第九レポート:

「ひぃッ!? 石像が動いたッ!?」


 藤堂にとって、それは何ら幽霊と変わらない代物だった。


 悲痛な声が室内に響き渡る。アリアもまた蒼白の表情で一歩後退った。


 今にも襲いかかってきそうな鬼面の石像。

 それは確かに、今にも動き出しそうくらいに精巧な像だったが実際に動くとなるとなると話は別だ。


 いかなる摂理か、暗闇の中で鬼面の双眸が青く薄ぼんやりとした光を放っていた。その眼から感じられる物は酷く無機質で、しかし確実に害意と呼ばれる物を含んでいる。

 短いながらも今まで戦って来た経験。その意思に反応するように、藤堂が震える手で剣を抜く。しかしその時には既に鬼面の像は、腰の刀を抜き去っていた。


 薄闇の中でまるで弧月のように輝く金属の輝き。

 それは、藤堂の知識の中では刀と呼ばれる武器だった。しかしその長さは藤堂の知る刀よりも遥かに巨大で、藤堂の持つ聖剣エクスよりも一・五倍長い。


 緊張に息を呑む藤堂を無視し、像がそのままぐるりとまるで辺りを見渡すように首を傾けた。 威圧するように見下ろす巨大な像、それが纏う異様な気配にリミスが目を見開き、呆然と震える声を出す。


魔導人形ゴーレムッ!? そんな気配は――」


「所詮は滅び去った異教の遺物――」


 一人、先ほどと何ら変わらない落ち着いた声を出し、グレゴリオがトランクを手にしたまま一歩距離を詰める。


 そして、像の顔がグレゴリオを見下ろした。


 グレゴリオと石像の身長差は倍近い。

 押しつぶされるような圧迫感に唇を舐め、青白く輝く無機質な双眸と、グレゴリオの漆黒の双眸がはっきりとぶつかり合う。


 アリアが正気に返り、スピカの手を握り引く。それとほぼ同時に、刃が放たれた。

 鋭く重い一撃。風を切り裂く奇怪な音を伴い、二メートルはある巨大な刃、磨き上げられた銀の刃が薙ぎ払いの要領で巨大な弧を描く。


 とっさに動けない藤堂を庇うかのように、グレゴリオが更に前に出た。


 鼓膜を揺さぶる金属。部屋全体が震える。リミスが耳を塞ぎ、アリアが目を見開いた。


「なッ――」


「どうやら……闇の眷属ではないようです」


 刃が止まっていた。遅れて藤堂が正気に帰り、数歩後ろに離れ剣を構え直す。

 盾となったのは大きく開いたトランクケースだ。先ほどグレゴリオが言った通り、その中には何も入っていない。ただ、中の質感は外とは異なり、闇の中うっすらと白銀色に輝いている。ケースの上部から刀の先が牙のように飛び出し、ケースを両断しようとしているが、その表面には傷一つついていない。


 刃が一瞬上がる。石像が台座から飛び降り、強く踏み込むと同時に次撃を放つ。それを、グレゴリオがケースを振り回して弾き飛ばした。重力の力を借りた上段からの斬り下ろしが容易く弾かれ、壁を強く穿つ。

 恐怖を忘れ呆気にとられる藤堂達に対して静かな笑みを向ける。その頬には汗一つなく、息も乱していない。ただ、その瞳だけが見てはっきりわかる程興奮に輝いていた。


「ですが……ふふ……、関係ない。関係ありません。我が友」


「あなた……大丈夫?」


「ええ。大丈夫。大丈夫ですとも。僕の信仰には……曇り一つない」


 その所作に力を感じ取ったのか、刀を正眼に構え、鬼面が摺足で数歩後ろに下がる。

 その姿勢には熟練の技が見て取れた。スピカを背に隠したまま、アリアが愕然と呟く。


「何だあれは……見たことない……技を持つ魔導人形ゴーレムだと!?」

 

