう」


 ……業?


 本当にアメリアは一体何をしたのだろうか。

 ちょっと気になったが、今の俺にはどうでもいい事だ。アメリアの派遣は教会の決定であり、色々あったが結果的に助かっている。例え犯罪者だったとしても、俺はアメリアの手を借りるだろう。


 俺はその言葉に一切触れる事なく、グレゴリオの対面に座った。

 アメリアも続いて俺の隣に座る。何かいいたそうな表情をしていたが、俺が何も言わないせいか黙ったままだった。

 それでいい。俺の目的はグレゴリオを説得する事であり、それ以上でも以下でもない。


 まだ交渉の席についたばかりなのに身体が重い。それらを無視し、グレゴリオの方を睨みつける。


「グレゴリオ、俺がお前を呼び出した理由がわかるか?」


「ええ、もちろんです。旧交を温めるためでしょう」


 間髪入れずに言い切るグレゴリオ。何を言っているんだこいつは。


 まさか、俺は今そんな事を予想させる表情をしているのだろうか? 鏡がないか周囲を見回すが、そんなものがあるわけもなく。


 というか、そんな表情するわけがないし、よしんばしていたとしてもいきなり攻撃を仕掛けてきた時点で吹き飛ぶだろう。


 ペースを乱されている。額を抑え、冷静さを保つ。

 こいつの言葉にいちいち乗ってはいけない。まともに取り合ってはならない。


 舌を噛み切りたい思いを押しとどめ、感情を押し殺し、声を出す。


「もちろん違う。グレゴリオ、お前、枢機卿の命令を拒否したそうだな」


「? はい。それが何か?」


 目を瞬かせ、グレゴリオが本気で何を言われているのかわからないと言った表情をする。

 上司の命令などどこ吹く風。こんな部下を持ってクレイオも大変だ。てか、本当にがんじがらめに拘束して地下牢かなんかに放り込んで置いた方がいいんじゃないだろうか。


「閣下から何か言われたのですか?」


「命令を拒否した理由は?」


 グレゴリオの問いに答えず、こちらから一方的に質問する。

 それに対して何ら嫌な表情をせずに、グレゴリオはゆっくりとその人差し指で自分の鼻を指差してみせた。


「運命、です。アレス・クラウン」


「具体的に言え」


「アレス。僕と同じ貴方ならば分かるはずです」


 断定口調に、アメリアが「え? わかるの?」みたいな眼で俺を見る。

 わかんねえよ。一緒にするな、この化物が。


 グレゴリオが唇の端をゆっくりと持ち上げた。持ち上げて言った。

 人間にそのような表情ができるものなのか。何故か強い違和感を感じさせる、ゾッとするほど満面の『笑み』。


「神の敵です。アレス・クラウン」


「……」


 沈黙を持って答えとする。グレゴリオのその眼に小さな火が灯る。


「僕がここにいるのは神の導きに他ならない。これはッ! 運命ッ! 奇跡ッ! 神は、秩序神、アズ・グリードは、この僕に、神託を下されたッ!」


 両手を振り上げ、グレゴリオがまるで祈りを捧げるかのように叫ぶ。

 よく通る叫び声。しかし、そこに見え隠れしているのは狂気だ。ぴんと伸びた背筋がびくびくと痙攣のように震える。充血した眼球にその笑み、容姿こそ華奢でもそれは鬼の姿に他ならない。


 狂ったように神の敵を討ち滅ぼす鬼。殲滅鬼マッド・イーター


 狂気を浴び、逆に冷静になる。冷静になって思考する。

 こいつは何を感じ取ったのか。神の導きとやらが何なのかは別にいい。狂人の妄想にまでかまっていられない。問題はこの男が何をするつもりなのか、だ。


 ぴたりと声が止まる。その両腕が下がる。

 打って変わって、グレゴリオがまるで子供を窘めるような穏やかな声で言う。


「故にアレス。閣下には非常に申し訳ないですが、僕はここにいなければならないのです」


 やはり、予想した通り、全然理解できなかった。やばい。

 一縷の望みをかけて返す。


「闇の眷属の気配はない」


「ええ、ええ、確かに。しかし、貴方も知っての通り――僕たちの敵は闇の眷属のみではありません」


 俺達異端殲滅官にとって、敵の大部分は闇の眷属ではない。闇の眷属は俺達にとって一番強力で一番警戒が必要でそして……一番やりやすい相手にすぎない。


 神の敵はどこにだっている。

 邪神を奉じる神官。悪魔に魂を売り、邪な術を修めた魔術師。闇の眷属の呪いを浴び、堕落した騎士。

 かなりの遠距離から気配を察知出来る闇の眷属と異なり、そう言った闇に堕ちた人間を俺達は感知できない。


 異端殲滅官に対して求められる能力が単純な戦闘能力だけでないのはそのためで、しかしグレゴリオは本来ならば綿密な情報収集により特定するそれら人間の敵を、神がかった勘で察知する男であった。

