第二十六レポート:あ……え? あ、取り敢えず今回の報告は終わりです。

 やらねばならない事があった。俺にしか出来ない事があった。俺に出来る事があった。

 行動を起こすのに、それ以外の理由はいらない。


 樹齢云百、云千年か、両手を回しても回しきれないくらいに太い幹は薄っすら白み始めた空を突き、どこまでも伸びている。

 足を引きずるようにして幹に手をつくと、僅かに乱れていた呼気を整え、背負っていたリュックとメイスを下ろした。


 グレイシャル・プラントを釘付けにした場所から大きく離れたはずだが、その気配がまだ色濃く残っているせいか未だ森の中には風の音しかしない。

 生命の音のしない薄暗い森の下、人の声はよく響く。


 脳内に響く声に答える。


「ああ。全て終わらせた。戻らずに近くで待機してる。恐らく、問題はないはずだが……」


『了解しました』


 目覚めたばかりのはずだが、耳元で聞こえたアメリアの声はいつもと変わらない。まぁ、彼女が寝ぼける所なんて想像も付かないが。

 その口調に遊びはないが、そこに頼もしさを感じる。そもそも、彼女が派遣されていなかったら藤堂のサポートはかなり難しくなっていただろう。やはり人手というのは多ければ多い程いい。これで彼女が恒常的に藤堂のパーティに入ってくれればどれだけ助かる事か……。


 いや、駄目だ。多くを望んではいけない。


 浮かびかけた思考を打ち消す。クレイオがここまで早く助けを派遣してくれた事、それ自体がこの上ない僥倖なのだ。これ以上を望んでは罰が当たる。


「竜の気配は本道の道なりに進んでいけばわかるはずだ」


 魔物の気配について、ある程度読めるようになっている事は既に、ともにレベルを上げた十日で確認している。

 そも、それは傭兵の必須技能でもあった。亜竜クラスの大物を辿るのも、遠距離から辿るのも初めてのはずだが藤堂のポテンシャルならば何とかなるだろう。


『藤堂さんが万が一辿れなかった時は?』


「樹木に十字のマークを付けておいた。マークのある木を追えばたどり着ける」


『……了解しました。藤堂さんにはうまいこと言っておきます』


「ああ、任せた」


 準備は全て終えた。今回アメリアには、一時的という条件で藤堂をサポートしてもらう手はずとなっている。

 レベル55の彼女の神聖術ならば亜竜を相手としたサポートとしても十分だし、何よりも事情を知っている上に通信手段まで持ち合わせているのでやりやすい。

 唯一、一時とはいえ藤堂に随行に同意してくれるかだけが心配だったが、意外にも快く了解してくれた。クレイオの命令との兼ね合いだけが気になっていたが、どうやらその命令を厳守するわけでもないようだ。


 彼女の行動原理はわからないが、俺の命令を完全に聞かないようでもないようなので、出会った瞬間に落ちる所まで落ちた彼女の評価は目下のところ、うなぎのぼりだった。これが策だとしたら相当な策士である。


 顔をあげて薄っすら明るくなりつつある空を見上げる。

 藤堂が来るまではまだ時間があるだろう。グレイシャル・プラントの周囲には結界を張ってある。弱ったグレイシャル・プラントが他の魔物に襲われる可能性はまずない。


 計画に穴がないかもう一度反芻する。失敗しても致命的ではないが、プライドがそれを許さない。

 翼はもいだ。手足も潰した。喉も潰したし、周辺を探索しマリナが失ったと言っていたハルバードを見つけたのでそれで死なない程度に身体を串刺しにしてある。生命力が低下した事で纏う冷気もだいぶ弱まっていた。アメリアの補助魔法があればレベル27の藤堂にも十分耐えられるはずだ。


 穴は――ない。

 グレイシャル・プラントは既に半死半生なので、藤堂に苦戦させるという目的こそ達せないがそれはもうしょうがない。彼のレベルを上げるだけで我慢しよう。半死半生とはいえ、圧倒的格上の魔物の存在は十分彼への警鐘となるはずだ。

