第二十八レポート:変な加護は持っているし
一瞬意識が遠くなり、木から落ちそうになって慌てて体勢を立て直す。
まるで悪夢でも見ているかのような気分だった。
思わず目をゴシゴシとこすり、もう一度眼下を見る。
年の頃は十代半ばくらいだろうか。グレイシャル・プラントの体表と同じ色の髪をした少女だ。身体の大きさはリミスと同程度のコンパクトサイズ。整った目鼻立ちに深緑の瞳が強い警戒心を持ってじろじろと目の前の藤堂を見据えている。
どこからどう見ても少女である。少女以外の何物にも見えない。もう一度言おう。そこには、川岸には、先ほどまで竜を拘束していた川岸には、今や竜の姿はなく見知らぬ少女の姿が代わりに一つ。
ふぁっく、まじファックである。死ねばいいのに。
「どういう理屈なんだ……」
あえて口に出して考えてみるが、理解できない。
高位のあやかしの類には、人に化ける者がいるという話は聞いたことがある。人化の術と呼ばれるものが存在する事も知っているが、竜は勿論の事、亜竜が人化するという話は全く聞き覚えがない。
そもそも、何故どうして今このタイミングで人に変わるのだろうか?
奇想天外過ぎてどうしていいのかわからない。この件に関して藤堂を責めるのは酷か? 彼も意図してやった事ではないだろう。いや、意図してこれをやったのならば俺はこの仕事を降りる。もう無理。
幸いなのは、人化したグレイシャル・プラントが亜竜の身体の時と異なり大きく力が制限されている事だろうか。巨大な身体、重量、リーチの長い足に尻尾、硬い鱗、この類は戦闘に置いては間違いなく大きな力である。いかなる摂理か人の身体を得たグレイシャル・プラントにそれはない。その身体から感じる存在の力も大きく削がれている。今の状態ならば藤堂でも何とか押さえつけられるだろう。
藤堂は一瞬戸惑っていたが、すぐに相好を崩し、一糸まとわぬ少女に手を差し出した。彼は勇者だった。俺が彼の立場ならば間違いなくそんな事出来ない。ショックから立ち直る速度も早過ぎる。
俺は一体どうしたらいいのだ……。
俺には時間が必要だった。不確定要素が多すぎて、即座に判断するにはリスクが大きすぎる。
拳を握りしめ固唾を呑んで見守る俺の前で、元亜竜の少女は険しい視線を周囲に向けた。
藤堂が口を開きかける。
「君は――」
「ッ!!」
同時に、少女が大きく動いた。ぺたんとついていた腿が動き、ふらつきながら地面を蹴る。
初速は十分。身体能力も十分高い事は見て取れる。が、状況が悪いし、そもそも彼女はまだ人の体というものに慣れていないようだ。
地面に座り込んだ状態から動くには大きなラグが発生する。姿勢が不安定。地面を蹴る瞬間、僅かにバランスが崩れるのがはっきりわかった。レベルは低くても天性の素質を持つ藤堂にそれが捉えられないわけがない。
「待って。何もしないよ!」
「ッ!?」
逃げようとする少女の腕を易易と捕まえ、藤堂が安心させるように言う。
少女の目が驚愕に歪む。力を入れ逃げようとするが、やはり膂力も大きく落ちているのか、藤堂の身体は動かない。
ようやく状況に追いついたのか、アメリアから通信が来る。
『……どうしますか?』
「……逃げきれていたらこっそり処分出来たんだがな」
一瞬でも藤堂たちの視界から消えていればそれを拐えて処分出来ていた。森の奥に消えて見つからなかったのならば藤堂たちも諦めていただろう。だが、実際に少女は藤堂に捕まってしまった。この状況から挽回は無理だ。
展開が全く予想出来ない。取り敢えずクレイオに苦情もとい相談は必須として、なるように任せるしかない。
まず第一に、あの少女が藤堂に敵対しているのかどうかもわからないのだ。何故人の姿になったのかもわからないのだ。
取り敢えず、様子を見る。何か問題が起きそうだったら強制的に介入しよう。もう影からとか言っている場合じゃない。
予備の外套を着せられる元竜を眺めながら、唇を強く噛んだ。
胃がキリキリと痛み始める。だが、その痛みにも慣れ始めた自分がいた。
やばいなこの仕事……不確定要素を押さえようとすればするほど新たな不確定要素が出てくるなんて。俺は一体どうしたらいいのだ。
答えてくれる者はいない。
§§§
『ほう。亜竜が人に、か』
俺の報告にも、クレイオの声色は微塵も揺るがなかった。藤堂の度胸は言わずもがなだが、こいつのメンタルも大概人を超越している。
場所は宿。熱いシャワーを浴びたら思考は多少冷静になったが、気分はまったく良くならなかった。
アメリアにはまだ理由をつけて藤堂たちについてもらっている。竜少女は最初は多少暴れていたが、人の状態では藤堂にも勝てない事を察したのか今の所まだ大人しくしているらしい。人語は話せるはずがまだ一言も口を聞いていないとの事。警戒しているのだろう。
ある程度の状況の操作はアメリアに任せてある。というより、彼女に出来なかったらどうしようもないのでその時はなすがままに任せるしかない。
「竜の類が人に変わるなどという話は聞いたことがないし、どうして今のタイミングで変わったのかもわからない。何か情報があったら欲しい」
『……竜の人化については聞き覚えがある』
マジか……あるのか。いや、無いほうがおかしいのだ。何しろ、今目の前で間違いなく起こっているのだから。
長い間、国を問わず回ってきた。珍しいもの、奇怪なもの、恐ろしいもの、あらゆるものを見てきた自信はある。が、世の中これだから面白い。くそっ、ファック。
『アレス、君はレムレースの竜騎士を知っているかい?』
「……ああ」
レムレースの竜騎士。
ルークス王国にもその直属の騎士が構成する騎士団が存在するし、教会戦力には聖騎士と呼ばれるアズ・グリードに仕える戦力があるが、数多存在する騎士の中で最も精強として有名なのがレムレース帝国が持つ最強戦力、『レムレースの
傭兵の中でその名を知らぬ者はいまい。
俺はレムレース帝国には行ったことがないのでその自慢の竜騎士とやらに会ったことはないが、噂では一人の竜騎士が他国の騎士数百人に値する戦闘能力を持つらしい。
何よりも特異なのはその騎士団その名の通り『竜を駆る』という点。
竜に跨がり空を自由自在に飛行し、一方的に攻撃を仕掛ける。常識からは考えられないその特徴が、その竜装騎士団を一種伝説的な存在のようにしている。
今やレムレース帝国に刃を向けようという者は、同等以上の大国にも存在しない。
そもそも竜とは人よりも遥かに上位の存在である。プライドも高く知性も高いその竜種がいかなる理由で人に駆られる事をよしとするのか。
現に、レムレースを除いて他に竜を手懐けたという実績は存在しない。竜騎士などというふざけた存在を擁するのはレムレース帝国だけだ。
そのノウハウの全ては謎に包まれている。
面倒な事になってきた。舌打ちする。
竜を駆るノウハウはレムレースにとっての最重要機密だ。教会の力を借りたとしても情報が手に入るとは思えない。
何よりも厄介なのは――レムレース帝国の国教がアズ・グリード神聖教じゃない事だろう。
クレイオが落ち着いた声で続ける。
『レムレースの竜は普段人の形を取っていると聞いたことがある。だが、君も知っている通り、かの国は我々の管轄じゃない』
「ああ」
レムレースへの介入は困難だ。教会のバックアップが薄い。
別に向こうを邪教と認定しているわけでも邪教と認定されているわけでもないが、奉じる者が異なるというのは時に何よりも大きな溝となる。
どうすべきか……いや、これは個人でどうこうなる問題ではない。情報収集は任せるしかないな。
『だが、だからこそ信憑性がある。アレス、それこそがある意味勇者の証であるとも言える。八霊三神の三神の意味する所を知らぬ君ではあるまい』
「くそっ、面倒だな……」
『……やれやれ。君はもう少し神への敬意を持った方がいいな』
つい本音が出すと、クレイオが苦笑の声を漏らした。
アズ・グリードとは異なるとはいえ、この世界に存在する最高神の一柱の思し召しともなれば、非難するわけにもいかない。
『レムレースに手懐けられる以上、その余地はある。危険性はあるが、リスクを踏まずして魔王を討伐する事など出来まい』
「……そうだな」
大きく深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
考え方を変えよう。竜を仲間に出来るのならば心強い事この上ない。竜装騎士団のホームグラウンドが空である以上、竜の姿に戻す事も可能なのだろう。最悪、敵にならないならば途中で死んでも構わないのだ。
その時、クレイオがふと質問してきた。
『これを聞いてどう思った?』
その質問がどういう意図なのかわからなかったが、思いついた事をそのまま答えた。
「……どうせ仲間になるのならばグレイシャル・プラントなんかじゃなくてちゃんと空を飛べる真性の竜が仲間になったらよかったのに、と」
なんたって人化したのはグレイシャル・プラント、所詮は亜竜なのだ。確かにそこそこ強かったが、これからずっと使う事を考慮すると明らかに力不足である。レベルはちゃんと上がるのか?
俺の言葉を聞き、クレイオが押し殺すように笑う。
『くっくっく。そういう所が我々が君を選んだ理由でもある』
「……そうか」
『シオンの加護があらん事を。レムレースには問い合わせてみるが、あまり期待しない方がいいだろう』
「……了解」
通信が切れる。が、切れた後もしばらく俺はその場で佇んだままだった。
レムレース、か。面倒だ。何という面倒事だ。
加護はあればあるだけいいが、それで面倒な手間が増えるのならば無い方がマシかもしれない。だが、悩んでも仕方ない。もらってしまったものを破棄する事など不可能だ。
レムレース帝国が奉じる神、シオン・グシオン。
藤堂直継に加護を授けた八霊三神、三神の一柱にして、この世界に存在する最高位の神の一柱。
司る属性は愛。あらゆる者に尽きぬ愛を注ぐことを至高とする大神。
慈愛神、シオン・グシオン。
数こそ少ないものの、魔物を手懐けようとする愚か者達が競って奉じる神でもある。
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