第十九レポート:行動開始・短所・欠乏
目覚めは悪かった。
魔王討伐の任を受けてから十日あまり、藤堂からパーティを追い出される前も含め、目覚めが良かったことはない。
今まで、ずっと一人で戦ってきた。任務によっては協力者もいたが、その殆どは俺自身が頑張れば解決するような内容だった。
ほぼ大部分の人間はその指輪の意味すら知らず、対外的に見れば
仄暗い噂を纏い、魔が活性化する闇夜を掛ける殲滅官は教会の教義の一部に反しており、そしてその性質上個人主義者が多い。俺達は、俺達の実力を鍛え、俺達の責任で敵を撃つのだ。
だが今回のこれは違う。ただ異端を殲滅するだけではない、どう動くか予測が付かない勇者のサポートという仕事は想像以上にストレスになっている。
「おはようございます」
「……ああ」
窓の外はまだ暗かったが、部屋には既に明かりが灯っていた。
久しぶりに投げかけられた言葉に胡乱な返事を返し、ゆっくりと身を起こす。
ベッドの隣には、昨日の服とは異なる深い紺色の法衣を着こみ、準備万端の様子のアメリアが見下ろしていた。まだ早朝だが、その表情には一切眠気という物を感じさせない。
左耳につけられたイヤリングに左手薬指に嵌められた白の指輪。そこには一切隙のないシスターがいた。
昨日の態度が嘘みたいな有様である。詐欺みたいな態度の遷移に、いい傾向のはずなのに何故か頭がずきりと痛む。
猫を被っているのか、あるいは昨日のあれは何かの間違いだったのか。後者である事を信じたいが、昨日の様相を見ると前者にしか思えない。
「質の悪いジョークだ」
頭を二度三度振り、ため息をついた。部屋の中を見回す。
シングルベッドが二つ設置されたツインルームは昨日まで宿泊していた部屋よりも大分広い。
隣のベッドはアメリアが使ったはずだが、まるで未使用のようにきちんと整えられている。
部屋の隅には俺が持ってきた荷物とアメリアの持ってきた荷物、そして俺の物よりも二回り程細いメイスが立てかけられていた。
この新しいパートナーは度胸がすごい。
野宿の場合はどうしようもないが、恋人でもない異性と寝室を共にするのはリスクが大きい。ましてや、俺とアメリアが対面するのはその時がほぼ初めてなのだ。
当然、シングルルームを二つ取ろうとした俺を止めて二人部屋を取ることになったのは、一重にアメリアが節約を叫んだためだ。
シングル二部屋よりもツインを一部屋の方が安上がりなのは確かだが、別に金で困っているわけでもないのに、自ら一部屋を選ぶその根性は一般的に慎ましいとされるシスターの領分から大きく乖離している。
度胸が凄いというよりはもう馬鹿の域に見える。俺が
いや、元オペレーターの彼女が、俺が教義におとなしく従う一般の僧とは違う事を知らないわけがない。
俺の言葉に答える事なく、アメリアはまるでそこに居て当然のような表情で、丁寧に畳まれた法衣を差し出してきた。
窓を叩きつける風の音。どうやら、昨日も天気は良くなかったが、今日もあまり良くないらしい。
「早いな」
「朝の祈祷がありますから」
「……まるで敬虔な教徒だな」
藤堂のパーティに居た頃は、俺が目を覚ます時間は皆が起きる随分と前だった。
朝の挨拶を受ける側になるのは久しぶりだ。
思わず出た俺の言葉に、アメリアが憮然とした表情で答える。
「アレスさん、私は間違いなく敬虔な教徒です」
「……そうだったな。悪かった」
昨日の第一接触のせいでかなり突拍子もないイメージを抱いてしまったが、確かに昨日の会話は別に教義に反するものではないし、元より、教義云々について、それを守っていない俺に口を出す権利があるわけもない。
さっさと朝の身支度を終えると、何が面白いのかじっとこちらを見ていたアメリアに向き直る。
現在の勇者の状況については昨日のうちに伝えてある。今日からが任務本番だ。
「教会で待ち伏せる。藤堂の試験の結果によって動きも変わってくるはずだ」
「はい」
「できれば藤堂と会話して今後の動きについてもある程度コントロールしておきたい。俺は顔が割れているから接触はアメリアの仕事になる」
一応持ってはいくが、仮面は使わずに済みそうだ。
俺の言葉を受け、アメリアは自信なさそうでもありそうでもない、無表情で小さく頷いた。
「……パーティに入って欲しいと言われたら断っていいんですよね?」
「……ああ。もちろん断って構わない。何なら、入ってくれても構わない」
「お断りします」
俺の半ば本気で出した冗談に眉を潜めるアメリアに、俺は顔を大仰に背けた。
俺は一人でも大丈夫だから、何かの間違いであのパーティに入ってくんねーかな。いや、本当に。
それだけで俺の負担が大きく軽減されるんだが……。
それが何よりのサポートと言えるのではないだろうか?
