第十五レポート:その勇者の足跡をたどり

 教会とは、僧侶プリーストにとって家みたいなものだ。

 毎朝のお祈りの習慣がある以上、傭兵、教会所属を問わず、僧侶プリーストはそこを頻繁に訪れる事になる。

 規模こそ違えど、それぞれの村、街には最低一つの教会が存在し、アズ・グリード神聖教総本山よりレベルの高い僧侶プリーストが派遣され、神の家を守っている。


 基本的に回復魔法ヒーリングを扱うには高い信仰が必要とされる。目に見えてわかるレベルの効果を発揮できる祈祷が可能なのは聖職系の職につくものだけだ。

 大怪我をした際にきわめて有用なそれは、村人や街人に取っての生命線でもあった。物理的な手段を扱い人を治療する医者ドクターや、魔導師の中には精霊の力を借りて傷を癒せる者などもいるが、回復という観点でいうと、僧侶プリーストは頭一つずば抜けている。


 教会に派遣された僧侶プリーストには責務が存在する。

 怪我人・病人の治療、レベルアップ、僧侶の位の認定、呪いの解除、教会総本山との連絡に、他の場所で信仰を高めたがっている僧侶プリーストの紹介。

 もちろん、僧侶も霞を食って生きていくわけにはいかないので多少のお布施は貰うがどちらかというとその行為は信仰を高める意味合いが強く、その責務に相応しい報酬ではない。もちろん、中には金儲けに奔る連中もいるが、それは全体数から見ると極僅かだと言えるだろう。


 以前、俺がレベル上げのためにこのヴェール村を訪れたのはもう五年近く前の事だ。

 傭兵達がレベルを上げる事を目的として訪れる街、という街の雰囲気自体は変わっていないが、教会の管理者は基本的に派遣であり、移り変わりが激しい。

 十日前あまり前に一度訪れ確認したが、教会を管理していた神父は五年前と変わっているようだった。


 教会は、村の大通りに面した人通りの多い位置に立地していた。

 レベル上げという作業は荒事だ。死傷者も多く発生し、おのずと教会の役割も大きくなる。ヴェール村の教会は、村の教会という分類で言うとかなり大きな建物だった。

 白塗りの壁に、尖塔に設置された大きなベル。扉の上部には秩序神アズ・グリードを奉る教会の証である天秤を模した十字架のモニュメントが設置されている。大きさこそ村長の屋敷よりは小さかったが、遠くから見るとその威容は白亜の城のようにも見える。


 僧侶の祈祷の時間はとっくに過ぎているとはいえ、教会は賑わっている。

 説法を聞くために集まった村人達に、怪我の治療を求めにやってきた傭兵たち、そして、より強大な奇跡を求め自主的に祈祷を行うまだ見習いの僧侶達。


 窓の外からこそっと中を除き、藤堂達が近くにいない事を確認した。

 教会の前を箒で掃いていたシスターに声をかける。


 露出を抑えた青の法衣に、首から掛けた天秤のネックレス。緩やかな袖から伸びた手、その左手薬指には神の花嫁の証である白の指輪エンジェル・リングが嵌められている。

 年齢は十代半ばか。まだ聖職についたばかりなのだろう、その左耳に下がるイヤリングは最下位の僧である簡素な十字架だ。


「シスター、一つ聞きたい事があるんだが」


「はい……ッ!?」


 シスターがこちらを向いて、怯えるかのようにビクリと身体を震わせる。そこで俺は、自分がフードを深く被った状態である事に気づき、フードを取った。


 眼と眼が合い、シスターが泣きそうな表情をする。俺、何もしてないんだけど……。


 まぁ、随分と付き合いの長い自分の顔だ。眼があっただけで子供に泣かれた事もある。傭兵の中では一目置かれるが、一般人から怖がられる事は少なくない。どう見ても聖職者の顔つきじゃねえからな。


 俺はため息をつき、自らの左耳を親指で差した。


「シスター、この眼は生まれつきだ。別にとって食おうってわけじゃない」


「あ……す、すいませんッ!」


 同職の証を見て、少女があたふたと頭を深く下げる。

 視線が集中している。教会の目の前で謝られても困る。秩序維持の衛兵でも呼ばれたら事だ。


「頭を上げてくれ。一つ聞きたい事があるんだが」


「は……はい。なんでしょうか?」


 俺の言葉に、ようやくシスターが顔を上げた。

 が、今度は物珍しげに俺の容貌をじろじろと見ている。僧侶は穏やかな顔つきの者が多いから珍しいのだろうが、シスターとしてその態度はどうなのだろうか。


 明け透けな視線を受けながら、簡潔に要件を述べた。


「人を探している。教会に向かったと聞いたのだが」


「人……ですか?」


「ああ……この辺りではあまり見ない黒髪黒目の男で――」


 そこまで話した所で、シスターの表情が変わった。

 目尻が僅かに下がり、まるで困惑でもしているかのような表情に。

 箒の柄をどこかもじもじといじりながら、瞳を伏せる。


「あ……ああ……その方ならつい一時間程前に、来られましたよ。神父様と話されたようです」


「一時間前か……チッ。ずれてるな……」


 いや、ずれていて運がいいと言うべきか。振り回されている感もあるが、今回直接接触するつもりはない。


 プリーストの斡旋は教会の役割の一つだが、そこには大きな責任が生ずる。


 もちろん、プリースト本人の希望が第一だが、求める者のパーティ構成、実力、性格、それが教義に反していないか、などなど様々な条件をクリアしないかぎり、プリーストの斡旋は認められない。

