第三報告 グレゴリオとその対策について

第十レポート:襲いくる脅威

 武具を机の上に広げ確認したところで俺は、スピカに短剣を貸したままだった事を思い出した。

 眉を顰め、唇を強く噛みしめる。


 不吉だ。とても不吉だ。


 例えどれほど弱い魔物を相手にする場合でも、俺は事前の準備を怠らない。命が一つしかない以上、それは魔物狩りにとっての基本だった。


 テーブルに並べられているのは数少ない俺の武装だ。

 結界の生成にも使えるミスリル製のナイフが二本。メインウェポンであるバトルメイスに、闇の眷属を退ける効果のある聖水の瓶が幾つか。

 そこにスピカに貸している長めの短剣を入れれば、相手がなんであれそれなりに戦える。


 本来ならばナイフは後四本あり、予備を含め六本揃えてあったのだが、それらはザルパンに奪われてまだ補充出来ていない。

 ミスリルは高価であり、扱える鍛冶屋も限られている。備品の申請はしてあるが、俺の手元に来るまではもう少し時間がかかるだろう。


 メインウェポンが健在である以上、たいていの相手は何とかなるが、グレゴリオは残念ながら大抵の相手ではない。フル装備でも相手をしたくないのに、まさかここまで武装がない状態で相対する事になるとは……。

 もちろん、相手は遺憾とはいえ、同じ異端殲滅教会のメンバー。殺し合うつもりはないが、奴を相手にろくすっぽ準備もせずに会うのは避けたかった。


 並べられた武装を見下ろし、顔を顰めていると、アメリアが心配そうな声を出した。


「あの……アレスさん、私も行きましょうか?」


「言っておくが、あいつは相手が女でも容赦したりしない」


 奴にある判断基準は神の敵か否か、ただそれだけだ。

 そして神の敵か否か、その判断基準は奴自身の中にのみ存在する。グレゴリオがまだ生かされているのは偶然その基準が教会の判断と一致していたから、そして、奴の能力が有能だったから、ただそれだけの理由にすぎない。


「大丈夫です。私も会った事はあります」


「……友人だったりするのか?」


 俺の問いに、アメリアが珍しくとても嫌そうな表情をした。

 その表情の変化に驚く暇もなく、


「ちょっとだけ……殺されかけました」


「……」


 アメリアの顔を二度見する。そこには何時も通り、表情の見えない顔があった。

 一体何をやったら殺されかけるのだろうか……。


 ……まぁいい。


「俺の代わりに話してきてくれるか?」


「……どれだけやりたくないんですが」


 上位の魔族と差しで戦う方が百倍もマシである。

 俺は、あの男が、苦手なのだ! 面倒臭いのだ。

 ……代わりに話してきてくれというのは冗談だが。


 テーブルに肘を立て、頭をかかえる。

 後悔していた。例え、それがベストな選択だったとしても、ヴェールの森にグレゴリオを呼ぶべきではなかった、と。呼ばなければ、俺に近づかせなければ、あいつがユーティス大墳墓に来ることもなかっただろう。

 あの男を動員するというその考えが誤りだったのだ。クレイオに誰を派遣するかも含め、全て任せるべきだった。


 全てが俺のミスだ。くそっ、その危険性は十分わかっていたと言うのに。

 用法を守ってもグレゴリオを使うべきではなかった。


 あああああああああああああああああああああ!


「アレスさんがそんなに嫌がるの初めて見ました……」


「俺にだって……好き嫌いはある」


 別に食わず嫌いをしているわけではない。長く付き合い、奴を知っているが故の嫌悪だ。クルセイダーは癖が強い奴が多いが、グレゴリオが一番癖が強い。

 多分、俺が人員を要求したその時、クルセイダーで唯一グレゴリオに任務が振られていなかったそれが、その理由なのだろう。


「ああああああああああああああああああああああああああああ!」


 嫌だ。会いたくない。会話を交わしたくない。視界に入れたくない。お腹痛い。

 ちゃんと上の言うこと聞けよ、グレゴリオォォォォォォォォッ!!


