第二十レポート:正義・憤慨・攻勢

「術自体は申し分ありません……流石に強い加護を持っていらっしゃる」


 本心から感心するようにヘリオスが顎に手を当てる。


 藤堂達は既に礼拝堂から出て行っていた。アメリアも見送りの名目でそれについていっている。

 深くフードを被る怪しい男(俺)と、教会の神父の組み合わせが珍しいのか、礼拝客がちらちらとこちらに視線を向けていた。

 それに気づいていないわけでも無かろうに、しかしヘリオスは笑顔を絶やさない。


 その様は穏やかというより少しばかり狂信的に見えた。


「あれで攻撃役アタッカーとなると……『聖騎士ホーリー・ナイト』になるのも夢ではないでしょう」


 教会の擁する戦力の中でも本当にごく一部しかなれない特殊な騎士の名前を上げる。

 俺はため息をつき、


「あいつは魔術も使える」


「……おやおや、まさしく勇者的ですねぇ……」


 神力と魔力は反するもので、どちらも同時に伸ばすことは難しい。

 魔術を極めようとすれば信仰を深める時間がなく、信仰を極めようとすれば魔術の深奥に足を踏み入れる暇はない。

 その双方を可能にするのには神聖術と魔術、両方の極めて高い才能が必要とされる。


 何度も言うが、ポテンシャルという意味で、藤堂直継の才能はずば抜けている。

 剣を振れて守れて魔術を使え神聖術も使える。現実世界よりもお伽話の中でよく見られるような、そんな英雄的な人材。


 しかし、その前に確認しなくては。

 その細められた眼に視線を合わせ、問いただす。


「その勇者という単語はどこで聞いた?」


「人の口に戸は立てられません。状況は劣勢で、そして……召喚を行う聖女の動向は追いやすい」


「……チッ」


 抜け目のない男だ。もう完全にバレている。

 ヘリオスは教会の人間でおまけに司祭位。聖勇者という存在に対するリテラシーはかなり高いだろうが、藤堂が勇者様という呼称を否定しなかった事によって確信したのだろう。


 大きく深呼吸して心を落ち着ける。

 知られてしまったものは仕方ない。使えるものは使う。


「この近くに魔族が現れた形跡は?」


「村の周辺に現れたという形跡はありませんが、大森林の奥には魔族が住み着いているという噂が有ります」


 ただの噂、都市伝説の類だ。だが、魔族は一般の魔物が進化した姿だという説もある。

 時間経過によって召喚の痕跡は確実にバレる。一処に留まれば確実に補足されてしまう。


 魔王は馬鹿ではない。

 その時は、この村のキャパシティを大きく超える上位の魔族が復数派遣される事になるだろう。

 レベル30代のハンターが複数人いた所で上位魔族には敵わない。


「ヘリオス、あんた、魔族と戦えるか?」


「ふふふ……最下級ならば問題なく」


 にやりと唇を歪め、ヘリオスが笑みを作る。その眼の奥にちらちらと見える暴力的な衝動だ。以前抱いた印象、疑問が確信に変わる。やはりこの男、普通の神父ではない。

 攻撃的でなければ、暴力的な傭兵が多数存在するこの村で神父などやっていられないのだろう、などと考えてしまうのは簡単だが、どう考えてもその奥に見える欲情はそういうレベルのものではない。


