第三十三レポート:勇者一行を追跡せよ

 体長はおよそ二メートルと半。滑らかな山吹色の鱗に地面を強く掴むための鉤爪。背には馬に使う倍以上大きな専用の鞍が設置されている。

 馬よりも一回り大きく、一般的な蜥蜴種リザードと比較すると僅かに小さいそれは人間が騎乗用に交配を繰り返した種であった。大きく見開かれた深緑の目がぎょろぎょろと辺りをせわしなく観察しており、喉の奥からはぐるぐるという唸り声が響いている。


 教会の入り口付近に繋がれたその珍しい生き物に、傭兵たちが遠巻きに様子を窺っていた。

 騎乗蜥蜴ランナー・リザードは高級品だ。馬よりも利便性が高いが馬よりも数が少なく値段が高くそして、操作が難しい。


 側で手綱を握り、気性の荒いそれを宥めていたヘリオスに声をかける。


「準備は万端のようだな」


「ここは魔物の多いヴェールの森の近くですから、備えくらいあります。尤も、使うのは初めてですが」


 肩を竦め、神父がいつもと同じ薄い笑みを浮かべる。


 準備は事前にされていたのだろうが、予定よりも遥かに早い要請に答えてくれたヘリオスには頭が上がらない。

 リザードがこちらに気づき、大きく身体を左右に震わせる。まるで威嚇でもするかのように高く唸り声をあげる。他の蜥蜴種と比べれば懐きやすいが、馬と比べたら人に懐きづらい。それもこの生き物が一般にあまり流通されていない理由であった。乗りこなすには日頃から世話をして慣らすのが推奨とされる。


「リザードの騎乗経験は?」


「ある。問題ない」


 ヘリオスの手から手綱を受け取る。だがしかし、本来は慣らさなくてはならないが、レベルが高ければ話は別だ。


 手綱を受け取った瞬間、リザードが大きく嘶いた。こちらを遠巻きに見守っていたギャラリーがぎょっとしたように一歩後退る。

 が、俺が何も言わずとも、すぐにリザードは大人しくその場で伏せをした。


 ランナー・リザードは人に慣れにくいが、上位者に忠実だ。大体レベルが60もあれば初対面のリザードでも言うことを聞くとされている。

 ヘリオスが感嘆するかのようにため息をついた。


「……お見事です」


「ただのレベル差だ」


 レベルさえ上げれば誰だって出来る事だ。複数の加護を持つ藤堂ならばもっと低レベルでも操れるようになるだろう。尤も、疲れ知らずの魔法の馬車に勝る移動手段などそうは存在しないはずだが……。

 大人しくなったリザードにアメリアが荷物を載せていく。頑強とはいえ、人二人に追加で荷物を載せるのだ。リザードの体力は無限ではないのでそれほど量はない。


「連絡はアメリアの方から随時入れる」


「承知しました。……本来、来るはずの異端殲滅官の方は?」


「不要になるかもしれないが、今後の方針は勇者の動向を観察して決める。予定通り三日後……いや、もう二日、か。二日後に到着するはずだ。それまでにはどうするのか決められるだろう」


 もしも藤堂がすぐに森から離れるようならば、こちらも悪魔には手を付けずにそれを追跡するつもりだ。俺たちにとってヴェールの森の異常解決の優先度は高くない。


 リザードの頭、冷ややかな鱗に手の平で触れ、祈りを捧げる。


 補助魔法特有の光がその身を包み込む。筋力、敏捷、耐久の向上。これで少しは差が縮まるはずだ。

 蜥蜴の瞳孔が大きく開く。唸り声が多少大きくなるが、能力が向上しても敵わないと悟ったのか、すぐに再び大人しくなった。


 そう。それでいい。余計な手間をかけさせるな。そんなの、勇者だけで十分だ。


 ヘリオスが僅かに目を見開き、尋ねてくる。


「……このような所で神力を無駄に使用してもよろしいので?」


「ベストは尽くす。これ以上面倒事はごめんだ」


 節約していざという時に間に合わなかったら今までの苦労が水の泡だ。あまり気の進む仕事ではないが、仕事である以上手を抜くつもりはない。

 軽く地を蹴り、鞍にまたがる。視線が高くなる。騎乗蜥蜴の脚力はただでさえ馬よりも強力だ。速度もかなり出すことになる。揺れは相当なものになるだろう。いくらレベルが高くてもそれだけはどうしようもない。


 荷物を積み終えたアメリアの方に手を差し伸べ、注意する。


「完全に酔う前に自分に神聖術を使え。万が一吐きそうになった時は吐く前に言え。降ろす」


「……アレスさんは一体私を何だと思っているんですか……自慢じゃありませんが、私乗り物には強いタイプです」


 お前、酒の時も同じ事を言ったな!?


 アメリアの手を握り、一気に上に引っ張り上げる。


 ちゃんと後ろに座ったのを確認し、最後にヘリオスの方に向き直る。何を話すか迷い、一言だけ言った。


「世話になったな」


「こちらこそ、勉強させて頂きました」


 ヘリオスが仰々しい動作で礼をする。

 問題を起こしそうな奴が問題を起こさず、起こしそうにない奴が起こす。初対面時は随分癖のある男だと思ったが、蓋を開けてみればこの通りだ。人間、なかなかどうして見た目には寄らないものである。


「アズ・グリードの加護があらん事を」


「……ああ」


 と言っても、アズ・グリードの加護を持つ藤堂があれなのだ。もはや信仰もへったくれもあったもんじゃない。

 脳裏に浮かびかけた考えをため息で打ち消し、俺は手綱を引いた。




§§§





 ヴェールの村から森までは草原が広がっている。

 準備してもらったランナー・リザードは健脚だった。

 大地を穿つ音と凄まじい揺れ。代わり映えのしない景色が凄まじい勢いで流れていき、風が強く身体を打つ。


 蜥蜴に乗るのは初めてだろうに、アメリアはしっかりと俺の体を掴み、悲鳴一つあげない。俺が影になっているとは言え、大した根性である。


「アメリア、奴らが今何処にいるのかわかるか?」


「……はい。森の、本道を、歩いている……ようです」


 つっかえつっかえ出される声。


 ……こいつ、本当に大丈夫か?


 酔っ払った時も思ったのだが、アメリアはどこか大言を吐くことがあるようだ。通話越しにやり取りしていた時はいつも冷静で完全無欠な印象だったが実態は違うらしい。言動には注意を払う必要があるかもしれない。


 やばそうだったので、無言で神聖術をかけた。こういう時に、自分がプリーストでよかったと思うのだ。

 体力、状態異常の回復ができればいくらでも動けるし動かせる。


 アメリアがゆっくりと身を起こす気配がする。

 まるで言い訳するように言った。


「……嘘ではないんです。酒に強いのも乗り物に強いのも」


「そうか」


「ただ……ちょっとこれは予想外というか……内蔵が毎秒毎秒かき回されているような……」


 上下の動きが凄まじいからな……俺にも経験がある事である。別に責めるつもりもない。

 黙っていると、俺の言いたい事を察したのかゆっくりと言葉を出し始める。まるで空気中に波紋が発せられたかのような奇妙な気配が脳髄を揺らす。近くで探知系の魔法が行使された際に感じられる独特の気配だ。


「……ヴェールの森本道のちょうど半分くらいの地点です。特に戦闘の気配などはありません」


「グレシャと会話出来るか?」


「……この速度で移動しながらでは無理です。通話には通話相手の居場所の探知と通信の二工程が必要とされますが、この速度では相手の居場所を確定出来ません」


 通信魔法は発展途上の魔法だと聞いたことがある。制約があるのも致し方無い。

 魔力は有限だ。問題なさそうであるならば節約させた方がいい、か。


 しかし、逆に言うのならば探知魔法の使い手が二人いれば交互に休ませ常時使わせる事も出来るかもしれない。ステファンの派遣を申請したのは間違いなかった。

 言葉を選び口を開く。


「グレシャが追い出されたのは夜だ。そもそも、魔族も夜行性が多い。昼間に遭遇する可能性は低いだろう」


「……まるで自分に言い聞かせているかのように聞こえます」


 変な所で鋭い女だ。


「気休めだが、そう思っているのは本当だ。だが、最終的には藤堂の運にかかってくるな」


 何時どこで何をやってもおかしくない。何を引いてもおかしくない。

 全体的に何をしでかすかわからない男だ。確率は低いが魔族と遭遇する可能性だってある。そもそも、歴史書に残る英雄は皆すべからくそういう運命力とでも呼べる力を持っているものだ。厄介なことこの上ない話である。


「最悪、藤堂さえ生きていればリカバリは可能だ。グレシャはともかく、リミスもアリアも言葉だけならば奴を守るつもりのようだった。レベルは低いが囮くらいにはなるだろう」


「抗議が来るのでは?」


 それこそ知った事ではない。俺は表向き既に追い出されているのだ。


 村からヴェールの森まではそれほど距離がなかったこともあり、リザードを駆る事一時間弱、森の入り口が見えてきた。


 いつもは傭兵のグループが何個かいてもおかしくなかったが、入り口の周囲には誰もいなかった。

 街の出入りを一時封鎖するという話と森を閉鎖するという話は、藤堂たちを次の街へ向かわせるためのブラフだったが、危険な魔物が出現するという話は既に傭兵たちに通達されている。彼らはリスクに敏感だ。いや、敏感でなければその業界では生き残れない。彼らが求めているのは冒険ではなく地位と名誉である。よほどの理由がなければ未知の危険に挑もうとはしないだろう。


 本道はそれなりに広いが、ランナー・リザードでは樹々の生い茂る中、入ってはいけない。藤堂たちも徒歩のはずだ。途中で放棄するくらいならば、森の外に置いていった方がいい。


 ふらつくアメリアを下ろし、ランナー・リザードを入り口のすぐ隣までついていく。紐でつなぎ留めたりはしない。馬ならばともかく、リザードの筋力ならば魔法の鎖でもなければ引きちぎられてしまう。力を込めて命令する。


「待て」


 瞳孔が狭まる。数秒後、落ち着いたようにリザードがその場で伏せた。賢くプライドが高い。首筋をぽんぽんと叩いてやる。


「荷物はどうします?」


「持っていく」


 この森の浅層に生息する魔物くらいならばランナーリザードに勝てる者はいないはずだが、気まぐれな傭兵たちが通るかもしれない。盗まれたら事である。そういう所で傭兵を信頼してはいけない。嵩張るがやむを得ない。戦闘の時だけ下ろせばいいのだ。

 アメリアが下ろし、背負おうとした一番大きく重いリュックを取り上げ、背負う。食料から野営の道具。戦闘に扱う武具など全部含めると相応の重量はあるが問題はなかった。藤堂に与えられた収納の魔導具が欲しいが、あれはとんでもない貴重品だ。教会のバックアップを受けても手に入らなかった


 リュックを取り上げられたアメリアがむっとしたように言う。


「私でも持てます」


「森を歩いた経験は?」


「……ありません。この間、藤堂さんに付いて歩いたのが初めてです」


「55までどこでレベルを上げた?」


地下墓地カタコンベのアンデッドです」


 屋内と屋外では勝手が違う。俺は慣れている。慣れているのだ。この程度、大した負担ではない。

 俺にとって最も困るのは途中で倒れられた時である。すぐに使える聖水の類などが入った小さなリュックを指す。


「そっちを持ってくれ」


「……敏捷性が損なわれるのでは?」


「俺に必要なのは敏捷性じゃなくて耐久と筋力だ」


「アレスさんは少々過保護かと思います」


「そんなに背負いたいなら余裕のある時に背負わせてやるよ」


 過保護ではない。優しさでもない。ただの効率の話だ。

 アメリアは諦めたように俺の刺したリュックを手にとった。役に立ちたいという気持ちはありがたいが、人には適性があるのである。


「代わりに定期的に居場所を教えてくれ。その分神経を割かなくて棲む。できれば常に先回りするように動きたい」


「わかりました」


 アメリアが頷くのを確認し、視線を背け森の入口に向ける。

 時計を確認する。まだ日が沈むまでは時間があるが出来るならばそれまでに状況を解決したい。無理か。



§§§



 藤堂たちの居場所がわかるのは大きなメリットだった。アメリアの探知魔法は数十キロ離れた場所からでも藤堂たちの居場所をはっきりと捉える事ができた。


 時々探知魔法を使って藤堂たちの居場所を確認しながら、森の中を早足で進んでいく。今の所藤堂たちは整備された道を進んでいるらしい。

 道なりに出てくる魔物は少ない。レベルを上げに来たのならば道を外れ、森の中に入っていかなくてはおかしい。嫌な予感がする。


 眉を顰め、思考を巡らせながら、現れた|樹木の悪精バッド・トレントに強く握りしめたメイスを叩き込む。本気を出すまでもない。俺がまだ齢十の頃でも倒せた魔物である。風のざわめきにも似た悲鳴を上げると、枯木に似たその身体は吹き飛び、ただの命の宿らぬ木切れとなった。習慣で二度三度メイスを振り、手応えを確認する。


「……プリーストとは思えぬ手際ですね」


「アメリアでもこの程度の魔物には遅れは取らないだろう。レベル55ともなると、この程度の魔物ではいくら倒してもレベルは上がらないだろうが」


 言い方は悪いが殺しは俺の専門である。長くレベルを上げてきた。異端を殲滅してきた。僧侶の中には殺しに慣れていない者も少なくないし、中には退魔術が効く不死種アンデッド系の魔物しか倒せない者もいるが俺は違う。

 

 魔獣ビーストだろうが不死種アンデッドだろうが悪魔デーモンだろうが邪精レイスだろうが、ドラゴンだろうが――例え人間だろうが、相手をするのに躊躇いはない。いや、そういう者しかクルセイダーにはなれないのだ。



 慣れれば探知魔法を使われた際、その気配を感じ取る事もできるが、藤堂たちではまだ無理なのだろう。勇者一行の反応に異変はない。相手も早足とは言え、こちらは明確な尾行である。魔物が現れた際の戦闘にかかる時間の差異もあり、少しずつ距離は縮まっていった。


 違和感に気づいたのは森に入って十回目の戦闘が終わったその時だった。

 下位の魔狼ハード・ウルフをメイスで撲殺し、メイスについた血を払うと、軽く腕の筋を伸ばす。後ろについてきたアメリアに振り向いた。


「……魔物が多すぎるな」


「魔物、ですか?」


「入ってから既に戦闘は十度目だ。本道を歩いているのにこの数はおかしい」


 魔物避けの対策が完璧になされているわけではないが、狩人ハンターの頻繁に通る人工的に作られた道は魔物に嫌われている。

 今の所、深層の魔物は現れていないが、もしかしたらグレイシャル・プラントと同様の他の魔物も縄張りを追いやられている可能性がある。


 瞼を軽く閉じると精神を集中し、感覚を研ぎ澄ませる。闇の眷属の気配は――ない。


 唇を舐める。偶然か? 確かに、偶然何度も戦闘が発生している可能性もなくはないが、万一の事を考えるべきだ。

 そろそろ藤堂たちの進行方向を先回りした方が良いかもしれない。万が一、悪魔が現れたとしても俺が相手を出来る。


「道を逸れる。先回りするぞ」


「はい」


「進行速度をあげる。疲労は?」


「大丈夫です」


 どこまで本当なのか……いや、信じよう。信じるしかない。レベル55ならばまだ大丈夫なはずだ。

 彼女は自分からついてきたいと言ったのだ。先ほどアメリアは俺に過保護すぎると言ったが、遠慮は不要か。


 アメリアも馬鹿ではあるまい。無理ならば無理というはずだ。

 最悪倒れたら背負って行けば良い。


「探知を展開しながら歩けるか?」


「……はい」


「限界時間は?」


「……一時間くらいなら問題なく。魔力の回復薬マナ・ポーションも持ってきているのでそれを使えばもう少し持ちます」


 一時間か……短いな。

 魔力の枯渇は意識の喪失を意味する。通話も必要となる可能性があるし、常時展開は現実的ではない、か。


「なら、常時展開はいい。定期的に大物がいないか確認してくれ」


「わかりました」


 アメリアからの了承を得て、道から一歩外れる。その時、ふと一つ思いついた。ヴェールの森に生い茂るのは樹齢の高い太い木が多い。

 ダメ元でアメリアに尋ねる。


「地面を歩くより木の上を飛び回った方が速度を出せる。可能か?」


「……アレスさんは私を何だと思っているんですか?」


 やはり無理か……。

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