幕間その1

英雄の唄

 その時全身で感じた万能感を、藤堂直継は二度と忘れる事はないだろう。


 八霊三神の加護。異世界の住人がそう呼ぶ計十一の神々の祝福は、それが存在しない世界からやってきた藤堂にとっても体感出来る程に凄まじいものだった。


 身体に漲る力。鋭敏化された知覚。

 風のざわめき、水のせせらぎ、降り注ぐ陽光から、夜空に浮かぶ月の光に至るまで、その全てが藤堂に力を与えていた。

 身体はこれまでになく軽く、試しに持たされた剣も羽毛のように軽い。


 それはまさしく万能感としか言いようのない、強い快感だった。


 神、精霊、剣、魔法、魔王、そして……勇者。


 現代日本ではフィクションの中でしか存在しないその単語の群れはしかし、凄まじいまでのリアリティを持って藤堂直継の世界を一変させた。


 しかし、何よりも藤堂の精神に影響を与えたのは、召喚直後に与えられた一つの言葉だ。


 ルークス王国の王城内に存在する教会――聖なる力の宿った白亜の宮殿、光り輝く召喚魔法陣の上で聞いた言葉。この世界に来て初めて投げかけられた言葉。

 全身、ゆったりとした白地に金糸で模様の施された法衣を纏い、右手に色を失った水晶を持った、信じられないくらいに美しい少女――アズ・グリード教が掲げる聖女であり、召喚者でもある少女の告げた言葉。


 ――ようこそお越しくださいました、。私達の世界をお救いください。


『勇者』


 常人ならばまず戸惑うであろうその単語を聞いた瞬間、藤堂はその世界の全てを受け入れたのだ。


 勇者。英雄。正義。


 奇しくもそれらは、藤堂が日本で喉から手が出る程に欲し、そして得られなかった代物だった。


 例え――何の前触れもなく呼びだされ、魔王クラノスなどという怪物を倒さねばならないと言われても惜しくないくらいに。







§§§





 状況は一変して、悪いものだった。


 何故だ。どうして、彼等は僕に協力しようとしない?


 藤堂はいらいらとしながら、宿の一室、椅子の上で足を組んだ。


 怒りを表に出すのは馬鹿のやる事だ。その事を藤堂は前世の経験から知っていた。

 だが、例え表層で冷静さを装ったとしてもその眼光に滲む殺意にも似た感情は隠しきれていない。


 勇者。英雄。魔王を倒す者。魔王を倒し、世界を救う者。

 王から与えられた使命と称号が、藤堂の中で燻り、その気を急かしていた。


 もともと、魔王討伐の旅が楽な旅になるとは思っていなかった。相手は、国が対応を諦め異界の勇者に助けを求める程の敵相手なのだ。

 だが同時に、藤堂には課された『正義』を成し遂げる自信があった。

 それは、この世界で加護を受けた時に感じた万能感が理由ではなく、藤堂本来が持っていた性質によるものだ。


 だがしかし、王都出発からレベル上げまでは上手く言っていた旅が、下らない問題により足止めを喰らっている。


「……僕は勇者だ。何故彼等は僕に協力しようとしない?」


 心底理解できなかった。

 唇を噛み締め、天井を睨みつける。


 自らの実力不足が原因ならばまだ諦めがつく。だがしかし、プリーストが見つからないなんて下らない理由で足止めされるのは屈辱だ。


 何よりも藤堂を苛立たせるのは、この世界の者が非協力的な事。


 中でも昼間、プリーストを仲間にするために傭兵たちの斡旋所を訪れた際に受けた仕打ちには深い怒りと失望を抱かせられた。例え、魔族からその痕跡を隠すため、公に勇者を名乗る事が許されておらず、勇者である事を明かせなかったからといって、そのような行いは許される行いではない。それは藤堂の考える正義ではない。


 人族に強い敵意を持ち、ルークスの友好国を既に三つ滅ぼしたとされる魔王、クラノス。


 それを倒すために召喚された勇者は希望の星であるべきであり、他の人間は全面的に協力すべき。

 傭兵たちに笑われ馬鹿にされた時は、本気で殺意を覚えた。

 剣を宿に置いてきた事と、リミスとアリアという同行者がいた事もありなんとか屈辱を飲み込めたが、もしその時、同行者がおらず剣が手元にあったのならば、藤堂は傭兵たちを斬り殺していただろう。


 そして、あろうことか……その後……その後訪れた教会においても、プリーストの斡旋を頼み、断られている。こちらが勇者である事を理解しているのかしていないのか、しかし、その神父の鋭くまるでコチラを見くびるような目つきは、


 今までの順調さが嘘であるかのようだ。まるでツキが離れてしまったかのような感覚。

 なまじ、王都出発から今まで、特に大きな問題もなくスムーズに進めてこれていたので、余計に目の前の障害が大きく感じてしまう。


 険しい表情の藤堂を慮るように、アリアが相槌を打った。


「……魔物退治をする僧侶プリーストの多くは男性だと聞いております。やむを得ない事なのかもしれません。よもやここまで見つからないとは思いませんでしたが……」


「……ああ、理屈は、わかる。理屈は……わかるんだ。だけど、納得できない……」


 深呼吸をして、頭の中に僅かに燻ぶる焦りをなんとか止めようとする。


 藤堂は正義だ。少なくとも、それを目指そうとしている。


 異世界で力を手に入れたからといって、横道にそれるつもりもない。藤堂の目的は最速での魔王討伐であり、故にアレス・クラウンが出したな案に乗ったのだ。

 まだこの世界に慣れていない自分よりも、この世界で生まれ育ったアレスの方が知識も経験も詰んでいると思ったから。

 理由があれば、どのような相手の言う事でも受け入れる事が出来る。いや、全て受け入れるわけではなくが、少なくとも、アレスの案は受け入れるに足るだけの説得力を持っていた。


 アレス・クラウン。

 銀髪碧眼のプリースト。研がれた刃のように鋭い目つきに、それに見合った冷酷、冷徹な言動。

 神に祈るような人物には到底見えず、しかしプリーストとしての役割を全うしていた『男』

 性格こそ合わなかったが、有能な男ではあった。


 その男の言葉を思い出す。


 アレスを追い出す事に関しては、事前にアリアとリミスにも話し、了解をもらっていた。

 役割を全うしていたアレスを追い出すのは悪いとは思ったが、それは仕方のない事で、もともと自分と同年代の少女をパーティメンバーとして要請していた藤堂にとって、パーティに入った当初から男だったアレスはいつか追い出さないといけないメンバーだったのだ。後悔はない。


 例え――今の状態がそれに端を発していたとしても。


 訪れた沈黙の中、リミスがふと口を開きかける。


「……やっぱり、代わりが見つかってからアレスを追い出した方が――」


「!? リミスッ!!」


 その言葉を、アリアが遮った。

 睨みつけるかのような険しい表情に、リミスの顔色が変わる。慌てたように藤堂の方に向き直り弁明する。


「あ……ご、ごめんなさい……ナオ。べ、別に追い出したのが悪いって言っているわけじゃ――」


「……いや、いいんだ。あれは……僕の都合だった」


 リミスの謝罪に、藤堂が僅かに首を横に振る。


 彼女の言葉も尤もだ。


 だが、代わりが来るのを待っていたら、いつ交換出来るかわかったものではない。何よりも、長い間世話になってしまったら追い出した時の罪悪感も深くなる。最低限の神聖術の取得、知識の習得のタイミングで追い出したのはどちらかと言うとこちらの理由の方が大きい。


 その事を口には出さず、藤堂はしっかりとリミスを見据えると、


「だが、今のタイミングが、アレスにとっても僕にとっても傷が一番浅くなるタイミングだった。皆には迷惑かけるが、これは仕方のない事だ」


「……ええ」


 藤堂の断言に、リミスが小さく頷いた。


「僕に出来る事はアレスとの約束……魔王討伐を出来るだけ早く達成する事だ。それが彼にとっての贖罪になるだろう」


 好きではなかったが、殺したいほど嫌いでもなかった。

 アレスは藤堂が今まで会ってきた男達の中でも割りとマシな部類に入る。だから、アレスが抜けたことに関しては、彼自身の責任ではない旨を添え、王国に連絡をとっている。旅の半ばでの脱退になるが、アレスが罪を問われる事はないはずだ。


「そ、そうね……魔王なんてさっさと倒して驚かせてあげましょう! ……次会った時は『どうやって戦うつもりだ? 』なんて言わせないんだからッ!」


「ああ……そうだね」


 半ば空元気のようなリミスの言葉に、藤堂が微かに微笑みを浮かべた。


 緩みかけた空気に、アリアが口を挟む。

 アリアは武家の出身で、魔物の討伐についてもある程度の教育を受けていた。実戦経験こそ乏しくても、そのイロハくらいならば知っている。

 魔術に関する教育や一般教養しか受けていないリミス、そして召喚されたばかりの藤堂の知識が少ない以上、アドバイス出来るのはアリアだけだ。


「しかし、プリースト抜きでの旅は危険過ぎる。今ならばまだ回復薬の類で賄えるでしょうが、いつか絶対に無理がくるかと思われます」


「ああ……わかってるよ」


 問題はたったひとつ。回復役がいない事。


 神聖術については藤堂が教授してもらい、一通り使えるようになってはいるが、アレスが最後に残した言葉を無視する気にもなれない。追い出されながらも最後になされた忠告、それを無視する事は藤堂の正義に反している。