 

 その眼をじっと覗き込む。その瞳の先に映るものがなんなのか、俺には検討もつかなかった。

 いや……検討をつける必要などないのだ。

 仮にこの男に、藤堂が『聖勇者ホーリー・ブレイブ』だと気づかれ、且つレイスの悲鳴なんかで気絶するくらいにアンデッドが苦手だと気づかれてしまったら、間違いなくその異端殲滅の対象となる。


 例え、この男が同胞と称する俺がその前に立ちふさがったとしても、『異端殲滅』が止まる事はあるまい。

 出来る事なら面倒事が起こる前にぶっ殺したい。が、そういうわけにもいかない。この男は扱いにくい事この上ないが、一応味方なのだ。

 クレイオからも『殺すな』との命令を受けている。当然である。この男は味方なのだから。敵だったらよかったのに。


 俺の思いも知らずに、グレゴリオは不気味な含み笑いを漏らす。


「ふふふ……そもそも、こともあろうに、序列一位の貴方がこのような辺鄙な村にいる。僕がここに留まる理由についても検討がついているのでは?」


 異端殲滅官は理由なくその辺にいるような存在じゃない。

 全部で十人しかいないその存在は、常に神の敵を討ち滅ぼすために、任務を受け、世界各地に散っている。異端殲滅官のいるところには大抵、神の敵もいるものだ。

 今の俺の任務は勇者のサポートなので、今回は神の敵はいないけど。


 アメリアの様子を窺う。いつも冷静沈着で便りになるパートナーは、今回ばかりは冷静でいられないようだった。


 ……聖勇者のサポートにあたっているという事情を話し、さっさと出ていってもらうべきか?

 いや、無理だ。絶対に無理だ。そんな事を話してしまえば、間違いなくグレゴリオは聖勇者をその眼で確かめに行く。

 問題なのは、既に藤堂とグレゴリオの間に面識がある事である。大墳墓を歩いていた際に怯えていた様子も見られているだろう。

 神の敵に怯えるような男が聖勇者だと知られたら――


 脳裏に浮かんだグレゴリオのトランクケースに詰まった藤堂の姿を、眉を潜めて消し去る。

 縁起でもねえ。


「及ばずながら、アレス。僕は今休暇中でして、そのお手伝いを出来るかと」


 頼むから大人しくしてくれ……その存在が俺の負担になっているのだ。

 俺は改めて――例え何があっても、二度とグレゴリオを呼んだりしない事を改めて、決意した。


「本題に入るぞ。俺がお前を呼んだ理由は簡単だ」


 策を弄するのも面倒だ。そもそも、勘の鋭い男である。

 こういう時は、単純明快に済ませるに限る。


 俺はちらりと一度アメリアの方に視線を向け、そしてグレゴリオを睨みつけた。


「失せろ」


「……それはどう言う意味で?」


「わからないのか。これは俺の任務であり、お前は不要だと言っているんだ」


 一瞬、場に沈黙が訪れる。はっきりとした拒絶の言葉に、しかしグレゴリオの感情は全く動く様子はない。悲しみも怒りも喜びも、何もない。


 そんな男に、続ける。


 相手は狂人だが、同時に知性を持っているし、何よりも、吐き気を催す事に、俺に対する同族意識を持っている。そこを突く。


「アレス。理解できませんね。僕の能力を知らないわけでもないでしょう」


「理解しろ、グレゴリオ。これは試練だ」


「試練……?」


 いつも通りの任務ならば借りてもよかった。いや、借りるべきだとさえいえるだろう。

 こいつの言うとおり、俺はグレゴリオの力を知っている。厳しい訓練を受けた優れた猟犬のような――獲物を追い詰めるその力。神がかった感知能力は存在を察知出来ない神敵を相手にするのに非常に有用だ。 


 だから、グレゴリオは理解できない。俺がこいつをよく知っているように、こいつもまた俺の事を知っているからだ。あらゆる敵を葬るのにあらゆる手を使ってきたこの俺が、自分の力を借りない理由が。