 神聖術ホーリー・プレイの一種である退魔術エクソシズムは闇の眷属に高い威力を発揮する。

 その分野においてのみ、俺達は攻撃役アタッカーとしての役割も兼任する事が出来る。


 半ば確信しつつ尋ねる。


「……あんた、元悪魔殺しエクソシストか」


「……もう既に引退した不詳の身です。しかし、盾になるくらいならば出来ましょう」


 断罪する者の眼。殺しに付随する快感、征服欲、愉悦。

 瞳の奥には心が眠っている。何故引退したのかわからないくらいに、ヘリオスの闇に対して抱いている感情はかなり高い。

 精緻に研がれた剣のような眼光は盾になる事くらいしか出来ない人間のものではない。


 レベルは聞いていないが司祭位を持つ悪魔殺しならば、最下級の魔族を相手に遅れを取るような事はないだろう。

 命を掛ければ上級魔族の足止めも可能かもしれない。尤も、神父が死んだらこの村の人々は大いに困る事になるだろうが。


「魔族の気配を感じたら報告してくれ」


「承知しました。アレス様は何を?」


「面倒だが最善は尽くすつもりだ。藤堂が森に入ったら気づかれないように注意しながらそれを追跡する事になるだろう」


 想像するだけで怖気立つくらいに面倒臭い作業。


 だが、やむを得ない。手が足りていない。藤堂の死は即ち、この任務の失敗を意味する。手放しで放置しておける程、藤堂達はまだ強くない。

 幸いな事に尾行の経験はある。斥候スカウト盗賊シーフなど、感覚が鋭敏なメンバーがいない今の状態で俺の尾行が気づかれる事はないだろう。


 ヘリオスの表情が変わる。目を瞬かせ、意外なものでも見たかのような表情。


「それはそれは……お疲れ様です」


「アメリアには街での工作を任せる。手が足りなくなったら助けてやってほしい」


「……ええ、それはもちろん。あのような面白いお嬢さんは初めて見ましたよ」


 心底感心したような口調。

 あれを面白いで済ませられるのは恐らく当事者ではないからだが、確かに俺もあんなシスターは初めて見た。それがいいか悪いかはまだわからん。


「有力な仲間候補を見つける。勇者のレベルを上げる。レベルが上がる前に現れた魔族はなんとしてでも止める」


 俺が魔族ならば村の中にいる勇者を襲ったりはしない。

 あまり平均レベルは高くないとはいえ、この村は傭兵の村として有名だ。村をずらりと囲う頑丈な壁があるし、村全体に高名な僧侶による結界も張られている。

 闇の眷属の力を縛る結界だ。高位魔族の侵入を防ぐ事さえできなくとも、その能力を大きく縛ることくらいはできるだろう。魔族側に取って、この村で勇者を襲うのは効率的ではない。


 プランは単純だが、実施は困難で、だがプランというのは大体そんなものだ。

 どうしようもない問題は一つだけ。


「プリーストの融通は?」


「くくく……クレイオ枢機卿閣下はその件についてはノータッチを決め込んでいるようです」


「……チッ。あの男、本気でやる気がないのか?」


 クレイオの思考だけがわからない。

 藤堂が更生する事を見込んでいるのか。それだけの時間が今存在すると思っているのか。俺にはそれが楽観にしか思えない。


 プリーストが欲しい。プリーストが手に入らなければ、それ以外で、僧侶以外で回復の術を持つ仲間を入れる必要がある。妖精魔導師ドルイド薬師メディック……だが、どれも一長一短だ。


 そしてプリーストは諦めたとしても果たして……女の妖精魔導師や薬師が彼の仲間に入ってくれるだろうか?


 選択に欲望が透けて見えすぎている。

 英雄色を好むとは言うが、勇者のラベルを剥がした藤堂についていく魔導師が何人いる? 顔が良ければついていくか? 金があればついていくか? 力があればついていくか? カリスマかあるいは権力か?


 今の所、展望は見えない。


 藤堂、お前は自らの剣で魔王を殺さねばならない。ヒーラーをやっている暇など一秒たりとも存在しないというのに。


 ヘリオスが、肩を叩いてきた。


「心配なさらずとも。私共の斡旋こそ止められておりますが、自ら女僧侶シスターをスカウトすればよろしい。そこまで妨害しろとの命令は受けておりません」


「……そうか」


 だが、女僧侶のみを求めるその姿勢が受け入れられる可能性がどれだけある? 顔でたぶらかすか?

 何故男では駄目なのか、そう聞かれた時に何と答えるつもりなのか?


 藤堂が女だったらよかった。女だけで組むパーティは珍しいが存在しない事もない。魔物との戦闘において発生する分業、女だけで進む道中のリスクやいざこざを考えると効率的ではないが、性的な安全を求めるその考えは理解出来る。


