プリーストのお仕事
時には目に見えないものが真実である事もあるのです。
かつて、信仰のみを柱に狂ったように戦い続ける男はそう言った。
その感覚こそが怪物の怪物たる所以である事を知ったのは大分後の事だ。
猟犬のような執念深さと、狂信者の如き意志。そして、殺人鬼のような戦闘能力。
何よりも厄介なのはその信仰がアズ・グリード神聖教の教義と一致しない事。奴は『自称』神の使徒であり、教会に忠義を誓っていない
その行動指針は強迫観念に限りなく近い『妄想』を元にしており、何を言いたいかというと俺は、グレゴリオが自身の上司たる聖穢卿の言葉に従わない可能性も割りとある事を知っていた。
――ただ、それを信じたくなかっただけで。
眉がぴくぴくと引きつっているのを感じていた。
宿の一室。はめ込まれた安っぽい窓ガラスには自身の凶相がはっきりと映っている。
「命令に従わない、だ?」
低く恫喝するような声。丸テーブルの上で書類をまとめていた、アメリアが心配そうな表情でこちらを見ていた。
ここのところ、悪い予感ばかりが当たっている。ツキが落ちているのを感じる。
胃がきりきりと傷んだ。クレイオの声の素っ気なさがそれに拍車をかけている。
俺に平穏が訪れるのは一体いつなのだろうか?
『ああ、あれは……駄目だな。彼は『神託』、と』
「……チッ。敵に回すと厄介極まりない、な」
神託。グレゴリオ・レギンズの独自の行動理論を指す。
いかなる理屈か。その行動には理由がない。強いて言うのならば勘だとでも言えるだろうか。
ただし、それはただの勘ではない。恐るべき精度の『勘』だ。
奴は言語化できないその神がかった『
何を嗅ぎ取っているのか。俺だって予感めいた事を感じる事くらいあるが、グレゴリオのそれは半ば未来予知に近い。
どちらかというと行動に理由を必要とする理屈派の俺とは相容れない理由の一つだった。
短く呼吸をして思考を冷静に保つ。解っていたことだ。グレゴリオと出会ってしまった以上、どう転んでも面倒な事になるのは解っていた事だ。
だからこれはまだ――最悪ではない。
「グレゴリオに勇者の情報は伝えたか?」
『伝えていない。聖勇者の情報は少なくともまだ伏せる事になっている。ルークスの意向もある。いずれは皆の知るところになるだろうが、ね』
「だが風の噂で察知している可能性はある」
ヴェールの村のヘリオスが予測していたという前例もある。人の口に戸は立てられない。
クレイオが珍しくやや心配そうな声色で尋ねてきた。
『アレス、大丈夫かね? そんな事は……当たり前だろう』
その通りだ。言葉に出すまでもない。本来ならば聞き返す必要のない事で、それは効率的ではないし、仮にそうだったとしても……どうしようもない。
俺は奴を苦手としている。会話していると疲れるし、そもそも俺にはあの男を理解できない。
深呼吸を繰り返し、自身に鎮静の魔法をかける。
頭痛が引き、僅かに冷静さが戻るのを感じた。思い込みかもしれないが……。
何とかグレゴリオを藤堂たちから遠ざけたい……が、これはかなり難しい。奴の持つ感覚は本当に厄介だ。感覚型の戦士は大なり小なりそういった側面を持つが、味方にすれば心強く敵にすれば恐ろしい。
理屈派の天敵とも呼べる。何しろ、全ての計画を『なんとなく』で打ち破ってくるのだから。
厄介なのは、藤堂がこの街を去ったところで奴が――それを追ってくる可能性がある、という点だ。
常識で考えたらありえない。ありえない、のだが、その常識を打ち破ってくるのが殲滅鬼という存在だった。
かつて一度、ある邪神を信奉する人間のコミュニティを壊滅した事がある。
その時にコンビを組んだのがグレゴリオだった。
その任務は対象の居場所がわかっておらず、情報収集から始めなくてはならない類のものだったが、奴は、全く何の事前情報もない状態から、人間であるが故に感知出来ない背信者の集団を短期間で見つけ出しそれらをたった一人で壊滅してみせた。
ふらっと散歩に行くような様子で外出し、任務を全うした奴に、どうやって見つけ出したのか尋ねた。その結果返ってきた言葉が『信仰故』であった。俺が聞いているのはそういう話じゃないというのに。
グレゴリオを打ち破るにはその信仰を凌駕する理屈がいる。奴を納得させる必要がある。奴を、奴自身の世界の理屈で説得する必要がある。
ザルパンを相手にするなどとは比較にならない程の難事であった。
……やりたくねえ……っていうか、もしかして無理?
