第十六レポート:万事が上手く転がる事なく

 ヘリオスに断られた今、勇者は一体、何をしているのだろうか。

 宿に戻っているのか。あるいは、道具の補充でもしているのか。はたまた、魔物の素材の売却か。


 この世界で一番勇者の事を考えているのは多分俺だろう。何故、恋する乙女のように俺を追い出した男の事を考えなくてはいけないのか。

 これも仕事なのはわかっているつもりだが、こう、うまく転がらないと消化不良のような、奇妙な心地になってくる。


 明日、試験を受けるのに今日外に出る事はないだろう。

 一端、藤堂の足跡を追うのをやめ、クレイオの手の者とコンタクトを取るために今朝取っていた宿に向かう。


 昼間である事もあり、人通りも非常に多く賑わっていたが、幸いな事に藤堂達とは出会わなかった。


 道中、ふと疑問が頭をよぎる。


 そういえば、リミスとアリアも俺を追い出す事に賛成していたのだろうか? 

 あの時、藤堂から首を告げられたその時、彼女たちは不自然に俺と藤堂を二人っきりにした。それを考えると、事前に話は通してあったのだろう。もしかしたら、リミスが突然馬車の運転を教えて欲しいと言ってきたその時から、計画は始まっていたのかもしれない。


 が、しかし、だ。

 聖勇者の名は高い。藤堂の身分を知っている彼女たちは反対こそしなくとも、もしかしたら……多少は協力してくれるのではないだろうか。

 何よりも藤堂がどう動くかわからないのがまずい。レベル27の戦士にとってこの辺りは危険でいっぱいだ。少しうっかり道を外れれば危険域のレベルの魔物と遭遇する事になる。その辺りを定期的に連絡して貰えると、サポートする身としては非常に助かる。


 宿は大通りから少し外れた場所にあった。

 頑丈そうな木造建築。掲げられた宿の印である寝台のシンボルが刻まれたレリーフも長年の風雨で劣化しており、その歴史を感じさせる。


 交代したのか、フロントに立っていたのは今朝話した女従業員ではなく、髭を生やした中年の従業員だった。

 尋ね人が来ていないか確認すると、食堂の方に一人、待っている旨を伝えられる。


 しかし、クレイオと話をしたのはつい今朝の事だ。

 それなのにもう人を送ったとは……あの男もなかなか手が早い。そこまで出来るならもう少し頑張って、勇者の方に僧侶プリーストを派遣してくれればいいのに。

 例え高レベルシスターが傷物にされて使い物にならなくなる可能性があったとしても……その程度で手を緩めるような性格でもあるまいに。


 冷静に考えると、俺に『投資』とか意味がわからない。こんなのただの嫌がらせじゃないか。


 時間が中途半端なせいか、食堂にはあまり人がいなかった。


 朝っぱらから安酒を飲んで酔っ払っている四人パーティらしきハンター集団が一つ、三人パーティが一つ。恐らくこいつらは違うだろう。朝から酒を飲むような奴らがクレイオからの増援だったら俺はこの仕事を降りる。

 二人組で唾を飛ばし侃々諤々の議論を行っている卓が一つ。側に長剣が立てかけられているし、恐らくこいつらは剣士だろう。クレイオはプリーストを派遣すると言っていたのでこれも違う。

 明るい灰色のワンピースタイプの衣装を纏った紺色の髪をした少女が一人。耳にプリーストの証がぶら下がっていないのでこいつも違う。華奢な体つき、その様相から見るに傭兵でもなさそうだが、一体何故こんな安宿にいるのか。


 まぁいい。ヘリオスからの言伝では、行けばわかるそうだからな……。


 食堂を見渡す事十数秒、俺の視線はようやく、一人で席についている僧侶プリーストに引きつけられた。


 いや――プリーストではない。


 壮年の禿頭の男。トマスと比較しても遜色無い程に筋肉の鎧で覆われた肉体。遠目で見ただけで感じさせる圧迫感のある巨体に、水色の法衣が全く似合っていない。

 黒く日に焼けた容貌は精悍極まりなく、その巨体に相応しい強面だが、目つきが悪くないためか、見るものに恐怖というより厳格さを感じさせる。

 左耳にぶら下がったシンプルな十字架クロスは低位の僧侶プリーストである証だが、十字架の他にも金の短冊のようなものがぶら下がっている。これはただのプリーストではない――己の肉体を鍛え神への信仰とする僧兵モンクの証である。