 ヘリオスが取ってつけたような慰めの言葉をかける。


「神がきっと藤堂さん達をお導きくださるでしょう」


 神様に任せておけたらどれだけ楽だったか。

 ため息をつき、無駄な袋小路に陥りかけていた思考を切り替える。


 立ち止まっている暇はない。藤堂にも、そして俺にも。

 それだけが俺と藤堂の双方に存在する唯一の共通点だった。






§§§








 アメリア・ノーマンというシスターは優秀だ。

 レベル55という高いレベルに強力な神聖術。

 清楚な見た目に、冷徹に物事を実行するくそ度胸。性格こそまだわからない所が多いが、これで命令をちゃんと聞く事ができたのならば完璧だと言えるだろう。


 だが、たった一つだけ、何よりも優秀な点を述べるとするのならば、彼女がただの僧侶じゃない――白魔導師ホーリー・キャスターである点が上げられる。


 総人口が少ない職だ。まず市井で見かける事はない。もし俺が僧侶じゃなかったのならばその魔導師の名前すら知らなかっただろう。

 俺も全然詳しくないが聞いた所、その魔導師は攻撃でも回復でもない分野に特化しているらしい。


 昨日少しだけ確認したのだが、その中の一つにがある。


 そう、遠方の相手と通信するための術式。

 彼女はあろうことか……魔導具なしで遠くにいる他者と会話する事ができたのだ。


 俺も初めて知ったのだが、もともと俺が受け取っている通信用の魔導具はその術式をベースに構築された道具らしい。

 言わば、この魔導具は『不可視の波紋テレパシック・ウェイブ』と呼ばれるその通信術式の劣化版と言える。


 アメリアの使う魔法は、間に取次を挟む必要もなく、そして受信する相手も魔導具を必要としない、そんな術式だ。

 まさにスパイにうってつけの術式であり、それを聞いた瞬間にもう一度藤堂の元にいってくれないか頼んでみたが断られてしまった。


 それはそれで残念ではあるが、例え潜入しなかったとしてもその術式の有用性は霞まない。


 スパイさせるにしても別行動を取るにしても、情報の伝達手段が大きなネックになってくる。アメリアのその術式は、他の性能を全て無視して彼女を優秀と評価出来るような、そんな術式だった。


 教会を出て、藤堂達が狩りを始めた時の備えのために薬屋で回復用のポーションを買い漁っていると、急に脳内で声が聞こえた。

 聴覚ではなく、脳に直接響き渡っているような声。藤堂と共に出て行ったアメリアのものだ。


『アレスさん、藤堂さん達から、これからどうするのか聞き出しました』


「ああ」


 聞き出せたのか。よくやった。


 プリーストが仲間に入れられないとなった時の藤堂の行動。

 色々想定はできるが、単純に考えれば今後の行動は二つに絞られる。


 プリースト抜きでレベル上げに行くのか、それとも行かないのか。


 誤解しないように言っておくが、藤堂は物は知らなくとも馬鹿ではない。こうして俺の忠告を守り二日という日数を消費しているのがその証拠。だが彼は勇者でもあった。僅か十日程度とは言え、寝食を共にしたのだ。何となく行動理論はわかる。


『傭兵の斡旋所で新しい仲間を探して、レベル上げに戻るとのことです』


 アメリアから返ってきた言葉は、ある意味では予想外だったがある意味では予想通りだった。

 レベル上げに戻るという選択が予想通りで、新しい仲間を加えるというのが予想外。


 買ったばかりのポーションの束をリュックにつめ、それを背負いあげながら考える。

 新しい仲間……昨日、斡旋所テュラーを訪れ、女僧侶を仲間に入れるのは不可能と悟った事だろう。

 傭兵たちに馬鹿にされたにも関わらず今日も訪れる、新しい仲間を探すというのならばそれはきっとヒーラーではない。


 となると、目的は攻撃役アタッカーか。


 回復役ヒーラーの大きな役割は回復だ。攻撃役を増やして、ダメージを受ける前に魔物を殺す事ができれば有用性は薄れるし、無傷でなくとも多少のダメージならば回復薬や藤堂のヒーリングでカバー出来る。

 少なくとも、そのまま三人でレベル上げに戻るよりは無謀ではない。

 誰の入れ知恵だ? リミスがそんな事を考えるとは思えないので、アリアか藤堂の発案だろうか。


 面白い案だが、その案には一つだけ問題がある。

 いや、そもそも、勇者という事を隠して藤堂のパーティにメンバーを追加するのはかなり難しい。

 もともと、世間知らずを集めたそのパーティには問題があった。優秀な傭兵を仲間にするには権力か金か理かあるいは――強い運がいる。


 今の藤堂のパーティには手を汚せる人間がいない。

 俺と別れてから二日。藤堂はそろそろ自分たちの役割がお伽話のようにただ敵を倒す事ではないという事を実感している頃だろう。


 天を見上げる。風は強く、分厚い灰色の雲が見渡す限りを席捲している。もしかしたら今夜はまた雨かもしれない。

 別に信じているわけではないが、まるでそれは藤堂の未来を暗示しているかのようだった。


「どうやら藤堂の運命が試される時が来たようだな……」


『運……命?』


 厚いフードを再び深く被る。

 斡旋所は復数あるが、藤堂が訪れるとしたら昨日も訪れたあの斡旋所だろう。

 プリーストの代わりに入れるのだ。強さを求めればあそこに行き着く。


 大通りはハンター達と商人達で賑わっていた。

 露店ですぐに食べられる串焼きやサンドイッチの類を売っている者、魔物の特定部位の買い取りを行う者、別の町から取り寄せた効果の怪しいお守りを売りさばくもの、はたまた補助魔法を低価格でかけると謳う者。


 藤堂。お前はこの中の何人がお前の正義をわかってくれると思う?


 大部分の人は皆、自らの欲望に沿って動く。特に傭兵はその傾向が強い。

 藤堂の持つ前代勇者の剣――エクスは持ち手の意志を斬れ味に変換する聖剣。言わばそれは勇者の意志それ自身だ。

 果たしてこの世界の残酷さを知ったその時、全てが思い通りに動かないと知ったその時、その剣は斬れ味を保っていられるか?


 英雄だって挫折する。

 いや、苦難に見まわれ数多の辛苦を乗り越えてこそ、英雄となるのだ。

 その剣の元の持ち主もまた、無数の困難と向き合いそれを乗り越えた。故に――勇者。




 俺と別れてから受けたであろう数多の試練はまだ序章でしかない。

 それを乗り越えるのは藤堂の責任だった。






§§§







 そして、斡旋所で俺が見たのは悍ましい程の熱だった。

 扉を開けた際に響いた鈴の音に注意を向ける者はいない。


 視界を満たす赤と黒。


 床を濡らす血だまりと、テーブルに伏す青褪めた男。床に転がり蠢く腕のない男。びくんびくんと断続的な痙攣を繰り返す白目を剥いて伏す男。うめき声と響き渡る怒声。わめき声にすすり泣くような声。

 怪我人は一人ではない。恐らく、掴みかかろうとして斬られたのだろう。死なないまでも重傷を負ったものは少なくない。

 腕のないもの。足から血を流す者。鋼鉄の鎧を着込んでいたにも関わらず、装甲ごと切り裂かれ転がる戦士。部位は様々だが、全て――斬撃によるものだ。


 同じパーティのメンバーなのだろう、跪き、怪我人に必死に回復魔法ヒーリングをかけるプリーストの姿。回復魔法には格がある。アベレージ30では部位欠損までは治癒できないし、そもそも一人一人かけていたら神力が枯渇する。


 だが、より哀れなのは仲間のプリーストがこの場にいなかった怪我人だ。傭兵の死は自己責任。助けを求める声、無数の無情な旋律は戦場で良く聞いたものだった。それに手を差し伸べようにも他のプリーストにも余裕はない。

 薬もないのか、血が流れるままに放っておけば遠からず死ぬだろう。


 うめき声に交じるのは怨嗟ではなく絶望、そして恐怖。

 意味のなさない声は生ける死体ゾンビに似ている。


「はぁ、はぁ、はぁ……あ……う……血……あ……」


「……なるほど、そう来たか」


 呟く俺の声を聞くものはいなかった。


 斡旋所内を見渡す。藤堂一行の姿はない。


 面倒な事をしてくれる。いや、これがお前の選択という奴か。


 ……まぁ良いだろう、勇者。

 お前の役割は魔王を倒す事。俺の役割はお前のサポートをする事だ。


 血だまりを踏みつけ前に進み、伏す男の側に屈みこむ。

 二の腕から下がなくなった腕、断面を確認する。躊躇いのない切り口だが、そこに意志は感じられない。反射的に切り刻んだのか。斬られたからそれほど時間は経っていない。聞いてからすぐに斡旋所に向かう事にして正解だった。


 死人はいないようだ。

 どうせならば殺してしまえばその存在力でレベルが上がっただろうに……いや、そこまでやってしまえばもはや勇者とは呼べない、か。


 苦悶のBGM。

 誰一人としてこの惨状を成した者の名を叫ぶものはいない。だが、俺は確信していた。


「これは貸しだ。藤堂直継」


 乱暴に被っていたフードを解放する。

 唇を舐め、血の香りを吸い込むと、眉一つ動かさずに祈りを捧げた。

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