シスターのお仕事

「……また無理やりいきましたね」


 アメリアは一人、戸惑う勇者一行の光景を見てため息をついた。


 場所は村長の屋敷の裏。

 それほど細い道というわけではないが、大通りから離れているので他に人はいない。屋敷をぐるっと囲む石塀に背中をピタリとつけ、術式を行使する。


 瞳を閉じ、じっとその体内で魔力を循環させる。脳内にははっきりと十数メートル離れた勇者たちの様子が映しだされていた。


 レベルによる五感の強化などではない、研鑽された魔導による奇跡。アメリアの眼にはすぐ一メートル先にいるかのように藤堂たちの様子が見え、その声が聞こえた。相手のレベルが高ければ第六感で見られている事がバレる可能性もあるが、藤堂たちが監視に気づいた様子はない。


 白魔導師ホーリー・キャスター


 教会が極少数有するその人材、その名は決して特定種類の魔導師を意味しない。白魔導師とは何らかの魔導を有する僧侶プリーストを指す言葉であり、魔導師に様々な種類が存在する以上、一口に白魔導師と言っても出来ることが違う。


 中でも、交換手の地位につくものが身に付ける魔導は探査に長けた魔導だった。

 通信する対象を見つけるための探査魔法。対象に声を届けるための念話を含めた魔法群――俗に灰魔術と呼ばれる魔術は諜報に長け、そして希少だ。

 千里を見通す眼はあらゆる分野で重用される。


 アメリアは、屋敷の前で展開されたその光景に眉目を微塵も動かさず、しかし大きくため息をついた。


 ……いくらなんでも不自然だと思うのですが。


 村長から告げられる次のレベルアップポイントに、明らかに事情を知りすぎているその態度。

 追い立てられるように告げられた言葉に、突然それに同意を示し始めるグレシャ。どう考えても怪しい、怪しすぎるし強引すぎる。


『ああ、大丈夫だ。村長の説得もしておいた。誘導は完璧だ』


 きっぱりと言い切ったアレスの表情を思い出し、アメリアは自身の肩から力が抜けるのを感じていた。


 藤堂とアリアが不審そうな表情で会話を交わしている。これからどうするのか。本当に次の街に進んで良いのか。悪魔が討伐されるまで待つべきではないのか? 十日あまりで貴重なプリーストを追い出した勇者は、愚かではあったが馬鹿ではない。


 アレスは今頃、ゴーレム・バレーの近くに建てられた中規模都市に向かう準備を進めているはずだ。だが、それも勇者の今後の動向次第では無駄になる可能性もある。


 藤堂はこの世界の常識を知らないし、アリアとリミスもまた一般庶民の出ではない。グレシャに至っては逆に何を知っているのか、というレベルである。

 アレスの思惑が尽く外れ、次から次へとトラブルが発生しているのはパーティ内に藤堂を止められる常識人がいないという点も大きいだろう。もしプロの傭兵が一人でもパーティにいたのであれば、プリーストを追いだそうなんて話にはならなかったはずだ。


 取り敢えず結論は後から決める事にしたらしく、宿に向かっていく藤堂を確認して、アメリアは遠視を打ち切った。じわじわと消費されていた魔力が止まり、小さく吐息を漏らす。


 さすがに次の街として大墳墓の方に向かう事はないだろう、その危険性は既にアレスから村長を通じて藤堂たちに伝えられている。

 軽く伸びをすると、アメリアはアレスの待機する教会の方に足を向けた。



§§§




「ほほう、悪魔退治、ですか……」


「ああ。人に酷似した姿の悪魔で闇系の攻撃魔法を自由自在に操るらしい。最低でも中位以上の悪魔だと考えられる」


 銀髪碧眼、非常に目つきの悪い青年が真剣な表情で続ける。それに対して、多くのプリーストが愛用する紺色の法衣を着た長身の男――ヘリオス・エンデルがにやりと唇を歪ませた。


