第二十五レポート:交戦
それは、一般的な竜の形状をしていた。
体表こそ新緑の葉に近い深緑だが、四本の頑強な脚に、枝に酷似した棘の生えた尾はトマスが運んでいた死体とは似ても似つかない。
グレイシャル・プラントは亜竜である。その形状は竜とは似ても似つかない。
現に、トマスの運んでいた死骸はとてつもなく巨大ではあったが、どちらかと言うと竜と呼ぶより猪に似ていた。
舌打ちが出る。
その巨体から放たれる冷気に周囲の樹木があっという間に凍りつく。故意に何らかの能力を発動しているわけではない。そういう生態なのだ。だが、それだけで中級魔導師の魔術程の威力はあるだろう。
竜が僅かに唸る。空気が震え、遠く彼方でまるで怯えるような獣の遠吠えが上がる。
音を立てないように樹の幹に身を隠し、悠々と歩みを続ける竜を観察した。
前戦ったものよりも強い? トマスの言葉を思い出し、眉を顰める。
そういうレベルではない。この個体は明らかに以前の個体の倍は強い。そもそも、形状が明らかに竜に近くなっている。
亜竜と一口にいってもピンからキリまであるが、基本的に竜に近い形状をする程強力な力を持つ。
何故、ここまで明確な特徴をトマスは俺に言わなかったのか。
抱いた疑問を自ら否定する。いや、違うな。言わなかったのではない。
彼は歴戦のハンターだ。自らのプライドで魔物の情報を隠したりしないだろう。恐らく、トマスが会った時にはまだ普通の
存在力を蓄え力を上昇させるのは何も人間に限った話ではない。
種族によっては力を一定まで蓄える事でその形状を変える種も存在する。
それが上位個体。それはまさしく、一種の進化と呼べた。
「……脱皮でもしたか?」
タイミングが悪すぎる。亜竜種の進化などめったに起こる事ではない。
間違いなく王都に騎士団の派遣を依頼する案件だ。
ヴェール村にこいつを真っ向から倒せるパーティはいないだろうし、倒せたとしてもせいぜいが相打ちだろう。いや、奴らは倒れる程戦わない、か。
力を目測で図る。その身から溢れ出る、身体が萎縮しそうになるエネルギー。
俺はグレイシャル・プラントと藤堂の差を限りなく好意的に見て三倍程度だと考えていた。これは藤堂の持つ八霊三神の加護と、前代勇者から引き継いだ強力な装備、そして彼自身の戦闘センスを加味したものであり、レベル27である事を考えると破格である。
だが、目の前の個体は小竜ではない。
存在力だけが強さを測る指標ではないが、前回の竜の倍強い。
身の丈こそ前回程巨大ではないが、その体表の硬さも、その爪の鋭さもブレスの威力も、上位個体となった種は基本的に全ての能力が跳ね上がり、進化前には持たなかった独自の能力を得るパターンもある。
唯一、不幸中の幸いなのはこいつが上位個体になったばかりである可能性が高い事だろうか。まだ自身の能力に慣れていない。付け入るならそこか。
しかし……まずいな。
言葉に出さずに、指先を動かし自身に神聖術を掛ける。
一通り順番に掛け、リュックを下ろすと、樹の影から静かに一歩踏み出した。
気温は既に氷点下を下回り、真冬でも吹かないような寒風が吹きさらしていたが
神に祈る者には神の加護が宿る。
大きく増大した力に万能感でも感じているのか、竜の知覚は極めて鋭いはずだがこちらに注意を向ける気配はない。
敵だと思われていないのか。王者ゆえの傲慢か。
唇を歪め一瞬だけ笑みを作ると、凍りついた地面を踏み砕き、一歩で接敵した。
まるで要塞のような竜の体幹に思い切りメイスを横薙ぎに振りかぶる。
時間が圧縮される。意識が集中、
メイスと共に放たれた殺気に竜の身体が一瞬痙攣する。
そして――力が解放された。
硬いものを穿った感覚が衝撃となって手の平、腕、身体に伝わる。
壁のようだった巨体が樹々を薙ぎ倒しながら吹き飛ぶ。足元、凍りついた地面が大きな音を立てて割れた。
爆風によって霧が晴れる。目の前には巨体に巻き込まれなぎ倒された樹々、新たに出来た道がぽっかりと空いている。随分とふっ飛ばしたのか竜の姿は見えない。
振り上げたままだったメイスを下ろし、二、三度腕を回す。破砕された足元を足裏で平らげ、闇の向こうを睨みつけた。
