第四報告 勇者サポートの現状

第二十七レポート:今回の報告は愚痴書くわ

 英雄とは常に運命に導かれるようにして数多の苦難を乗り越え目的を達成する。

 才覚は当然、必要とされる要因の一つではあるが、何よりも必要なのは運命をたぐり寄せる引きだ。


 これは物語ではない。これは現実だ。

 だが、もし彼が本当に英雄だというのならば、俺はもしかしたら伝説の一端を見ているかもしれない。


 ファック!



§§§




 戦場では適切で迅速な判断力が必要とされる。


 闇の尖兵と戦い続けて早十年近く、屍山血河を乗り越えあらゆる闇に属するものと戦い勝利してきた。判断力には自信がある。いや、あった。


 だがこれは……。


 もはや瞬きする力すら残っていないかのように投げ出された竜の首。喉は潰され翼はもがれ、串刺しのように体幹に深くハルバードの突き刺さったその身体は誰が見ても明らかな重傷で、今生きている事が奇跡のようにも思える。

 無防備な事に、剣を抜くこともなくその近くに跪き、それを痛ましげに見つめる勇者の姿はなるほど確かに、お伽話の一シーンのようだ。


 ……だが藤堂、お前は一体何をしに来たのだ。回復しろ? お前、そいつを討伐しに来たんだよな? おいッ!


 藤堂にめちゃくちゃな要請をされた当のアメリアはと言うと、心外そうに僅かに眉を顰め、何も答えずそっとあちこち視線を飛ばしている。

 一見、冷静に見えるが俺にはわかった。かなり動揺している。どのくらい動揺しているかというと、反射的に、どこかで自分を見ているはずの俺を探してしまうくらいに動揺している。通信する事を思いつかないくらいに動揺している。

 こっちから通信を繋いでやりたいが、それは出来ない。俺の通信用の魔導具は本部への通信用、行使しても繋がるのは本部に詰めてるアメリアの後任にだけだ。


 しかし、逆にアメリアが焦っている所を見た事で俺の心に余裕が出来た。もし、俺一人だけだったら藤堂の前まで出て行ってしまっただろう。

 そして、驚愕を通り越したその次に全身を襲ったのはどうしようもない『やるせなさ』だ。


 藤堂が何を言っているのかわからない。言っている事はわかるが、意味がわからない。


 おい、お前は何をしたいんだ!? 何故治療しようというのだ!? 

 感じないのか!? たとえ死にかけていたとしても理解出来るはずだ、その竜から立ち上るオーラを! お前じゃ勝てない、勝てないんだよ、無傷のグレイシャル・プラントには勝てないんだ! 何のために俺が事前に弱らせたと思っている!? 殺さないように弱らせるのにどれだけ苦労したと思ってる!?


 藤堂が立ち上がり、もう一度アメリアの方を見る。お前は知っているのか。今お前が立ち上がれるのは俺がそいつを弱らせて纏う冷気を弱体化したおかげだという事を!

 聞き取れなかったとでも思ったのだろうか、もう一度言う。


「酷い傷だ……誰が一体こんな事を――アメリアさん、回復を――」


「……何を言ってるんですか?」


 アメリアが硬い表情、冷たい声色で返答する。

 聞いた瞬間に自分に好意を持っていない事が理解出来るような、冷酷にすら聞こえる声。しかし、藤堂は図太いのかその辺り天然なのか気にしている様子はない。


 藤堂が真剣な表情でアメリアの方に一歩近寄る。冗談で言っているわけではないだろう。そもそも、藤堂はそういう人間ではない。


「急いで傷を癒やさないと……手遅れになってしまうかもしれない――」


「……何で治す必要があると?」


 アメリアの尤もな答えに、藤堂が目を大きく見開いた。

 そもそも、本当に何故どうして藤堂は自分が退治しにきた竜を癒やそうとしているのか。


 くそっ、彼の思考理論がさっぱりわからない。異世界からの召喚者であるが故なのか。藤堂の世界では、戦う時は万全の状態で戦うというルールでもあるのか。敵を治療してまで? どんな文化だよ!


