第二十四レポート:追跡・接敵

 神よ、この英雄に苦難とそれを乗り越えるだけの加護を与えたまへ。

 いつかその光の剣がまったき闇を打ち払わん事を。


 人類屈指の加護。

 八霊三神の加護は強力だ。

 成長さえすれば、藤堂は間違いなく世界最強の人族になれる。魔王を討伐出来る。


 俺の役割は徹頭徹尾、その成長を守る事だけだ。





§§§





 竜種。

 数限りなく存在する魔物たちの中でも、最強の種の一つとされる魔物である。

 勿論、竜種と一口に言ってもピンからキリまであるが、そのどれもが一般人にとって災害と変わらない脅威を持っている。


 故に、竜を殺した者には羨望と畏怖、敬意を込めて竜殺しドラゴンスレイヤーの称号が与えられる。

 その称号を持つというのは戦人にとってこの上ない誉でもあった。


 手早く準備を終えると、リュックを背負う。


 強力な魔物が発生した際、その情報は斡旋所や、村の門を守る門番に預けられる。目撃地点もそこで教えてもらえるだろう。

 藤堂たちが、いきりたって村を出て行く前に全てを終えねばならない


『アレスさん、私も行きます』


 断言口調のアメリアからの通信。


「……今どこだ?」


『教会です。藤堂さんが村長さんの紹介状を持ってプリーストを借りに来ていて……一時的に借りたい、という話みたいですが、ヘリオスさんが対応しています』


 なるほど……さすがに村長もヒーラーなしで竜退治に行かせる程馬鹿ではないという事か。

 アメリアが、村長が藤堂に依頼したという情報をキャッチできた理由もわかった。藤堂たちを見送った後、教会に戻っていたのだろう。


 流れが来ているのを感じる。首の皮一枚で繋がっているようなものだが……。


「こっちの手助けは不要だ。アメリアは藤堂たちの足止めをしてくれ」


 アメリアのレベルは55。この辺りのアベレージは大幅に超えているし、グレイシャル・プラントの適正討伐レベルを超えているのも確かだが、今回こちらの人数は揃えられない。


 僧侶の本領は多人数のパーティでこそ発揮される。

 竜種を相手にすれば例え適正を超えているレベル55でも安心出来ないし、僧侶は既に足りているので、戦えないアメリアは残念ながら足手まといにしかなりそうもない。


 早歩きで門に向かう。もう既に竜種出現の報が公に出ているのか、心なしか人通りは多かった。

 傭兵たちの殆どは前回同様静観を決め込むことだろう。商人たちは新たに持ち込まれるであろう竜種の素材に商機を見出しているかもしれない。

 世界は平和だった。概ね、険しい表情をしているのは俺だけだ。


 しばらく沈黙していたが、やがてアメリアから返答があった。


『……わかりました。どの程度足止めをすれば?』


「一日……最低でも半日は欲しい。探す所から始めなくちゃならないからな」


 とは言っても、竜種は莫大な存在力を持つ。近くまで行けば間違いなく感知出来るだろう。


『……お一人で戦うつもりですか?』


 珍しくどこか攻めるような口調。

 意外に思いながらも、他の手段はない。

 傭兵を雇おうにも、目的が弱らせるだけでは素材も存在力も竜殺しの栄誉も与えられない。傭兵にメリットを与えられないし、そのリスクをカバーできるだけの金銭も払えない。


「問題ない。俺のレベルならば弱らせるくらいは出来るはずだ」


 ヴェールの森に棲むとされる魔物のレベルは全体的に低めだ。

 いくら最奥から出てきたとは言え、そこに棲む竜種のレベルも大体予想がつく。何より、トマスたちで倒せたという実績がある。


『……』


 俺の言葉をどう受け取ったのか、アメリアは通信の向こうで躊躇うような空気を見せていたが、やがて一言だけで返した。


『……ご武運を』


「……ああ」


 武運を祈るのならば勇者のために祈ってやれ、と一瞬思うが、こんな時くらいは素直に受け取って置いてもいいだろう。


 予定通り門の近くの詰め所に顔を出すと、そこには見知った顔があった。


 厳つい容貌を深刻そうに歪めるトマスとそのパーティメンバー。斡旋所にいなかったと思ったらこんな所にいたのか。

 イライラとした様子で椅子に深く腰掛けていたマリナが脚を組んだ。その全身を覆った金属鎧には、鋭い傷が幾本も並行して奔っている。


「……何かあったのか?」


「ん……おお、アレスじゃねえか!」


 トマスが顔をあげると、その表情を一変させた。








§§§








 ヴェールの森の入り口についた時には既に日がとっぷりと暮れていた。

 何度も通った森の入り口は、整備された道であるとはいえ闇に包まれた今、まるで巨大な生き物の口腔のようだ。


 夜は人間の世界ではない。闇の眷属たちの能力は夜の下でこそ最大限に発揮される。

 既に辺りに人気はなかった。竜が出た今、おまけにこんな夜に森に入ろうとするハンターはいないだろう。


 耳を澄まし聞こえるは風の音のみ。

 どこか奇妙な笛にも似たその音の中に、本来混じるはずの鳥獣型の魔物の気配や蟲の鳴き声の類がない。

 まるで身を潜めているかのような静寂。本来の縄張りを超えてきた上位者に対する萎縮。


 本能に従う魔物の感覚は鋭い。

 人間ではいくらレベルを上げても手に入らない独自の知覚能力がある。


 魔物狩りの中の教えにもある。


『静寂のある所に近づくな』


 現象があれば理由もある。

 唇を舐める。トマスたちから得た新たな情報を思い返す。


 今回のグレイシャル・プラントはトマスたちが以前戦ったものよりも


 どうやら、森を探索中に偶然出会ってしまったらしい。


 新たな装備も手に入れたことで戦力を増していたため、挑戦してみたところ完敗したとの事。

 幸い命だけは助かったようだが、敗走の際に新調したばかりの武器を失ってしまったとの事で、憤懣やるかたない様子で話していたマリナの姿が浮かぶ。


 トマスの平均レベルはこの街でトップクラス、その装備もトップクラスだった。

 彼我の戦力分析は大切だ。挑んだ者はいないだろうから目撃場所だけ確認しようと考えていた俺には朗報だった。


 既に森の地図は頭に入れてある。

 相手は体長が数メートルもある竜種で飛行能力がない。その痕跡は色濃く残されている事だろう。一度その跡を見つければ、後はそれを辿ればいいだけだ。


 森に踏み入る。取り敢えず整備された道を歩いて行く。


 初春、気温の低さはいくらでも我慢できるが、森の中には薄っすらと霧がかかっていた。

 意識を周囲に投げかけながら歩く。冷たい空気と頬を打つ風、その奥に視線を投げかける。

 闘前故の精神の昂ぶり。肺を満たす空気に全身の感覚が鋭敏になるのを感じる。握りしめたメイスの重みは慣れ親しんだものだった。


 藤堂たちの事を、今だけは頭から追い出す。


 霧を切って、無言で歩みを進める。しかし、奥に進んでも、周囲からは雑音がしない。


 俺はトマスたちとグレイシャル・プラントの戦闘を見ていない。俺が見たのは結果……トマスたちが運んできた死骸だけだ。

 だが、あのグレイシャル・プラントが弱かったとは思えない。となると、今回の個体が特別に強いという事になる。


 勿論、竜にだって幼生体や成体などで強さは変わるし、同じ成体だったとしても個体差もある。

 もともとグレイシャル・プラントはトマスたちが倒せる適正レベルより上の相手だ。だから補助なしで挑んで負けるのもおかしな事ではないし、彼らの目利きをどの程度信じて良いのかだって俺は知らない。だが――