 側に俺のそれよりは随分と細い棍棒のようなメイスも立てかけてあるが、テーブルの上に投げ出された岩石のような拳と比較し、どれだけ頼りない事か。


 モンクか……悪くないな。

 心の中で深く頷く。


 なかなか頼りになりそうな人材である。鍛え上げられ引き絞られた肉体。魔物との戦闘経験もかなりのものだろう。


 神聖術の性能こそ一般の僧侶プリーストには劣るものの、僧兵の武器は己の肉体である。自らの肉体に補助バフを掛け、あらゆる神敵をその拳で打ち払う、悪魔殺しエクソシスト異端殲滅官クルセイダーとは異なる形の教会戦力だ。

 魔物と戦う事もでき、聖職であるが故に神聖術ホーリー・プレイも扱えるモンクは、ハンターの中でも特に大きな人気を誇る人材でもあった。プリーストと比べて祈祷の力が低いので、プリーストはまた別に必要になる事は多いがそれでも、補助・回復が出来る者が二人存在するというのはそれだけでパーティの生存率に大きく影響する。

 一方で、僧兵モンク僧侶プリースト以上に市井に下る数が少ない。モンクの存在意義は魔物に襲われる一般市民の救済であり、魔物狩りを商売とする傭兵とは相容れないのだ。

 殆どの僧兵は教会直下で働き、現教会戦力をまとめるクレイオの命令により各地の教会に散っている。ハンターのパーティに入る者は、それを神の試練とみなし、己の肉体をより鍛え上げ、より強い信仰の証とせんとするごく一部だけだ。


 神聖術ホーリー・プレイは俺が一通り使えるので、別に低位の神聖術しか使えなくても構わない。

 力が強く、タフネスでそして、その見た目から傭兵たちにも舐められない。レベルが俺より高いという事はないだろうが、どんな肉体的酷使も鋼の肉体と精神で耐え切れるだろう。

