第二十一レポート:証拠隠滅・保護

 英雄召喚サーモニング・ヒーロー


 アズ・グリード神聖教の有する秘奥。


 聖女の祈りと莫大な魔力・神力を消費し、異世界から世界を救う英雄を召喚するその儀式は、度々お伽話の中で現れるが、現実での試行回数は多くない。

 場と術者と力、その三つが揃わねば使用する事すら出来ないその神聖術は教会の歴史を紐解いても数える程度しか行使されてこなかった。

 百年に一度? 二百年に一度? あるいは――それ以上か。


 世界が闇で包まれんとする時、どこからともなく現れる数多の加護を持つ勇者。

 それはまさにお伽話に出てくる世界を救う魔法と言えるだろう。


 術式についての情報は教会の最高機密であり、その術式の行使を要請したルークスの王すら詳細は知らないだろう。

 だが、教会の人間である俺にはある程度の情報が与えられていた。


 異世界にはこの世界の神々がいない。レベルも無ければ魔法もないし、当然――加護もない。

 召喚されてきた勇者に加護が与えられるのは術式の効果の一つだ。教会の過去の記録の中で、加護を一つも持たない勇者が召喚された記録はない。


 ――だからといって、召喚対象は誰でも良いというわけでもない。


 俺の知る情報の一つに……英雄召喚の術式は決してランダムで異世界人を引っ張ってきているわけではない、というものがある。


 そりゃそうだ。攻撃性、残虐性の高い人間が勇者として召喚されてしまえば、複数の加護を持つ超人が敵になると言う悪夢のような事態に陥りかねない。内側から滅ぼされるという可能性すら出てくる。

 最低限の制限は必要だ。


 曖昧模糊とした単語、あやふやな概念。


 俺の知る英雄召喚の対象の選定基準。


 それは対象が――『正義』であるという事である。








§§§










 どうする? などと思考するまでもなく、俺の行動は決まっていた。

 勇者が町中で抜刀し事もあろうに複数人に重傷を負わせる? 下らない冗談だ。


 俺の足元を中心に、鮮やかな緑色の光が奔っていた。それは波となって戦場跡さながらの斡旋所内を満たす。


 最上位の神聖術『一級範囲回復神法フル・エリア・ヒーリング


 部位欠損を治癒するには一級以上の回復魔法が必要だ。

 切り落とされた部位が残っているのでもう少し手を抜いても問題ないのだが、あえて最上位の回復魔法を使用した。これは俺のエゴだ。


 神力が大量に消費される感触。

 範囲を対象とする神聖術は神力の消費が激しい。だが、それに見合った奇跡をもたらす。


 上がっていた亡者のようなうめき声が戸惑いの声に変わる。


 必死に治療――切断された腕をくっつけようとしていたプリーストの手の中で、切断面が光で包まれ再生する。

 包帯を巻かれ寝かせられていた男の痙攣が止まり、唐突に上半身を起こす。その包帯は滴るほどに血で滲んでいたがもう既に傷はないだろう。

 切断された右足に包帯を巻いていた男がうめき声を上げる。包帯を突き破って生える新たな足に、すぐ側で男に哀れみの眼を向けていた老年の傭兵が悲鳴をあげた。


「あ……え……」


 やがて、仁王立ちでそれを見守っていた俺に視線が集まる。


 奇跡の瞬間。

 範囲回復魔法何てそうそうに見られるものではない。

 俺だって使うのは久しぶりだ。だが、どうせ使うのならば戦場で使いたいものだった。


 視線が眼に、銀髪に集まり最後に僧侶の証に集まった。

 声にならないざわつき。リュックサックを背から下ろし、あえて大きな音を立ててテーブルの上に置く。


 今まで黙って突っ立っていた痩せた斥候風の男が恐る恐るといった様子で声をあげる。


「あ、んた……昨日来た、ハイ・プリースト……様」


「アレスだ。さぁ、何があったのか話してもらおうか?」


 まずは状況把握から。


 斡旋所内。まだ真っ昼間なので席は埋まっていないが、二十人近いハンターがいる。パーティでいえば四、五個か。

 パーティ単位で全員揃っているとは限らないので実際はもう少し多くのパーティのメンバーがいるだろうが、数で言うのならばそれほど多くはないだろう。もしこれが夜だったら酒を飲みに来ている者がいるのでもっと多かったはずだ。