 森に入り一時間程が経過した。

 霧はますます濃くなり、月明かりもないが、感覚を研ぎ澄ました俺の視界にはその先がはっきりと見えていた。


 ――近い。


 音を立てないように息を呑みこむ。乾いた唇を舐め、鼻を動かす。

 気配を辿るようにして道を外れる。魔物の気配はない。鳥獣型は勿論、樹人トレントを初めとした植物型の魔物に至るまで、いくら霧が出ているとはいえ、活動が活発化される夜に気配がないというのは尋常ではない。


 近くにいる。迫っている。長年培った戦士の勘――僧侶の勘が囁いている。

 メイスを握る手に更に力を入れる。


 やがて、開けた場所に出た。


 いや、開けた場所ではない。それは破壊された跡だった。


 力ずくでぶち折れ踏み砕かれた無数の木々、枝葉と、はっきりと地面に刻みつけられた巨大な何かが通った跡。地面にはびっしりと霜が降りている。

 それは鬱蒼と茂る草木を物ともせずに、獣道と呼ぶには大きすぎる新たな『道』を作り出していた。そこからわかるのは圧巻な力だ。


 道の端の樹木に触れる。薄手の手袋を通して伝わってくる手の平が張り付く程の強烈な冷気は氷樹小竜グレイシャル・プラントの持つ氷の力によるもの。着込んだコートの襟をもう一度しっかり寄せ、通り道に足を踏み入れる。


 そして、ただ通り過ぎただけで生み出された破壊の跡を静かに検分した。


「……


 破砕され、生み出された道はおよそ幅三メートル。

 これがグレイシャル・プラントのものだとするのならば、トマスが引っ張っていた死骸よりも一回り程小さい事になる。

 基本的に魔物は同じ種であるのならば大きければ大きい程強い。前回よりも強いという事前情報から前回よりも巨大な個体を想定していた俺には肩透かしだった。

 凍りついた周囲から察するに、ここを通り過ぎたのが氷の力を持つ魔物であるのは間違いない。そして、ヴェールの森の浅い部分に、他にそのような性質の魔物は生息しない。


 ……それだけ俺のかけた補助バフが強力だったという事か……。


 トマスのような歴戦のハンターがそれを加味せずに情報を出したとは考えにくかったが、無理やり納得する事にする。どの道、やる事は同じだ。


 残された気配、魔力からどちらに向かったのか割り出す。

 時間はいらなかった。追跡は経験がある。

 冷気や残された気配の薄さからどの程度前にここを通ったのかはわかる。


 猟犬のように注意深く、猟犬のように獰猛に進む。どんどん近くなる気配、闘争の気配がより神経を高ぶらせる。

 静かに繰り返す呼気が白い水蒸気となって霧に交じる。冷えた地面はどんどんその程度を深くしていた。霜の生えた地面が完全に凍りついた地面に変わる。


 辿ること十数分、やがて俺はそれにたどり着いた。


 彼我の距離、十数メートル。視界に入ってきたのは地面をこする巨大な尾と、その小山のような体躯だ。

 暗闇でわかりづらいが色は紺に近い緑。靭やかに伸びた尾と、背に生える節くれだった枝のような突起。木々から舞い落ちた葉が空中で凍りつき粉々になって消える。ただそこに居るだけで発生する現象はまさしく災害と呼ぶに相応しい。


 トマスの引きずっていた死骸よりも遥かにスマートな外見に、眼を窄めた。


 まだ気づかれていない。だが、十数メートルを置いて尚感じる莫大な魔力と存在力はトマスの敗北を納得させるに十分だった。


 しばらく黙ったままその巨躯を見ていたが、やがて大きくため息をついた。

 ため息が一気に凍りつき視界を白で染める。どこか枯れ木のざわめきを思わせる低い唸り声が耳を打つ。



 まずいな……こいつ、ただの氷樹小竜グレイシャル・プラントじゃない。『上位個体』だ。


 ……チッ、藤堂にはトラブルを呼びこむ才能でもあるのか?

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