 修行僧として、他者から侮られる事もなく、藤堂達も彼を侮る事はないだろう。一騎当千の雰囲気を持つその男の忠告を聞かないという事もあるまい。


 何が来るのかと思ったがなるほど……モンクを一人融通するとは、俺に投資するという言葉も嘘ではないらしい。

 見ればわかる。ああ、確かに見ればわかる。


 念のために辺りをもう一度確認するが、他にプリーストらしき影はない。

 満を持して、その男の側に歩みを進めた。


 唐突に側に来た俺に、モンクが睨みつけるように見上げる。

 灰色の透き通った眼。容貌に薄く刻まれた傷跡はその戦績の証か。眼が俺のイヤリングに気づき、続いて俺の左手に嵌められた黒の指輪を追った。


「アレス・クラウンだ。いきなりすまないが、あんたが俺の待ち人で間違いないか?」


「……司教格の異端審問官クルセイダー……」


 その体躯に相応しい荒々しく太い声。

 視線が再び上に動き、俺の顔をもう一度じろりと見た。


「ダラス・ブランク。僧兵モンクだ」


「そうか、ダラス。さっそくだが話をさせてもらっていいか?」


 ようやく俺の任務にもツキが向いてきたようだ。

 前の席につこうとする俺に、ダラスが顔を顰め、信じられない事を言った。


「……残念だが、人違いだと思われる。私は誰も待っていない」


「……は?」


 もう完全に、目の前の豪傑が待ち人だと決めつけていた俺は、その予想外の返答に目を丸くする。

 そんな馬鹿な……他に僧侶プリーストはいなかったはずだ。


 混乱の極みにある俺に、ふと背後から声が掛かった。


 ダラスとは相反する透き通るような声色。


「アレス、こちらです」


「……は?」


 振り向きたくないという思考と振り向かねばならないという義務感の鬩ぎ合い。

 なんとか後者が勝利し、ぎりぎりと首を回転させる俺の視界に入ってきたのは、先ほど食堂を覗いた時にもいた、藍色の髪の少女だった。


 年の頃は俺よりも一つか二つ下か。傭兵にはとても見えない、抱きしめたら折れてしまいそうな華奢な身体と、癖のない髪にワンピース。

 だが何よりもその女は僧侶プリーストの証を下げておらず、神の花嫁である証の指輪もしていない。


 芯の通ったやや気の強そうな容貌、髪と同色――藍色の眼が感情のこもらない視線を俺に向けている。

 思わず、ダラスと少女の方を交互に見る。これは……どういう事だ。


 懇願の眼で見る俺に、ダラスがため息を付く。


「……どうやら待ち人が来たようだな」


「マジっすか……」


「マジです」


 そっけない動作で前髪をいじり、少女がその意見を肯定した。


 行けばわかるって? どういう事だよ。


 まるで軽蔑するかのような冷たい視線を向けてくる女の方に向き直る。

 なるほど、意志は強そうだがこれで……どうしろって?


「……ちょっと電話してきていいか?」


「どうぞ」


 何というぬか喜び。落差が……落差が酷すぎる。


 何故、女僧侶シスターを求める勇者にそれを入れず、俺の方に僧侶でもない女を派遣してくるのか。

 俺はクレイオに抗議を入れる事にした。




§§§





 食堂の隅に向かい、通信を繋ぐ。

 珍しい事に、いつもならばすぐに繋がるのに、数秒のタイムラグがあった。

 耳元で聞こえてきたのはいつものオペレーターではない、慌てたような女の声だ。


 後ろからどたばたしている音が聞こえるところを見ると、総本山で何かあったのだろうか?


「あ……はわあ……は、はいぃ! こちら、教会本部ですぅッ!」


「アレスだ。クレイオ枢機卿に繋いでくれ」


「は、はい! アレスさんッ! 初めまして、こ、この度、新りゃしく――あ、新しく交換手オペレーターに、な、なりました。ス、ステファン・ベロニドですぅッ! 以後、お見知り置きくださいッ!」


 舌を噛みながらも必死で自己紹介してくるオペレーターに思わず、沈黙する。


 何だこいつは……。今までのオペレーターはどうしたんだ。

 半ば呆れながらも、まぁ新人ならばしょうがないと納得しておく事にする。それよりもまずはクレイオに連絡だ。


「わかった、ステファン。アレス・クラウンだ、今後ともよろしく頼む。それで……クレイオに繋いでくれるか?」


「は、はいッ! よ、宜しくお願いしますッ!」


「クレイオに繋いでくれ」


「わ、は、はい! 承知しましたぁッ!」


 効率的じゃねえな。まぁ、これが初回だし、改善されると信じたいが……。

 背後から漂ってくる慌ただしいノイズを聞きながら待つこと一分近く、ようやくクレイオが通信に出た。どうして通信繋ぐだけでこんなにかかるんだよ……。


「アレス、また何かあったのか? 今こちらは少々……立て込んでいるのだが」


「送られてきた人材の話だ。僧侶プリーストの証もつけていない女が待ち合わせに来たんだが……」


 プリースト送るっつってたのに、どう考えてもあれは詐欺だ。肉体的に頑丈そうにも見えないし、囮くらいにしか使えそうもない。

 モンクが仲間になると勘違いしていたせいか、余計に腹立たしい。いや、勘違いは俺が悪いんだが……。


 俺の問いに対して、クレイオが意外そうな声をあげる。


「ん? 証もつけていない? いや、恐らく外しているだけだろう。彼女は間違いなく僧侶プリーストだよ。君もね」


 外しているだけ……?

 基本的にプリーストは寝る時や風呂に入る時を除いて証をつけるルールになっていたはずだが……。


 背筋をまっすぐ伸ばして一人席に座る少女に視線を向ける。

 まぁ、プリーストならプリーストでいいとしても――。


女僧侶シスターは投資しないんじゃなかったのか? というか、そもそも、俺はあいつと会ったことがない」


「……ん? それはおかしいな……彼女は会ったことがある、と言っていたのだが……」


 目立つ容姿だ。

 リミスやアリアにも勝るとも劣らない整った目鼻立ち。どこぞのお嬢様のようにも見えるその容姿、彼女のようなプリーストに一度関われば忘れない自信がある。そもそも、基本、外で闇の眷属との戦いに明け暮れていた俺がシスターと関わり合いになる機会は多くない。


