幸運の星
ここ二日はおそらく、生まれてから十二年の人生の中でも激動の二日だった、と、スピカ・ロイルは思う。
いつもと何ら変わらない日々だった。
親の顔は知らない。物心ついた頃から教会で生活し、子供でも出来る簡単な労働の代償に最低限生存に必要なもののみ与えられて生きてきた。
ピュリフは寂れた村だ。
ユーティス大墳墓はレベル上げのフィールドとしてよく知られているが、他の同レベル帯のフィールドと比較すると、立地と現れる魔物の傾向の条件が悪く、レベルを上げづらい。同程度のレベル上げのフィールドとして、ヴェール大森林という屈指のフィールドが国内に存在する事もあり、来訪者の数は年々減りつつある。魔族の侵攻が激しくなり、レベル上げの必要性が高まるに連れ効率が求められるようになってからは特にそれが顕著であり、今や傭兵の間でユーティス大墳墓は『美味しくない地』として有名だった。
豊かではなく、発展する見込みも少ない。
そんな村に生まれ育ったスピカにとって時間はゆっくりと進むものであり、変化というのは滅多に発生しないものだった。
親はないが、孤児はスピカの周りだけ見ても沢山いたし、それを悲劇と考えたこともない。
僧侶になりたいと思った事もなければ、何かしたいと思った事もない。ただ漠然とこれからもずっと教会で働いて、大きくなったら誰か適当な村の住人と結婚してピュリフで一生を過ごすものだと思っていた。
――あの日。突然、何の前触れもなく、スカウトを受けるまでは。
選択というものをした事はなかった。だが、今目の前にはスピカ自身が決定出来る選択肢がある。
経験がなくとも、知識がなくても、本能から理解できていた。事前にリスクやリターン含めた説明は受けていたが、例えそれがなかったとしても理解していたことだろう。
今目の前に広がるこの選択肢は――自分の今後の人生を左右するものだ、と
――そして、それをどうするのか、スピカはまだ決められていない。
大墳墓から救出され、連れだされた教会の一室で、スピカはきょろきょろと辺りを忙しなく観察していた。
日に焼けた壁に天井から下がる簡素なシャンデリア。元々教会の賓客が宿泊するために作られた部屋は、村の規模が規模だけに豪華とはいえなかったが、それでもスピカがいつも寝起きしている部屋と比べたら雲泥の差があった。
スピカが誘導するはずだった三人は別室で着替えをしており、室内には薄緑の髪をしたスピカよりも幾つか年下に見える少女――アレスからはグレシャという名だと事前に聞いている――しか、いない。そのグレシャも何を考えているのか、スピカ自身に興味を示す様子もなくぼんやりとした目付きで宙を見つめている。
腰に下げられた借り物の短剣の重さが何故か気になった。
着せられた新品の法衣は間違いなくスピカが着た衣装の中では今までで一番高級なもので、大墳墓内を歩いている間は忘れていた違和感が再び蘇り、裾をいじる。
大墳墓での行軍と緊張の連続で身体は重かったが、何故か眠気は全く感じない。
手持ち無沙汰に自分の手の平をじっと見つめていると、別室から三人が戻ってきた。
「ごめんごめん、待たせたね……」
「……いえ」
大墳墓を進んでいた時に装着していた鎧を外し、ゆったりとした室内着に着替えた青年がはにかみながら微笑む。
夜のように昏い漆黒の髪と眼は、村から出たことのないスピカにとって初めて見るもので、しかし驚く程美しい。
藤堂直継。スピカがアレスの指示で誘導するはずだった青年で、これからスピカが入ることになるかもしれないパーティのリーダー。
スピカが今まで見てきたどの傭兵とも異なる雰囲気と佇まい。
屈強な傭兵たちと異なりその身体は小柄で、表情が穏やかで仕草に粗暴な点がない事もあって、強そうな印象を受けない。アレスから伝えられた前情報がなかったら、その青年が戦士だと想像できなかっただろう。
既に概ね情報は伝えられていた。
隣に佇む、金髪の長い髪をした自分よりも幾つか年上の少女が精霊魔術師、リミス・アル・フリーディア。
長い蒼髪を後ろに結った長身の女性が剣士のアリア・リザース。
三人が三人とも、今までスピカが出会ってきた傭兵と比べて随分と変わった印象を持つ不思議な者達だ。その感情の正体をスピカは言語化出来なかったが、決して悪い印象は受けない。