 腕を切り落とされていた男がふらふらと縋り付き、涙と涎でぐしゃぐしゃに濡れた顔で感謝の言葉を述べてくる。

 感謝なんていらん。欲しいのは事情の説明だ。


 数秒の間黙ったまま見下ろしてやると、ようやく俺の要求を察したのか、嗚咽混じりで説明を始めた。


 黙ったまま話を聞く。嗚咽混じりの言葉は酷く聞きづらかったが、何とか理解できた。


 やはりこれは藤堂の仕業のようだ。


 予想通り、藤堂が仲間を探すにもう一度訪れたらしい。

 条件は前衛火力でレベル30前後で――女性。

 いきなり30前後の戦力になる傭兵……おまけに女を見つけるのはそもそも難しいが、それ以上に前提条件が悪かった。


 藤堂のパーティには回復役ヒーラーがいない。

 誰がヒーラーのいないパーティに入ろうと思うだろうか?

 ド素人ならばまだ知識不足で引っかかるかもしれないが、レベル30にもなった傭兵がそのようなリスクを踏むわけがない。踏むわけがないのだ。

 リスク管理は傭兵の基本である。誰が命綱なしで魔物と戦おうとするだろうか?


 そう、それこそが俺が藤堂の次の行動を知った時に浮かんだ問題だった。


 プロの傭兵はヒーラーの重要性を痛いほど知っている。

 義理も金も権力もなしでヒーラーもおらず、女を求める。そんな藤堂のパーティに入ろうとするものなどいない。いるわけがない。こいつらは遊びで傭兵をやっているわけではないのだ。


 前回と同様、その傭兵のイロハとも呼ぶべき『常識』を知らなかった藤堂たちは暇を持て余していた傭兵たちの良い的だった。

 嘲笑われた藤堂は顔を真っ赤にして、しかし怒りを堪えていたらしい。


 しかし、そこでまた一つ問題が発生する。傭兵の一人――腕を切り飛ばされていた男――が、無知な新人に対するからかいだったのか威嚇だったのか、藤堂の肩を掴んだのだ。


 そして、次の瞬間、男の腕は藤堂の剣で

 他に傷を受けていた数人は完全にとばっちり。いきなり抜剣した藤堂を押さえようと跳びかかって斬られた。急所を突かれていなかったのは藤堂にとっても殺す気ではなかったから。

 ともすれば、藤堂自身、反射的に剣を抜いた可能性すらある。激情しやすいあいつならやりそうだ。


 話している内に怒りが恐怖に打ち勝ったのか、興奮した様子で荒い息を漏らす男。


「ッ……あの野郎……いきなり剣を抜きやがった。何て野郎だ。次に見かけたらぶっ殺してやる」


 つまり……まだマシという事か。


 よかった。本当によかった。誰一人死人が出ていないという事、そして重傷を負わせたのが一般の村民や商人ではなく傭兵たちであったという事。こういうのは不幸中の幸いというのだ。