 あらゆる疑問が脳裏に沸いたが、それを全てスルーしてただ一言聞いた。


「あれは……耐えうるのか?」


 厳しい旅だ。時には藤堂達に先行してフィールド調査をする事もあるだろう。

 体力的にも意義的にも、かなりの負担が想定される。


 クレイオはしかし、呆れたように答えた。


「彼女に尋ねたまえ。アレス、君は私に文句を言いすぎだ。私は一応……枢機卿カーディナルなのだが」


「俺だって言いたくて言っているわけじゃない」


「ふむ……」


 クレイオがふと、思案げな声を上げる。


「だがしかし、私もアレス、君には期待している。もし君が他の人員を望むのならば、考えなくもない」


「……言ってみろ」


「ステファン・ベロニドというシスターだ。高い魔力と高い神力を併せ持ち、最年少で交換手の地位についたまさしく……神童だよ。まだまだ未熟だが、まぁそこは君が上手い事やってくれ」


 出てきたのはさっきあたふたとクレイオに通信を繋いだシスターの名前だった。ファック。

 まだ一言二言しか会話を交わしていないが、あまり性格的に合いそうにもない。前のオペレーターに戻して欲しいくらいだ。


「……手助けと言うよりは負担になりそうだ。というか、どう考えても嫌がらせ――」


「他にも一人、手が空いている者がいる。君ならきっと断るだろうと思って、出さなかったが――」


 ステファン以下がいるのか。教会の層は一体どうなってるんだ……。

 沈黙したまま言葉を待つ俺に、クレイオが続ける。


「アレス、君と同じ特殊異端殲滅教会アウト・クルセイドの一員だ。二つ名は殲滅鬼マッド・イーター――」


「ファック!」


 反射的に怒鳴りつけ、慌てて周囲に視線を巡らせる。

 幸いなことに誰にも聞かれていなかったらしい。壁に向き直り、声を潜める。


 知っている。名前も知っているし、会ったこともある。任務を共にした事もある。


 グレゴリオ・レギンズ。

 殲滅鬼マッド・イーターの二つ名を持つ異端殲滅官クルセイダーの一人で、神聖術ホーリー・プレイの内、退魔術エクソシズムしか使えないという僧侶プリーストを馬鹿にしたような性能を持つ異端殲滅官クルセイダーである。


 反面、全信仰を攻撃力に振り切っており、馬鹿みたいに強い。俺よりも攻撃的な僧侶を俺は、アレしか知らない。


「あれは人の下につくようなタマじゃないし、俺はずっと奴を異端殲滅官クルセイダーから外すべきだと思っている」


「そうか」


 どう考えても異端審問される側である。

 そもそも仮にも聖職にも関わらず、ついた二つ名が殲滅鬼マッド・イーターの時点でイカれてる。


 通信先に聞こえるように大きな舌打ちをして、送られてきた少女の方に視線を向ける。

 今あげられた二人に比べれば確かにまぁまだマシかもしれない。


「まぁ、取り敢えずは送った人材でなんとかしたまえ。人員が空いたらまたそちらに送るが、こちらも何しろ人手不足でな」


「……チッ。……了解」


 ないものをねだっても仕方ない。元より、人員を送ってもらえるとは思っていなかったのだ。

 足りなかったら傭兵を雇おう。そっちの方が精神的に良さそうだ。


 通信を切る直前に、さっきから疑問に思っていた事を尋ねる。


「そういえば、交換手オペレーターが変わったようだが、前回まで俺を担当していたオペレーターはどうした?」


「……ん?」


 ステファンより前回までのオペレーターの方が遥かにその職に向いている。

 後々改善されるだろうが、繋ぐのに一分かかるって、緊急事態で掛けた際にどうするつもりだよ。


 俺の問いに対して、何を馬鹿な事を、とでも言うかのように、クレイオがあっさりと答えた。


「いや、どうしたって……君の所に送ったじゃないか」


 送っ……た……?


「……マジかよ」


 なるほど、あの女、オペレーターか。道理でどこかで聞いた声だと思った。

 なるほどなぁ、通信越しとはいえ長い付き合いだし、そりゃ聞いたことあるわ……って、あほかあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!


 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!


「じ……事務職を派遣して……どうするつもりだ?」


 俺の問いに答える事なく、通信が切断された。


 死ねばいいのに。

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