 ああああああああああああああああああああああ!


 しばらく目を閉じて、荒くなっていた呼吸を整え、そして開いた。

 よし、思考がクリアになった。いや、まだ危ういがとりあえずクリアになったという事にしよう。


「よし…………行くぞ」


「なんかアレスさんのせいで私もお腹痛くなってきました……」


「『状態異常回復リカバリー』」


「……貸し一個ですよ?」


 もうこうなったら一個でも十個でも百個でも構わん。



§ § §




 異端殲滅官の間には序列というものが存在する。

 何のために存在するのかは知らないが、それは能力と実績、そして何よりも教会の上層部の判断によって決定され、必ずしもその強さと一致しない。


 グレゴリオの序列は第三位だが、奴のクルセイダー歴は俺よりも長く、その戦闘能力、純粋な攻撃力だけ切り取れば俺と同じかそれ以上と言える。

 例えば、ザルパンを相手にしたのが俺ではなくグレゴリオだったら、自爆する間を与えることなくザルパンを討滅していた事だろう。


 そのやたら物騒な戦闘能力を支えているのが奴の武装。


 全身ミスリル製のトランクケース。

 奴自身が『禁忌の箱パンドラズ・コフィン』と呼ぶ闇の眷属の棺桶だ。

 取り回しの悪いその武装は奴が異端殲滅官となったそのルーツであるらしい。討伐した闇の眷属の死骸をそこに納め持ち帰るというのは異端殲滅官の間ではまことしやかに囁かれる噂だった。

 もちろんただの噂だ。実際の奴は闇の眷属の死骸に固執しない。しかし、その噂だけで奴が周囲にどのような評価を受けているのか分かるだろう。


 待ち合わせの場所としては宿の食堂を指定した。教会だと藤堂と鉢合わせる可能性があったからだ。

 クレイオを通じて申し込んだのだが、快諾されたという旨を聞いて腹痛が酷くなったのは秘密である。


 待ち合わせの時刻の十分前。食堂の入り口から顔を半分だけ入れて中を窺う。


 果たして、そこには奴がいた。大墳墓では結局顔を合わせなかったので、俺が奴の顔を直に見るのは数年振りだ。ああ、お腹痛い。


 丁寧に切りそろえられた黒の髪に黒の目。背の高さは俺よりも低く、顔が童顔のせいか殲滅鬼などという二つ名を持つような男には見えない。

 身につけた深い藍色の法衣は教会指定のもの。耳にぶら下がるイヤリングといい、足の先から頭の先までどこからどう見ても優等生の僧侶がそこにはいた。

 表情は温和そのもの。見た目だけならば俺よりもよっぽど一般的な僧侶のイメージに近い。それを考えるたびに俺はとてもやるせない気分になる。

 見た目だけならば十代中盤から十代後半に見えるが、奴の見た目は俺が初めて出会った十年近く前から一切変わっていないので騙されてはいけない。どういう理屈なのかわからないが、何しろ妖怪のような男なのである。

 

 宿に宿泊しているのは俺達だけらしく、食堂にはグレゴリオを除いて他の人間はいなかった。


 こちらが腹痛をこらえてまで来ているというのに平然とした様子のグレゴリオに腹痛が増す。俺は奴を苦手としているが、奴は俺を苦手としていないので当然の帰結ではある。

 しかし、いつまでも覗いているわけにはいかない。

 一度深く深呼吸して覚悟を決めると、一歩足を踏み入れるその寸前にアメリアが聞いてきた。


「……補助魔法はかけなくて大丈夫ですか?」


「……補助魔法をかけて俺が殺る気だと思われたら困る」


「思われるんですか?」


「思われる」


 信仰を確認がてら攻撃を仕掛けてきたりするので注意が必要である。そんなのトラウマだトラウマ。僧侶のやる所業じゃねえ。


 といっても、文句を言っても仕方ない。意識だけ戦闘時のものに切り替えて、食堂に一歩踏み込んだ。


 ――瞬間、全身に怖気が奔った。

 悪意。戦意。殺意。それらに似てしかし異なる異様な気配に、レベル93である俺の足が一瞬竦む。


「ッ!」


 覚悟はしていたので声は出なかった。

 風を切って飛んできた視界を遮る『黒』に握ったメイスを横薙ぎに叩き込む。

 硬いものを殴り飛ばす感触と金属同士がぶつかり合う音。視界が開ける。それを確認する間もなく、俺は次の行動を開始していた。


 懐に入られた。飛んできたのはトランクケースで、しかしそれは囮だ。

 目の前、至近に奴がいた。ざっくばらんに乱れた黒の髪。至近からぶつかり合う眼球がギョロリと奇怪な色を発する。


 予想していたから対応できた。躊躇いなくそれに膝蹴りを叩き込む。

 骨と肉の軋む音。グレゴリオの矮躯が衝撃を受け、宙に舞う。致命傷ではない。手の平で受け、自ら飛んだのだ。


「アレスさんッ!」


 アメリアが悲鳴に近い声で叫ぶ。


 逆に俺は冷静になっていた。

 心配いらない。これは……好機だ。向こうから手を出してきたのならば、正当防衛で殺してしまっても仕方のない事だ。仕方のない事なのだ。後でクレイオに謝ればきっと許してくれる。


 メイスを叩き込んだトランクがテーブルを破壊し床を擦りながら転がる。それをちらりと視線を向けて確認し、すぐにグレゴリオに視線を戻す。床を蹴って前進した。

 

 グレゴリオの手に武器はなく俺の手にはある。蹴りは受け止められても棘の生えたメイスは受け止められまい。

 殺意を収束する。一撃で殺す。目標は頭だ。さすがに頭を潰されればいくら化物でも、死ぬだろう。


 一歩で速度を増し、二歩で最高速に達し、三歩で宙に跳ぶ。腕に全力を込め、メイスを振り被る。腕の筋肉がみしみしと軋む。自らの血潮の流れる音が何故かよく聞こえる。

 ターゲットはすぐ目の前。さすがのグレゴリオでも宙では受けきれまい。


「死ねええええええええええええええええええええッ!」


 少しでも動きを牽制するために咆哮する。びりびりと空気が震える。

 勢いをつけ腕を振り下ろすその寸前、グレゴリオの表情がはっきりと見えた。歪められた唇が。


 恐怖ではない。それは笑みだ。


 それを見た瞬間、反射的に俺は動作を変えた。振り下ろしかけたメイスの方向をずらす。身体を無理やり回転させ、攻撃方向を背後に変える。

 先程とは比べ物にならないほどの衝撃が殴りつけたメイスに、腕に伝わってきた。巨大な鐘でも鳴らしたかのような音が響き渡る。


「――ッ」


 床に着地する。そこでようやく俺は、自分が殴ったものがトランクである事に気づいた。全力を叩き込んだにも拘らず、そのトランクケースには傷一つない。


 おかしい。奴は宙にいた。トランクは確かに床に転がっていたはずだ。反撃するような暇は確かに与えていなかった。


 理解不能の衝動が脳裏を巡る。


 しかし、その時には全てが終わっていた。


 視線を向ける。

 俺とほぼ同時に地面に着地したグレゴリオがぱんぱんと法衣を払っていた。怖気の奔る気配はもはやどこにもない。

 特に何事もなかったかのようにグレゴリオが言う。


 腕を振り上げ、まるで歓迎しているかのような笑みを浮かべて。


「おお、アレス。我が同胞。健勝そうで何よりです」


 ……チッ。仕留め損なった。

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