第二レポート:神敵と対策について

「もしかして……まずいですか?」


 やっと事の深刻さを理解したらしく、アメリアがぐいと身を乗り出し尋ねる。

 シャワーを浴びたばかり、髪を乾かす事すら忘れたのか、濃い藍色の髪が額に張り付いてどこか色っぽい。


 いや、もしかしなくてもまずいから。


不死者アンデッドが怖い勇者なんて冗談にもならん」


「冗談じゃないですか?」


「冗談だったらぶん殴るぞ」


 洒落になっていない。魔物自体が苦手とか、戦いが怖いとか、そういう話とは訳が違う。


 不死者アンデッド悪魔デーモンなどの魔物は他の種の魔物とは明確に区別される。

 奴らはアズ・グリード神聖教の教義で明確な神の敵として指定された存在だ。その根絶は俺たち秩序神をを奉じるプリーストの重要な役割の一つであり、退魔術エクソシズムもそのために生み出されたものだ。


 プリーストにとって、神の敵を恐れるというのは信仰の堕落である。だから、例え竜や獣を恐れても、俺たちは悪魔やアンデッドを恐れない。


「アリアはまぁ……どうとでもなる。問題は藤堂だ」


 アリアは一般人である。アズ・グリードの信奉者ではあるはずだが、殆どの信仰に厚くない一般人にとって教義なんてあってないようなもので、教会側もそれを知っている。だからいい。彼女がアンデッドを恐れるのは別に構わない。


 だが、それが聖勇者ホーリー・ブレイブともなれば話は別だ。聖勇者は秩序神の使者である。信仰の体現者となるべきその存在が神の敵を恐れる……?

 教会も一枚岩ではない。派閥も存在するし、思惑も存在するし欲望も存在する。


 神敵に恐怖する聖勇者。それは、付け入る隙だ。

 藤堂がアンデッドを怖がっている事がバレたら面倒な事になるのは明白だった。


「最悪、偽物だと弾劾されるかもしれないな……」


「呼び出した王国の責任ですか」


 英雄召喚の術式は表向き、召喚を依頼した国の信仰心によって呼び出される英雄が決まるとされている。性格がおかしかったり、力が弱かったりした勇者が呼び出された時のための布石である。責任の殆どは、召喚の依頼主――ルークス王国が被る事になるだろう。


「どうします?」


「……バレる前にアンデッドに慣れてもらうしかないだろう」


 下手したら王国が割れるぞ。

 リミスやアリアからバレる心配はないだろう。彼女たちは王国側の人間だ。バレたら問題になる事は明白だし、もし仮に下手打っても彼女たちから伝わった情報はもみ消されるはずだ。


 テーブルに肘をつき、頭を抱える。治まったはずの頭痛が再発してきた。


「くそっ、俺はカウンセラーじゃないんだぞ……」


 恐怖は精神に根付いたものだ。


 毒や麻痺はレベルさえ上げれば耐性がつくが、藤堂が気絶した『嘆きの叫び』などの精神攻撃に対する耐性はレベルではなかなか上がらない。レベルの低いリミスが平気で、肉体的強度もレベルの高さも上のアリアと藤堂が気絶した事からもそれはわかるだろう。


 思想や精神は育った環境に依る所が大きく、外部から手を入れて矯正するのはかなり骨が折れる。というか、俺にはちょっと無理。


「頭、殴ったら治らないかな……」


「殴ってみますか?」


 アメリアが冗談なのかそうではないのか判断が付かない真面目な表情で言う。


 そういうわけにもいかない。奴には……魔王を討伐してもらわなくてはならないのだ。

 頭を抱えている場合ではない。苦手の克服、時間との勝負になるだろう。


 身を起こし、頬を叩いて気合を入れなおす。


「報告はどうしますか?」


「当然、入れる」


 伝えないわけにもいくまい。

 クレイオ枢機卿は今の所、こちらの味方だ。藤堂が駄目になれば、英雄召喚の責任者であるクレイオにもダメージがある。もともと、最年少の枢機卿である彼には柵が多い。力になってくれるだろう。隠しておいてもいい事は何もない。


 思考を切り替える。問題はこれからどうするか、だ。


「ポジティブに考えよう。今この段階でわかってよかった」


 ここの浅層に出現するアンデッドはアンデッド中最弱である。腰が引けていても相手にできる連中だ。

 聖鎧フリードがあれば滅多にダメージを受ける事もないし、アリアやリミスの装備だってかなり良い物だ。グレシャは知らない。どうでもいい。


 レベルが上がってから気づかなくてよかった。

 アンデッドは特に上位と下位の能力差が激しく、上位のアンデッドは退魔術の使い手でも危うい存在になってくる。この間交戦したザルパンも上位のアンデッド――吸血鬼ヴァンピールだが、それ以上も存在するのだ。

 そいつらを前にして怯えて動けなかったなどとなれば、討伐以前の問題である。


 まだ最悪ではない。ああ、まだ最悪ではない。


 アメリアが感心したようにぽつりと言う。


「アレスさんってタフですよね……」


「……」


 我慢できるだけだ。いや、我慢できていないが、少なくともまだ大丈夫。まだ大丈夫だと思わないとやっていられない。

 鞄から地図を取り出す。藤堂が持っている地図と同じ地図だ。というか、藤堂が持っている地図は俺が教会経由で渡したものである。


 そこには、現時点でユーティス大墳墓についてわかっている事、全てが書き込まれていた。

 地理は勿論の事、存在するトラップ、出現するアンデッドの種類とその対策。どこの部屋で何が出現し、キャンプをするのならばどこの部屋がベストか。レベルを上げるにはどこがいいのか。探索する上での注意点など。


 アンデッドの種類は豊富だが全体的に弱い。


「アメリア、勝てないのはいるか?」


「私は……強いです」


 どこか自慢気にアメリアが胸を張る。


 ……知ってるよ。ただの確認だ。レベル55で司祭格の神聖術持ち。司祭格の認定には知識も必要だが、退魔術を含むかなり強力な神聖術が必要になる。耳に下がった司祭格の証は彼女の信仰の象徴だ。


 アメリアから視線を逸し、指で地図をなぞる。

 当然、俺に勝てない相手もいない。例え相手が万の軍勢だったとしても、相手がアンデッドならば『裁き光』の一撃で浄化できるだろう。

 例え先ほどのように、アンデッドの大群の中で意識を失ったとしても、即座に助けに入れる。


 しかしどうしたものか……。


 地図を睨みつける俺に、アメリアがぽんと手を打った。


「私にいい考えがあります」


「……いい考え?」


「実は私も昔はアンデッドがほんのちょっとだけ嫌いだったのですが、それで克服できました」


「ほう」


 俺は子供の頃――まだ僧侶プリーストになる前から神力が強かった。アンデッドや悪魔に恐怖を覚えたことはない。

 平然とした表情で嘯くアメリアをじっと見つめる。アメリアが、ほんの僅かに唇を持ち上げ微笑んでみせた。


 何故か、その微笑みに、この間の、私は酔いませんとか言った時のアメリアを思い出す。

 アンデッドを嫌いそうな性格にはとても見えないんだが……信じていいのだろうか。


 まぁ他に方法があるわけでもない。停滞している時間は少ない方がいい。

 少しでも可能性があるのならば、賭けてみるか。

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