第三十七レポート:黒き血の民を討伐せよ②
藤堂の顔を見る。視線と視線が合う。俺の正体に気づいている様子はない。
とても憎たらしかったはずのその顔を見ても、思ったよりも感情は動かなかった。
大丈夫。俺は――冷静だ。
鋭い視線。荒く吐かれる息に、無造作に下げられた腕には聖剣が握られている。その後ろには、リミスとアリアの姿もあった。ここに来るまでに時間が掛かったのは準備をしていたためか。グレシャの姿が見えないのは置いてきたからだろう。
「これ……は……一体――何が……」
その視線が俺から、地面に倒れるザルパンの方に向けられ、その瞬間、肩が震えた。
表情が強張ったものに変化する。だが、その表情の変化を見ても俺に不安はなかった。
グレシャの時とはわけが違う。邪魔される心配は――ない。わかるはずだ。秩序神の加護を持つ藤堂ならば、俺などよりも遥かに理解出来るはずだ。黒き血の民の持つ邪悪な気配を。人に似て人に非ざる闇の眷属の力を。魔物ではあっても闇の眷属ではなかったグレシャとの明確な違い。
藤堂の足が震え、恐る恐ると言った様子で足を進めようとする。俺は正体がばれないようにできるだけ声色を潜め、警告した。
「そこから動くな。結界が張ってある」
結界にも様々な種類が存在するが、俺が張り巡らせたのは特に闇の眷属に効果を及ぼす聖域結界である。人間である藤堂たちには全く効果はないし、物理的な障壁があるわけでもない。入ろうと思えば容易に入ってこれる。
俺の言葉に、上げかけた藤堂の足が止まり、元の位置に戻る。よし、大丈夫だ……言葉は通じる。よし、よし、よし。
ダガーを強く握ったまま、藤堂の方に足を進める。勿論、倒れ伏すザルパンの方からも注意を外したりしない。特殊能力が制限されていても、黒き血の民は油断出来る相手ではない。
藤堂まで二メートル程の所で足を止める。あまり距離を詰めると警戒を抱かせるだろう。
「この森は現在、悪魔の出現が確認されたため閉鎖されている。何をしに来た?」
「……えっと……それは……」
俺の詰問に、藤堂が口ごもった。
この様子を見た感じでは、レベル上げなどではないだろう。となると、欲が出たのだろうか? 自分たちならば悪魔を討伐できる、と。村長に警告をさせたのがまずかったか。どうすればいいんだよ、おい。せめてこちらにわかるように動いて欲しいものだ。
幸運だった。アメリアが定期連絡の時刻よりも早くグレシャに連絡を取ったのは本当に幸運だった。そして、すぐさま行動を開始した事も。何しろ、こうして実際に闇の眷属が現れている。もし連絡を取らなかったら、俺が相手をする前に藤堂たちと遭遇していたかもしれない。そうなれば、藤堂では相手を出来なかっただろう。
タイミングが悪い。ザルパンは一月森に篭っていたといったが、事を起こすタイミングとしてはこれ以上なく悪い。何も藤堂が入ってきたこのタイミングで起こさなくてもいいだろうが。奇妙な運命、強烈な引き。これも勇者の資質と呼べるだろうか。
地べたに這いつくばり、しかし虎視眈々とこちらを狙っているザルパンの方を手で指し示す。その意志はまだ折れちゃいない。魔族というのは得てして人族を見下しているものだ。隙を見せれば飛びかかってくるだろう。
視線で牽制しようが、殺意で威圧しようが、無意味。邪悪で強力で残忍でそして生き汚い。奴らはそういうものだ。
「まぁ……いい。現在、戦闘中だ。ここは危険だ。今すぐにここから離れ、夜が明けるまでキャンプ地で待機、夜が明けたら即刻森から立ち去るといいだろう」
滅多に存在しない加護持ちの魔族を派遣してきているのだ。これ以上、敵が存在するとは考えにくいが、念には念を押したほうがいい。
俺の言葉に、しかし藤堂が食い下がった。正義感かそれとも意地なのか、非常に面倒臭い。
「いや、僕は――」
「見たところ戦闘はそれなりに出来るようだが、手伝いはいらない。これは俺の――」