 総本山からの命令があれば話は別だが、クレイオは派遣しないと言っていたし、万が一、リミスやアリアの生家から通達があったとしても、魔導院や剣武院からの圧力では教会は屈しないだろう。


 美少女を二人引き連れた男が女プリースト希望、だなどという要請が通るとは思えない。藤堂に限らず、シスターを食い物にしようとする世間知らずの傭兵はたまに出てくるが今までそれが通った事はなかったはずだ。


 それでも、そのシスターの態度に嫌なものを感じて尋ねた。


「そいつに何か言われたか?」


「え……あ……はい。パーティに誘われました……」


 シスターがやや頬を赤らめて言う。茶色の緩やかなウェーブが掛かった前髪が揺れる。

 藤堂は面がいいから、なりたての僧侶プリーストならば好意に付け込んで引っ掛けられるかもしれない。


「受けたのか?」


「い、いえいえ! まさか! 私の信仰はまだ……未熟ですので……」


 ぶら下がっている最下位のイヤリング。多分このシスターはまだレベル上げの儀式すら出来ないだろう。

 だが、回復や補助は一通り修めているはずだ。面も極めていいというわけではないが決して悪くない。

 あいつが何を基準にシスターを勧誘しているかは分からないが、このシスターが仲間に入ればパーティは安定する事だろう。まぁ、シスターのレベル上げの分負担は増えるし、そもそも犯してしまえば奇跡を失ってしまうのだが。


 俺は忠告すべきか否か迷い――



「そうか。神父様はいるか?」


「あ、はい……中におられるはずです」



 ――全てを運命に任せる事にした。



 このシスターには悪いが、多少の犠牲は覚悟の上だ。もし奇跡を失ったとしても、藤堂に反省が生まれればそれでいい。あの正義感が何も感じずにシスターを一人使い潰せるとは思えないしな。


 内心の苛立ちを全て封じ込め、俺は唇を歪め小さく十字を切った。


「神のご加護を」


「は……はい! 神のご加護を!」




§§§




 教会内部は賑わっていた。

 需要が多い事もあり、総本山からヴェール村に派遣されてきている僧侶は少なくない。

 資金も潤沢にあるのだろう。透明感のあるステンドグラスから様々な色の光が差し込む光景は一般人の信仰を深められる程度に幻想的だ。


 教会の管理者は、礼拝堂で静かに跪いていた。十日前の朝に祈祷に来た時はいなかったので、会うのは初めてになる。


 後ろ姿から見る。年齢的には俺よりも五つか六つ上だろうか。漆黒の僧衣を纏った金髪の男だ。

 耳元から僅か見えたイヤリングは司祭位のもの。さすがに怪我人が多く出る村だけあって、厚い人材が派遣されているようだ。


 そういえば、俺が昔訪れた時も管理者は司祭位だったな……そういう決まりでもあるのだろうか。


 下らない事を考えながら歩みを進めると、男が静かに立ち上がった。その身の丈は二メートル近いだろうか。俺よりも頭ひとつ分大きく、しかし痩せているため巨漢という感じはしない。

 後ろを振り向く事すらなく、よく通る声で尋ねてくる。


「何かこの教会に御用ですか?」


「人を探している」


「ほう……話は事前に窺っております」


 男が振り変える。金髪に、それと同色の金の瞳。

 頬に深い傷跡があり、もしかしたら元傭兵だったのかもしれない。しかし、それにしてはその容貌は穏やかと言ってもいいものだ。

 細められた視線がゆっくりと俺の顔の表層を睨めつけ、そのまま左耳の証にたどり着く。その後、ゆっくりと視線が下がり、俺の左手薬指の指輪を見た。


「アレス・クラウンだ」


「お会いできて光栄です、アレス様。閣下から話は伺っております、この教会の管理人の……ヘリオスと申します」


 閣下……クレイオが手を打っていたか。どうやら、意地でも藤堂に追加のプリーストを派遣する気は無いらしいな。


 ヘリオスがにこりと笑みを作る。穏やかな声色に滲んだどこか胡散臭げな響き。

 レベルの高いプリーストは大体ろくでもないプリーストである事が多い。特に、教会本部から派遣されてきた者程その傾向がある。

 何故ならば、レベルの高いプリーストとは――殺生を厭うという教義をどうにかして突破している者だという事なのだから。


 穏やかで、だがどこか挑戦的な視線を受け、眉を潜め、それを向かい打つ。


「藤堂様は先程いらっしゃいました」


僧侶プリーストを?」


「ええ……丁重にお断り差し上げましたが」


 冗談めいた仕草で、ヘリオスが首を振る。


 こいつはどこまで知っているのだ。あれが聖勇者ホーリー・ブレイブである事は知っているのか?