 眉を顰め、まるで咎めるような口調で藤堂が尋ねる。


「まさか……アメリアさんは……これを殺せ、と……?」


「はい。それが今回のターゲットの氷樹小竜グレイシャル・プラントです。誰が弱らせたのか知りませんが、弱っていてラッキーでしたね。今の状態ならば首を飛ばすだけで容易く屠れるでしょう」


 白々しい説明口調で答えるアメリア。

 意見は全くもって正しいのだが、慈悲深いシスターが言っていいような内容でもないなこれ……。


 藤堂が大きく首を振って唇を戦慄かせる。


「馬鹿な……こんな弱っているターゲットを殺す? 君には仁義というものがないのか?」


 まさかの台詞に枝を踏み外して落ちそうになる。がさりと大きく枝葉が動いたが、幸い藤堂たちが気づく気配はない。


 仁義……だと!? 魔物相手に何を言っているんだ、こいつは。

 こいつは、魔物だ。竜だ。しかも、この辺りでは恐らく無類の強さを誇る。

 ヴェールの森は国内屈指のレベルアップのフィールドだ。こんな浅部にこのクラスの魔物を野放しにしておけば何人の戦士が倒れるかわかったものではない。


 いや、そもそもお前は――村長からの依頼でこいつを討伐に来たんだろうがッ!!


 それが仁義? 今こいつ、仁義といったのか? グレイシャル・プラント相手にどんな仁義を通そうというのだッ!


 さすがのアメリアも予想外だったのか、眼を幾度か瞬かせる。


「……何を言っているんですか、貴方は」


「僕は……弱いものいじめをするために勇者になったわけじゃない」


 藤堂がじっとアメリアを見つめ、強い口調で断言した。

 風に揺れる黒髪に吸い込まれるような漆黒の瞳。すっと通ったやや幼気な目鼻立ち。面がいい事もあり、その姿は非常に凛々しい。


 ……面白い事を言う野郎だ。弱いものいじめ、とは。

 くそっ、まさか弱らせすぎたのか。だが、グレイシャル・プラントに自由を許せばどうなるかわかったものではない。俺はどうすればよかったのだ。強化を諦めさっさと片付けてしまえばよかったのか?


 ……次からそうしよう。

 オーケー、お前が仁義とやらを尊ぶのならば俺はそれを行使する機会を作らないようベストを尽くそう。そちらの方がこちらも手間にならない。


「大体、半死半生の状態でもこの魔物からは相当な力を感じる。ここらのハンターでは相手にならない相手を半殺しに出来る存在がこのあたりにうろついているという事だ。こいつを退治するよりもそっちの方が重要じゃないか!?」


 ……おいおいおい。風向きがおかしくなって来たぞ。


 絶句するアメリアをよそに、いつの間にかアリアが竜の横っ腹に近づいていた。聳えるような胴体部、縦深くに突き立てられた白銀色のハルバードと、そこかしこにメイスの棘によって穿たれた深い傷跡をじっと見つめる。

 傷めつけられた魔物を見るのは初めてなのか、若干顔色が青白いリミスが後ろからそれを覗く。


 馬鹿、無闇に近づくんじゃねえッ! 油断するなッ!


 その巨体が一瞬身動ぎする。俺はとっさに殺意を束ね、グレイシャル・プラントに叩きつけた。

 悲鳴のような唸り声を上げ、その巨体が大きく崩れ落ちる。それだけで地面が揺れた。散々自分を傷つけた者の殺意だ。本来このクラスの魔物を縛る力はないが、それでもよく効く事だろう。

 しかし、ここまで痛めつけてまだ動けるとは竜種の生命力はかくも恐ろしい。たとえ手足が潰れ串刺しにされ喉を穿たれ翼をもがれても、レベル30前の人間を殺す手段なんていくらでも持っている。