§§§
信仰を深める事で威力が増すとされるそれは、起こされる結果だけ見れば魔術と大して変わらないように見えるが、厳密に言えば全く別の力とされている。故に、教会の本部は神聖術を指すのに魔法という言葉を使わず、神法という言葉を使う。
一般には魔法という言葉の方が伝わりがいいので、俺や魔物狩りを営むプリースト達は魔法という言葉を使っている事が多いが、教会の総本山で働くプリースト達が聞いたら苦い表情をされる事もあるだろう。まぁ、どうでもいい話だ。
プリーストの能力認定は礼拝堂で行われる。
祭壇の前にはヘリオスと藤堂が向い合って立っていた。
その背後にはどこか心配そうな表情のリミスと、硬い表情のアリアが控えており、ヘリオスの後ろには補佐という名目でアメリアが佇んでいる。
天気が悪いにも関わらず客の数は少なくない。
フードを深く被り、礼拝客に紛れるように数十席ある席の一つに着く俺に、藤堂達が気づいた様子はなかった。
もちろん、気づかれたとしてもプリーストである俺が礼拝堂にいるのは何もおかしい事ではないだろう。
視線が遮られない程度にフードをあげ、ばれないように注意しながら藤堂を観察する。
疲れが溜まっているのか、藤堂の眼の下には薄っすら隈が見える。だが、自信があるのだろう。その表情に不安などは見えない。
藤堂までの距離は十メートル以上あったが、意識を聴覚に集中するとぎりぎりで会話が聞き取れた。
「それでは、これから藤堂さんの能力認定を実施します」
「……はい」
「神は貴方の信仰に相応しい奇跡を授けてくださいます。私がこれから述べる奇跡を順番に行使して頂き、十分な奇跡を授かっていると判断できれば合格です」
「……わかりました」
粛々と進んでいく説明に、藤堂が真剣な表情で答える。
教会本部で働くようなプリーストには知識も必要とされるが、プリーストにとって最も重要なのは奇跡である。何故ならば、教義によって、奇跡は信仰心を反映したものだとされているからだ。
そして、祈祷によって能力が上がる以上その情報はあながち間違いというわけでもない。
藤堂は召喚された際に八霊三神から加護を得ている。
八霊とは八柱の偉大なる大精霊の事を指し、三神とは三柱の大神の事を指す。アズ・グリード教会の僧侶の奉じる秩序神アズ・グリードは三神のうちの一柱であり、その加護を強く受けている藤堂に使えない奇跡は恐らく存在しない。
今はまだ祈祷の祝詞を添えなければ奇跡を起こせないが、いずれ俺と同様、奇跡の名前だけで神聖術を使用する事ができるようになるだろう。
試験が開始される。
俺が見ている事もつゆ知らず、ヘリオスの要請する術を行使していく。
詠唱も術式も所作も俺の教えた通り、完璧だ。彼の頭は悪く無い。大体の呪文は一度で覚えるし、十字を切る動作も当初とは異なり、洗練されたものになっている。
もともと藤堂は、最下級の認定試験では求められないレベルアップの奇跡まで行使できる。今回求められるであろう奇跡で使えないものはなく、ヘリオスも試験内容で不正は起こさないだろう。それは神への冒涜だ。
特に問題なく進む試験。
一通り終えた所でヘリオスが急に言葉を止め、慇懃無礼に両手を叩き始めた。
穏やかな微笑みを浮かべ、藤堂を称賛する。
「素晴らしい才能です、藤堂さん。神聖術を覚えてからどの程度経ちましたか?」
「……十日……くらいかな」
「最下級とは言え、たった十日で奇跡を許されるとはまさしく――アズ・グリードはまさしく、貴方に微笑んでおられる。奇跡の効果も特に問題ありません」
最下級の神聖術は種類もそれほど多くなく、難易度も高くない。だがそれでも……並のプリーストでは習得に一年はかかる内容だ。
それをたった十日で修める事ができた藤堂の特別性に疑う余地はない。
「……じゃあ――」
少し硬かった藤堂の表情が僅かに緩む。
まるでそれを見計らっていたかのように、ヘリオスが満面の笑みを浮かべて言った。
「では、今行使した
「……どういうこと?」
「それにて、藤堂さんを第五級
