第十レポート:その道筋に光明が差し

 ヴェールの森は広大だ。

 人の手の入った前半部のみに絞って言っても、その広さは王国内で屈指である。

 巨大な一本の本道を軸に何本もの細い道が枝分かれしており、夜を明かすキャンプのための開けた場所も幾つか存在する。

 道から外れた箇所についても、前半部分についてはどこに何があるかくらいはヴェール村で売りだされている地図に記載されており、方位磁石と地図を持っていれば迷うことはまずない。


 一通り戦闘を終え、それなりの手応えを得た俺達は、日が沈む前に、川辺の近くの開けた場所を本日の寝床と定めた。

 森に入ってからのおよそ三時間、遭遇した魔物の数はおよそ五十体。本道からは早々に外れ獣道を歩いて行ったので遭遇率はかなり高い。


 だが、現れた魔物の殆どを、ナオは一刀両断で葬っていた。

 まだ、探索を行った場所は前半部の中でも特に手前であり、現れる魔物の平均レベルは20前後。レベル的には格上だが、八霊三神の加護という人族屈指の洗礼を受けたナオの敵ではなかった。

 歩きまわっての連戦にも関わらず、終始腕を鈍らせる事なく魔物の尽くを葬ったその動きは、とても魔物を相手にした初日とは思えない才覚に満ちていた。


 群れを作る者もおらず、一度に現れた魔物の数は多くとも二体。アリアとナオという二人の前衛が居るこのパーティにとって大した相手ではない。

 流石に剣王の娘だけあってアリアの腕も相当なもののようで、俺とリミスは、まるで枝葉でも払うかのように魔物を一刀に切って伏せ先に進むアリアとリミスの後ろをただ付いて行くだけだった。


 一部のとどめはアリアがさしたとは言え、五十体前後の魔物を倒したナオはレベルを二つ上げ、現在18レベル。レベルは、上がれば上がる程上がりづらくなっていくが、初日としてはなかなかのペースだと言えるだろう。


 完全に夜になると魔物の動きが活発化され、また、朝出会った者とは異なる夜に対応した魔物が出現するようになる。

 本来のハンターならば苦労して持ち込んだテントでキャンプを張らねばならないが、俺達にはグラスランド・ウインドがあった。

 持ち運びが容易いその馬車は、幌を締め切れば風雨を完全に防げ、並のテントなどよりもよほど広い。


 ナオが馬車を巨大化させている間に、水筒に川の水を汲む。

 アリアは周囲の警戒、リミスは馬車の前の開けた場所に枝葉を集め、火を起こすための準備をしている。


 ふと気づくと、ある程度距離を取った所から、ナオがこちらを覗いていた。


「……水を使うのか」


「いや、ただの水じゃない。これは聖水だ」


 僧侶プリーストの役割は回復や補助だけじゃない。


 キャンプを張った際に、魔物を寄り付かないようにする結界を張るのもプリーストの大切な役割の一つである。

 まぁ別に、場合によっては魔導師メイジの魔術でも代用はできるし、斥候スカウトが居るパーティでは物理的なトラップを仕掛けたりもするが、このパーティで出来るのは俺くらいだろう。