 アリアが一歩後退り、ため息をつく。動揺の滲んだ声で藤堂の方を向いた。


「……ナオ殿、こいつの傷跡は……力ずくで吹き飛ばされて出来たもののようです」


「力……ずく!?」


「……はい」


 アメリアの説得を諦めたのか、藤堂がアリアの隣に移動する。


 竜の半開きの濁ったエメラルドの眼が藤堂を追う。何故、どうして竜を相手にそこまで堂々としていられるのか。その度胸だけは英雄に相応しい。


 アリアが険しい表情で分析を続けた。


「こいつの身体を御覧ください。足元は当然ですが、背にも土に擦られた跡がある」


「……ん? つまり、こういう事か? こいつが戦った相手は、この三メートルはある巨体をひっくり返せるような相手だ、と」


「ええ。ここに来るまでも、樹々が力づくで薙ぎ倒された跡がありました。恐らく、それもこいつと何者かの交戦の跡、かと」


 さすがに戦場を片付ける事はできなかった。どれだけレベルが高くても俺は僧侶なのだ。森を燃やすわけにもいかない。

 いや、問題になるとは思っていなかったと言うべきか。アメリアで十分ごまかせるレベルだと。


「傷跡も本来人間が竜と戦う際に出来る類のものではありません。斬撃でも魔法による攻撃でもない」


「あの突き刺さった槍は?」


「……あの槍は――斧槍ハルバードは本来、刺突で使う武器ではありません。少なくとも、先の刺突部以上に身体を貫いている……力技です。偶然傭兵が落としたものを使ったのかと」


 ああ、そうだよ。力づくだよ。悪かったな。他になかったんだよ、硬い棒が。

 眉を顰める俺を他所に、予想外の分析スキルを見せつけるアリア。


「身体に無数に開いた穴も槍で突かれたにしては小さいし、周囲が少し凹んでいる……丸い球か何かをたたきつけられたような……」


 アリアの表情には口調には、何かを確信している気配があった。


 ……おいおい。これ、まずいんじゃないか?


 俺の武器は既に見られている。

 まさか殆ど実戦経験がないはずのアリアが死骸の分析を出来るとは思っていなかった。

 俺にたどり着きかねない。アリアにだけ話し協力を求めるべきか? いや、彼女は直情型だ。隠し事が出来るとは思えないし、聖勇者に隠し事をするとも思えない。そもそも、教会の都合など知ったことではないだろう。


 どうすべきか……。

 頭を抑え、アリアの言葉に集中する。藤堂が、まだ僅かに身動きをする竜を睨みつけながら呟いた。


「……結論を言って欲しい」


「……はい」

 

 アメリアが、ようやく状況がまずいことに気づいたのか、止めようとするが、間に合わない。

 アリアが唇を一度舐め、口を開いた。


「ちょ――」


「グレイシャル・プラントをここまで傷めつけたのは十中八九人間ではありません」


 ……は?

 一瞬思考が空白になる。が、その間も説明は続く。


「この傷跡は多人数による攻撃ではないし、もし万が一、一対一で圧倒出来るような戦士がいたとしてもこのような傷跡は出来ない。この巨体を吹き飛ばせるような力があるならば頭を砕くなり首を飛ばすなりで一撃のはずです。ましてや、ハンターがこのように殺さないように注意して痛めつけるような真似をするわけがありません。これじゃ存在力も素材も手に入らない。メリットがない」


「……人間の仕業じゃない事なんてわかってるよ。可能不可能は兎も角、この跡はあまりに暴力的、猟奇的すぎる。これが人間だったら間違いなくサイコパスだ」


 何か凄い言われようなんだが……。

 アメリアが伸ばしかけた手を引っ込め、神妙な表情でそろそろと後ろに下がる。

 下がった目尻に噤まれた唇。いや、神妙な表情じゃない。これは笑いをこらえている表情だ。


 俺とアメリアを置いてけぼりにして推理が続く。


「この巨体を吹き飛ばせる事から、恐らく体長三メートル以上、手の甲に無数の棘を生やした亜人型の魔物かと」


「手の甲に無数の……棘?」


「はい。この皮膚に穿たれた無数の穴は棘のようなもので貫かれた跡です。打撃の跡なので恐らく拳撃によるものでしょう。しかも、何度も何度も執拗なほどに攻撃を受けている」