眉を潜める藤堂の言葉を無視してにこにこと続けるヘリオス。
藤堂は憮然としていたが、それ以上話し合っても無駄だと判断したのか、再び『
変化はすぐに訪れた。
二度目の
ヒーリングが終わったにも関わらず、次の術を行使する様子を見せない。
「? どうしたの? ナオ」
「……いや……何でもない」
今まで淀みなく進めてきた藤堂の変化に、リミスが首を傾げる。
藤堂は眉をしかめながらも、次の術に入る。
――だが、既に試験は終わっていた。
続けて筋力アップの補助をかけ、敏捷アップの補助を掛けた所で、藤堂が感じていたであろう違和感が表に出始める。
特に遠くからだとその異常がよく見えた。
姿勢が変わる。ぴんと立っていた身体が動き初め、足が僅かに震え始める。十字を切る手にぶれが見え始め、唱えられる詠唱の声色にも乱れが出始める。
ヘリオスの表情は変わらない。ただ、張り付いたような穏やかな笑み。
一方で藤堂の方はようやく自覚出来る程の症状が現れたのだろう。顔色がやや白み眼が大きく開かれ、自身の震える指先に向けられていた。
神力とは信仰心の証、神の加護の証だ。
人は皆、生まれつき神力を持っており、神の加護を受けている。魔力とは異なり、神力がゼロの人間は存在しない。
無意識の内に受けている加護は実はとても強力で、本来ならばそれが切れる事はない。
――ではいかなる時にそれが切れるのか?
「身体が……重い……?」
藤堂の唇が僅かに震え、呆然としたような小さな声を出す。
次の瞬間、膝が碎け崩れそうになった藤堂を、慌てて前に出たアリアが支えた。
これがその答え。
神力の枯渇現象。無意識の内に受けている加護の消失だ。
藤堂は今、自身の身体がとてつもなく重く感じている事だろう。プリーストならば誰しもが一度は体験するそれは、気づかない内に受けている加護がどれ程強力なものなのかを教えてくれるものだ。
砕ける膝。重い身体。手足の力は驚くほど入らず、ただ立っているだけで疲労が蓄積されていく。
握った剣は上がらず、鎧の重さに負け、一度伏せば立ち上がることすら困難になる。
身体能力の異常低下。神の奇跡を下ろす代償は大きい。本来、生活しているだけでは切れるわけがない加護が切れた時
特に、レベルが上がれば上がる程、無意識の内に受けている加護も強くなっていくので、神力が切れた場合に感じる落差も大きくなる。
少し休めば神力が自然回復し加護が復活するが、戦闘中の枯渇はなんとしてでも避けねばならない。
震える視線でヘリオスを見上げる藤堂に、優しげな声でヘリオスが述べる。
「藤堂さん、それが神聖術の代償――神力が枯渇した証です」
「神力が……枯渇?」
「ええ……」
今まで後ろに下がっていたアメリアが前に出て、藤堂の頭に触れる。
一瞬アメリアの手の平が飴色に輝く。藤堂がふらつきながらもしっかりと立ち上がった。
アメリアが行使したのは、自身の神力を譲渡する術。本来、プリーストが一人しかいない一般的なパーティではまず披露されることのない術である。
手の平を開閉して戻ってきた力を確かめる藤堂に、ヘリオスが続ける。
「藤堂さん、貴方の神聖術は八霊三神の加護を持つ者として相応しい力を持っています……が、足りません」
「足り……ない?」
「はい」
笑みを崩さないヘリオスに、藤堂は引きつった表情を向けた。
ヘリオスの細められた眼の奥はきっと、笑っていない。
「貴方には奇跡を起こした回数が圧倒的に足りていない。最下位の奇跡を二周連続で行使出来る事、それが――第五級
「ちょっと待て……つまりそれは……不合格、と?」
アリアが険しい表情でヘリオスを睨みつける。
恐らく、不合格は予想していなかったのだろう。
ヘリオスはアリアの鋭い視線もどこ吹く風、再び疎らな拍手を始める。
「ええ。まぁ、奇跡の効果は問題ありません。素晴らしい。敢闘賞はさし上げましょう」
本心なのか挑発しているのか。傍目からは馬鹿にしてるようにしか見えない。
案の定、リミスが猛然と食って掛かる。
「なにそれ!? 馬鹿にしてるの!?」