「逃げ出しても追ってくるかなぁ……」
『アレス……大丈夫かね?』
多分追ってくる。十中八九追ってくる。いや、そもそもそういう『リスク』を踏むべきではない。
逃亡する側と追跡する側、有利なのは後者だ。戦争は撤退時が最も被害が大きいのだ。
俺はグレゴリオがあまり得意ではないが故に、それなりにその男の事を知っている。その能力も。
理屈型は感情を大きな要素としない。苦手であるという事は立ち向かわない理由にならない。
これは……ビジネスだ。
「俺が……奴に接触して説得する。あんたも続けて奴を遠ざけるよう説得してくれ」
『……ああ、わかった』
短い了解の言葉と共に通信が切れる。
俺は深い溜息をついて、アメリアの方を振り返った。これは試練だ。やるしかない。藤堂の戦力強化もしなくてはならないが、優先度はこちらが……上。
一応人族の範疇であるあの男から藤堂を守るのは魔族から守るよりも余程難しいのだ。
アメリアがぱちぱちと深い藍色の瞳を瞬かせ、俺の方を見ていた。
今のところ俺にとって完全な味方は、使える駒は、アメリアだけのようだ。
……いくらなんでも彼女にグレゴリオの説得を任せるわけにもいかないが。
「報告は終わりましたか」
「ああ。まぁ、あまり芳しい状況ではないな」
できるだけ早くレベルを上げなくてはならないのに、何故それに注力させてくれないのか。
ぶちまけたい愚痴を内心に全て封じ込め、椅子に腰を下ろす。アメリアがやけに慣れた手つきで紅茶を入れてくれた。
さて、どうするべきか……できれば次のフィールドまでこの問題を引っ張りたくないが……。
既に外は闇の帳に包まれていた。
ヴェールの村とは異なり、それほど規模の大きくないピュリフには街灯が殆ど存在せず、夜になると外が真っ暗になる。
「お疲れですか?」
「肉体的な疲労はないに等しいが精神的には若干疲れたな」
二ヶ月くらい前、たった一人で異端殲滅の任務についていた頃が少しだけ懐かしい。
抱きかけた感傷を殺し、前を見る。
グレゴリオの居場所は既にわかっている。グレゴリオの滞在しているのは教会だが、藤堂の滞在している場所とはまた違う場所だ。
朝一で顔を接触するか……朝から会いたくはないが、早ければ早い程いい。
今すぐは……ちょっと無理。一回休まないと逆に押し切られてしまいそうだ。
対面していたアメリアが立ち上がり、後ろに回る。首筋からひやりとした感触がする。そのまま、肩と首筋にゆっくりと力がかかった。
「……大分、肩こってますね。硬いです」
「それはレベル差だ。アメリアの攻撃力よりも俺の防御力の方が高い」
「……なんか理不尽です」
だから、恐らくアメリアが刃物で俺を突いても俺には傷一つつかない。
アメリア程のレベルになると、自身以上のレベルには日常で出会う事はまずないだろうが、レベル差とはそういうものだ。俺とアメリアでは存在の絶対量に差がありすぎる。
それは藤堂と魔王の間にも同じ事が言える。
「アレスさん、スピカへの指示はどうしますか?」
「明日グレゴリオと会話する。それ次第でどう指示を出すか決めるが、まぁそれもスピカが藤堂についていくかどうか、次第だな」
グレゴリオさえ説得できたのならば、予定通りここでアンデッドを克服させるのもいいだろう。何よりもここはスピカのレベル上げには最適だ。レベル10であり、リミスと異なり攻撃手段を持たないスピカのレベルを上げるのにここ以上の土地は存在しない。
だが、それもスピカがどうしたいか、その意志次第ではある。注意事項は全て告げた。危険性。藤堂が女好きであるという事。勇者である事は教えていないが、それは仕方がない。
変わらず、肩を揉もうとしながらアメリアが聞いてくる。
「スピカは才能はありましたか?」
「ないな。本当に才能があるのならば、俺たちが来る前から神聖術を使えたはずだ」
才能とはそういうものだ。
特に神聖術はその信仰に大きく左右される。高名の僧侶には、教わる前から神聖術を使えた者が少なくない。
が、同時に才能がなければ僧侶を出来ないわけでもない。スピカが藤堂のパーティでやっていけるかどうかは彼女自身の努力に掛ってくるだろう。
修行方法については適宜教えられるし、装備についても最大限に補助出来る。
「先程スピカと連絡しました。藤堂さんたちについていくかどうか、決定は少し待って欲しいと」
「そうか」
時間はないが、自身の人生に関わる問題だ。納得して参加しなければ神聖術の伸びも悪くなる。少なくとも、グレゴリオの説得を終えるまでなら待てる。
目を瞑り、言葉に耳を傾ける。ふと、アメリアが笑いをこらえたような声色で続けた。
「そういえば、スピカから聞いたんですが――」
「んー」
「藤堂さん、女好きじゃないらしいですよ。確認したそうです」
「ん……? んん……?」
何を確認してるんだ、スピカの奴は……。
確かに女好きだから気をつけろとは言ったが、普通本人に確認するか……?
「……女好きかどうか聞かれてイエスと答える男がいるわけないだろ」
俺だってノーって答えるわ、そんなの。
しかし、女二男一のパーティを組んでおいてなかなか苦しい言い訳だ。尤も、今の俺だって人の事言えないだろうが……。
そして、肩揉みをしながら、アメリアが予想外の事を言った。
「どっちかというと、普通に男が好きらしいです」
「……」
背筋がぞくりとした。一瞬耳を疑う。
どっちかというと、普通に男が好き……? なんだ? どこが普通なんだ? それが異世界の文化なのか?
……いや、そうではないはずだ。召喚元の世界については、今まで召喚してきた勇者からの聞き取りである程度わかっている。
魔法や奇跡のない世界だが、基本的な人間の思考や生活体系はこの世界と大差ない。
その意味についてしばらく黙ったまま考えるが、すぐに結論に当たった。
「……藤堂の奴も、凄い言い訳を考えたものだな」
「そうですね」
いくら答えづらい質問を貰ったからといえ……いくらなんでも男の方が好きという回答はないだろう。しかも、普通にって……普通にってなんだよ。普通ってなんだよ!
焦っていたのだろうか? リミスやアリアがそれを聞き、どう思うかも考えなかったのだろうか?
いや、スピカを少しでも安心させるため、か? どちらにせよ、墓穴を掘ってる感は否めない。
「まぁ、嘘だな。スピカも藤堂の言葉を鵜呑みにしているわけではないと思うが一応、引き続き気をつけるよう伝えてくれ」
「既に、その話を聞いた時に伝えました」
しかし、男の方が好き、か……なんという回答。
ため息をつき、感想を言う。
「ちょっと面白かった」
「私も面白かったです」
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