 レベルアップ時には傷つくことも恐れず、敵を切り捨てた勇敢(無謀とも言う)なアリアが、自らの言葉に恐怖するように身体を震わせる。

 それが伝染したかのように、藤堂も一度ビクリと肩を震わせると周囲に忙しげに視線を投げかけた。まるでその巨人が近くにいるかのように。


 ……くっ、惜しいようで惜しくない。いや、文句言うつもりはないけど……。


「……新たな脅威の可能性がある以上、村長への報告は必要です」


「ああ……そうだな」


「何で次から次へとトラブルが起きるのよ……」


 リミスが唇を尖らせてぼやく。奇しくもその言葉は俺の胸中と一致していた。こいつらやべえ。

 藤堂が深くため息をつくと、完全に蚊帳の外だったアメリアの方を向いた。


「アメリアさん、わかっただろ? 新たに強力な魔物が出た可能性がある以上、グレイシャル・プラントにかまっている場合ではなくなった」


「……何を言ってるのですか、貴方は?」


 本当に何を言っているのだ、こいつは。

 藤堂が呆れているような、人をいらっとさせるような表情で言う。


「わからないのか! グレイシャル・プラントが襲われたのには理由があるはずだ。このままとどめをさしてしまえば問題が起きるかもしれないじゃないか。治療は必須だ」


「問題……? ……例えばどんな問題ですか?」


 藤堂が一瞬困ったように眉を寄せ、自信なさげな口調で答える。


「……グレイシャル・プラントが森を守護している存在で、新たな魔物が侵略しにきた所を何とか追い返した、とか」


 凄い想像力だな、おい。


 グレイシャル・プラントの生息域テリトリーはもっと奥地だし、そもそも魔物にあるのは守護などではなく縄張りという概念だけだ。魔物とはそもそもが基本的に人の敵対種であり、例え藤堂の話が百歩譲って当たっていたと仮定しても、人間である俺達には関係ない。


 だが、何よりもその案が凄いのは、何も知らない者が聞いたら何となく筋の通ったもののように感じかねないという点だろうか。アリアとリミスにその意見を否定する気配がないのを見て、俺は肩を震わせる。


 アメリアは大きくため息をつき、肩を竦める。肩を竦め、はっきりと言った。


「ありえません。魔物が森を守護するだなんて聞いたこともないし、そもそもグレイシャル・プラントを倒せるような魔物はこの周辺地域には生息しない。腕利きのハンターが偶然通りかかって戯れに半殺しにした説の方がよほど信憑性があるかと。それに、魔物を治療するのは


「……はぁ。わかったよ」


 藤堂が失望したように深い溜息をつく。

 視線をずらし、何気ない動作でグレイシャル・プラントの方にもう一歩近づく。


「アメリアさんは僕のパーティじゃないしね。その意見を尊重しよう。だからこの魔物は――僕が治す」


 なっ――!?


 声を上げる間もなく、藤堂がその腕をグレイシャル・プラントに伸ばす。

 そのまま、スムーズな動作で十字を切った。その所作は先日テストを受けた時よりも遥かに洗練されている。練習したのか。くそッ、何でそういう所だけ真面目なんだよッ!


六級回復神法ミニ・ヒーリング


 弱々しい緑の光が手の平で瞬く。

 最低級の回復魔法だ。ちぎれた翼の再生はもちろん、潰れた手足の回復も無理。傷口をちょっとばかり塞ぐ効果しかない初歩的なヒーリング。

 だが、死にかけの亜竜に多少の動作を可能にする程度の力はある。まるで水を得た魚のように、巨体が蠢く。その生命を燃やし尽くすようにして放たれる世界が揺らぐような咆哮。潰れかけた手が僅かに動き、振り上げられる。

 体幹を貫通したハルバード、傷口からみちみちとした音が響くが、全身を貫いているはずの激痛についても気にする気配はない。

 潰れた前足から伸びる折れかけた鉤爪、その鋭い断面が藤堂を狙う。


 思考が凍った。とっさに咆哮する。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 樹々が震え、風が止まる。自身の口から出ていると信じられないような獰猛な声。

 同時に再び殺気をぶつける。先ほどのように研ぎ澄ませる暇はない。点ではない、面を対象に放ったそれに、リミスの膝が砕けるように崩れ落ち、藤堂とアリアが弾かれたかのように大きく後退った。


 振り下ろされた鉤爪が寸でのところで空振る。藤堂の前髪が数本散り、そこに発生した一瞬の隙に殺意を束ねた。

 グレイシャル・プラントの身体がビクリと痙攣し、再び地に伏す。肉体的なダメージは回復出来ても精神にはまだ隙が残っているのだろう。


 伏せるのを確認。一拍遅れて、ぞくりと冷たい何かが背筋を通り抜ける。徹底的に痛めつけたのは僥倖だった。

 でなければ俺は墓を掘らなければならなかっただろう。


 それ見たことか。回復魔法を掛けてやったにも拘らず、相手からの反応は攻撃行為だ。

 亜竜と言っても所詮は魔物。魔物と分かり合うなど――奇跡でも起こらなければ不可能だ。人類圏には、魔物と分かり合おうとする者は今でも一定数いるが、その殆どが非業の死を遂げる。


「な、なんだ今のは!?」


 自身の命が首の皮一枚で助かった事も知らずに藤堂が叫ぶ。その手には反射的に抜いたのか、聖剣が握られている。

 青ざめた容貌に頬から落ちる汗。多少は懲りたか。


 アリアも動揺に剣を構えている。震える手足に戦慄く唇。


「馬鹿な……何て――殺意……咆哮……威嚇行為……ナオ殿、ここにいるのは……危険ですッ!!」


「ッう……あ……」


 一番レベルの低いリミスは耐えられなかったのか、座り込んだまま起き上がる気配がない。


 手加減する余裕はなかった。

 俺のミスだ。まさか自ら回復魔法を掛けに行くとは……そこまで馬鹿だとは思わなかった。いや、思いたくなかったのかもしれない。もう散々思い知らされているというのに、未だに俺は奴を信じたいのか?


 藤堂が必死に目を瞑り、神経を研ぎ澄ませている。

 呼吸を止め、気配を消した。どうやら居場所はバレていないようだ。


 眼をつぶる藤堂に、顔色の変わっていないアメリアが急かす。

 俺の殺気だと勘付いているのだろう。


「藤堂さん、早く撤退すべきです。今の殺気の主に見つかったら今の藤堂さんのレベルでは間違いなく勝てません」

 

「ッ……い、いや、駄目だ。逃げるわけには……いかない」


 藤堂は歯を食いしばり、目を開いた。まるで幽鬼のような目つきでアメリアを見返す。その声から感じられるのは、以前感じた事のある……壮絶な覚悟、意志。


 こいつ、馬鹿か? 彼我の力量差を感じられない程愚かではないはずだ。今の俺と藤堂ではレベルに天と地程の差がある。広域に放ったとはいえ、先ほどの殺意は根性などで耐え切れるものではない。

 もし殺意の主が俺じゃなかったら藤堂はとっくに死んでいる。そういうクラスの殺意である。


 アリアも今度ばかりはアメリアに賛成なのか、藤堂の肩に触れた。


「ナオ殿……今の主は――無理です。少なくとも、今のレベルでは手も足も出ないでしょう。下手したら魔族の可能性すらあります」


「魔族……い、いや、ならば絶対に――」


 それでも、まだ徹底抗戦を叫ぶ藤堂。

 そんな藤堂に、アリアが肩に手をおいたまま、渾身の意志を込めて叫ぶ。


「ナオッ!!」


 今まで見た事がない程険しい表情。引きつった眉に、青の瞳は深く底が知れない。悔恨、怒り、悲哀、あらゆる感情がないまぜになった壮絶な表情に、藤堂の意志が初めて陰る。

 アリアが続ける。冷静さを装ってはいたが、その声色は僅かに震えていた。


「ナオが死んだら――誰が魔王を倒す、と? どうしてもここで今の殺意の主に勝ち目のない戦いを挑むというのならば……私とリミスにお任せください。ナオは今ここで死ぬわけにはいきません」


「なッ!?」


 アリアの言葉を聞き、ペタンとへたり込んだまま、リミスが涙目で藤堂を見上げる。恐怖と絶望の交じり合ったその視線に、しかし藤堂に対する怒りだけは浮かんでいない。何だかんだ、二人共覚悟だけはしてきたのだろう。少なくとも、この状況で盾になる程度の覚悟は。