「異教の技などどうでもよろしい。これはつまり……僕の信仰とアレの力比べですよ」


 開ききったトランクをぱたんと畳む。取っ手を持つと、そのまま何気ない動作で鬼面に近づいた。

 そのトランクケースが相当な強度を持つ事は刀を受け止めた事から明らかだったが、その仕草はあまりにも無防備に見えた。


 藤堂が震えていた左手の平を一度強く握り、一歩前に出る。指環が輝き、収納していた巨大な盾が左手の中に現れる。


 目の前で動き出した石像がどうやらアンデッドなどではない事がわかり、その顔色は大分良くなっていた。

 聖剣が藤堂の意思に呼応するように輝き、室内が僅かに明るくなる。


「アリア、リミス。僕達もいこう」


 リミスがその声に慌てて、その杖を構える。アリアもまた、一度深く息を吸い剣を抜いた。

 その時には構える三人を気にすることなく、グレゴリオがその間合いに入っていた。


 鬼面が動く。その刃がギロチンのように振り下ろされる。しかし、グレゴリオの視線ははっきりそれを捉えていた。

 上から降りてくる斬撃の線を一歩横に踏み出し躱し、床を蹴る。蹴ると同時に、閉じたトランクを振りかぶった。ステップと同時にそのまま勢いを付け身体を回転させると、遠心力を利用して鬼面の胴を殴りつける。

 ケースの角が石材を削り、白い破片がぱらぱらとこぼれ落ちる。巨体が、そのトランクケースに込められた異常な力にくの字に曲がり、壁まで吹き飛ばされた。


 空気が震える。藤堂がぽかんと口を開き、呆気に取られたようにその光景を見て二度、瞬きした。


「……は? 何あれ?」


「……」


 藤堂よりも背の低いグレゴリオが、藤堂の倍はあろうかという石像をふっとばす光景は現実味がない。しかもグレゴリオが使っているのはトランクケースで、グレゴリオは僧侶である。

 アリアも一瞬夢でも見ているような気分になったが、目を擦ってもう一度確認する。その時には、グレゴリオは壁に叩きつけられた鬼面に接近していた。壁にめり込んだその身体に再びトランクを振り被る。

 起き上がろうとした鬼面の顔面に容赦なくケースを振り下ろす。狂ったような笑い声が響き渡る。


「あはははははははははははははははははははははははっ!! 我が信仰に触れ灰となれッ!!」


「な……何……あれ?」


 リミスもぽかーんとグレゴリオの予想外の戦いを眺める。手を出す間などない。

 硬いもの同士が叩きつけられる轟音が何度も何度も響き渡る。一撃一撃で破片が削れ、鬼の角が折れその顔面が削られていく。鬼面が身体を捩り、右腕を使って起き上がろうとするが、即座に躊躇いなくその腕を踏みつける。それだけで腕に罅が入り、二、三度踏んだ時には腕は完全にくだけていた。


 グレゴリオの唇が僅かに歪み、まだ動いている鬼面に吐き捨てる。

 

「この程度ですか。所詮は異教徒」


「グ……グレゴリオ殿――」


 アリアの声を無視して、グレゴリオが一際力を込めてトランクケースを鬼面の頭部に叩きつける。床に亀裂が奔る程に叩きつけ、そして、我に帰ったように振り返った。


「どうかしましたか、我が友」


「い、いや……」


 あまりにも平時と同じ声色。まるで二重人格のような変化に、アリアは一瞬気後れするが、首を振って考えていた事を述べる。


「その……それは恐らく魔導人形ゴーレムだ。ならばどこかに核があるはずで、それを壊さなければ――」


「いえ、恐らくこれは魔導人形ゴーレムではないでしょう」


「……え?」


 グレゴリオが静かに鬼面を見下ろし続ける。その眼は凪の湖面のように静かで先ほどまでの笑い声がまるで嘘であるかのようだ。


「魔力を動力源とした核を持つ魔導人形ゴーレムならば事前にその気配が察せていたはずです。それが、今動いているこの状態に至ってもその気配がない。恐らく、そこの魔導師のリミスさんも気づかれているかと思いますが……」