 一般市民を殺してしまえば口封じが面倒臭い。この狭い村、噂はあっという間に広まるだろう。


 まぁ、もうこの斡旋所で新しいメンバーを探すのは無理だろうがな。


 俺は一度小さく息を吐き、目の前の運の悪かった男に言った。


「つまりお前は、負けたわけか」


「……は?」


 なるべく穏便に口封じをしなくてはならない。できれば、治した相手を殺したくはない。だが、心配ないだろう

こいつらは物分りが良いはずだ。


 予想外の言葉だったのか、目を見開く男に畳み掛けるように言う。


「からかおうと肩を掴んだら腕を斬られた。そうだな?」


「え……や、いや――」


「油断して新人に負けたわけだ。反応も出来ずに腕を切り飛ばされた。挙句の果てに囲んだにも関わらず――」


 ぐるりと周囲を見下ろす。包帯を巻いた剣士風の大男に、再生した足をさすりながらコチラを見上げる痩身の男。

 傷を負っていた者は六、七人程度か。


 悪いのは完全に藤堂だ。こいつらはいつものように、ちょっとした悪ふざけをしただけで恐らく藤堂に傷をつける意図はなかった。


 だが、そんなのは関係ない。


 藤堂には魔王を倒してもらう。こいつらには口を噤んでもらう。


 ただ、それだけの話だ。

 まるで馬鹿にしているかのような口調で吐き捨てる。


「――取り囲んだにも関わらず、何も出来ずに斬られた。おい、この村の傭兵はいつからそこまで質が落ちたんだ?」


 これが他の者から言われたのならば激高で返していただろう。傭兵連中は気が荒い者が多い。

 だが、言葉を出したのは自分たちを救った高位のプリーストである俺だった。こういうのも……マッチポンプと言うのだろうか。


「……は? な、何を――」


「たかがレベル27の剣士に良いようにやられるとは情けない」


 レベル自体は藤堂よりここの傭兵の方が高いだろう。だが、結果はこの通り。

 油断していたとは言え、何もできずに何人も斬られてる。


 それが加護持ちの恐ろしさ。


 八霊三神の加護。

 レベルアップと一口に言っても、その能力の上昇幅は個々人で違う。

 神々の加護は藤堂の能力を最大までに強化し、その技術習得に大きな補正をもたらす。あいつはただのレベル27ではない。


 レベル27のなのだ。


 俺の言葉を聞き、周囲がざわめく。

 さっきまで必死に説明していた男が、愕然とした表情で俺の方を見る。


「レベル……27……だと? い、いや――待て、何故あんたがそんな事を知ってる……?」


「ここでは何もなかった」


「……は?」


 呆然とする男を無視し、目を細め斡旋所内を見渡す。

 唇を舐め、丁寧に説明する。しなくてはならない後始末だ。


「ちょっとした喧嘩はあったが、まぁ日常茶飯事だ。新人がちょっとをしてしまって、ベテランのお前らが許した。多少の傷は負ったがこの地に来ていたハイ・プリーストの俺が治した」


 固まっている目の前の男の肩を叩く。

 もしかしたらこいつも、藤堂の肩を掴んだりなんかせずに叩く程度だったらその怒りを刺激せずにすんでいたのかもしれない。


 こういう時に凶相は役に立つ。睨んでなくても相手は勝手に萎縮してくれる。

 眉を顰め、僅かな殺意をスパイスとして加え、


「単純な話だ。そうだな?」


「あ……あ、あ……」


 青褪めた表情で僅かに頷く男。

 そう、そうだ。長いものには巻かれろ。無駄なリスクは踏むな。それでいい。それこそが傭兵が長く生きるためのコツだ。


 顔を上げ、再度周りを見渡す。僅かに笑みを作れば、視線を合わせた全員がこくこくと頷いてくれた。

 物分りのいい連中は嫌いじゃない。


 テーブルに置いていたリュックを背負う。上に乗っていたワインの瓶がぶつかり、下に落ちてけたたましい音を立てて割れた。血の臭いに被さるようにワインの芳香が立ち込める。


 チッ、外套に染みが出来ちまった。


 フードをもう一度深く被り、斡旋所を後にする前にもう一度、室内を見渡す。


「まぁ、お前らは運が悪かった。今日はさっさと宿に戻ってゆっくり眠るといい」


「……ああ……」


「今日は何もなかった。お前らは何も見ていないし聞いていない。俺を怒らせるなよ。俺は藤堂と違って手加減が出来ないからな」


「……あ……ああ……」


 掠れたような声。ここまでやっておけば明日には全て忘れている事だろう。

 体当たりでもするかのように扉を半分開け、もう一度だけ脇の下から背後を眺める。殺意を込める。


 後始末はちゃんとする。証拠も隠滅する。

 人の口に戸は立てられないと言うが、こいつらは賢い。もっと相応しい言葉を知っている。


 死人に口なし。触らぬ神に祟りなし。


 外に出て扉を閉める寸前に、背後で息を呑むような音が聞こえた。



 ――あいつ……本当にプリーストかよ。



 余計なお世話だ。




§§§






 斡旋所の外で、青褪めた表情で中を窺っていた一匹の似非精霊魔導師を捕まえたので保護する事にした。

 はぐれたのか、可哀想に。

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