「いえいえ、魔導師のお嬢さん。教会の奇跡をたった十日で使えるようになったというのは間違いなく偉業です。総本山で修行に勤しむエリートでもそこまでの速度で奇跡を使えるようになった者は殆どいないでしょう」
ヘリオスの言葉は正しい。速度は大したもの、加護は大したもの、才能は大したものだ。
足りていないのは時間と努力だけだ。そしてそれは、徐々に教えていくはずだったものだった。
縋りつくかのような暗い声色で藤堂が呟く。
「でも……駄目、なのか……」
「ええ。ご容赦下さい、勇者様。プリーストのスキルには人の命がかかっており、神力の枯渇はプリースト本人の命にも関わる。教会としては妥協するわけにはいきません」
馬鹿にしたような態度に、それに追加で付け加えられる論理的な意見。
人の命がかかっているとまで言われた以上、藤堂がそれを押し通す可能性は低い。声を荒げる様子も、あからさまに敵対するような態度もとっていない以上、ヘリオスは藤堂にとって非常にやりづらい相手だろう。
リミスも顔を真っ赤にしているが、何も言えずに睫毛を震わせている。
藤堂の美徳は正義である事であり、そして弱点もまた正義である事だった。
ヘリオスが慰めるように手を肩に伸ばす。藤堂が反射的に一歩後ろに下がり、それを避けた。
それでも、ヘリオスの笑みは曇らない。伸ばしかけた手を引っ込め、何事もなかったかのように続ける。
「……藤堂さん、そう落ち込まずに。足りないのは時間だけです。何度も繰り返し使用し神力さえ高めれば、すぐにでも試験に合格することでしょう」
「時間が……時間が、足りないんだ。立ち止まっている暇は僕達には……ない」
口調は弱々しく、だがしかし絶対の意志を感じさせた。
思いつめたような表情。その表情に、一抹の疑問が沸く。
――ならば何故、どうして俺を追い出したのだろうか。どうして俺は追い出される事になったのだろうか。
不思議だ。とても不思議だ。彼は正義であり、使命感もある。
遊びで勇者をやっているわけでもないし、直情型だが決して物分かりが悪いわけでもない。彼我にあった蟠りも決して致命的なものではなかった。追い出される兆候はなかったはずだった。だからこそ、俺はレベル上げを最優先にしたというのに。
女じゃなければ駄目なんだ、なんていう理由でプリーストを追い出すか? 代わりが簡単に見つかると思っていたから?
想定はいくらでもできるが、どれもしっくりとこない。まぁこれは、藤堂の猫かぶりを俺が見抜けていないだけなのかもしれないが……。
目を凝らし、じっと藤堂の横顔を観察する。そこからは何も読み取れない。
その時、藤堂の視線がヘリオスからその後ろに立つアメリアに移った。
藤堂の眼に希望の光が灯る。食らいつくようにアメリアの方に一歩出る。
「そ、そうだ……そこの君、僕のパーティに入ってくれないか?」
「……私ですか?」
無理だ。それは無理だ。上司からの命令という形をとっても無理だった。
唐突なスカウトにもアメリアの表情は変わらない。無表情のままだ。
どう考えても好感触の表情ではない。
それに気づかないのか、あるいは交渉出来る自信があるのか。
それとも、それこそが勇者の持つ勇気という奴なのか。勇気と言うよりどちらかと言うと無謀に見える。
「ああ。僕達のパーティにはやむを得ない事情でプリーストがいない。戦闘は僕達がやるから、サポートだけしてくれないか!?」
イエスと言え! 助けてやるんだ、アメリア!
大丈夫、クレイオには俺が話を通しておく! 哀れな勇者を助けてやってくれ!
藤堂の意志と俺の祈りが今初めて一致する。
アメリアは僅かに首を傾げ、唇を小さく動かした。
「嫌です」
たった一言、拒否の言葉。
スカウトした藤堂はもちろん、アリアもリミスも、ヘリオスまでも、あまりに簡潔な答えに呆気に取られている。
無駄がないにも程がある。嘘でもいいから理由くらい言ってやれよ。
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