 いいや。恐らく、伝えられていないだろう。ホーリー・ブレイブの情報は教会内でも機密だ。

 恐らく、俺も勇者パーティに参加することにならなければ教えられていなかったはずだ。


 だが、と、ヘリオスの眼をじっと見つめる。

 恐らく、何となく感づいてはいるだろう。特定個人の要求を断れ、など本来有り得る命令ではない。ましてや、それが枢機卿から直々にとなると、概ね何が起こっているのかは予想できる。


 その金色の虹彩は透明感があり、だが、何故か底が知れない。


「そうか。藤堂は何と?」


「激高されておりましたが……明日、僧侶プリーストの位の試験を受けるために再びいらっしゃるとの事です」


 激高か。どのような言葉で断られたのかは知らないが、無理もない。

 その様子が目の裏に浮かぶようで、ため息がでた。


 しかし……プリーストを容易く仲間に出来ないとわかったら次は自分が試験を受けるのか。

 なるほど、論理的ではある。いないならしょうがないで外に出るよりもよほどいい。何よりも、時間が出来たのがよかった。外からサポートしろなどと命令を受けても、すぐさま出来る事など高が知れてる。


「認めたのか?」


「ええ。神の使徒として、それを行うのは当然の義務ですから」


 どこまで本気でそう思っているのか。

 したり顔で頷くヘリオスを数秒睨みつけ、プランを立てる。


 事態は迅速な行動を要する。時間が出来たのはいいが、それは同時に魔族に気づかれるその瞬間が迫っている事も示している。

 最低でも、監視をつける手段は考えなくてはならない。俺だと気づかれずに導くための手段も。


 先ほど買ったばかりの仮面の事を考え、俺はもう死にたくなった。


「……どうかなされましたか?」


「……いや」


 怪訝そうな表情のヘリオス。

 その佇まいから何となく感じる力の格――この男、相当にレベルの高い僧侶だ。司祭位と言う事は最低でもレベル50は超えているだろう。もしかしたら60も超えているかもしれない。

 この男をなんとか藤堂のパーティに叩き込めれば心強いが、きっとそれは不可能だろう。藤堂が男であるヘリオスを受け入れるとは思えないし、ヘリオスもまたその指示を受けるとは思わない。


 考えていた事を全て心の奥底に封じ込め、尋ねた。


「藤堂は受かると思うか?」


「……ふむ」


 ヘリオスが顎に手を当て、首を僅かに捻る。


「……まぁ、難しいでしょうね。奇跡は使えるのでしょうが……あの者の神力はかなり低い」


「俺の見解と同じだな」


 個々で見るのならば、藤堂の神聖術ホーリー・プレイは必要最低限の性能を持っている。

 だが、それだけだ。試験では有する神力の絶対量も求められる。

 藤堂の今の神力ではきっと、神聖術ホーリー・プレイの連続使用に耐えられない。


 俺の答えに、ヘリオスが慇懃無礼な笑みを浮かべる。


「それはそれは……光栄です」


「明日試験を受けるという事は、今日の所は村の外に出ることはなさそうだな」


「ええ……『時間を稼いで』おきましたので」


「……助かる」


 プリーストの試験は、基本的にいつでも受けられるようになっている。

 藤堂ならば今すぐに受けようとするだろう、それが明日になったのは恐らく、この男がそれを断ったからだ。


 短い礼に、ヘリオスは笑みを崩すことなく続ける。


「聖穢卿からの命令ですから……アレス様にもう一つ言伝を承っております」


「言伝? ……何だ?」


「人手を送る、との事です」


 人手……?


 今朝クレイオと通話した際に言っていた言葉を思い出す。

 あれは冗談ではなかったのか。何が送られてくるのかはわからないが、何にせよ顔が割れていない人材というのは素直にありがたい。

 最悪、見ず知らずの傭兵を雇うという手も考えていたが、教会の者ならば素性も知れているし安心だろう。


「わかった。場所は聞いているか?」


「今朝の宿、と」


「人相は?」


「行けばわかる、との事です」


 行けばわかるって……適当すぎるぞ!? おいッ!


 ……チッ。ヘリオスに文句を言ってもしょうがない事か。

 もともと、クレイオがそういう、嫌な感じにトリッキーな事は随分前から知っていた事だ。


 その言葉を信じるしかない。


「わかった。助かった」


「いえ……アレス様に神のご加護があらん事を」


「また機会があれば何か助けて貰うかもしれない」


 ヘリオスが俺の言葉に、大仰な動作で両腕を開いて喜びを示した。


「ああ。もちろんですとも。いつでも仰ってください……異端殲滅官クルセイダー。闇を払う貴方の役に立てるのは、神の徒として非常に光栄です」


 こいつもこいつで若干頭おかしいな。

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