 アリアが視線を向けるとリミスがおずおずと首肯する。


「え、それならどうして――」


「未知の異教の技かと。ですが我が友、原理など……どうでもいいのです」


 アリアの戸惑いの声に、当然のように返し、グレゴリオ再びトランクの取っ手を強く握る。


「何故ならば、僕が異端を殲滅するのは確定事項なのですから。例え闇の眷属だろうが異教徒の技だろうが『浄化』するのは僕に下された――神命、万物を打ち砕く神の剣となる事。そこに相手の背景など……関係ない」


「!?」


 鬼面騎士が残った左腕を使い、自身の上に立つグレゴリオを薙ぎ払う。それを軽く後ろに跳んで回避すると、体勢を立て直し、立ち上がる石像にトランクケースを握った腕を向ける。ゆったりとした黒の法衣には数度矛を交えたにもかかわらず埃一つついておらず、その眼には恐怖がない。いや、命のやり取りをしているという自覚すら。

 特に感情の篭っていない声に得体の知れない何かを感じ、藤堂がグレゴリオを見つめる。しかし、その表情に隠された思考は全く読むことができなかった。


「か、核がないのならばどうやって倒すのよ!?」


 リミスの言葉に、グレゴリオが慣れた動作で再びトランクケースを、大きく上下に開く。

 どう考えても取り回しの悪い武器とも呼べずその『武器』の取っ手を掴み、しかしグレゴリオが僅かに微笑んだ。


「完全に破壊するのですよ、我が友。それこそが異教の創造物たるこの人形への救済になるのです」


 鬼面騎士が地面に落ちた大太刀を左手で拾い握る。

 散々に叩きのめされ、頭部には罅が入り右腕は半ばで完全にくだけているにも拘らずその動きには微塵の動揺も感情もない。

 硬い物が床を穿つ鈍い音が響き渡る。強い踏み込みと同時に、鬼面の左手で握られた大太刀が横薙ぎに払われた。

 空気を切り裂く音さえ聞こえてきそうな一撃を、神父は一歩前に出て開いたケースで受け止める。金属同士のぶつかる鋭い音。と同時に、グレゴリオはその刃を受け止めたまま、刃をトランクケースの表面に滑らせるようにして前方に駆けた。


「なっーー」


 金属同士がこすれ合う不快な音が響き渡る。鬼面騎士の目の前まで来ると、グレゴリオが膝を落とし大きく跳んだ。

 咬み合っていた刀が対象を見失い空を斬る。


 跳躍するグレゴリオに相対する鬼の像。両者がすれ違う瞬間を、藤堂は瞬き一つせずに見ていた。


 留め金の外れたトランクケース、長方形の外面がグレゴリオの姿を一瞬隠す。そしてそのまま大きくそれが鬼面の頭部に振り下ろされた。


 先ほどまで響き渡っていた鈍い音ではない、刃と刃が噛み合ったような高い音が響き渡る。

 そして、藤堂は眼を見開いた。


 グレゴリオが鬼面の隣に着地する。ほぼ同時に、藤堂の隣に一抱えもある白い塊が落ちた。頭頂から付きだした一本の角に精緻に彫られた牙。そして、色のない瞳。


「……は?」


 思わず出た藤堂の間の抜けた声。

 何が起こったのかわからなかった。

 

 呆然と膝を付く鬼面騎士を見上げる。頭部があった場所にあったのは綺麗な断面だ。頭頂の角から捻れた角から牙にかけて、ごっそりと消え去っている。

 だが、残された眼には未だ光が灯っていた。生き物ならば間違いなく死んでいる傷でも生命なき石像には意味がない。その巨体がなんでもないかのように刃を振り被る。

 その様子にグレゴリオが嗤う。怖気の走るような笑い声と共に、グレゴリオが再び飛びかかった。


「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッ!!」


 それは広々としていた室内が狭く感じるような乱闘だった。

 リミスが慌ててアリアの後ろに隠れる。とてもじゃないが入っていける戦いではない。混戦のせいで魔法を使えばグレゴリオに当ってしまいそうだから、という理由ではなく、入ってしまえば標的に定められてしまいそうで。


 お世辞にもスマートとは呼べないその戦闘の風景は獣同士の喰らい合いにも見えた。

 しかし、鬼面騎士の側はダメージこそ見られなくとも、腕が一本なくなったことによって既に攻撃手法は限られている。上下段の切り払いが、薙ぎ払いが、不意を付いて放たれた蹴撃は全てが全てトランクケースで防がれ、逆にそれを振るわれる度に石像の一部が抉られたように減っていく。

 大腿部の一部が抉られ、鬼面騎士の体勢が崩れる。その隙を見逃さず、グレゴリオがその懐に潜り込んだ。

 小柄な体格を活かし、鬼面騎士の膝を蹴り、宙を舞う。上下逆さに、鬼面騎士の頭上を通り過ぎるその寸前にその頭部をトランクで挟み込んだ。


 まるでギロチンでも落ちたかのような鈍い音が響き渡る。藤堂の隣を何かボールのような物が落ちて転がった。


「――ッ!?」


 あげかけた悲鳴をぎりぎりで押さえる。それは鬼面騎士の首であった。半分をえぐり取られている首。残された眼からも光は消え、それは今まで動いているのが不思議なただの石の塊に見える。

 しかし、未だ鬼面騎士の像はそびえ立っていた。頭をもぎ取られしかし、その巨体が崩れ落ちる気配はない。


 踏み潰そうというのか、闇雲に振り下ろされる巨大な脚に空気が揺れる。頭部を失ったためか、その狙いは定まっていない。


 石床がその衝撃に耐え切れずに亀裂が奔る。リーチの広い斬撃、闇雲に振り回される刀を、藤堂が慌てて距離を取って回避した。狙いは定まっていなくても、その勢いはまるで暴風のようだ。

 刃の先が壁に部屋の壁に幾筋もの傷を刻む。まるで最後の命を使い尽くすような斬撃を、グレゴリオは全てトランクを盾に防いだ。

 全力の込められた一撃一撃。トランクケースから手の平に伝わる衝撃にしかし、グレゴリオの容貌には笑みが張り付いたままだった。

 その僧兵を止めるにはその信仰を砕くだけの力が必要で、まともに言葉も交わせない魔導人形ゴーレムもどきにそのような力があるわけもない。


 嵐のような攻撃の代償か、その鬼面騎士の身体からぴしりと音がした。僅かに生じた亀裂は一撃一撃で確実に広がっていく。このままこのような攻撃を続けていれば自壊するのも時間の問題に見えた。

 攻撃範囲から離れたところで、藤堂とアリアが烈火の如く暴れる魔導人形の一挙一足を睨みつける。その後ろから、青褪めた表情でスピカがその暴虐を見つめる。


 その時初めて、グレゴリオが眉を潜め、そして信じられない事を言った。


「まずい……このままでは自滅してしまう。僕の信仰で破壊しなくては」


「あっ--」


 連続して響き渡る破壊の音の隙間から藤堂達がその声を感じ取った瞬間には既にグレゴリオが前に出ていた。

 袈裟懸けに振り下ろされた刃に対して、大きく身体を回転、両手で握ったトランクをぶつける。次の瞬間、その刀を握っていた右手の手首が衝撃に耐え切れずぶち折れた。

 吹き飛んだ大太刀がくるくると回転し壁に当って落ちる。刀が甲高い音を立て落下したその時には既に、グレゴリオはその信仰を下していた。

 踏み込んだグレゴリオがその武器を鬼面騎士の鳩尾に叩き込む。

 空っぽのトランクケースによる一撃に、重さ数百キロはある石像が宙に浮く。衝撃で動きが止まったその一瞬、半身で一歩踏み込み跳躍すると、鬼面騎士の背を強く打ちつけ、地面に叩き落とす。


 自身の身の丈を遥かに超えた相手を何ら萎縮することなく殴り続ける僧侶に藤堂が呆然と呟いた。


「この世界の僧侶プリーストって……凄いな」


「い……いや、あれが基準かというと……」


 アリアもまた引きつった表情で答えた。





§ § §






 断続的に反響する破壊の音と嘲笑のような笑い声。

 闇の眷属なんかよりもよっぽど不吉を誘うその音に俺はもう頭を抱えて蹲りたかった。


 不幸中の幸いであるのは、相手が例え神聖術の効く相手じゃなかったとしてもグレゴリオならば問題なく相手を出来るという点。そして、その戦闘行為を見た藤堂達はおそらくグレゴリオを忌避し避けるであろうという点だろうか。

 一般的に僧侶が一人で相手を出来る魔物は不死種や悪魔など、退魔術の効く相手だとされているが、異端殲滅官クルセイダーは皆、それ以外の魔物に対する対応手段を持っている。


 それは例えば武技であり、退魔術を除いた神聖術の腕であり、あるいは勇気や人脈である事もあるが、グレゴリオの場合それは信仰だった。狂信的なまでのその意思はグレゴリオから退魔術を除いた神聖術――一般的な僧侶が使える回復や補助、結界などの術を奪い、しかしその戦闘能力は他の異端殲滅官を遥かに越える。


 一般的には武器とさえ呼べない特注のトランクを振り回し数々の異端を狩ってきたその男の戦闘能力は一言で表現するとイカれており、その精神性と他の神聖術を使えないというピーキーな性能を憂慮し教会側がグレゴリオに下す指令を選別していなかったら、もしかしたら俺よりもレベルが高くなっていたかもしれない。


 光景は見えないが音から何となく状況は把握出来た。

 さすがのグレゴリオでも藤堂達を見捨てるような真似はしないはずだ。


 壁越しで反響する音は酷く聞き取りづらいが、藤堂達がダメージを負った様子はないし、グレゴリオが苦戦している様子もない。徐々に戦闘の音は一方的なものになり、やがてグレゴリオの狂笑とトランクケースを打ち付ける音のみが残る。


 それにしても、異教の技、か。理屈はわからないが、さっさと壊しておくべきだったのだろうか?

 いや、知らなかった。気づかなかった。どうしようもなかった。……が、次があったのならばその時は考慮する事にしよう。


 その時、ようやくアメリアから通信が繋がった。


『状況は如何ですか?』


「作戦は失敗だ。スピカに街に戻るよう伝えてくれ」


『……承知しました』


 俺の声色に何か感じ取ったのか、何も聞く事なくアメリアからの通信が途切れた。


 さて、これからどうしたものか……ともかく、今は奴らを引き離す事だ。

 グレゴリオの目的はこの地下墳墓らしい。この後、藤堂達と別れる事になるだろうが、これ以上グレゴリオという爆弾の存在するこの地に藤堂達を留まらせておくわけにはいかない。教会経由で情報操作し、別の地に移動させなくては。

 

 ……何故魔族だけではなく教会側から遠ざける事も考えなくてはならないのか。勘弁してくれよ。


 やがて、戦闘の音が止む。対象が沈黙したのだろう。

 なんでもいいから、さっさと藤堂たちと別れて最奥にでもどこにでも好きに行ってくれ……。


 祈るような思いで状況を見守る。

 その時、グレゴリオがふと怪訝そうな声をあげた。先ほどの狂笑からは想像も付かない真面目な声、誰を相手にしたものでもない、独り言のような声色。何故か背筋がぞくぞくする。




「……なるほど。これは……違う。わかる。わかります。僕がここに来た理由は……これじゃあない」


「……な、何言ってるの? 貴方」


 先ほどまでの会話と比べ、大分引いた声で投げかけられるリミスの問いに、グレゴリオが今その存在に気づいたと言わんばかりに落ち着いた、明るい声をあげる。


「いえ。失礼しました、お嬢さん。どうやら……僕は貴女がたと一緒に一度ピュリフに戻った方が良さそうです」


 恐ろしい嗅覚。常軌を逸した勘。果たして今の状況から一体何を感じ取ったのか。

 口の中に血の味が広がる。遅れて感じる熱い痛み。自分が唇を噛みきっていた事に気づく。血の雫を舌で舐めとる。


 奴の行動理由を俺が理解できた事はない。

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