「これは……俺の試練だ。俺の持つ信仰が神に試されている。俺は秩序神の忠実な下僕として、何としてでも俺の力でこの任務を達成しなくてはならない」


 全く効率的ではない言葉をぺらぺらと話す。やむを得ない。全く俺らしくないが、やむを得ないのだ。

 抽象的で、具体性のかけらもなく、何よりも俺はあまり神を信じていない。

 だが、しかしだからこそ、この狂信者には通じるのだ。


 アメリアがあっけにとられたように俺を見ている。その視線がとても痛い。


「わかるな?」


 俺の問いに、グレゴリオが沈黙する。

 数秒の沈黙の末、果たしてグレゴリオは当たり前のように大きく頷いた。

 何が琴線に触れたのか、その表情からは笑みが消え、真剣なものだ。


「わかりました。同胞の信仰を邪魔するわけにはいきませんね」


「助かる」


 その言葉に、賭けに勝った事を確信する。心中でほっと胸を撫で下ろす。

 賭け。そう、賭けだった。俺はグレゴリオの事をよく知っているが、同時にあまりよくわからないのだ。何しろ、狂人である。


 グレゴリオがその眉根を寄せ、困ったような表情を作った。


「それでは、僕はこの村を去りましょう。この村の神の敵を貴方が殲滅するのならば僕がここにいる理由はない。……本来なら、大墳墓に潜る予定でしたが、貴方の邪魔になってしまいそうですね」


 この村を去る。

 その言葉は俺の望んだ通りのものだったが、ふと少し気になり、聞き返した。


「次はどこに?」


「神の導きのままに。とりあえず……北ですね」


「具体的には?」


「? ……北西、ですかね?」


 北西。ユーティス大墳墓の北西には……ゴーレム・バレーがある。

 瞼がぴくぴくと痙攣するのを感じる。多分ストレスのせいだ。


「……北西はやめたほうがいいな」


「? 何故ですか?」


 むしろ、何故ピンポイントで北西なのか聞きたいわッ!


 グレゴリオが不審そうな表情をしている。


 まずい。とりあえずグレゴリオを遠ざけたところで、再び出会ってしまっては意味がないのだ。そして、再び出会ってもおかしくない、そんな怖さがこの男にはある。先回りされるとやばい。

 次のレベル上げはゴーレム・バレーでする予定だ。そこを外すと一気に効率が落ちる。グレゴリオを恐れて藤堂のレベル上げの効率を落としてしまえば本末転倒だ。


 むしろ、グレゴリオにはここに留まってもらい、藤堂をさっさとゴーレム・バレーに向かわせた方がいいか?


 しかし、それはそれで一抹の不安が残る。藤堂も俺の誘導の通り動いてくれるとは限らないという点だ。俺の周りはそんな奴らばっかりだ。


 ……命令違反になるが、やっぱり、なんかグレゴリオにはここで死んでもらうのが一番手っ取り早くて安全な気がしてきた。


「どうかしましたか、アレス」


「……いや」


 教会本部に帰ってもらう? いや……俺がそんな指示を出すのは不自然だろう。

 クレイオに任務を与えてもらえばそれに従うだろうか? 本当に従うのか? もう既に命令を拒否しているのに?


 思わずがたがた膝を鳴らし、グレゴリオを睨みつける。視線で人が殺せたらいいのに。


「僕がここを出たら問題が?」


「お前の存在それ自体が問題だ」


「アレス。ご安心ください。貴方の試練を邪魔するつもりはありません」


 試練を邪魔するつもりはないかもしれないが、ふらっと偶然藤堂を殺しそうだから困ってるんだよ、俺はッ!

 もちろん、手を出しかけたら守るつもりではいる。だが、まずそんな状況が起こらないようにするのが第一だ。


 全く信頼のおけない同輩に尋ねる。


「グレゴリオ、あんた今何処の教会に滞在してる?」


 グレゴリオが首を傾げ、手を組み合わせて答えた。


「? 第三教会ですが」


 この村には教会が三つ存在する。

 藤堂が滞在しているのが一番大きな第一教会だ。

 第一教会には全ての設備が揃っている。藤堂たちが第三教会に行くことはないはずだ。距離もあるし、用事があるわけもない。


 俺は深くため息をつき、グレゴリオに言い放った。


「おーけー、じゃあ俺がいいと言うまで第三教会から一歩も出るな。絶対に出るなよ」

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