一挙一足見逃すまいと観察するような視線を向けるスピカに気づく様子もなく、藤堂がテーブルを挟んだスピカの目の前に座る。
アレスからの言葉を脳内で反芻する。
元々の依頼は藤堂のアンデッド克服の手伝いだった。こちらはもう予想外のアクシデントにより失敗が確定している。
が、二つ目の依頼をどうするのかはまだ決めていない。
藤堂が口を開く。耳当たりのいい声。これまでスピカが受ける事の多かった侮るような色も恫喝するような感情も篭っていない声。
「えっと……スピカさん、でいいのかな」
「……はい。スピカ……スピカ・ロイルです」
「そうか……えっと、僕は藤堂直継。こっちの2人がリミスとアリア。そこに緑の髪の女の子がグレシャだ。スピカって呼んでもいいかな?」
「……はい」
周りの三人を指し、最後に藤堂がその視線をしっかりとスピカにあわせる。そして、にっこりと笑った。
大墳墓を進んでいた時は悪かった顔色は良くなっており、暴力的な雰囲気がない事もありその容貌は一瞬視線を奪われる程度に整って見える。
そして、唇を閉じる事を忘れ、ただじっと見つめてくるスピカに、藤堂が笑顔のまま続けた。
「それで、スピカ、君が僕のパーティに僧侶として参加希望しているって聞いたんだけど……あってるかな?」
§
傭兵業は危険な職業だ。魔物狩りも、人を相手にする傭兵もそれは変わらない。
ピュリフにもユーティス大墳墓でレベルを上げるため、外から傭兵がやってくる事がある。
人口密度の低い村で外から来た者の姿は酷く目立つ。傭兵たちは必ず一度は教会に立ち寄るので、教会周辺を生活圏にしていたスピカにも何度も会う機会があった。
その中の一部はしばらくの滞在の後、無事にユーティス大墳墓の探索を終え、村から出て行った。
が、行方がわからなくなった者も決して少なくない。
教会を経由せずに、この地がレベルを上げるのに割の合わない事を知って別の村に出て行ったのか、あるいは大墳墓の闇に飲まれ消え去ったのか。
傭兵の多くは魔物を狩りに行く前に痕跡を残し、目的達成後に報告を行う。狩りの間に何か起こった際にそれが周囲に分かるようにするためだ。確率は少ないながらも、救助が出される可能性もあるのでそれを怠る者は殆どいない。
といっても、一番重要なのは開始の痕跡を残す事であり、終了報告は上げなくても本人たちに大きなデメリットはないので、傭兵の中には終了報告をしない者もいるし、何らかの事情で行わなかったパターンも考えられる。
本当に死んでしまったのか、村から出ない上に率先して情報を集めたわけでもないスピカにはわからなかったが、周りの大人の会話や雰囲気から傭兵が命の危険に晒された職だという事は心の中に染み付いていた。
銀髪の青年――スピカに取引を持ちかけたアメリアの上司であるアレス・クラウンは言った。
諸々の危険性や藤堂たちの情報を説明した後に、眼と眼を合わせ真剣な表情で。
「だから、スピカ。最終的にどうするかについてはお前が藤堂を見て決めていい。その選択に口を挟んだりはしないし、例え付いていかないという決定をしたとしても――謝礼は払おう」
藤堂とは逆にその目付きは今までスピカの出会ってきた歴戦の傭兵たちに負けず劣らず凶悪だったが、その口調には誠実さがあった。
隣で何か言いたげな表情をするアメリアを視線で止め、スピカからの返答を待つ。
「でも……私が行かないと困るんじゃ……」
言い淀みながらも質問するスピカ。
それに対して向けられた言葉と表情はスピカの脳裏に強く焼き付いている。
唇の端を僅かに持ち上げた。向けられたその表情が笑みだったと気づいたのは、大墳墓に向かったその後だったけれど。
「大切なのは……スピカ、お前が本当に藤堂たちの助けになりたいと思うかどうか、だ。心配ない。お前が断ったところで……どうにでもなるし、どうにでもするさ」
§
アレスから受けた言葉を思い出しながら、藤堂の表情は観察する。
事前に得た情報はあまり良い類のものではなかったが、その表情、特に透明な眼差しからはやはり、悪い印象は受けない。
静かに微笑んだままスピカの答えを待つ藤堂。
必死にどう答えるべきか迷っていると、その隣に座っていたリミスが眉を潜め、藤堂の肩を叩いた。
「……ナオ、さすがにこの年齢の子供を連れて行くのは問題なんじゃない? なんというか……想像していた以上に小さいんだけど……」
「むぅ……年齢までは聞いていませんでしたからね……確かに、この年齢で旅に出るというのは……」
自分の背の低さを棚にあげて唸るリミス。逆側に腕を組んで座っていたアリアもまた同じ意見らしく、唇をへの字にしてスピカを見ている。
スピカ自身自分と同じくらいの傭兵を見たことはない。
ルークス王国内では成人は十五歳とされる。その年齢まで働けないというわけではないが、特別な事情がなければ成人前に傭兵のような危険な職につく者はいない。
藤堂がスピカに尋ねる。
「……スピカ、君、幾つ?」
「……十二歳です」
スピカの答えに、リミスが前髪を掻き上げ、あからさまな動作で額を抑えた。藤堂のそれに負けず劣らず透き通った碧眼がじろじろとスピカに投げかけられる。
「まだ子供じゃない。どうして大墳墓なんて危険な場所に……」
不躾な視線と物言いに、スピカがむっとしたようにリミスを見る。
全身を――特に頭の先と胸元を。
「……リミスさんとは、あまり変わらないです」
「ッ……一応、言っとくけど、私は、もう、十五歳だから」
「まぁまぁ、落ち着いて、リミス」
唇を噛むリミスを宥め、藤堂がスピカの方に向き直る。
どこまでもまっすぐな視線に、それだけで、スピカは今抱いていた感情が消沈するのを感じた。
「スピカ。僕たちは……詳細は話せないんだけど、ある理由があって……魔王クラノスを倒すために旅をしてる」
「魔王……クラノス……」
それも既に聞いている情報だ。
そのパーティが魔王を倒すために旅をしている事。魔族に常に追われており、レベルを上げるために各地を転々としている事。そして――まだ実力がその目的を達成するに十分ではなく、志半ばで倒れる可能性が高い事。
だが、こうして目の前で聞いても、スピカにはその名前が実感を伴ったものに聞こえない。
魔王クラノス。
それは、そこかしこで囁かれる魔物の王の名前だ。
人類の敵。村の中で蔓延するそれに関する会話には恐怖と畏怖こそ込められていたが同時に、未だピュリフの住人にとって噂話の域を出ないものだった。
魔物が活発化しているという話もあるが、実際に村の内部に入りこんだわけでもなく、村に直接大きな被害を与えていない事も大きい。
実際に村が受けた影響は傭兵の姿が減った事、くらいであり、スピカも含めて村人の中に危機感を感じている者は多くない。
口の中で名前を改めて転がしてみる。が、やはり実感を持てない。スピカにとってそれは、感覚的にはお伽話お魔王の名を呟いたのと何ら変わらない。
藤堂が真剣な表情で続ける。
「危険な旅だ。できるだけ早く魔王を討伐しなくてはならないから戦い続ける事になるし、僕達のレベルもまだまだ低い。僕達についてきたら……死ぬような目に会うかもしれない」
「……」
しかし同時に、その押し殺すような声から、スピカは理解できた。
魔王が存在するかどうかはわからない。だが、少なくとも、目の前で話す青年は、その魔王を討伐するために死ぬ事も覚悟の上で旅をしている、という事を。
スピカの唇が無意識に戦慄くように開く。気づいたら声を出していた。
「わ、私……まだ、神聖術……使えない……ですが」
「ああ。事情は教会の人に聞いて知ってるよ。でも、スピカの僕達の役に立とうという行動は僕にとって何よりもありがたかったし、嬉しかった。……きっと、その意思があれば神聖術もすぐに覚えられる、と思う」
実際、僕も十日で覚えられたしね、と。藤堂が微笑む。
アリアの眉がぴくりと動いた。
「……ナオ殿、それはナオ殿が――」
「もし、すぐに覚えられなかったとしても……僕が――全力で守る。もちろん、アリアもリミスも、ね」
藤堂の言葉に、アリアがため息をついて口を噤む。
初めは反対していたリミスも藤堂の言葉を遮るつもりはないのか、呆れたような表情をしつつも何も言わない。
藤堂は立ち上がると、はっきりした口調で言った。