 場所は教会の奥の一室。

 話題が話題なので、アレスとヘリオスを除いて他の者はいない。


 アメリアが部屋に入ると、二人はちらりとアメリアの方に視線を向けたが、すぐに視線を戻して会話を再開する。


 邪魔をしないよう片隅でそれらを見守りながら、アメリアはまるで違法な取引現場にいるかのような気分を味わっていた。


 事務的な口調で情報を告げる凶相のプリースト。それに対して歪んだ笑みで相槌を打つ神父。

 少なくとも一般人がこの光景を見てプリーストを連想する事はないだろう。人相が悪すぎるのだ。


「既存の結界の内側に新たに結界を張った。その場しのぎだが、一月は持つはずだ。中位の悪魔ならば立ち入りを禁止できるし、上位でもその力を大きく削げる」


「ほう……結界術にも通じているのですね」


「通じているという程ではない。その場しのぎだ」


 一月とはいえ、上位悪魔の力を削げる結界術をその場しのぎなどといいません……。

 少なくともハイプリーストであるアメリアでも無理である。


 口を挟もうとしたが、アレスの表情がそれが本心である事を語っていたのでやめる。


 教会の持つ戦力の中で、最も苛烈で最も倫理から外れ、そして最も人数の少ない戦士、異端殲滅官クルセイダー


 その攻撃性能は同じ攻撃型のプリーストである悪魔殺しエクソシストを遥かに超える。力を削ぐのは本来のクルセイダーの役割ではない。クルセイダーの役割は事ではなく、事であり、その行動方針は教会の教義から大きくズレる。

 退魔術が使えない亜竜を相手にしてすら圧倒するその力が本来の教会の敵たる闇の眷属に向けられた時どれ程のものになるのか、アメリアは少し想像して顔を顰めた。


 それは、今回与えられた仕事の本分ではない。


 そんなアメリアを他所に、アレスが続ける。


「本来ならば勇者に経験を積ませたい所だが、今のレベルではまず勝てないだろう。クルセイダーの出動を要請した。ヘリオス、あんたにはそいつのサポートを頼みたい」


「クルセイダーの出動ですか……それはそれは……」


 その言葉に、ヘリオスが初めてその爛々と輝く瞳を歪める。

 足運びに身体の運び、呼吸に会話、手の動き、それらの佇まいは常に何かを警戒しているように隙がない。それらは間違いのない戦闘に携わる者のものだ。

 アメリアは、アレスがヘリオスの事を悪魔殺しに類する者と予想していた事を思い出した。


 感情の機微を感じ取ったのか、まるで言い訳でもするかのようにアレスが言う。


「勘違いするな、あんたの実力を疑っているわけじゃない。だが、今回の敵は不確定要素が大きすぎる。グレシャの言葉も果たしてどこまで真実なのか怪しい所だ。魔王の手先は闇に属する者だけではない。俺は、今回現れた相手が『悪魔』でない可能性もあると考えている」


「……なるほど」


 人型を取るのは決して悪魔だけではない。魔王クラノスの配下に強力な亜人や精霊などがいるのは有名な話だ。森の深奥部でずっと暮らしていたグレシャに闇の眷属とそれ以外の差がわかるとは思えない。

 僧侶の戦闘性能は対悪魔やアンデッドに特化している。もしも今回の敵が仮に悪魔ではなく、その他の種族だったならば、面倒な事になるだろう。


「貴重なハイプリーストを万が一にも失うわけにはいかない。端的に聞くが、ヘリオス、あんた、相手が悪魔やアンデッドじゃなくても勝てる自信はあるか?」


「……」


 悪魔殺しの役割は退魔術エクソシズムによる悪魔やアンデッドの浄化。それ以外は専門外だ。

 ヘリオスの視線が、アレスの嵌める黒の指輪、クルセイダーの証に注がれる。アレスは強い視線で断言した。


「俺は勝てる。勝てる自信がある。それは、今回俺が呼んだクルセイダーも同じだ。わかるな?」


 ヘリオスの身体とて、鍛えられていないわけではない。だが、アメリアの眼から見ても、二人の力には大きな差異があった。腕についた筋肉からわかる膂力の差、運動性能の差、他者のレベルを上げる儀式を使える者だけがわかる、両者に存在する存在力の、レベルの差。戦闘も出来るプリーストと生粋の戦闘者の差。

