幕間その1

殲滅鬼

 それを、グレゴリオ自身は臭いや、あるいは導きなどと呼んでいた。


 戦場に身を置いて既に十数年。

 積み重ねられた経験はグレゴリオ自身に奇跡と呼ぶに相応しい一種の勘を与え、それは信仰に殉じるという自身の気質に強烈に適合していた。それこそが、殲滅鬼 マッド・イーターなどという物騒な二つ名を受けながらも異端殲滅教会アウト・クルセイドの序列三位まで上り詰めた男の本質だった。


 ――故に、その男は行動を躊躇う事がない。


 重く冷たい空気。窓一つない石作りの通路を紅蓮に輝く火蜥蜴の光だけが照らしていた。

 静かな足音だけが冷たい回廊に反響し、周辺にグレゴリオ達を除いて人影はない。だが、僧侶プリーストとして加護を受けたグレゴリオにはその周辺に存在する無数の闇の眷属の気配が手に取るようにわかっている。


 それらの大部分はレイスやリビングデッドなど、取るに足らない小物だ。

 不死種アンデッドは基本的に陽の光を苦手とする。故に、地下墳墓のようなフィールドにおいて、魔物は地下の方がより強力になっていく傾向にあった。事実、グレゴリオは地下墳墓に足を踏み入れてからずっと、遥か地下から魂を侵食するような強い邪気を感じ取っている。


 本来ならば元々のバカンスの目的――それらを滅ぼすために奥底に潜るはずだった。が、既にその目的は頭の中から消え去っていた。

 先ほど倒したばかりの魔導人形もどきの事も、ユーティス大墳墓自身の事も。


 軽く丈夫な聖銀ミスリル製のトランクを片手に、偶然にも道中を共にする事になった少年たちに随行し地上に戻りつつも、グレゴリオは自身が神の導きに沿っている事を、正しい道を歩いている事を確信していた。

 どこに行き着くのか、何が起こるのかわかっているわけではない。グレゴリオに未来を読むなどという大層な力はない。だが、それで構わないのだ。


 ――全ては神の導きのままに。


「あの……グレゴリオさん」


 ふと、少年達が救出しに来たというスピカという名らしい少女が灰色の眼でこちらを見上げてくる。

 まるで窺うような目付き。それに笑みを浮かべたまま答える。


「どうかしましたか、お嬢さん」


 その身に下された神聖術による強力な補助に、まだ十代前半にもかかわらず、深くないとは言え大墳墓の中を生きて進むことが出来たという不自然さ。状況が多分に不自然だった事を理解しつつも、その様子を表には出さない。


 そんな事はどうでもいい事だ。


 全体的に肉付きの悪い身体に伏せられた眼。内向的に見える少女が先ほどまで大暴れしていた異端殲滅官に声をかけてくる不自然もまた、その異端殲滅官にとってはどうでもいい事だった。


 一度小さく息を飲み、スピカがおどおどと続ける。


「グレゴリオさんは……なんで街に戻る事にしたんですか?」


「神の導きです。ふふふ……お嬢さんも僧侶プリーストになるのならば、いずれわかる時が来るでしょう」


 グレゴリオ自身、理解されるとは思っていない。いくらアズ・グリードの信徒とは言え、一般人と僧侶では信仰の格が違う。

 他者と自分が異なる事を、グレゴリオはそれまでの経験からよく知っている。よく知りつつ、どうでもいいと断じている。自身を理解出来るのは自身と同じ役割を持つ異端殲滅官の同胞だけだ。


 その声色に何か感じたのか、スピカが沈黙する。

 その沈黙を緩和するかのように、隣を歩いていた顔色の悪い剣士――アリアが口を開く。


「グレゴリオ殿は……その、いつもあのような戦い方を?」


「いえ、僕は……僧侶プリーストですから」


 グレゴリオの答えにアリアが目を丸くする。


「そう……か。……グレゴリオ殿はもしや悪魔殺しエクソシストなのか?」


「まぁ、似たようなものです……が、我が友。僧侶ならば皆悪魔を殺せて当然です。何故ならばそれが――神命なのですから」


 ふと、進行方向の天井から黒い霧のようなものが下降してくる。

 下位アンデッドの一種。グレゴリオは極自然な動作でそれに人差し指を向けた。


 次の瞬間、視界が一瞬白に包まれる。

 リミスの火妖精の明かりも、一瞬何もかもが白に塗りつぶされ、再び暗闇が戻る。しかし、先ほどまであったはずの黒い霧は欠片も残っていない。


 藤堂がぱちぱちと瞬きをする。アリアが息を飲み、しかしすぐに復帰した。


「なるほど……退魔術エクソシズム、か……」


「僕は神敵の殲滅を神に誓ったのです」


 リミスがその言葉に僅かに唇を開きかける。戸惑うように藤堂の方に一度視線を向け、しかしすぐに閉じた。


 行きよりも僅かに時間をかけてユーティス大墳墓の外に出る。

 新たに発生したのか、帰り道は何度かアンデッドに襲われたが出ると同時にグレゴリオが殲滅していた。強烈な白の光は藤堂達にアンデッドの姿を見せる暇を与えず、アリアと藤堂の顔色は以前程悪くない。


 天高くに上った太陽。降り注ぐ陽光。暗闇からのギャップに、真っ先に外に出た藤堂が目を細める。

 スピカが、アリアとリミスが、そして一言も喋らなかったグレシャが石造りの階段をふらふらと登り、地上に帰る。


 最後に外に出たグレゴリオが、入った時と変わらない表情を藤堂一行に向けた。


「ありがとうございました。それでは僕はこの辺で」


「……これから貴方、どうするの?」


 悪い人物ではなさそうだが、好んで接したいとも思えない。リミスが何かを声をかけようとして迷い、結局無難な質問をする。

 その問いに、しばらく考えグレゴリオが笑顔で答えた。


「しばらくはピュリフの教会に滞在するつもりです。何かあったらいらして下さい。教会の神父に尋ねれば案内してくれるでしょう」





§ § §





「今なんと?」


 異端殲滅官はその目的を達成するため、教会内部に置いて高い地位を与えられる。

 滞在のために借りた教会の一室で、グレゴリオは目を瞬かせた。


 耳元で聞こえるのはグレゴリオの上司の声。

 定期報告のため、本部に繋いだ通信で受けた言葉はグレゴリオにとって予想外の言葉だった。


『悪いが、バカンスは終わりだ。すぐに本部に戻り給え』


「何故ですか?」


『新たな仕事だ』


 グレゴリオがユーティス大墳墓を訪れたのは休暇を貰ったから――本来やるはずだった魔族の殲滅の仕事が急になくなったからだ。

 その前にやっていた任務は既に完了しているし、次の仕事が入るにしてもそう連続で入るという事はなかなかない。異端殲滅官も人間であり、疲労はあるのだ。


 上司――クレイオ枢機卿の声を聞きながら、グレゴリオが部屋の隅のトランクケースに視線を向ける

 クレイオの声は質問を廃する威圧を秘めていたが、気にする事無く聞き返す。


「それは急ぎの仕事でしょうか、閣下」


『急ぎの仕事だ。……何かあるのかね?』


「ええ。神の導きです」


『そうか……だが、戻って貰わないと困る。これは……神命だよ』


 理解し難い言葉にも間断なく、クレイオが返す。


 その言葉に、グレゴリオが眉を顰めた。神命。その言葉を自分の上司はなかなか使わない。

 ベッドに腰をかけ、天井を見上げる。弛緩したような格好とは逆にその眼は爛々と輝いていた。


「それほどの仕事ですか」


『その通りだ、グレゴリオ。君でないと困る』


 グレゴリオを動かすのは地位でも金でもなく、神の導きだ。

 その言葉に違和感があったわけではない。ただ、まるで本当に神に導かれているかのようにグレゴリオの舌が回った。何の感情もこもらずに。


「僕がこの地にいると何か問題が?」


『何を言っているのかわからないな』


「お断りします、閣下」


『……何故だ? 討伐任務は君の本懐だろう』


 その通りだった。グレゴリオがその手の任務を断った事は殆どない。現に、前の仕事が終わった直後に下されたヴェール大森林での討伐任務は二つ返事で受けている。

 感情の見えないクレイオの声にグレゴリオが穏やかな声で答える。


「そうあるべきだからです、閣下。僕はまだこの地にいるべきだ。これは……神の導きです」


「理由は?」


「神の導きこそが理由です、閣下。これ以上の行動理由はないでしょう」


「命令を無視すると?」


「閣下、無視ではありません。無論、休息が必要なわけでもない」


 決して上司への反骨精神を持っているわけではない。

 聖穢卿の役割には敬意を持っているし、異端殲滅官に任命してくれた恩もある。

 だが、その優先度は神の導きに遥かに劣る。ただそれだけの事。


「閣下、神が私に神託を下しているのです。いなくてはならない。私はこの地にいなくてはならない。少なくとも――今はまだ」


 善悪を論じるつもりもなく、決して未来が見えるわけでもない。

 言語で説明できる類のものでもなく、理解される類のものでもない。

 だが、その声にはぶれはなく、それは、可否を求める声ではなくただの断定だった。


 クレイオが初めて言葉に詰まり、押し殺した声で尋ねる。


『……何をするつもりだ?』


「全ては神の導きです、閣下。また連絡します」


 上司の言葉を待たずに通信を切断する。

 室内に戻った静寂の中、グレゴリオはただ一人いつもと何ら変わらない笑みを浮かべていた。

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