第十七レポート:

 文句を言っても仕方ない。所詮何事においても、手元にある札で勝負するしかないのだ。

 きりきり痛む胃にこっそり状態異常回復魔法をかける。何か最近、神聖術を無駄遣いしているような気がしてならない。


 俺の気持ちも知らず、元オペレーター現助っ人の少女は、瞼を閉じ、まるで人形のように規則正しく椅子の上にされていた。

 そう、それは『安置』という単語に相応しい、まるで生き物でないかのような佇まい。

 染み一つない白雪のような肌、その容貌はまるで表情の変化がなく、ただ、呼吸により微かに動く胸元だけが、彼女が生きているという事を示している。

 その佇まいは非常に静かで音を感じさせず、奇しくも通信越しで感じていた印象と一致している。


 しかし、また癖が強そうなのを持ってきたものだ……もうちょっと普通の人材はいないのか、普通の人材は。


 人には適正がある。静かなのも感情を廃するのも最低限の会話しか交わさないのも、オペレーターとしては優秀な適正かもしれないが、これからの任務に有効とはとても思えない。

 しかも、そもそも彼女はもともと事務職である。教会本部の事務なのだからキャリアとしてはエリートなのだろうが、どれだけ現場で働けるのかもわからない。頭が良くても身体を動かせなければ意味がない。


 席に座る前に、テーブル越しにじっとその女を観察する。


 自分からこんな割の合わない任務に参加するとは思えない。クレイオからの命令で強制的に派遣されたのだろう。

 ずっと昔、俺が異端殲滅官クルセイダーになったその時からオペレーターをやっていた彼女にとってみれば今回の任務は左遷みたいなものだろうか。


 そう思うと、上司の無茶振りを受けた仲間としてちょっとばかり親近感が湧いてくる。

 もちろん、親近感が沸いたとはいえ、容赦するつもりはないが……


 対面で咳払いをすると、女の瞼がゆっくりと開いた。濃い藍色の虹彩はルークス王国から遥か北、数千キロも離れた北方によく見られる眼髪色だと聞いたことがある。深い藍の髪と眼にどこか黒髪黒眼の藤堂を思い出し、俺は僅かに顔を顰めた。


 気を取り直し、口を開く。

 女はまるで珍動物でも観察しているかのような視線を投げかけてきていた。


「アレス・クラウンだ」


「知ってます」


 名も知らぬオペレーターが僅かに目尻を下げ、ただ一言答える。


 そっけねえ。

 下手したらリミスやアリアよりもこちらに興味がなさそうだ。俺は果たして彼女とうまいことやっていけるのだろうか。


「……ああ、そりゃ知っているだろうさ。通信越しとは言え、数年の付き合いだ。世話になってる。だが、こうして対面するのは初めてだろ。違うか?」


 俺が教会に引き取られ異端殲滅官クルセイダーとなってからすでに五年以上が経過している。その際に配られた通信用の魔導具の交換手が彼女だったので、俺のクルセイダー歴は彼女との付き合いの長さと一致している。

 俺の言葉に、女が極僅か、注意していないと気づかない程度に眉を潜めた。


「……違います。一度……会った事があるかと」


「……そうか」


 全然覚えてない。


 もうすでに俺が覚えていないという事には気づいているだろう。遠慮無く、その顔をまじまじと眺める。

 すっと通った目鼻立ちに長い睫毛。深い藍色の瞳に、黒に近い藍の髪が肩まで伸ばされている。胸はそこそこだが、全体的に華奢なせいか実態以上に大きく見えた。背丈は女性にしては高く、年齢は俺よりも多分下。その辺ではなかなか見かけないレベルの美少女である事に間違いはない。