 あの森の中で、殺意を向けられた瞬間に感じた絶対的な生物として格差を思い出し、アメリアは僅かに肩を震わせた。


 目を細め、ヘリオスが身体の前で手の平を組んだ。


「……承知致しました。サポートに徹した方が良さそうですね」


「ああ。助かる」


「ちなみに、いらっしゃるクルセイダーはどのようなお方で?」


 ヘリオスの問いに、アレスがあからさまに表情を崩した。

 苦虫を噛み潰したかのような苦渋の表情。


殲滅鬼マッド・イーターと呼ばれる戦闘狂の男だ。戦闘性能はお墨付きだが、補助魔法や回復魔法の類は一切使えない」 


「……それは本当にプリーストなので?」


「……何でプリーストになったのかわからない男だよ。まぁ、二つ名は物騒だが理性がないわけじゃない。何より奴ならば、悪魔だろうが竜だろうが狼男だろうがなんだろうが気にせずぶっ殺せるだろう。クルセイダーとして適切かどうかは置いておいて、今の状況には適任だ。……何より、他に空きがいなかったしな」


「……なるほど。承知しました」


 アメリアには、最後の一文が本音のように聞こえたが、ヘリオスは何も言わずに僅かに頭を下げた。


 どうやらヘリオスさん、見た目ほど尖っているわけじゃないみたいですね。


 半ば感心しつつ、アメリアはその様子を眺め小さく頷いた。

 勇者一行を見ていると、思った通りに動いてくれるだけで素晴らしい人のように思える。




§§§




 太陽はすっかり沈み、窓からは極僅かな月光のみが差し込んでいた。窓ガラスには無表情なアメリア自身の表情が映っている。

 通信を切り、椅子に座ってナイフを始めとした武装の整備をしているアレスの方を見る。


 アレスの説得によりグレシャに協力を取り付ける事ができたが、報告手段としての通信魔法はアメリアにしか使えない。グレシャからは発信できないので、日に三回、アメリアの方から通信を繋いで状況を報告してもらう手はずになっていた。

 たった今、受け取ったばかりの情報を報告する。


「アレスさん、定期報告です。グレシャと通信が完了しました。どうやら、ゴーレム・バレーに向かうことに決めたようです」


 違和感は残っているようだが、リミスが同意していたのが良かったのだろう。

 あんなに強引な展開なのに……グレシャと一緒に手放しでゴーレム・バレーを復唱していたリミスの姿を思い出し、アメリアは首を僅かに振った。


 リミスからはダメな匂いがする。


「そうか。わかった。日程は?」


「明日の朝には出ると」


 夜に活発化する魔物は多い。勇者一行の決定は概ね想定通りだ。

 ナイフを一本一本丁寧に鞘にしまい、アレスが深くため息をつく。


「わかった。どうやら、うまく行きそうだな」


「そうですね……あまりに強引な方法だったのでどうなるかと思いましたが」


 どこか責めるような色が出てしまったのは否めなかったが、アレスはそれを気にする様子もなく大きく背伸びをした。


「もう深く考えるのはやめだ。考えてもうまくいかない時はうまくいかない、うまくいく時はうまくいく」


 確かに、グレイシャル・プラントの人化は酷かった。何の前触れもない予想外中の予想外。目の前でそれが発生したアメリアからしても、悪夢でも見ているかのような気分だったのだ。一晩かけて苦労して準備したにも拘らずあの結末になったアレスの心中、慮るばかりである。


「……アレスさん、まさか開き直ってます?」


「開き直ってるように見えるか?」


 僅かに唇の端を持ち上げ、皮肉げな笑みを浮かべ聞き返してくる凄腕クルセイダー。開き直っているようにしか見えなかったが、アメリアはそれを指摘するのをやめた。

 それで僅かでも負担が減るのならばそれでいい。ここ一月近く動きっぱなしだったのだ。そのくらいは許されて然るべきだろう。


「……まぁ、ひとまずは一段落という所ですか?」


「そうだな。まぁ、明日までの僅かな時間だが」


 軽く腕を伸ばし、答えるアレスの声色にしかし、リラックスした雰囲気はない。表情も険しいままだ。尤も、生来そういう目つきなのかもしれないが。


 アメリアとアレスの付き合いは相応に長い。初めて会ったのは五年以上前、交換手としてのやり取りも同程度になるが、こうして顔を合わせる程近くにいた期間はほとんどない。

 アレスはあまり気にしている様子はないが、まだアメリア本人としては、人見知りしている状態だった。通信で会話はしていたとはいえ事務的なものだけだったし、そもそもあまり会話を得意とする人間でもない。


 アレスの後ろ姿をしばらくぼうっと観察し、ふと思いついて食事にでも誘おうかと口を開きかけたその瞬間、アレスがふと呟くのが聞こえた。


「今の藤堂のパーティだと基本的な知識が足りないな……知り合いに偶然を装って接触してもらえば……」


 腕を組み、難しそうな表情でつぶやくと、紙の束を取り出しテーブルの上に広げ始める。


「……あの……アレスさん?」


「ん……ああ……なんだ?」


 視線を紙から外す事なく答えるアレスに、アメリアは若干いつもより上ずった声で尋ねた。


「あの……食事でも行きませんか? 今日何も食べてないでしょう?」


「ん……ああ、行ってきていいぞ。俺はまだやる事がある」


「……それって今日やらなくてはいけない事何ですか?」


「いや?」


 一言だけで答え、しかし手を動かすのは止めない。

 ペンを取り出し、手紙を書き始めるアレスの肩を掴み、アメリアが顔を覗き込む。


「もう一段落したんですよね?」


「ああ、そうだな」


「……あの、食事でも行きませんか? 色々ごたごたありましたし、たまには身体を休めて」


「俺はまだやることがある。アメリアは行ってきて構わないぞ」


「……それって今日やらなくちゃいけない事なんですか?」


「……いや?」


「……」


 顔を動かす事なく答えるアレス。

 アメリアは眉を顰めてしばらく黙っていたが、ふと思いついた事を恐る恐る尋ねた。


「……アレスさんってまさか、仕事中毒ワーカーホリックですか?」


「……いや、そんな事ないが……」


 答えつつも手を止めないアレスの姿に、アメリアはここに派遣される直前にクレイオ枢機卿から言われた言葉を思い出した。



『アメリア、彼は優秀だが放っておくと動き続けるから適度に助けてやって欲しい。なまじ自分で神聖術を使えるから質が悪いんだ』


 ……あれだけ働いてまさかまだ働き足りないんですか?


 アレスの表情、その目元にははっきりと疲労が見える。それはそうだ。ここ数日アメリアの知る限り、アレスが休んだのは森の中で数時間程度。それもこの様子では本当に休んだのか怪しいものだ。

 神聖術では肉体的な疲労は取れても精神的な疲労は取れない。


 アメリアはその瞬間、枢機卿からの言伝の意味を知った。

 アレスの後ろからそっと腕を伸ばし、一気に手で目元を隠す。


「アレスさん!? 仕事ばかりしてないで、休んでください。倒れますよ?」


「……いや、問題ない」


「!?」


 アメリアは目を見開いた。紙にペン先が滑る微かな音。


「……アレスさん?」


 こともあろうに、視界を塞いでいるにも拘らず、アレスの手は止まらない。

 中をそっと覗いてみるが、適当に書いているわけでもない。


 愕然とアレスの後頭部を見つめるアメリアの耳に、ぼそりとアレスが呟いたのが聞こえた。


「視界を閉ざした程度で俺の動きを止められると思ったら間違いだ」


「……そ、そういう問題じゃないですッ!」


 腕を振り上げとっさに書きかけの手紙を奪い取る。中には、知人にたいする手紙か、助力を請う旨が記載されていた。

 憮然とした表情で見上げるアレスに、手紙をばさばささせながらいつもより心持ち高めの声で抗議する。


「アレスさん!? これ、今やる事じゃないんですよね!?」


「ああ。他に優先度の高い仕事があるんだったらそっちを優先してやるが」


 何かあったか? と言わんばかりにこちらを見上げるアレスに、アメリアは冷たい視線を向けた。

 駄目だこの人……放っておいたら動き続ける、枢機卿の言うとおり。ならば助けるの意味もなんとなく理解出来る。


 アメリアは言葉を選び、なるべく平然とした声で言った。


「……実は相談があるんですが」


「相談? ……なんだ?」


「ここじゃ言い難いので、食事でも取りながら……いいですか?」


「……ああ、分かった」


 ようやく立ち上がり準備を始めるアレスを見て、アメリアは聞こえないように小さく吐息を漏らした。



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