「……まずいな。硬いぞ……」
一人呟く。頬が引きつっているのを感じる。
間違いなくクリティカルヒットだった。相手はこちらの攻撃に大してなんの体勢もとっておらず、だがしかし手に残った感覚は生き物を殺した感覚ではない。
根源的恐怖を抱かせる細長い咆哮が風音を切ってあがる。全身に感じられる上から押しつぶされるような感覚。生物的な上位者からの殺意。人の遺伝子に刻まれた天敵への恐怖が警鐘となり脳内に鳴り響く。
メイスに生えた棘には茶色の液体がべっとりと付着していた。それを人差し指で救い、確かめるようにして親指とこすり合わせる。粘性の強い亜竜の血だ。
表皮は碎けてダメージは与えられているが、所詮それだけだ。致命傷ではない。
相手が以前トマスが倒したものと同等程度ならば今ので十分致命打となったはずだ。
「……弱らせても藤堂じゃ倒せないかもしれないな……」
呆然と呟くそれを遮るように、闇の向こうから氷柱の混じった
§§§
適正討伐レベル60。何度かの交戦により俺は、目の前の対象をそう見積もった。
振り下ろされた小剣のような爪を、踏み込みざまにかち上げたメイスで弾き、返す刀でその岩のような竜の喉元を弾き飛ばす。
一撃は重く、ブレスは空気を一瞬で凝固させる程の冷気に、無数の氷柱の交じった氷属性。寒さで動きが鈍る人族にとっては厄介極まり無いものだ。
退魔術は闇の眷属に対してしか効果がない。
相手が竜では使用できず、攻撃力が足りていない。
悲鳴のようにも憤怒のようにも聞こえる咆哮が夜の闇を揺らす。
硬い。硬すぎる。既にもう五度程吹き飛ばしているが、未だ相手の動きは鈍る気配がない。
鋼の表皮に、引き絞られた野生の筋肉。皮、肉、骨、全て頑強極まりなくそして、何よりも厄介なのはその身に纏う冷気だ。耐性がなければ一気に近接戦闘職の体力を奪い動きを制限することができる。
叩き込んだだけで凍りついたメイスを二度三度空中で振る。
剣ならば切れ味が鈍っただろうが、メイスは打撃武器。凍りついただけで威力は落ちない。柄も凍りつく程に冷たいが、冷気耐性を強化している今、特に影響はない。
だが――
「藤堂の相手には荷が重いか……?」
竜を吹き飛ばした方向から強い風が吹き抜ける。ブレスの予兆。
構わず前に踏み出す。極端な前斜姿勢。前に寄せた外套を盾に肉体を一つの弾丸と化す。眼は逸らさない。
嵐のような風と身体の芯から凍りつくような冷気、それに混じった無数の氷柱をメイスと加護で真っ向から打ち破る。頬をかすった氷柱、出来た小さな傷は事前にかけていた
氷嵐を踏破する。闇の中でも輝くエメラルドの眼を目指す。
人一人を丸呑み出来そうな程開いていた顎を下から上にぶちぬく。
手に感じる何かを砕くみしみしという感触。決してダメージがないわけではない。傷は確かに蓄積しているが、耐久が高すぎる。
開いた胸元に蹴りを叩き込む。既に大体の実力はわかった。
再び吹き飛ぶ巨体を追い、更に打撃を繰り返す。樹皮に似た皮が剥がれ、茶色の血液が飛散する。不凍なのか、飛散した血は凍らずにべっとりと外套を濡らした。
竜が悲鳴のような咆哮をあげる。その背の皮が奇妙な音を立てて開く。
――翼だ。
その身と比べ小さな翼が大きく揺らめいた。突然の猛風に地面を踏み砕き、耐える。
グレイシャル・プラントは飛べない竜のはずだが、その翼は武器として十分か。
一瞬動きの止まった俺に対し、前足が振り下ろされた。
それをとっさにメイスで受け止める。全身を貫くような衝撃を眉一つ動かさずに受け流す。棘が足裏を貫き、しかし相手は力を緩める気配がない。
眼と眼が合う。怪しげに輝くエメラルドのような瞳の奥には底知れぬ戦意が見えた。
竜種は強さを至上とする気質がある。既に数撃撃ちあった時点で実力差は、レベル差はわかっているだろうが、その誇りが撤退を許さないのだろう。好都合だ。
腕に力を入れる。全身の重量をかけて押しつぶそうとしてくるグレイシャル・プラントの鉤爪を押し返す。植物型の亜竜なのでその体重は一般の竜程ではない。
真っ向からの力勝負。種族も重量も大きさも遥かに劣っているがしかし、腕力は俺の方が上だ。種族差以上に彼我の間にはレベル差、存在力の差があった。
メイスを振り切る。前足を弾き、その顎目掛けてフルスイングを当てる。
速度も力もこちらが上。
見上げるような巨体がまるでボールのように弾け飛んだ。無数の樹々を巻き込み、地面を大きく抉る。轟音が夜の静寂を破り、今まで身を潜めていた奇怪な漆黒の鳥が翼を羽ばたかせ夜の空に消える。
藤堂のポテンシャル次第だが、聖剣エクスならば問題なくその表皮を切り裂けるはずだ。ならば問題は、剣の届く距離まで果たして近づけるのかどうか。
纏う冷気はその力に相応に強力だ。レベル27では近づくまえに氷漬けになってしまうかもしれない。といっても、今更詮なき話。撤退という選択肢は存在しない。
ふと空からひらひらと白い欠片が降ってくる。雪だ。
昼間から天気は悪かった。竜の冷気が影響したのだろう。まるで桜の花びらのようにも見える。
手の平に落ちたそれを握りつぶすように握りしめ、樹木を巻き込み地面に横たわる竜に一歩、歩みを進める。
胸ポケットからナイフを四本取り出し、左手に構える。
ある程度開けた場所が欲しい。
息を整え、伏せたまま、腹の底に響き渡るような唸り声を上げる竜の目の前に立つ。メイスにより砕けた顎、無数に穿たれた穴、しかしその殺意に些かの陰りもなし。至近距離から覗き込む濁った眼の奥に見える憤怒に視線を叩きつける。
横薙ぎから叩きつけられる風。撥条のような速度で横薙ぎに振られた鉤爪を、右手で掴み受け止めた。
離したメイスが地面に落ち、凍りついた地面を砕く。受け止めた鋭く研がれた刀のような鉤爪がぎしりと悲鳴のような音をあげる。
その瞬間、燃えるような殺意を内包した竜の眼が初めて歪んだ。恐怖か驚愕か。
どうせなら、ナイフじゃなくて杭を持ってくるべきだったな……。
「ギッ――」
多少動きを鈍らせるだけで、自由まで奪うつもりはなかった。だが、このレベルになると完全に止めなければ不安が残る。
亜竜とはいえ、竜の端くれだ。その回復力は並大抵ではない。朝になればある程度の傷は癒え、鈍くなっていた動きも回復することだろう。そうなれば藤堂に勝ち目はない。
強く鉤爪を握りしめる。頑強極まりないそれが、しかし負荷に耐え切れず砕けると同時に大きく前に出た。
開いた胸板を膝で蹴り飛ばす。これで何度目か、森を抉り吹き飛ぶその巨体がようやく樹々生い茂る森の中から川沿いの開けた場所へと抜けた。
風の音に川のせせらぎが交じる。すぐさま体勢を立て直したグレイシャル・プラントが、今更威嚇するかのように咆哮する。
空気が揺れる。
同時に、その身体を中心として周囲一帯が凍りつく。ぴしぴしと音を立てて氷結する川の水面に視線を一度向け、鎌首をもたげるグレイシャル・プラントを睨みつけた。
その姿は亜竜とは思えない程に力強くそして、神秘的だ。
完全に殺すのはまずい。が、足の一本や二本吹き飛ばしておいた方がいいかもしれない。
グレイシャル・プラントが顎を大きく開く。放たれたのはブレスでも咆哮でもなく、しわがれたような鳴き声だった。
「ぎ……が……キ、サ――マ……」
「……」
その鳴き声は確かに意味をなしていた。
竜は高い知性を持つ。中には人の言葉は勿論、魔法を操る竜だっている。
まさか、こいつ既に人語を交わせるのか。いや、交わせるようになったのか。
ならば喉も潰さねばならない。藤堂に妙な事を吹き込まれると困る。
手足を潰し翼を潰し喉も潰す。結界を張り、閉じ込める。できれば体幹を杭か何かで死なない程度に串刺しにしたかったがナイフでは長さが足りない。木なら腐る程あるが流石に刺さらないだろう。
闇の眷属ならば退魔術で全て事足りるというに、相手がただの魔物だとこうも面倒くさい。
身体を動かしたせいか、精神が高ぶっていた。暴力衝動は時に快感となる。僧侶としてそれは良くない。律さねばならない。
血潮が流れる熱い鼓動を感じながら、俺は血の滴るメイスを二度三度、宙で振った。
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