 だが、知らない。容姿がいいので見かけたら深く脳に刻まれると思うが……というか、そもそも名前すらも知らないのだ。


 俺の視線を受け、少し擽ったそうに身じろぎをする少女。

 十数秒じっと見つめ、その容姿を記憶に刻みつけると、両手を上げて降参する。印象が悪化するかもしれないがやむを得ない。


「降参だ。悪い、覚えていないようだ」


「そうですか……」


 どこか消沈したように僅かに感情を滲ませた声で少女が呟く。この感情の機微も恐らく初対面だったらわからなかっただろう。

 だが、一回一回の話す長さは短いとはいえ、通信越しで話し続けていた俺には何となくわかる。これで名前すら知らない事がバレたらどう思われるか……。


 通信越しだから姿形は知りませんは通るかもしれないが、さすがに何年もオペレーターやってもらっておいて名前も知らない、はないよな……。気を悪くしてしまうかもしれない。

 何しろ、自己主張が殆ど無かったので甘えてしまっていた。効率を優先したとも言う。しかも名前の方は多分……最初に通信した時に名乗りあった覚えが朧げながらにあるのだ。くそっ……呼ぶ機会がなかったせいか、思い出せない。


 少し考え、気を取り直した振りをして右手を差し出す。


「改めて自己紹介をしよう。アレス・クラウン。知っての通り……異端殲滅官クルセイダーをやっていた。今は僧侶プリーストとして任務についている」


 差し出した右手を、女がジト目でただ見つめている。


 もしかして、案外感情表現豊かなのだろうか。無関心よりはよほどいい。何しろ俺はこれから、この女と即席のパーティを組んで勇者のサポートをしなくてはならないのだ。

 そういう意味では、事前の知り合いを派遣したというのはコミュニケーションの手間が省けて助かる……かもしれない?


 やがて、そろそろと手を差し出してきた。

 容貌と同様、内勤だったためだろうか、殆ど日に焼けていない白の指先が俺の手の甲に触れた。

 色素の薄い唇が僅かに開き、すらすらと言葉が流れる。


「アズ・グリード教会総合魔術部交換手オペレーター……アメリア・ノーマン。ご存知かと思いますが、貴方のオペレーターをやっていました。クレイオ卿の命により、本日よりサポートにつきます」


「……ああ、助かった。アメリア。よろしく頼む」


 最後まで言い切り、微かに不機嫌そうな目つきを向けてくるアメリアを軽く受け流す。ちなみに、名前を聞いても思い当たる節がなかった。どうやら当時の俺は随分と余裕がなかったらしい。


 総合魔術部。神の奇跡を是とする教会において魔術という相反した奇跡を統括する部門である。異端殲滅教会アウト・クルセイドとはまた別の意味で教会内では孤立している部門で、同時にそこに所属する者は僧侶プリーストではなく白魔導師ホーリー・キャスターと呼称される事もある。


 魔力と神力。相反する二つの力を有するその魔導師はエリート中のエリートだ。

 思わぬ所属にもう一度アメリアを見つめなおす。なるほど、通信オペレーターは総合魔術部の管轄だったのか……今まで知らなかった。


 白魔導師、白魔導師、か……。神聖術と魔術の同時使用は出来ないとはいえ、手札が多いのは悪いことではない。もしかしたら儲けものかもしれないな。


 何となく今後のプランに見通しがついてきた。

 なるほど、もしかしたら……クレイオが俺にアメリアを派遣した理由もわかってきたかもしれない。


 面談しているかのような心地で質問を続ける。


「レベルは?」


「55です」


 ……ほう。


 55か。思わず感嘆のため息がでる。

 内勤なのにかなり高い。大体50を超えるとプリーストはハイ・プリーストと呼ばれるようになる。大体、この辺りからそれだけで戦局が変わるような強力な補助バフが使えるようになるからだ。僧侶の中でもこの域まで達せるのは上位十パーセント程度と言われている。


 悪くない。悪くないぞ。

 攻撃力こそなくとも、その神聖術の性能は俺に代われる。レベルが55もあれば、その身体能力もかなり高いだろう。少なくともヴェール大森林程度では揺らぐまい。


「プリーストの証はどうした?」


「持ってますよ」


 純白の布で出来た袋を取り出し、その中から僧侶の証であるイヤリングと白の指輪を出してみせる。

 ただし、イヤリングは低位の僧侶がつけるものではない、銀の十字架と小さな金の十字架が組み合わされたもの――ヘリオスも装着していた、司祭位の証だ。


 ヘリオスは協力的ではあっても、立場的に俺の使える人材ではなかった。だが、アメリアは違う。否が応でも期待が高まる。その上、リミスやアリアにも遜色ない美少女。藤堂もこいつなら文句なく受け入れられるだろう。


 にやけかける頬を力づくで抑え、質問する。


「何故つけて来なかった?」


「……アレスさんが気づくかどうか確かめようかと……」


 こいつ、そんな下らない理由で証をつけてこなかったのか。

 ルールを何だと思っているんだ……と言いたい所だが、思惑通り気づかなかったので文句も言えない。


「そうか。それは……悪かったな」


「いえ……構いません」


 端的に答えると、さして気にした風もなく後ろ髪を僅かに掻き上げ、慣れた動作でイヤリングを左耳に装着した。

 髪を掻き上げた瞬間に僅かに見えた染み一つない華奢なうなじと本当に何気ない動作、清楚さの中に交じるそこはかとない色気に、心が乱され思わず感嘆のため息が出る。


 いける。これならいけるぞ。なりたてのシスターを犠牲にするまでもない。事情もある程度知っている彼女ならば新たな藤堂パーティのプリーストとして、そしてスパイとして満点だ。


 やるじゃないか、聖穢卿。

 勇者にこれ以上、僧侶プリーストを投資するつもりがないとか言っておいて、こんな人材を派遣してくるとは……いや、表向きには俺への投資としてだが実は、という事か。

 本気で勇者を見棄てるつもりなのかと思っていたが、程々にというのもただのブラフだったのか……やれやれ、人が悪い男だ。もしかしたらさっき仲間になると勘違いしていた僧兵モンクよりもベストな人材かもしれない。


 これも不幸中の幸いという奴か。

 純粋な支援職である彼女に戦闘能力は見込めないので、確かに俺が直接パーティに入ってサポートするよりも不安ではあるがその反面、俺個人が藤堂の動きにとらわれず、個別で動けるというメリットもある。藤堂サポート用の別動部隊を新たに作ってこっそり障害を排除する事だって出来るだろう。


 感情を抑えるべく深くため息をつく。

 がたがた机を鳴らして幸運を噛みしめる俺を、アメリアは不思議そうな眼で見ていた。


 ようやく運が向いてきたか……そうだ。大体、藤堂の動きもキャッチできずしてどうしてサポートできようか。あの男は勝手に竜退治を請け負うようなそんな男だぞ? 地獄へ一直線だろう。そう、これはあって然るべきサポート、あって然るべきサポートなのだ。大仰に喜ぶまい。


 舌を噛んで、しかめっ面を保とうとするがどうしても頬が緩む。

 俺は仰々しく咳払いをして、アメリアの方を向いた。


「アメリア、今のメンバーを考慮して、体制を考えた」


「体制、ですか?」


 目を僅かに見開き、僅かに首を傾げるアメリア。

 ああ、今すぐにでも藤堂の泊まる宿に向かって欲しい。あいつは本当にどう動くかわからないからな。


「ああ。枢機卿からは後から人員が余ったら送るとは言われてはいるが、現状からは期待できない。藤堂はいつ死ぬかわからない。効率的に動く必要がある」


「効率……的?」


「ああ」


 俺は、極めて事務的にアメリアに指示を出した。


「アメリア、君には藤堂のパーティにプリーストとして参加し、藤堂のサポート及び動向調査をお願いしたい」


「え? 嫌です」


 俺は死んだ。

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