言いかけた所で、気配が跳ねた。隙に見えたのか。この会話が隙に見えたのか? それは――違う。
闇の気配はわかる。奇襲とは、ばれていないからこそ効果があるのだ。嗅覚で、聴覚で、そして肌に触れる風の動きで、例え見えてなくてもその動作が手に取るようにわかる。
藤堂の眼が大きく見開かれる。
「危なッ――」
振り向くと同時に身を低くし、一歩前に踏み込む。上空からの腕による振り下ろし、そのタイミングをずらす。こいつのもう一つのミスは自身の特殊能力を過信しすぎてそれが封じられた時のための武器を携帯していなかった事にある。大抵の人族ならばその身体能力で圧殺できるが、地力で負けているとジリ貧になる。それがこいつのミスでそして、戦闘経験が浅いというその証明でもあった。
その速度も感覚も補助魔法をかけた俺よりも低い。がら空きの鳩尾に拳を叩きつける。結界による反発。肉を穿った感触も骨を砕いた感触もないのはとても珍しい。しかし、衝撃は伝わっている。
衝撃で浮いたその腕を取り、その痩身を地面に叩きつけた。踏み出すようにしてその頭を踏みつける。衝撃でその感覚は乱せているが、全然ダメージが通っていないのを感じる。こいつが戦い慣れていたらすぐさま反撃してきていただろう、その程度のダメージ。拳じゃ出来て牽制程度、ダメージを与えるのは無理か。
呆気に取られたように俺を見る藤堂に、ザルパンを踏みつけながら説明してやる。
「魔族は頑丈だ。特にこいつはとびきり厄介な結界を持っている。討伐には時間がかかる。手伝いはいらない。これは俺の仕事だ。邪魔はしないでくれ。何もしないでくれ。大人しくここから立ち去ってくれ。頼む」
「なっ――」
必要なのは時間だ。時間だけだ。それ以外はいらない。余計な事はするな。自らの安全だけを考えてくれ。頼むから。
絶句する藤堂に、先ほどから険しい表情でザルパンを睨みつけていたアリアが声をかける。リミスも頻りに頷いている。
「ナオ殿、どうやら私の勘違いだったようです。この場で私たちが出る幕はないかと。苦戦している様子もありませんし……」
「そうよ、ナオ。その人がいいって言ってるんだからキャンプに戻りましょう?」
そうだ。戻れ。仲間もそう言ってるだろ!
ザルパンが身体ごと転がり、距離を取る。追わない。よろよろと起き上がる。その顔が朧げな月明かりの下、明らかになる。その容貌はもともと血の気がなかったが、ここ数分で更に憔悴してより幽鬼のように見えた。
まるで頭痛でも堪えるかのように頭を押さえ、ブツブツと呟く。
「この……僕が……暗黒神の加護を持つこの僕が、人間如きに、負ける? ありえないッ!」
強く握りしめられたその拳に漆黒の光が集まる。
暗黒の光が一本の短い矢を形作り、高速で飛来する。速度も矢の大きさも、初撃で受けたものよりも遥かに低い。間もなく、発動すら出来なくなるだろう。結界を張った時点で、その生来の特殊能力に頼っていた時点で、既にお前は詰んでいる。
ただ無言で祈った。邪悪には秩序を。闇の矢には光の矢を。
無言の祈りに応えるように、俺の周囲にぽつぽつと無数の白の光が宿る。
それは一つ一つがザルパンの放った矢の数倍の長さと変化し、標的に向かって飛翔した。先頭の矢がザルパンの放った暗黒の矢と正面からぶつかり、それを容易く打ち消す。暗黒術は神聖術と相反する術式だとされているが、基本的に闇が光に打ち勝つ事はない。
残りの数十の矢がザルパンの全身に降り注ぐ。避ける事もなく、何の抵抗もなく、ザルパンが光に包まれる。ただ、光の中に飲み込まれるその寸前に浮かんだ唖然とした表情だけがその心境を物語っていた。
無理だ。もし加護がなければ殺せたかもしれないが、加護がある状態で光の矢は通じない。
光が消失し、そこには蹲るヴァンピールが残る。青ざめた表情。ダメージは殆どない、が、全てにおいて上を行かれるというその事実が心を削るのだ。
窘めるように声をかける。
「わかったか、ザルパン。もう諦めろ。俺も鬼じゃない。結界を解けよ」
