勇者と剣士

 月には薄く雲がかかり、ぼんやりとした光のみが地上を照らしていた。


 教会の裏庭。月光を除いて明かりのないその場所に、藤堂は立っていた。


 肌を撫でるのは生暖かい風のみ。手に張り付くのは木剣の感触。

 聖剣エクスと同じ長さのそれは、旅に出る前に誂えて貰ったもので、軽い聖剣とほぼ同じ重量を持っている。


 暗闇の中、眼を細め前方を睨みつける。目の前、三メートル程のところで剣を構えるアリアを。


 魔王討伐の旅に出て一月あまり、藤堂が剣を握らなかった日はない。


 その上達加減こそルークスの騎士団長も目を見張るものだったが、平和な世界に生まれた藤堂直継には剣の経験がなかった。いくら加護が強くても、加護だけで達成出来るほど魔王討伐の旅は甘くなく、いざという時に物を言うのはそれまで積み重ねてきた経験だ。

 日頃行っているアリアとの訓練は、少ない経験を少しでもカバーしようと、藤堂自体が申し出たものだった。


 短く吐かれた呼気。神経を集中させ、目の前のアリアの佇まいを観察する。

 まだ一歩も動いていないのに、背中にはじっとりと湿った感覚があった。


 アリア・リザース。

 剣王の息女。

 ルークス王国でも屈指の剣術の大家で生まれ育ったその少女に立ち居振る舞いは静かで乱れなく、しかし凄まじい威圧を感じさせる。

 アリアの身長は藤堂よりも高く、両手に握られた剣も藤堂のそれよりリーチが長く、藤堂がその剣を届かせるにはアリアの攻撃可能範囲の一歩奥に踏み込まなくてはならない。


 藤堂とアリアのレベルの差は7存在するが、藤堂は上がった身体能力に未だ慣れきっておらず、アリアは逆に稽古で自分よりも上のレベルの者との戦闘経験が豊富にあった。


 構えられたアリアの木剣の切っ先は、藤堂の眉間に向けられている。


 じりじりと小刻みな歩みで距離を計り、そして――藤堂が一歩強く踏み込んだ。




§ § §




「ナオ、貴方の弱点の一つは……腕力のなさです」


 訓練終了後。

 剣を無造作に下ろし、アリアが評価した。


 結局、一太刀も与える事ができなかった。

 本来の聖剣とは異なる木剣。同等の武器を使い試合形式で戦った場合、藤堂直継の腕はアリア・リザースよりも一歩も二歩も劣る。


 全力を込めた一撃は容易く受け止められ、アリアの奇妙な起動を描く剣は藤堂の腕を、肩を斬りつける。

 聖剣を持つ藤堂にとって魔物との戦闘の殆どは初撃必殺で終わる。それはつまり、まともに剣を受け止められた経験がない事を示していた。


 乱れた息を整えながら、藤堂はアリアの言葉に耳を傾ける。


「ナオの攻撃は……軽い。ヴェールの森では聖剣の性能で押し切れましたが、この先一撃で屠れない魔物が現れた場合……苦労する事になるでしょう」


「レベルを上げれば腕力も上がる?」


「上がります。しかし――」


 アリアが木剣を鞘に納めながら、言いにくそうに続ける。


「その上昇幅はそれほど大きくありません。一般的に人族の女性は……男性に比べて筋力の上昇幅が小さいですから」


 藤堂が自らの手の平を見下ろす。痺れたような感覚の残る華奢な手の平。


 聖剣エクスの斬れ味は常軌を逸する。場合によっては金属製の防具ですらバターのように切り裂けるだろう。だがしかし、それは聖剣の力であって藤堂の力ではない。


「男性は筋力と体力が伸びやすく、剣士するに適している。その代わり、女性は敏捷性と魔力が上がりやすいですが、それならば剣士になる必要はない。ナオ、この世界で女性の剣士は……それほど多くありません。特にある一定以上の域に達すると皆男になる。これは……人族としての種族の特性です。もちろん、レベルや武具の質によってある程度カバーはできますが、その特性だけは頭に置いておく必要がある」


「……なるほど……わかるよ」


 藤堂の元いた世界においても、女性と男性では身体能力に差があった。それは藤堂自身も何度も実感した事であり、今更言うに及ばない。

 しかし、勇者として召喚されたにも拘らず再び立ちはだかった壁に、藤堂は肩を竦めてみせた。


「それは、今まで召喚された聖勇者が皆男だった事と関係あるのかな?」


「さぁ……召喚は……教会の秘匿技術ですから。しかし、少なくとも剣士として召喚するのならば――」


 アリアが僅かに表情を苦々しく顰め、続ける。

 アリア自体も、剣王の娘として苦労してきた。アリアには兄がいたため、剣王の跡継ぎとしての期待は降り掛かってこなかったが、色眼鏡で見られる事は避けられない。


「男性の方が適しているといえるでしょう」


「……」


「幸いなことに、聖剣には重さがない。聖鎧にもないし、ナオ殿に与えられた盾も一般の盾と比べれば遥かに軽い、魔法のかかった品です」


「どうすれば身体能力の差をカバー出来る?」


 藤堂の問いに、アリアが躊躇いなく答えた。


「恐らく、剣では無理です」


 剣では無理。


 目を見開き、アリアの顔を見上げるが、その表情は至極真面目なものだ。

 藤堂が半ば捨て鉢のような言葉をかける。


「剣王の娘なのに、随分と弱気だね」


「剣術の指南をずっと受け続けたから分かるのです、ナオ。私達と彼らには……最終的に隔絶した差が出来上がる。例えば、男剣士と女剣士、同じ練度を持ち同じ武器を使った場合、百回に百回前者が勝つでしょう。私達はそういう風に創られていない」


 無表情で答えるアリア。その表情に、藤堂は得体の知れない寒気と、覚悟に似た何かを感じ取った。

 それでも諦められずに、聞きかじった情報について確認する。


「剣士も魔力を使った技があると聞いたけど?」


「……ありますが、剣士の技は魔力をそれほど使わないし、そもそも今現在存在する評価はそれを加味したものです」


 そもそも、レベルを上げればいくら剣士といえどある程度の魔力を得る。

 魔力によってそれほど大きな差が出来上がるのならば、女剣士が不遇とされる事もなかっただろう。


 藤堂はそれに答えず、その代わりに軽く剣を閃かせた。

 空気を切る鋭い音。ひらめく剣身は淀みなく、一般人ならば見惚れる程のものだったが、実際に受けたアリアにはそこに殆ど力が入っていない事を知っていた。

 速度は出ているし、聖剣を使えば下級の魔獣を骨ごと両断出来るが、所詮出来るのはただそれだけだ。


 果たしてその斬れ味だけでどこまでやっていけるか――。


 無言で、無心で剣を振る藤堂に、アリアが深く感慨深いため息をついた。そして、言った。


「……ですが、ナオは運がいい。貴女には……高い魔力がある。魔術の才能がある」


「魔術の才能……」


「魔術と剣術、双方を扱える者は少ない。魔術の深淵は最上級の剣術に匹敵するとされております。ナオ、魔法使いは逆に……男性よりも女性の方が多いのです。そちらはリミスの方が詳しいでしょう」


「魔術、か……」


 最後に大きく刃を振り被ると、藤堂はそれを全力で振り下ろした。

 鋭い音。汗の玉が宙を舞い、地面に落ちる。その気合に、アリアは昔の自分――剣術を極める事が難しいと解った直後の自分を思い出した。


「……できれば、剣の才能が欲しかったなぁ……」


「何故ですか?」


「格好いいじゃん? 剣を使うって」


 力なく笑う藤堂の顔。

 やや童顔にも見えるが、すっと通った目鼻立ちに色艶のいい黒の髪は男性にも女性にも見える。

 が、女性と言われてもストンと納得できるような……。

 伸びた前髪に隠れた漆黒の瞳から目を背け、アリアが話を変えた。


「ナオ、髪も伸びてますし、そろそろ髪を切ったほうがいいかもしれません」


 その言葉に、藤堂が濡れた前髪を人差し指とや指でつまんだ。


「あー、確かに少し邪魔かもしれないな……」


「正直……今のナオは、そうと言われないと男に見えません。」


「え……?」


 声も男性にしては高いし、背も低い。無理をすれば男に見えなくもないが、一般的な男の剣士や傭兵と比べて明らかに骨格が華奢だ。女と言われても驚かないくらいには。


 能力の特性にその容姿。

 スピカに気づかれたのは予想外だったが、そうでなくてもいずれそれを隠し通すのは難しくなるかもしれない。


 アリアのため息に、藤堂がぱちぱちと目を瞬かせた。

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