「だから、もしもスピカが……本当に僕達の事を助けたいと思ってくれるのならば……長い時間がかかってしまうと思うけど、一緒についてきて欲しい」
「……」
一緒についてきて欲しい。
その強い言葉に、一瞬反射的に「はい」と答えかけ、アレスの言葉を思い出し、ぎりぎりで踏みとどまる。
止まらなかった舌。開きかけた唇から出たのは、全く違う言葉だった。
「あの……私が行かないと……困りますか?」
上目遣いで投げかけられたスピカの言葉に、藤堂が一瞬ぽかんとして、すぐにその表情が苦笑いに変る。
「いや。大切なのは君の意思だ。スピカがもし今の話を聞いて付いていけないと思ったなら、それでいいよ。まぁ、僧侶が足りないのは確かだけど、何とかするし、何とでもなるさ」
その言葉に、再びアレスの言葉がスピカの脳裏を過った。
藤堂とアレスでは纏う雰囲気は全く異なる。だが、二人には今までスピカの出会った傭兵たちとは異なる雰囲気を持っているという共通点があった。
気が付くと、スピカも立ち上がっていた。話を聞くことに集中しすぎたせいか、脚に力が入らずふらふらと不安定な状態で。
まだスピカは結論は出せていない。そう簡単に出せる類のものでもない。
あの時、何時も通りの日常の中でアメリアから声を掛けられたあの出来事が自身にとって幸運な事だったのかもわからない。
身体を支えるためにテーブルを掴む小さな手の平。それが魔王を討伐するという大役を受けるに値するものなのかも。
ふらふらと立ち上がったスピカに、藤堂が一歩近づく。
その姿を見上げる。まるでお伽話の英雄であるかのように凛々しい容貌。僅かにかかった前髪の奥から宝石のような黒の眼が光っている。
「わ、私――」
呟きながらまるで引き寄せられるかのように藤堂の方に踏み出そうとした瞬間、スピカの体勢が崩れた。
脚がもつれ、身体が崩れるように倒れる。
「あっ――」
呆然と出た呟き。その身体を、藤堂が反射的に前に出て抱きとめる。
柔らかな感触。回された腕、抱きとめられた状態で、スピカは目を見開き藤堂を見上げた。
「危ないな……大丈夫?」
「……あ」
優しい声。
藤堂が、眼にかかったスピカの長い前髪を人差し指で軽く寄せる。見上げる藤堂の飄々は驚く程に美しかったが、スピカの中にあったのはただただ驚きだった。
驚きのあまり、先ほどまであった緊張が綺麗に消え去っていた。
回されていた腕が離され、スピカが何とか一人で立つ。
そして、自分よりも頭ひとつ半程高い藤堂の顔、優しげな表情を見上げた。
「怪我はない?」
「……」
投げかけられた言葉も頭に入らない。
訝しげな表情で、スピカの手が伸ばされる。
そして、そのまま小さな手の平を藤堂の胸元に押し付けた。
藤堂の笑顔が一瞬で凍りつく。
「!?」
「……女の……人?」
「あ……」
指先に返ってくる感触に、スピカが目を見開き、藤堂の顔つきを眺める。
先ほど抱きとめられた時に額に感じた感触と同じ、柔らかい感触。
確かに、中性的ではある。男性っぽい装いだったので気づかなかったが、女性だったとしてもおかしくない、そんな顔立ち。
スピカの視線に、藤堂の表情は凍りついたまま、止まっている。
一方でスピカの方も予想外の結果に頭の中ではぐるぐると思考が巡っていた。
――アレスさん……男だって言ってたっけ?
記憶を必死に探るが、性別を明確に言われた覚えはない。
ただ……私が勘違いしていただけ?
スピカが正気を取り戻し、もう一度じろじろと藤堂の方を観察する。
凍りついた表情。側のアリアとリミスの表情も完全に凍りついている。
その表情に、スピカは自分の失敗を理解した。慌てて頭を下げる。
「ご、ごめんなさい……わ、私、藤堂さんの事……男性だと……」
「あ……あはははは……そ、そう……」
引きつった目元に頬。藤堂の乾いた笑い声にも気づかず、スピカは純粋な眼で藤堂の方を見上げた。
見上げて、すっかり藤堂を男だと思い込んでいたその理由――アレスに教えられていた情報について尋ねた。
「あの……その……少し聞いた話なんですけど、藤堂さんって……女性なのに、女性の事が好きなんですか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます