第四レポート:克服のための布石について②

 夜明け前の墳墓は、昼間とはまた違った様相を見せていた。天をつく巨大な建造物は闇に彩られ怪物じみており、地下深くから伝わってくる強烈な瘴気に、眉を潜める。


 空はまだ薄暗く、肌を撫でる空気も冷たい。

 いくら藤堂がアンデッドを怖がっていたとしても、村を出るのは夜が明けてからだろう。その直前にこちらに誘導する手はずとなっている。藤堂たちが侵入してくるまでに準備を終わらせねばならない。


 ユーティス大墳墓は地下に広がる迷宮だが、地上部は荒れ果てた神殿じみた遺跡となっている。


 無数に立ち並ぶ崩れかけた太い柱と壁はしかしただひたすらに巨大で、かつてこの地を支配していたであろう者の権勢を示しているかのようだ。その壮大な光景に息を飲むスピカを連れて、風雨で劣化したのかあるいは他の要因によるものか、ボロボロに打ち捨てられた門を潜り、瓦礫の散らかされた内部へと内部に足を踏み入れる。


 砂礫をざくざくと踏みくだき、広い講壇のような部屋のその中心部にそれはあった。


 半壊した『何か』の像に囲まれた巨大な穴。


 かつては巨大な石製の棺で塞がれていた――地下への階段。幅は三メートル。まるで地獄に続く穴であるかのように伸びるその奥底には、現代の技術でも全容を測ることの出来ない迷宮が広がっている。


 いつ、何のために作られたのか。どうしてこのような巨大な地下迷宮を生み出せたのか。数多の考古学者が躍起になって取り組んだ、それらは俺にとってどうでもいい事だ。

 重要なのは、この地下に神敵たるアンデッドが腐る程に存在するという事、それだけである。


 階段の周囲は瓦礫などが取り払われており、キャンプの跡もあるが、他に人影はない。


 後ろから、びくびくと周囲を伺いつつ、スピカがついてくる。格好は先ほどアメリアに紹介された時に着ていたボロ布ではない。ほぼ露出のない純白のローブとフード。教会から受け取った子供の僧侶用の装備で、気休め程度だが闇の眷属を遠ざける効果を持つ。手に持たれた短めの錫杖も殆ど飾りだが、神聖術を補助する効果がある。

 とりあえず中身は空っぽだが、外面だけ整えてみた。作戦を決めてから出発するまでの間、アメリアからスピカにいろいろ引き継がせたが、流石にまだ神聖術を使えたりはしない。


 ルークス王国では十五歳から一人前と認められる。

 勿論、十五歳ではまだ成長半ばなので大抵の場合十代後半までは親の庇護の下で生活する事になるが、才覚を示した傭兵の中ではスピカくらいの年齢――十三歳程で既に戦場を駆け巡り名を馳せる者もいる。


 だが、スピカはそうではない。もしもまだ彼女の親が生きていれば、こんな所に連れては来れなかっただろう。今回は教会が孤児院の役割を持ち、面倒を見ていたのでそちらに許可を取っているが、本来ならばこの年齢で立ち入るべきではない。


「怖いか?」


「ッ……い、いえ」


 短く聞くと、慌てたようにスピカが首を横にぶんぶん振った。

 レベルの高い俺には暗闇をある程度見通すことができるが、スピカのレベルはまだ3らしく、雲に霞んだ月の光だけでは殆ど周囲の状況を把握出来ないだろう。


 二言、三言、祈りを捧げて、宙に光の球を浮かび上がらせる。

 退魔術の初歩中の初歩、『導く灯リーディング・トーチ』の術だ。アンデッドを浄化するための術だが浄化性能は低く、どちらかというと光源として使う事が多い。


 朝のように、とまではいかないが、闇が取り払われ視界が開ける。しかし、それでも階段の奥底は全く見えない。

 闇を祓う内に培われた感覚が地下に蠢く無数の闇の気配を捕らえる。力の大小は何となくわかるが、ここまで多いと細かい事はわからない。わかるのは、奥に行けば行く程強力なアンデッドが現れるだろう、という事だけだ。


 スピカの視線がその光に吸い寄せられるように向けられる。


「そ、それが……神聖術ホーリー・プレイですか」


「ああ。それの初歩中の初歩だ」


 右手の指を鳴らすと、ふわふわと宙に浮いていたその光が階段の奥に移動していく。


「入るぞ。側から離れるなよ。ここに出る魔物はアンデッドの中では最弱だが、いくら最弱とはいえ……レベル3では太刀打ちできない」


「は、はい」


 敏捷性こそほぼないに等しいが、リビングデッドの腕力は平均的な成人男性を超えるし、レイスは精神の弱い者に乗り移りその身体を操る力を持つ。側に近づけばはっきり検知できるはずだが、油断はできない。


 俺の声が本気を感じ取ったのか、スピカが恐る恐る一歩距離をつめる。

 段差の大きな階段を一歩降りる。腕を動かし背負ったリュックの位置を調整する。


 神聖術の光で照らされて尚、いや、照らされてこそより深く感じさせる闇に、僅かに唇を持ち上げた。


 恐怖は人の心を縛りその動きを鈍らせる。だから、異端殲滅を専門とするプリーストは笑わねばならない。その闇に決して敗北する事のないように。





§ § §





 俺が初めて戦った不死者アンデッドが何だったか、俺はもう覚えていない。


 ユーティス大墳墓の構造は、方向感覚を乱す曲がりくねった無数の通路と無数の部屋、無数の死角から出来ている。


 墓荒し対策か、あるいは、墓の整備をするための人員や墓守が暮らしていたのか、大墳墓の浅層にはトラップの類はそれほど多くない。

 反面、深層には致死性のトラップが多くなってくるが、決して抜けられない道もまた存在しないとされていた。仕掛けさえ理解していれば、どの道も通れるようになっているのだ。

 権勢を示すという目的もあったのだろうが、埋葬するためだけにここまで大規模な墳墓を作る事は考えずらい。何らかの目的があったのだろうが、それもまた今となっては泡沫の夢と呼べるだろう。


 角から現れた人影に、指を鳴らす。


 祈りに従い、無数の光の矢が周囲に浮かぶ。神聖術特有に白色の光に、角からあらわれたソレが露わになる。

 アンデッドの中でも実体を持っているタイプ。腐りかけた屍に似た醜い姿形を持つこの世ならざる世界の住人。


 潰れかけた指が壁に軽くぶつかり、湿った音を立てる。微かに聞こえる怨嗟の呻き声、俯いたまま向かってくる闇の眷属に、指示通り後ろからこそこそとついてきていたスピカが僅かに息を飲んだ。


「……ッ」


 悲鳴を上げかけたが、とっさに自分の手の平で口を覆い塞ぐ。スピカは、愕然と眼を見開き、初めて見るであろうその存在を脳内に焼き付けていた。


 まるで人の屍が歩いているように見える事から名付けられた、『生ける屍リビング・デッド』と呼ばれる魔物である。高い腕力を持ち、瘴気による麻痺や毒などの状態異常を与えてくる事を得意とするが、反面その戦い方には知性と呼べる代物がなく、動く速度も遅いため子供でも逃げきれるという最弱のアンデッドだ。

 なんか藤堂よりもスピカの方が平気そうなんだけどどうすりゃいいんだこれはッ!!


 脳を破壊しても心臓を破壊してもいいし焼きつくしても凍らせても良い。あらゆる手段で倒せるが、瘴気から構成された体液を受けると意識が軽く飛ぶので近づかずに倒すか、完全に浄化するか、事前に神聖術による麻痺耐性を付与する必要がある。リミスはもっと遠くから炎を放つか、もっと高い火力で焼き尽くすべきだった。


 スピカがはっきりとそれを確認したのを見て、ぱちんと指を鳴らす。それをトリガーとして、俺の周囲に数十本の『闇を祓う光の矢ブレイク・アロー』を展開する。光源が一気に増え、薄暗かった通路が光で溢れる。


 知性なき『生ける屍リビング・デッド』の身体が、僅かに揺れた。


「『闇を祓う光の矢ブレイク・アロー』」


 本来不要な詠唱と同時に、本来不要なまでに展開された光の矢が一斉に、本物の矢を遥かに超える速度でリビングデッドの全身を貫く。避ける暇などあるわけがない。


 勝負は一瞬だった。


 後に残ったのは静寂だけ。光が弾け消える。

 その時には、リビングデッドは影も形もなくなっている。完全に浄化したのだ。断末魔を上げる間すら与えない。まぁ、リビングデッドは断末魔なんて上げないのだが。


 神聖術の中でも闇の眷属をブチ殺す事に特化した退魔術エクソシズム。魔物を倒したことで塵以下の存在力が流れ込んでくる。

 小さく息を吐き、リビングデッドを見た時よりも遥かに呆気にとられた表情でこちらを見上げるスピカに一言告げた。


「これが……神の加護だ」


 返答を聞かずにさっさと歩みを進める。スピカは数秒間固まっていたが、すぐに小走りについてきた。


 奇跡を確信させる事。神の加護を実感させる事。

 僧侶プリーストへの第一歩はそこから始まる。実利なくして人は信仰を抱けないのだ。例えいくら口で教えられようと、歴史を学ぼうと、目の前で起きた鮮烈な光景には及ばない。


 全身に感じる重く冷たく、そして湿度の高い空気は、ここが地下である事を如実に示している。光はあるとはいえ、慣れていないスピカでは長時間ここに入れば狂ってしまうかもしれない。


 まだ未踏破とはいえ、ここはレベルアップのフィールドとしても確立されている地である。

 目標地点――藤堂たちをおびき寄せる場所は既に決めていた。


 現れたレイスやリビングデッドなど最下級アンデッドを一撃で浄化しながら進んでいく。出会い頭に一撃ではない、あえてその姿を見せこちらに襲い掛かってくる寸前に浄化していく。


 神聖術の中では低位のアンデッドが近寄るのを防ぐ術も存在するが、今回は使わない。僧侶として参加するにせよしないにせよ、スピカに少しでもそれらへの耐性を付けさせるためだ。


 初めはやや怯えていたスピカもすぐにそれらに慣れ、後半は僅かに緊張するのみで、恐怖を抱かなくなっていった。今ならばレイスの『叫びスクリーム』を聞いても精神ダメージは薄いだろう。対面して戦うとなると話はまた別だが、初めてにしては上等といえる。


 その成長に、アメリアが提案してきた『いい方法』を思い出す。


 彼女は必要なのは慣れです、と言った。


 人は未知を恐れる。剣士はレイスを初めとした実体を持たないアンデッドを恐れる者が多いと聞く。何しろ、奴ら霊体種は物理攻撃が効きづらい。つまりそれは、明確な理由あってのものだ。

 藤堂が装備している武器は勿論の事、アリアが装備している剣も剣王の娘だけあって相当な業物である。聖剣とまでは呼べないが、魔剣という表現が正しいかもしれない。特殊な加護の降りているそれらの剣は霊体種をまるで実体があるかのように切り裂く。恐れる理由はない。


 なるほど、荒療治ではあるが、アメリアの策も適当に言ったわけではないようだ。


 大墳墓に踏み込んで一時間程で、目的地に到着した。


 到着するまでに今まで見かけたどの部屋よりも広い部屋だ。天井は高く、壁には火の灯っていない豪奢な装飾の燭台が均等に配置されている。

 奥には三メートル程の白い石で出来た精緻な人型の像と祭壇に似た台が設置されていた。祭壇は酷く簡素なもので、全てが石材で出来ているように思える。


 地図に記載された部屋の名称は『鬼面騎士の祭壇』。

 鋭い二本の角を生やし、怒り狂ったような鬼面をした像がその名の由来だ。腰に吊るした刀の柄を握り、今にも抜き放ちそうな精緻なそれらはまるで生きているかのような躍動感を持っていて、何かの条件を満たした時に動き出すのではないかとここを訪れた傭兵の間ではもっぱらの評判である。何度も調査隊が侵入し調査を行ったはずだが、今の所動いた事はない。


 祭壇の間は外とは違い殆ど破壊の跡がなかった。いくら百戦錬磨、神を神とも思わぬハンターたちとはいえ、このような不気味な像を前に無体を働こうとは思わなかったに違いない。

 その像の姿形、正体は未だ不明。異端の神かそれを守るための呪い的な意味を持つのか。それは考古学者たちの研究に任せる事にして、今重要なのはこの部屋が祈りを捧げる場として非常に優れた構造をしているという点だ。


 この部屋の中では神聖術の威力が上昇し、奇跡を下ろしやすくなる。正式な教会には一歩及ばないが、神力を節約できるのでプリーストが修行に選ぶ場としても知られている。藤堂の神聖術は未熟だが、ある程度マシにはなるはずだ。


 部屋の中は広く、祭壇と像を除いて障害物もなく、戦いやすい。何よりも出入り口が一つしかないのが素晴らしい。逃げられないからだ。

 多数の魔物が雪崩れ込んで来ると、囲まれてしまうが、この当たりに生息するアンデッドは最弱である。最悪でも死ぬことはないだろう。多分。


「予定どおり、ここを拠点とする」


 目を凝らして鬼面騎士の像を見上げているスピカに言う。

 何千年も前に作られたとは思えない滑らかな石像。念のため、破壊しておいた方が良いだろうか? 一瞬頭によぎるが、何の神だかは知らないが、像を破壊するのはあまり良くない。教義にも他の神を貶めない事とある。


 動くことはないだろう……ないよな?


「スピカ、さっきも言ったが、お前はこの地に修行の名目でやってきた、まだ神聖術も使えないプリーストの卵だ」


「……はい」


 わかっているのかいないのか、スピカが小さく頷く。


「立ち入りが危険なので教会から禁止されていたが、どうしても信仰を深めたくて、たった一人でこの地に入り込んでしまった。教会は置き手紙でそれを知り、何時までたっても戻って来ないスピカを心配して藤堂たちに救助を依頼する」


 一人で大墳墓に侵入する僧侶の卵ってどんなんだよ。内心でつっこみながら説明を続ける。

 穴だらけの理屈だが、多少不自然でも構わない。重要なのは藤堂たちをここまでおびき寄せる事なのだから。


「ここで祈っていると、スピカを心配した藤堂たちが――魔物狩りのパーティが助けにやってくる」


 アメリアには村に残ってその辺りを誘導してもらう手はずになっている。嫌そうにしていたが、通信で指示を出すだけでは心許なかったのでやってもらう事にした。お前の考えた作戦だろ、やれ。


 周囲の気配を探る。うじゃうじゃいる。腐る程いる。もともと大墳墓のレベルアップのやり方は、弱小のアンデッドを何十何百匹も倒す事にある。


「そこで、藤堂たちがこの部屋でスピカを見つけるわけだが……無事である事を安心した所でアクシデントが発生する」


 アメリアの案を思い出す。至極真面目な表情で出された言葉を。


『アンデッドを倒せば倒す程に慣れていきます。私は初めは怖かったですが、数百匹のアンデッドに囲まれて無我夢中で倒していったらすぐに慣れました』


 血が苦手だった人間だって、傭兵として数多くの魔物を殺していくにつれ、殺しに、恐怖に慣れていく。

 いくら怖いとは言え、相手はとにかく弱いのだ。倒していれば勝手に慣れていく事だろう。慣れなかったらその時はその時でまた考えればいい。


「生者の気配を感じ取った大量のアンデッドが雪崩れ込んでくる。スピカには俺が強い加護を与えておくが、あまり近づくなよ」


「な、何匹ぐらい来るんですか……?」


 息を飲んで、掠れた声で尋ねてくるスピカに言ってやった。

 そんなの決まっている。


「藤堂たちが慣れるまで、だよ」


 克服してもらう。いや、勇者ならば、出来て当然だ。

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