 無造作に下ろされていた手、リミスのローブの袖から真紅の蜥蜴がちょろりと地面に降り立ち、主と同じようにそのくりくりした眼で藤堂を見上げる。


 藤堂の首がまるで油の切れた絡繰人形のようにゆっくりと動く。青ざめた表情でアリアを見て、そしてリミスを見下ろした。

 人形めいた蒼白。その唇から放たれた声が戦慄く。


「絶対に……勝てないのか?」


 アリアとリミスは答えない。ただ、その視線が語っていた。

 恐らく、アリアはその武家の出という経歴故に、そしてリミスはそのレベルの低さ故に。藤堂が感じる以上の絶望を感じていたはずだ。


 アメリアが場の緊張を叩き潰すように小さく手を打つ。


「勘違いしてはいけません、藤堂さん。今はまだ、です」


「今は……まだ……」


「貴方はまだ勇者としてはあまりにもレベルが低い」


 そうだ。うまいこと全てを有耶無耶にしろ。

 自覚させろ。自分の弱さを。理解させろ。その生命の重さを。その無謀を、勇気に昇華させろ。


「いくら勇者としての素質があっても、レベルが低ければ魔族には叶いません。ですが、逆に言うならばレベルさえ上げれば――魔族にも勝てるという事になる」


「レベルさえ……上げれば」


 感情のこもらないアメリアの事務的な口調に、しかし藤堂は気にする事もなく、その言葉を小さく反芻する。

 それはまるで自分に言い聞かせているかのようだった。


 心配そうにその様子を見つめるリミスとアリア。どうでもいいけど、俺が敵だったらそんな事してる間にお前ら全滅だからな。


 藤堂の呼吸が変わる。大きく息を吸い、そして吐いた。未だまるで夢現でも見ているかのような不確かな表情で、三人を交互に見る。そして一言、


「……撤退……する」


「わかりました。リミス」


 昏い声に即座にアリアが反応した。

 いくら実戦経験がなくとも、さすが剣王の娘か。


「た、立てない……かも……」


 一方で腰が抜けたのか動けない様子のリミス。必死に腕を使って立とうとしているが、全く効果がない。

 アリアが顔を顰め、その腕を引っ張りあげて軽々と背負う。リミスは小柄だ。剣士としてレベルもそれなりにある以上、大きな負担にはならないだろう。魔導師は体力や敏捷性が低いため、撤退時は荷物のように抱えられる事が多い。当のリミスは屈辱そうな表情をしているが、文句を言える立場じゃないことはわかっているらしく大人しくしている。


 遠くから見ると明らかに一人だけ気負った様子のないアメリアが、まだ足元の覚束ない藤堂に確認した。


「藤堂さん、グレイシャル・プラントの方は放置する、でいいですね?」


「……ああ……」


 藤堂が、今この瞬間も、殺意の照射により四つん這いで痙攣しているグレイシャル・プラントを見る。

 藤堂たちが去るその瞬間まで外すつもりはない。

 数秒、半死半生で恐怖に縛られるグレイシャル・プラントに視線を向け、アメリアの方を向く。


 口から出てきたのは力ない言葉で、しかし内容自体は初めと変わっていなかった。


「……アメリアさん。無理を承知でお願いだ……あれを回復させてやってくれないか」


「……」


 一体何が彼をそこまで駆り立てるのか。

 魔物。何度もいうが、魔物である。例え可哀想という印象を一瞬抱いたとしても、最終的には自分を納得させるのが普通だ。もしかしたら、それが藤堂のルーツに関係しているのだろうか?


 通信が繋がる。


『どうしますか?』


「やってやれ」


 どうせ藤堂たちがいなくなったらすかさず仕留める。予定通りにはいかなかったがそれで終わりだ。


『了解しました』


 通信が途切れる。

 大きくため息をつくと、アメリアがグレイシャル・プラントに近づいた。レベル的にはアメリアも適正以下だ。一層の力を込めて縛り付ける。


 何を考えたのか、その隣に藤堂が立つ。まるでその所業を見届けるように。


 万が一がないように、更に力を込めて殺意を放つ。精神を集中しすぎて頭が焼ききれそうな程に熱い。だがいい。後少し、後少しだ。


 そして、アメリアが『回復魔法ヒーリング』を唱える。藤堂が唱えた際のそれより遥かに強い緑色の光がグレイシャル・プラントの全身を包み込んだ。







§§§






 光が消えた時、竜がなんか知らないけど女の子になっていた。

 俺はクレイオに苦情をいれる事にした。


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