 戦闘が終わった後に傷を治すくらいならできるが、戦闘中に傷を負った場合がネックになる事に藤堂は気づいていた。


 現在の前衛はアリアと藤堂の二人、リミスが前衛を務められない以上、アリアが戦闘中に大怪我をしてしまえば藤堂のみが魔物と切り結ぶ事になる。

 そうなってしまえば、回復魔法を唱える余裕などない。そもそも、藤堂の使える回復魔法は直接接触しなくては効果がないのだ。別のプリーストか、あるいは最低でも、前衛が傷を負った際に治療の時間を稼げるメンバーが必要なのは明白だった。


「……一応、私もお父様に手紙を送ってみたけど……僧侶プリーストについてはうちの管轄じゃないから……」


「……私も送ってみるが、プリーストは……難しいかと」


 アズ・グリード教会は国を跨がない独立した組織であり、友好的ではあるが、ルークス王国が直接擁している組織ではない。ルークスの重鎮であるリミスとアリアの生家からの要請でもどこまで通るか、予想できない。

 よしんば、交代のプリーストが送られる事になったとしても時間がかかる事だろう。


 苦虫を噛み潰したかのような表情で、藤堂が呟く。


「30レベルのリミットには間に合わない、か……」


「……間に合わないわね」


 最善策はヴェール村でプリーストを補充する事だった。だが、それは今日の段階でかなり難しいという事がわかっている。


 召喚からおよそ三十日で魔族に勇者の存在がバレるという話は聞いていた。

 そして、それまでに最低でも30にした方がいいというアレスの言葉も覚えている。


「……多少強行軍にはなりますが、プリーストは置いておいて、レベル上げを優先した方が良いかもしれません」


「……もう27だし、もしかしたらなんとかなるかもしれないけど……」


 藤堂の言葉に、リミスが言いづらそうに口を挟む。


「……私のレベル、まだ17だし……まずいかも」


「ああ……・僕が27、アリアが25、リミスが17、か……」


 レベル。

 それもまた、藤堂の世界では存在しなかった概念ではあるが、その重要性はわかっていた。

 レベルが1上昇すると、明らかに目に見えて身体能力が上昇するのだ。レベル30でぎりぎり逃げきれる相手にレベル17で逃げきれるのか、魔族と実際に出会ったことがない藤堂には判断が付かない。


 目を瞑り考える。

 メンバーの不足。レベルの不足。時間的制約。


 しばらく、通夜のような重い空気が漂っていたが、やがて藤堂がゆっくりと眼を開けた。


「取り敢えず全ては明日だ。明日、僧侶プリーストの技能認定に受かれば、僕がプリーストの代わりを出来るという保証になる。そうなれば、回復役ヒーラーの代わりに前衛を一人追加して回復については僕が臨機応変に対応すればいい」


 仲間が怪我をした際にのみ治療に専念する。

 仕事が増える分レベル上げのペースは落ちるだろうが、それが一番いい方法のように思えた。

 というか、現段階ではそれしか方法がない。


「前衛ならすぐに見つかるだろ? パーティメンバーも別に四人限定というわけではないんだし、プリーストが見つかって入る事になっても五人パーティという事にすればいい」


「……確かに前衛ならば、うちの家の者を入れる事も出来るかもしれません。あるいは斡旋所にて斡旋してもらう事も可能でしょう」



 やることは決まった。

 足止めを喰らっている時間はない。こうしている間も、世界中で罪のない人々が魔王の軍勢により苦しめられているのだ。


 まるで現実を振り払うかのように首を大きく左右に振ると、立ち上がる。

 何もせずに宿に引きこもっていると、気が滅入ってしまいそうだった。


「……取り敢えず、回復薬ポーションだけ、まだ減っていないけど追加で補充しておこう。今の僕の回復魔法ヒーリングじゃ、本職には敵わないかもしれない」


「……本職って言っても、アレスはレベル3でしょ? レベル27で加護持ちのナオの回復魔法が劣っているなんてありえないと思うけど……」


「……神聖術ホーリー・プレイの効果はレベルだけでなく、信仰に応じて威力が上がるらしい。どちらにせよ……備えはしておいた方がいい」


 もちろん、藤堂とて自信がないわけではない。

 例え最低限の神聖術を教えられていたとしても、自信がなければ、アレスを追い出したりはしなかっただろう。実際に、教わった神聖術についてはアレスの前で使ってみせ、お墨付きを貰っている。


 が、同時に、命がかかっている事を無碍にするわけにも行かなかった。


 自信はある。才能もある。そして、意志もある。

 だがしかし、それだけでは上手くいかない事がある事を、藤堂は痛いくらいに知っていた。



 それこそが、聖勇者ホーリー・ブレイブ 藤堂直継の持つ唯一の『闇』なのだから。

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