第三十五レポート:赤き獣を討伐せよ

 舌打ちをしながらも、放っておくわけにはいかない。俺には魔獣は倒せても火を完全に消し止める事はできないのだ。


「『一級炎耐性付与フル・フレイム・レジスト』」


 火属性に対して高い耐性を付与する神聖術をかける。


 この手の魔獣は専用の耐性装備か耐性レジストの術を扱える出来る僧侶が居なければ苦戦する事になる。俺は後者なので戦うにあたっての問題は特にないが、厄介なのはこの獣の特性であった。


 闇の中でその身体自体が強い光を放っているフレイム・リオンは酷く目立つ。

 例え視力が悪くてもわかるだろう。これが本来生息する火山口などだったらそうでもないんだが、一体こいつを連れてきたものは何を考えて連れてきたのか。そこは水獅子アクア・リオン風獅子ヴァン・リオンにしとこうよ。ここ、森だぞ!?


 属性を持つ魔獣はその属性こそが厄介な要素であり、属性を取っ払えば大した事がない。耐性を適宜付与できる俺との相性もかなりいい。悪いのは状況だけだ。


 フレイム・リオンは種族名である。一口に言っても、それにはピンからキリまで存在する。高熱を放っているそれに全速で接近すると、手始めにその身体の体幹をメイスで殴りつけ、地面に叩きつけた。

 悲鳴のような咆哮が森を揺るがす。メイスに生えた棘がそのあまり固くない皮膚を突き破る。メイスを戻す。血が飛散する。飛散した血が樹に、服にかかる。燃え盛る血液を受けた樹が盛大に燃え上がった。クソがッ!


 耐性が付与されているおかげで熱は感じないし、服も燃えない。が、周囲はそうはいかない。下手したら延焼して森の大部分が丸焼けになるだろう。


「アメリア、水は出せるか?」


『……残念ながら』


 返事は想像がついていた。が、実際に聞くと舌打ちが出てしまう。

 その生命を燃やしているかのような咆哮と同時に振り上げられた鉤爪を半歩後ろに下がり回避する。まるで鏡のように紅蓮が映った爪撃が前髪を数本持っていった。


 戦った経験はある。火口で相手にした時は問題なかった。あそこには燃えるものが殆どない。ここはこいつを相手にする上で最悪のフィールドだ。

 この手の炎を纏った魔物は水属性の魔術で仕留めるのが常道である。殆どの場合は水系の精霊と契約した精霊魔導師の領分になってくる。。


 炎の燃える尾が大きく伸び、鞭のようにこちらを狙う。屈んで避けた所で放たれた前足の薙ぎ払いをメイスで受ける。メイスが僅かに軋むと同時に、真っ赤に熱される。手は離さない。こいつを素手でぶん殴るのは骨だ。


 獅子がその顎を僅かに開く。その胸筋が収縮する。手の内は読めている。前足を強く弾き、炎を吐かれる前にその口の中にメイスを叩き込んだ。

 骨の砕ける衝撃。肉の潰れる感触。巨体が地面を二度、三度バウンドし、吹き飛ばされる。その身が触れた草木が燃えあがる。煙と熱気で視界が悪化する。


 多少煙を吸った所で俺のレベルならば問題ないが、なるべく煙を吸わないように浅く息を吸う。


 どうする? いや、どうしようもない。火を消す方法も無ければスマートに倒す方法もない。水を出す魔導具はあるが、非常事態に飲料水を生み出すための代物である。どうして燃え移った火を消す事ができようか。


 煮えたぎるメイスを振り、伏せる魔獣に一歩近づく。同時に、メイスで炎を帯びた樹の幹をぶん殴った。

 轟音。幹が弾け、魔獣の方に向かって薙ぎ倒される。フレイムリオンに触れた瞬間、発火するが衝撃までは消えない。


 面倒臭え事しやがって……


「周囲一帯の樹木を伐採し延焼を止める」


 この辺り一帯が更地になってしまうが何もしないよりはマシだろう。魔獣の放つ炎はただの炎ではない。

 伏せたままこちらに伸びた尾。顔面を狙ってきたそれを手で掴む。目の前で真紅の炎が揺らめく。尾の先にある赤い宝石のような石、燃えあがるそれがフレイム・リオンの中で最も価値ある素材である。


『アレスさん……嫌な報告があるんですが』


「藤堂が気づいたか?」


『……はい』


 そりゃ気づく。燃え上がった森は一キロ離れた場所からでもはっきりとわかるだろう。煙だって目立つ。これで藤堂たちが気づかなかったら逆に不安になる。

 尾を思い切り握り、手前に引く。こちらに勢い良く寄せられた魔獣の頭を狙い、タイミングよくメイスで地面に叩き落とした。


 棘がその脳まで至った感触。頭蓋が陥没する。その身体が目も眩むような今まで以上に激しい炎で燃えあがる。否、その生命が燃えつくされているのだ。僅かな存在力が俺の中に流入する。が、魔獣が死んでも草木に移った炎は消えない。


 尻尾を離し、激しい炎を吹き続けるその死骸にメイスを叩きつける。爆風と衝撃がその身の炎を吹き飛ばし、かき消した。はじけ飛ぶ血肉は炎の欠片のようで、しかし生きている時と比べればその熱量は低い。それに触れた草木は燃えあがる様子を見せなかった。


 しかし、兎にも角にも大仕事である。懐から仮面を取り出し、念のために被る。同時に、メイスを強く振りその風圧で煙を飛ばす。焼け石に水だが、視界は良くなった。どこまで倒すか、辺りを観察しながらアメリアに報告する。風圧と衝撃で消し飛ばしてもいいが、うまくやらないと延焼を増長させる事になりかねない。


「とりあえず、対象は討伐した。後始末に入る。藤堂たちは?」


『まだキャンプ地に居ますが、そちらに向かうのも時間の問題でしょう。……グレシャを追い出した相手でしたか?』


「違うな」


 違う。炎獅子はグレシャを縄張りから追い出した相手では……ない。

 姿形が違う。グレシャを追い出したのは黒い人型だと聞いているし、そもそも炎獅子フレイム・リオン氷樹小竜グレイシャル・プラントを大幅に上回る力を持つ魔獣ではない。特にここは森、本来、火山に住み着くフレイム・リオンが万全に戦える環境ではないのだ。現に、戦ったフレイム・リオンの帯びた熱は本来のそれよりも低かった。


 倒れる方向を注意深く計算しながらメイスを振るう。一抱えもある太さの樹々が倒れ、地面が大きく揺れる。

 炎の弾ける音と樹の倒れる音をBGMに、会話を続け自分の考えをまとめる。


「だが、偶然現れるような魔獣でもない。何者かが連れてきたのだろう」


 火山や岩山の奥に住み着く魔獣である。ヴェールの森から最も近い生息地でも千キロ以上離れている。その距離を火山を縄張りにする魔獣が理由もなく踏破するとは思えない。そもそも、道中必ず人間に見つかるはずだ。フレイム・リオンに飛行能力はないし、奴の存在は目立つのだから。


「フレイム・リオンを無理やり連れてこれるような存在がまだ森の中に残っている可能性はある」


 とびきり厄介な能力を持った奴だ。常に高温の炎を纏うフレイム・リオンを歯牙にもかけない戦闘能力を持ち、飛行能力か、あるいは長距離を一瞬で移動出来る転移魔法を扱える存在が。

 特に後者だった場合、ターゲットはかなり絞られる事になる。転移魔法は高位の魔法だ。魔族の中でも中位以降の魔族にしか使えないし、魔獣や竜の中にも一部操れる者はいるが、まぁどちらにせよ相手をしたくない類の存在である。


「できれば俺は戦いたくない。グレゴリオに任せよう。あいつなら大丈夫だ。そういうの好きだから」


『……そうなんですか……』


「そうなんだ」


 あいつなら文句も言わない。奴にとって戦とは信仰である。その信仰が戦闘能力を高め、自らの戦闘能力こそが神の寵愛だと考えている。神の意志を確信しているからこそ喜んで敵に撃って出る。普通の傭兵よりもよほど喧嘩っ早いのだ。


 樹々をなぎ倒すと同時に、風圧でうまいこと消し飛ばせる炎を消し飛ばしていく。徐々に炎の量が減っていった。だが、酷い惨状だ。きな臭い焦土の匂い、地面は燃えカスで真っ黒に煤けており、踏みしめる度に僅かな感触がある。

 それでも、考えていた最悪の結果よりは遥かにいい。この程度の被害ならばこの森でレベルをあげる者達に影響はないだろう。傷跡も年月さえあれば回復するはずだ。


 ようやみ見込みがたち、煙の薄くなった空気をほっと吸い込んだその瞬間、ゾクリと悪寒が身体を貫いた。


『アレスさん、藤堂さんたちがそちらに向かい始めたようです。後始末はどうですか?』


「悪い知らせがある」


『……え?』


 斜め上空を見あげる。正確にはとっさに振り上げた左腕、その手で掴み取った漆黒の光を。禍々しく揺らめくその光は炎の薄くなった暗闇の中でも不思議と目についた。


 黒の中の黒。漆黒の魔法である。手の中を汚染しようとするそれを、レベル故の耐性で握りつぶす。光が消え、小さな痛みの奔った手の平をひらひらと振りながら、メイスを握る右手に力を込める。頭を狙われていた。命中していれば、油断していれば、死なないまでもただでは済まなかっただろう。


 その技には見覚えがあった。対象の存在を汚染し破壊する暗黒の矢。暗黒術ダークネス神聖術ホーリー・プレイと相反する、邪神の加護を持つ魔族が好んで扱う術である。


「魔族だ。戦闘を開始する」


 報告と同時に、風が吹いた。ようやく感じた闇の眷属が近づいた時特有の気配に、今更脳が警鐘を鳴らす。

 全てを吸い込む黒の風。霧が渦巻き一所に集まり、一つの人型を作り上げる。全身を染め上げる黒衣に血の気のない頬に切り揃えられた黒の髪。人に酷似し、しかし誰しもが人ではないと確信出来るような容貌。人類の敵。強い嫌悪感を感じる。


 その容姿はグレシャの証言と一致していた。


 ざわめく心を鎮めながら、仮面を落ちないようにしっかりと固定する。


 首をあげる。まだ薙ぎ倒していなかった樹の上、太い枝の上に立つソレを睨みつける。視線が交わる。フレイム・リオンの尾の先についていた炎の宝石よりも禍々しい真紅の虹彩は、黒き血の民である事を示している。


 必死に頭を回転させていた。何故ここに。どうして今このタイミングで。果たしてどれ程の力量を持つのか。その身からほとばしる邪気からその能力を測る。

 血を塗りたくったような真っ赤な唇が僅かに開き、夏にも拘らず白い呼気を吐き出した。ため息か、あるいはその持ち上げられた唇の形からは愉悦の笑みにも見える。


 ため息をつきたいのは俺の方だった。


 戦いたくなかったが何のつもりか、現れてしまった以上相手をせざるを得ない。

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