 見ればわかる。馬鹿でもなければ。


『アレスさん、少し休んでは?』


「いや、問題ない」


 ダメージはない。上位個体とは言え、下位の亜竜を相手に手間取る事はない。タフネスだけが俺の売りなのだ。

 寝ていないし、身体は動かしたので疲労がないといえば嘘になる、が、この程度の疲労で腕が鈍ったりしない。


 何より、戦闘したばかり気が昂ぶっていた。殺意は戦士の眼を覚まさせる。結果的に格下だったとはいえ、あの竜は間違いなく人間の天敵だった。

 ぎんぎんと覚めた眼は薄闇を見通し、高ぶった精神は遥か彼方にある弱らせた亜竜の気配をはっきりと感知していた。クールダウンさせなければ眠れもしないだろう。


 イヤリングを通し、アメリアが珍しく語気を強くして言う。


『いけません。ちゃんと身体を休めないと、いざという時に動きが鈍っては困ります』


「……この程度で鈍ったりしない。神聖術ホーリー・プレイを使えば疲労も回復できる」


『精神の疲労は回復できないでしょう』


 アメリアの言葉に、反射的に言い訳をしようとして、ぎりぎりで止めた。

 目を瞑りゆっくりと深呼吸する。


 冷たい呼気が脳内にまわり、しかしその程度では猛りは治まらない。


 だが、高ぶった精神の中、彼女の言葉が正しい事ははっきりとわかっていた。

 その通りだ。無理は良くない。休める時に休む。今すべき事は他にないのだ。ならば、次に備えるべき。

 何しろ、相手は伝説の聖勇者ホーリー・ブレイブ。馬鹿な奇跡の一つや二つ起こった所で不思議でもなんでもないのだから。


『後は私にお任せください。少し眠った方がいいです』


「ああ。ああ、そうだな……」


『アレスさんはもう……一人じゃないんですから』


 なるほど。然もありなん。

 役割分担は大切だ。一人だと滅多に取れない休憩も、二人いれば交互に休める。

 樹の幹に背をつけ、ずるずると座り込む。彼女の言葉には理がある。


 一人じゃない、か。それは……だった。


 ずっと一人で戦ってきたが、複数人で任務に当たる理がわからないわけではない。

 自分に言い聞かせ暗示を掛ける。一度回したエンジンはそう簡単に静まらない。


 乾いた唇を舐め、心配を掛けないように一言で答えた。


「わかった。少し休む。後は任せた。何かあったら連絡をくれ」


『わかりました』


「何もなくても森に入る前に連絡をくれ。グレイシャル・プラントが回復するかもしれない。藤堂が辿り着く前にもう一度弱らせておく」


 あらゆる障害は潰さねばならない。

 念押しに告げる俺に、呆れたようにアメリアが答える。


『わかりました。……アレスさんは心配性ですね』


「……そうかもしれないな」


 正直、心配だ。俺は藤堂の事を心配で心配でしょうがない。ここまで俺が心配した相手は後にも先にもあいつだけだろう。

 あいつはもう俺の事を随分と裏切っている。あいつの目の前には常に苦難がそびえ、しかもその殆どは彼の自業自得なのだ。あいつは焚き火に自ら飛び込んでいく虫なのだ。しかも、既に燃えている火に飛び込むだけでなく、自分で火をつけたりする。


 もうこれから何をしでかすか。

 俺にカバー出来る範囲ならばいいが……もしかしてこの気の昂ぶりは決して戦闘直後である事だけが理由なのではないんかもしれない。


 舌打ちする。思考を切り替える。大丈夫だ。今度こそ大丈夫だ。

 川で頭を冷やして一眠りしよう。俺にできるのは祈る事だけだ。

 ああ、秩序神アズ・グリードよ。藤堂に導きを与たまへ。


「寝る」


『……おやすみなさい』


 遠く感じる弱った亜竜の気と静まりかえるヴェール大森林。

 状況をもう一度確認しなおし、頭の中で整理してため息をついた。


 もしかしたら考えすぎかもしれない。俺はここまで臆病だっただろうか。

 答えはいくら考えても出る気配がない。





§§§





 現場から十数メートル離れた高い樹の上に登り、息を潜めて観察する俺の眼の前で、藤堂が半死半生の竜に駆け寄った。

 翼をもがれ手足と喉を潰され、ハルバードに身を貫かれた竜の側にしゃがみこみ、呆然と呟く。

 その声が聴覚に意識を集中していた俺にははっきりと聞こえた。


「なんて……酷い……アメリアさん、回復魔法ヒーリングを……」



 ――そして俺は地獄を知った。


 なるほど……今度はそう来たか。ショックはない。もう慣れた。むしろ感心している。そうか、そういう方法もあるのか、と。


 なるほど、なるほど、なるほど……は?

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