「まだ……まだだ……あは……あはははは……僕が……負けるわけがない。あはははははははははははは!」
往生際が……悪すぎるな。
狂ったように笑いながら、ザルパンが立ち上がる。その腕が勢い良く振りかぶられた。
蹲った際に拾ったのだろう。拳大の石が吸血鬼の膂力によって飛来する。握ったダガーでそれを弾く。硬い音を立て、石が結界の外に着弾した。
「あっ……」
ちょうど近くに石が飛んできたリミスが短い声をあげる。
ザルパンの視線がゆっくりとそちらに向けられる。くそッ、失敗した。
「さっさと去れ」
「そうか……この結界、物理的な障壁じゃあないのか」
軽く踏み出し、一歩で加速する。
全力を込めて、ダガーで右目に突きを放つ。ザルパンがまるで木の葉のように吹き飛ぶ。手応えが今まで以上にない。自ら跳んで衝撃を殺したのか。冷静さが戻っている。良くない傾向だ。
空中で姿勢を整え、ザルパンが手足をついて着地する。と同時に、その視線が俺から外され、まだ逃げない勇者一行に向けられた。その手が土の一塊を握る。
これだから……一人じゃないと面倒なんだ。その膂力、俺には脅威じゃなくても、藤堂たちにとっては脅威となりうる。鎧を着ている藤堂とアリアはともかく、リミスならば致命傷になりうる。
行動を変更する。既にバレている。踏み込む。自身の身をザルパンと藤堂たちの間に滑りこませる。
「さっさと逃げろッ!」
再び大きく腕が振りかぶられる。石ならばともかく、土は防ぎきれない。少しでも命中率を下げるため、買ったばかりの外套を脱ぎ捨て宙に放り広げ、目眩ましにする。
「くっくっく、勇者も大変だね」
回避はできない。外套が膨れ上がりはじけ飛ぶのがスローモーションで見えた。
弾丸の速度で撒き散らされた土を全身で受ける。鈍い衝撃が何度も俺の身体撃つ。土埃が眼球に振りかかる。目は閉じない。ただの土だ。痛みはない。ダメージはない。体勢は崩さない。
土の嵐に続くようにして、ザルパンが身を屈めるようにして飛び込んでくる。まだ接近戦を挑む余裕があるのか。自信があるのか。一瞬の隙さえ作れば勝てると思っているのか。舐められたもんだ。
眼と眼が合う。唇を舐める。浮かんだ酷く歪んだ笑み。良いだろう、相手をしてやろう。目前でザルパンが大きく身を屈める。狙いは顎か。真下から放たれた爪による斬撃を上体を後ろに反らし躱す。連続で流れるように放たれた突きを数歩後退して回避する。
腕ではリーチが短すぎる。俺とお前ではリーチが違う。
嵐のような攻撃を縫うようにして
無駄だ。無駄なのだ。特殊能力を封じられ、経験も身体能力も俺の方が上。隙をつこうが優位は揺るがない。法衣の下にはチェインメイルを着込んでいる。この
衝撃によりザルパンが無様に転がる。咳き込み停止するその身体を思い切り踏みつけ、そこに手の平を向ける。もう話す隙も与えない。藤堂たちを逃がそうとも思わない。いや、逃げないのならば迅速に殺す。
「
光がその身体を押しつぶすように放たれる。神聖な光が闇を切り裂き、一瞬周囲が昼間のように明るくなる。
光が収まる。ダメージは殆ど入っていない。わかっている。欲しいのは隙だ。流れるような動作でダガーを逆手に持ち替え、身を落とすように重力をかけてその刃を口の中に突き入れた。
目が大きく見開かれる。血走った目。淀んだ血のような濁った虹彩が収縮する。刃を通し、神聖術を放つ。
「
「ッ!?」
光がその咥内で爆発する。口の端から垣間見える尖った牙、その奥から苦痛の呻きが上がる。駄目だ。ダメージは通っているが、死なない。口が必死で閉じられる。両腕が俺の腹を打ちつけ押しのけようとする。銀の刃の表面をヴァンピールの特徴である牙が引っ掻く。それを無視して、俺は全力でダガーを喉の奥に突き刺した。
「
光が断続してその咥内を暴れまわる。嗚咽と声にならない悲鳴に腹が何度も痙攣するように揺れる。くそっ、死ねッ! 死ねッ! 死ねッ! 勇者に被害を与える前に死ねッ!
ヴァンピールはその生命を失うと灰になる。形を保っているのがまだ死んでいない証拠だ。
連続で十度程光を放ち、収束したがザルパンはまだ多少弱った程度のダメージしか受けていなかった。
「……チッ、くそっ、ダガーじゃ威力がなさすぎる」
加護を持つ魔族には大物が多い。能力的にこちらが負けている以上、その討伐は入念な準備の末行われる。こういう遭遇戦というのはまずない。加護持ちとサブウェポンだけで戦うのは初めてだ。
短剣も質が悪いわけではないが、神聖術による祝福を重ね威力を向上させているメイスと比較すると数段落ちる。
白目を向いているザルパンの頭を左拳で殴りつける。鈍い打撲音が響き渡る。
硬い壁を殴っているかのような感覚。くそっ、俺に藤堂のように軍神の加護があればこんな結界、一撃で破れるというのに。
ダメージは通らなくても、衝撃で感覚が揺れているはずだ。隙は与えない。拳が裂け、血が滲む。力は緩めない。裁き光を使用しながら、本当に極少しずつダメージを蓄積させていく。
『アレスさん、大丈夫ですか?』
「ああ、大丈夫だ。くそったれ、こいつなかなか死なねえッ! しぶといッ!」
『……大丈夫ですか?』
「大丈夫だッ!」
アメリアからの通信に答える。俺には他に方法がない。時間がかかるのはわかっていた事だ。
優位は揺るがない。ザルパンはそういうレベルの実力ではない。
ただ黙々と拳を振るう。ザルパンの容貌に打撲傷が少しずつ増えてくる。抵抗は激しいが、何とか抑えこむ。何十何百撃いれたか、ふと俺の耳に嫌な声が入ってきた。
その声はいつも俺に不吉を運んでくる。
「あの! こ、これを――!」
藤堂の声。いるのはわかっていた。注意はしていたが、ただいるだけならば特に問題はないはずだった。ザルパンに行動する間さえ与えなければいいだけなのだ。
顔を上げる。立っている位置が変わっていた。俺は、自らの表情が歪んだのがはっきりわかった。
藤堂の立っている位置――俺のメイスが置かれている位置である。
藤堂が屈み混む。その指先が俺のメイスに触れる。藤堂は闇の眷属ではない。結界は効果をなさない。とっさに叫ぶ。
「やめ――」
違うッ! それは、落ちてるんじゃないッ! そこに置いてあるんだッ!
だが遅かった。藤堂の指先がそれを持ち上げると同時に、空気が変化する。
媒体を動かした事で結界が消失する。発動まで時間はかかるが、消失は一瞬だ。
膝で押さえ込んでいたザルパンの身体がびくりと大きく震える。
藤堂が両手でメイスを持ち上げ、その重さにふらつきながらもこちらに投げつける。俺の隣にそれが落ちるのと、押さえつけていたザルパンの身体が消えるのはほぼ同時だった。
何もするなって言ってるだろッ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます