第三十四レポート:目標を補足せよ

 生い茂る樹々、獣の足跡しかない大自然の中を背の高い草や飛び出した樹の枝を薙ぎ払いながら黙々と歩く。


 風と樹々の影になっているおかげで気温は高くない。それだけが幸いだった。同行者アメリアの体力だけが懸念点だ。例えレベルが高かったとしても、足場の悪い道を歩くには慣れがいる。障害物はなるべく廃しているが、疲労の蓄積は避けられない。


 日は傾きかけている。後二、三時間もすれば完全に沈むだろう。藤堂たちはちゃんとキャンプを張るだろうか。夜間に森の中を散策する程馬鹿だとはあまり考えたくない。


 藤堂を追って森の奥に入っていくにつれ、傾向が変わっている事に気づく。


 本道に普段以上の数の魔物が現れた先ほどとは逆に、出現する魔物の数が減っているのだ。

 おかげでメイスを振るう回数は減っているが、嫌な傾向だった。本来この近辺を縄張りにしている魔物が浅部まで追いやられている可能性がある。経験上、大抵こういう時は面倒な事になるのだ。


 足を止め、苛立たしげに地面を強く踏みつける。

 広範囲に殺意を放てばターゲットをおびき寄せられるだろうか? いや、リスクが高すぎる。藤堂たちにも気づかれてしまうだろう。焦りは失敗を生む。堅実な方法を捨てるべきではない。まだ状況は決して致命的ではないのだ。


「アメリア、藤堂は?」


「三キロほど先です」


「三キロか……追いつけるな」


 早足で進んだかいがあった。僅かに頬を紅潮させながらも、アメリアの口調からはまだ余裕があるのが感じられる。日が暮れる前に追いつけそうだな……。


「あ――アレスさ――」


 アメリアが声を上げかける。

 後方上空より舞い降り襲いかかってきた一メートル程の蝙蝠型の魔獣を半ば反射的にメイスで叩き潰す。骨を、肉を破壊する独特の手応え。地面に潰れ絶命したそれをぐりぐりと靴底で踏み潰し、短く息を吐く。


 気配を潜めているせいか、本来寄ってこない雑魚が寄ってくる。この手の魔物は個々の特性にもよるが、基本的には自分より上の存在には襲いかかってこないものだ。今回現れたという悪魔の特性が不明である以上、気配を潜めるのは仕方ない事とは言え、弱い者いじめでもしているようであまり気分が良くない。魔物を殺した事で存在力が極々僅かに流入してくるが、今更何の足しにもなりはしない。


 アメリアの方を振り向く。


「何か言ったか?」


「……いえ……何でもありません」


「でかい気配はあるか?」


 俺の問いに、アメリアが目を瞑り、魔法を行使する。探知の魔法を扱えない俺にはどのように知覚しているのか、出来るのかは分からないが、グレイシャル・プラントに匹敵する気配はこの森ではそうそうないはずだ。

 やがて、アメリアは瞼をゆっくりと開いて小さく首を横に振った。


「……森の奥の方には何体かいますが、それがターゲットかまでは……」


「悪魔の気配は?」


「ないですね……闇の眷属の気配ならばわかるはずです」


 ヴェールの森の最奥にはグレイシャル・プラントを始めとした亜竜クラスがゴロゴロしていると言われている。もともとこの森に生息していた魔物なのか判断が付かない。


 少し考えてみたが、とりあえずは藤堂の追跡を優先する事にした。さすがに森の奥には行かないだろう。今の藤堂には命がいくらあっても足りない。いくらあっても足りない。行くなよ。絶対行くなよ。クソがッ!


「対象が闇の眷属でない可能性も低くない。魔王の配下には知られているだけでも何人かその手の者がいたはずだ」


「森の奥でもともと生息していた魔物がグレシャのように偶然進化してグレシャたちを追い立てた可能性は?」


「……ないとは言えないな。さすがにもともと生息していた魔物に追い出されたのならばグレシャもそう言ってくると思うが……」


 偶然。ただの偶然。とても巡りあわせの悪い偶然である可能性もある。俺としてはそれを祈るばかりだが、行動しないわけにもいかないし、今議論しても仕方がない。


 邪魔するものを粉砕しつつ森の中を進む。時には地図を確認し、時にはアメリアに藤堂の位置を確認してもらいながら。幸いな事に、魔物こそ何体も現れたものの、この地の適性の魔物であり、障害とはならなかった。


 藤堂の気配探知の能力はまだまだ低い。藤堂一行から一キロ程先を歩く事にした。この距離ならばアメリアの力を借りなくとも、大まかな気配は察知できる。

 久しぶりの行軍で疲労しているのか、藤堂たちの進行速度は少しずつ鈍くなっている。時たま十数分程度の休憩も入れているようだ。


 人間は男性の方が身体能力が優れており、女性は魔術的素養に秀でる傾向にある。近接戦闘職であるアリアや男である藤堂はともかく、魔導師であるリミスの体力はかなり低い。神聖術ホーリー・プレイで疲労を飛ばしてやらなくては限界はすぐにやってくるだろう。レベルさえあればある程度カバー出来るが、リミスのレベルは17、彼らのパーティでは最弱である。


 藤堂たちの動きが再び止まり、俺たちもそれに合わせるように立ち止まる。

 アメリアが僅かに荒くなった息を整えながら、背を木に預けた。


「……鈍ってますね」


「仕方のない事だ。戦闘に参加せずとも、歩き続ければ疲労はする」


 お嬢様だとかそういう話ではなく、これは全てのハンターが経験する事だ。

 逆に慣れていないはずなのに弱音一つ吐かずに何時間も森を歩けるアメリアの方がかなり稀有であると言えるだろう。


 水筒を放ると、アメリアは慌てながらも上手にそれをキャッチした。

 キャップを外しながら、アメリアが憮然とした様子で俺を見る。


「……アレスさんは、疲労は?」


「俺の身体は頑丈だし、慣れてる」


 といっても、疲れないわけではない。疲労を我慢できるだけだ。

 だが、この程度ならば特に問題ない。


 疲労が頂点に達したのか、藤堂たちが動く気配はない。

 腰に下げていた袋から森の地図マップを開く。藤堂たちの進行方向、この先に水場がある。間もなく日も暮れる。夜間行軍をしないのならばそこでキャンプを張る可能性が高いだろう。今から森を出る可能性もなくはないが、疲労を考えるとあまり良い手ではないのは彼らもわかっているはずだ。


 できればグレゴリオが突入してくる前に引き上げたいものだが……。


「グレシャからの情報は?」


「……お腹が減っているようでして……」


 アメリアに尋ねるが、返ってくる回答は先程から全く変わらない。


 使えねえ奴だ。後でもう一度説得する必要がありそうだな。


 


§§§




 果たして、藤堂たちはキャンプを取る事にしたらしい。


 藤堂たちが止まったのを待って、俺たちも寝床を定める。藤堂のキャンプ地から一キロちょっと離れたやや開けた場所。魔法の馬車を使えばいい藤堂たちとは異なり、こちらは手間を掛けてキャンプを張らねばならない。雨が降っているのならばテントを張ったほうがいいが、幸いな事に天候は良好だし、地面で寝ても問題ないだろう。


 獲物を狩るためか、藤堂とアリアが森の中に入る気配がする。

 リミスとグレシャだけ野営地に残された。結界もまだ張っていられていない、不用心な事だ。


 俺は、無言でリュックから聖水を一瓶取り出し、地面にぶちまけ、藤堂たちのキャンプ地まで範囲に入るよう調整して結界を張った。本来ならば自分たちでやらせるべきだが、状況が状況だ。いざという時のため、無駄に体力を消費させるわけにはいかない。


 俺の役割は藤堂たちの魔王討伐を――サポートする事なのだから。


 地面に落ちた枝葉や石の類を避けていたアメリアの方を向く。


「夜間の見張りは俺がやる」


「え……いや――」


 反論しようと口を開きかけるアメリアに強く言う。

 慈悲をかけているわけではない。これは適材適所だ。俺はなるべく効率的にコストを減らし多くの成果を得る必要がある。


「心配は不要だ。一晩や二晩寝なくても問題はない。アメリアには明日も探査魔法を使ってもらう。今日は休むといい」


「……」


「この距離ならば俺でも状況が手に取るようにわかるし、アメリアが見張りをやるとなると夜間にも魔法を使う事になる。いざという時に使えないと困るんだ、こっちは」


 魔力の回復は活動時より休眠時の方が遥かに大きいし、神聖術に魔力を回復させるものがない以上、無駄に使わせるわけにはいかない。

 アメリアの目をじっと見る。平静を装っては居るが、その容貌にはいつもと比較して明らかに疲労が見えていた。


 レベル55。レベルは大きな指標ではあるが、それ以外の要素がないわけではない。経験が全く力にならないわけではない。彼女は俺の要求に十分に答えてはいるが、百戦錬磨の魔物狩りハンターと比較するとまだまだ脆いのだ。


 その事実を、自らの状態を正しく理解しているのだろう。アメリアが諦めたように頷いた。


「……分かりました。……途中で何かあったら起こしてください」


「ああ」


 言われなくても、その時が来たら容赦するつもりはない。


 野営の準備が終わるのとほぼ同時に日が沈んだ。森の中が濃い闇に包まれ、魔物の気配が活発になる。

 なるべく証拠は残さない方がいい。ビスケット状の携帯食料で飢えを満たす。結界を張ったため、付近に魔物の気配はない。少しでも藤堂たちとアメリアが体力を回復出来ればいいのだが……。


 森の中は確かにいつもとは異なっていたが、今の所、大きな異常は見られない。


 先ほどまで起きていたアメリアが樹を背もたれに目をつぶり、うつらうつら船を漕いでいる。油断はできないが藤堂たちも夜に野営の場を離れる事はないだろう。


 結局、今日は何も起こらなかったな……固くなった腕、足の筋を伸ばし、ほぐしている所――俺の感覚に大きな気配が引っかかった。


 顔を上げ、樹々の向こう、闇の中をじっと見つめる。感覚を集中する。五感を研ぎ澄ます。

 いる。見えないが間違いなくいる。肌を撫でる魔物の気配に、唇を舐める。


 眉を顰め、ゆっくりと立ち上がる。闇の眷属の気配ではない。だが、この辺りに出現するような小物の気配でもない。耳を澄ますが、鳴き声の類は聞こえない。ただ、夜の帳が降り、ざわつき始めた森の中が少しだけ静かになっている。


 距離はまだ遠い。俺の探知領域のぎりぎりだ。この距離では何の魔物が現れたのか、種類も何もわからない。ただ、その気配がやってきたのは幸いな事に森の奥からだった。俺よりも先に藤堂たちが遭遇する事はないだろう。


 座ったまま静かに眠りに入っているアメリアを見る。

 先ほどのアメリアの言葉を思い出す。詳細はわからないが、敵の気配は予想よりも小さい。一人でも殺せるはずだ。


 なるべく声を潜め、アメリアを起こす。


「アメリア」


「……ん……」


 僅かにどこか艶めかしい声をあげると、一度身じろぎしてアメリアが半分瞼を開いた。

 一人で殺せる。殺せるが、アメリアの仕事は俺のサポートである。可哀想だが、万が一を考えると寝かしておくわけにはいかない。


「大物が出た。今から討伐する。通信を繋げ。状況は適宜報告する」


「……ッぁ!? ……はい。わかりました」


 闇の眷属ではない。退魔術エクソシズムは通じない。これが目的の者かわからないが、ヘリオス一人に任せていたら苦労していた事だろう。尤も、俺にとってみればどちらにしても同じ事だ。

 眠りから覚醒したアメリアがふらふらと立ち上がりかける。それを手の平で止める。


「アメリアは来なくていい。いざという時に備えてここで待機だ」


「え……?」


「俺一人で十分だ。これは上司としての命令だ。アメリアの役割は他にある。わかるな?」


 もしも万が一、俺が負けた場合、彼女には藤堂たちに状況を知らせ何としてでも逃がすという役目がある。逃走が成功する確率は高くないが……。

 俺の言葉に、アメリアが眉根を歪め、僅かに震える声で聞く。


「私は足手まといですか?」


「違うな。これはただの役割の差異だ。アメリアが探し、俺が殴る。それがアメリアのすべきサポートだ」


 即答する。

 相手が退魔術の効く相手ならば戦わせてみるのも悪くないが、今現れた魔物が相手ではかなり分が悪いだろう。


 俺の断言に、アメリアが唇を噛んだ。


「私も……戦えます」


「……」


 戦えるかどうかではない。戦う必要がないのだ。彼女の力が必要だったら、俺は彼女の力を躊躇わず借りる。

 どう説得していいものか。アメリアの表情を眺めながら考えていると、


「……が、今回はアレスさんの命令に従います。私はアレスさんに迷惑をかけるために来たわけではないので」


「……助かる」


 なら初めからそう言えよ、という言葉を飲み込んだ。彼女の性格には慣れるしかない。


 一直線で近づいてきているわけではないが、気配は少しずつこちらに近づいてきている。まるで辺りの気配を窺うように慎重な歩み。音はない。気配も薄い。風上にいるせいで匂いもしない。メイスを持ち上げ、数多の獣を貫いた棘を撫でる。戦闘の気配。それだけで腕に力が漲ってくる。


 アメリアが不意に背伸びをして、手の平で俺の頭に触れた。手の平が強く発光し、闇をしばし切り裂く。


 神聖術ホーリー・プレイ。中級の――第三階位の補助バフが掛けられる。身体能力が大きく上昇するのを感じる。


「神力は節約した方がよろしいかと」


「……ああ」


 すぐに身体を離し、そう嘯くアメリア。

 できれば、藤堂たちに何かあった時のために取っておいて貰ったほうが良かったが、好意にそう返すのも野暮だろうか。


 リュックは置いていく。そう長くはかからないだろう。


「じゃあ行ってくる。通話は繋いだままにしてくれ。適宜状況を報告する。問題は?」


「当然、ありません」


「藤堂に何かあったら知らせてくれ。問題は?」


「勿論、ありません」


 魔力は回復したか。

 顔色も休憩前よりは良くなっている。まぁ、仮に途中で通信が途切れた所で俺が問題なく殲滅すればいいだけの話だ。


 メイスを軽く二、三度振り、加減を確かめる。疲労はない。気分も悪くない。例え相手が魔族だったとしても十分戦えるだろう。加減を確かめる俺に、アメリアが頬を少し緩め、まるで冗談でも言うかのように聞いた。


「無理そうだったら逃げ帰ってきて下さい。アレスさんに死なれると私が困ります。問題は?」


「……ない」


 問題ない。俺が負けるわけがない。

 非戦闘職プリーストか否かなど無関係に、負けるわけがない。数えきれない程戦ってきた。敗北の経験だってある、が、最終的には全てに打ち勝ってきた。


 アメリアは知っているのだろうか。聞いているのだろうか。俺は知っている。気づいている。数多の僧侶プリーストの中から、俺が藤堂のサポートとして選ばれたその理由を。




§§§






 気配はどんどん強くなってくる。

 感覚はこの上なく研ぎ澄まされていた。例え相手が今から気配を隠したとしても、俺には手に取るようにわかっただろう。

 空には雲ひとつなかった。月の光が森を照らしている。薄い光に照らされた森の樹々はまるで影のようだ。




 そのど真ん中にそれはいた。




 まるで太陽のように輝く怪物。

 紅蓮の鬣に濃い橙の身体を持つ獣。その身体はそれ自体が強い光を放ち、その周囲の闇は完全に取り払われ昼間のように明るい。

 全長は二メートル。銀色に輝く鉤爪に牙。その尾には強い炎が燃え盛り、周囲の草に引火して一帯を焦土に変えている。


 それは獅子だった。紅の獅子。


 姿を認めたその瞬間、俺はまるで夢でも見ている気分に陥った。それくらい、それは予想外の魔獣であった。数百メートル先、轟々と燃える炎の匂いが感じられるかのようだ。

 目を二、三度瞬かせ、ゆっくりと深呼吸をする。そして、もう一度それを確認して、深くため息をついた。


 通信が繋がっている事を確認し、仕方なくアメリアに報告する。


「……焔獅子フレイムリオン系の一種だった」


『……え?』


 俺だって言いたくて言ってるわけじゃねーよ、こんな事。


 しばしの沈黙の後、アメリアが聞き返してくる。俺だって実際に目の前にしてなかったら、信じられない光景である。


『……今フレイムって言いました? ヴェールの森にそんなの出るんですか?』


「……出るわけないだろ。燃えてるんだぞ?」


 そんなのが生息していたら、森なんてあっという間に丸焼けになってしまう。

 こういうのは火口付近とかに生息するんだよ。


 見たこともあるし、戦った事もある。

 特殊能力を有する魔獣は総じて討伐適性レベルが高い。焔獅子フレイムリオンはその名の通り、炎の力を有する魔獣である。高い身体能力と凶暴性、知恵に炎。適性討伐レベルは――65。


 尻から伸びた燃え盛る尾が何気なく樹木に触れ、燃えにくいはずの生木を一瞬で松明に変える。凄まじい煙が空高く登る。


「……誰だ、こんなのをこんな所に連れてきた奴は……」


 ヴェールの森で自然に発生する魔物ではない。

 強い弱いなどとは関係なく、悪夢のような光景に、俺は久しぶりに逃げ出したくなった。

 これなら魔族の方がまだマシだ。



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