 俺の扱う神聖術ホーリー・プレイが気になっているらしいナオに説明しながら作業を続ける。


「結界の媒体として最も簡易なのは聖水だ」


「? 聖水って言っても、それは今川から汲んだばかりの水じゃ……川に聖水が流れてるのか?」


「違う。水を祝福するんだよ。聖水を作るのは聖職者の特技の一つだ。もちろん、プリーストにも出来る」


 神官系の職で魔物狩りになるような職は僧侶プリースト以外にも聖騎士パラディン聖闘士モンクなど存在するが、水の祝福は基礎中の基礎で出来ない者は恐らくいない。

 俺は興味深げにこちらを遠巻きにするナオに見えるように、水筒に十字を切って見せた。


「『水の祝福ブレッシング・ウォーター』」


 水が一瞬強く発光し、すぐに光を失う。光は失うが、祝福で得たその聖性は失われない。

 光が発せられたその瞬間を、驚いたように大きく目を見開き見ていたナオにその水筒を掲げてみせる。


「これで祝福は完了、ただの水から一瓶百ルクスの水の出来上がりだ」


「……随分お手軽だね」


「見習いのプリーストがバイトで作ってたりするからな」


 だが、それなりに神力を消費するので見習いプリーストでは一日に二、三本程度が限界だったりする。

 聖水は結界を張る以外にも様々な所で需要があり、供給が常に足りていない。


「……十字を切るだけで祝福できるんだ」


「十字を切るだけじゃない。ちゃんと祈ってるぞ」


「……僕の世界では祈っても何も起こらなかった」


 ナオがどこか物憂げに沈んだ眼でため息をつく。

 そして、馬車の側で目を閉じて周囲の気配を探るアリアと、むすっとした表情で小枝を集めるリミスの方にちらりと視線を向けた。


「レベルアップもそうだけど、僕はそういう魔法を見る度に自分が異世界に来てしまったと言う事を実感するんだよね」


「神聖術は正確には魔法じゃないんだが……そういえばナオの世界では魔法が存在しないと言っていたか?」


「……うん。空想の物語の中では存在するけどね。いや、正確に言うなら……ここに来るまでは――存在しないと思ってた」


 故郷を懐かしんでいるのか、ナオの眼はどこか胡乱だ。ここに召喚されてしまった事を後悔しているのかもしれない。


 俺には魔法が存在しない世界なんてさっぱり想像すらできない。この世界で生を受けた俺にとってはそれは常に隣にあったものだ。

 神も精霊も加護も。


 少し考え、水筒を逆さにして作ったばかりの聖水を捨てる。


 再び水筒に水を汲むと、目を見開いてこちらを見ているナオにそれを放った。

 いきなりのそれをあたふたと、しかししっかりと受け止め、怪訝な表情をするナオに提案する。


「聖水を作ってみろ」


「……え?」


 ナオは受け取ったばかりの水筒を見下ろし、困ったように顔をあげた。


「作り方……分からないよ」


「お前は俺の何を見てたんだ。十字を切って祈るんだよ」


 最も重要なのは十字の切り方でも信心でもない。加護と神力だ。

 加護と神力のない者に聖水は作れない。


 もう一度わかりやすく教える。


「十字を切って唱えるんだ。主よ、我らを救い給え。その御力、聖霊となりて祝福を齎さん。『水の祝福ブレッシング・ウォーター』」


「……さっきと呪文が違うんだけど」


「省略してたんだ。毎回長ったらしい祈祷をしてられるか。心の中では祈ってたよ。省略する事をお許しくださいってな」


「……アレス、君本当にプリーストなの? 城のシスターと違って信仰心の欠片もなさそうだけど」


 ナオはまるで非難でもするように眉を顰めていたが、俺が視線で促すと諦めたように水筒に視線を戻した。


 漆黒の双眸が真剣な表情で水を見つめている。

 そして、剣を振るった時よりもよほど緊張した様子で、ナオが唱えた。


「主よ、我らを救い給え。その御力、聖霊となりて祝福を齎さん。『水の祝福ブレッシング・ウォーター』」


 慣れない動作で十字を切ると同時に、水が仄かに発光する。祝福がなされた証だ。

 祝福の強さによって聖水には等級が存在する。ナオの施した祝福は本職である俺よりも弱かったが、確かにそれは聖水であり、ナオに神々による加護が降りているという何よりの証だった。


 奇跡を起こしたのは初めてなのか、自分の成した事に固まるナオに伝える。


「それが祝福だ。そして、それこそがお前がこの世界の神々に愛されているという証明でもある」


「愛されていると言う……証明」


 呆然と聖水に視線を落とすその様子は酷く頼りない。


 だが、折れてもらう訳にはいかない。召喚された勇者が元の世界に帰れたという記録は――存在しないのだ。勇者がその事実を知っているのかどうかは知らないが、教会でも一部しか知らないはずなので誰か余計なおせっかいを抱く者がいなければ勇者がそれを知る事はないだろう。


 ナオには強い加護が施されるが、所詮それは求めぬ者にとって無用の長物でしかない。

 神々の加護がせめて少しでも勇者の心の支えになればいいのだが。


 聖水に視線を落としたまま静止しているナオを眺める。

 思わず内心が口から零れ出た。


「ああ……面倒臭えなあ」


「……何がさ?」


 何もかも全てが、だ。

 貧乏くじを引かされた。俺は自分が犠牲になれば他の誰かが犠牲にならなくて済む、なんていう自己犠牲の精神は持っていない。

 かと言って、それを勇者にぶちまけるなんて許されるわけもなく。


 多少は立ち直った様子の勇者に、言葉を選ぶ。


「結界を張るのが、さ」


「結界……聖水を使って張るんだっけ?」


「ああ」


 恐らく、結界術も覚えたいのだろう。

 作ったばかりの聖水を遠くからどう渡すべきか迷っているナオに、俺はもう何もかもが面倒になって、先ほど聖水をどぼどぼ零した場所を足で踏み鳴らした。


「『三級浄化結界ヘキサ・ホーリー・フィールド』」


 聖水を零したその場所を起点に光の波が広がった。

 音もなく、光も淡い。だが、感覚の鋭い者は眼を瞑っていてもその世界の確かな変化を感じ取れるだろう。


 結界は古来より闇なるものを遠ざけた由緒ある神聖術だ。

 神の力により、今この瞬間このキャンプ付近は浄化された。

 魔なる者は淀んだ場所に好んで現れる。例え夜で活性化していたとしても、しばらくの間、本能に従うような低級の魔物がこの付近に近寄る事はないだろう。


 唐突な術式光にしゃがんで作業していたリミスが体勢を崩しかけ、アリアが意外そうに眼を丸くする。

 ナオが戸惑ったように眼をくるくるとさせ、手元の聖水と俺を交互に見つめた。


「え? ……今の何?」


「今のが結界術だ」


「……聖水使ってないけど」


「使った」


 先ほど捨てたのをリサイクルしただけだ。


「足踏みしただけに見えたけど」


「ちゃんと祈ったぞ」


 ナオが睨むような視線を俺に向ける。


「……冗談だよね?」


「神は冗談が嫌いだ。多分な」


 この状況が冗談だったらどれだけいいか……いや、この状況が冗談だったら俺は神の下僕を降りていたかもしれないな。笑えねえ冗談だ。

 まぁ、ふてくされていても始まらない。もしかして一番大変なのは、いきなり異世界に召喚され、それぞれ問題がある仲間たちを連れて旅をする事になったナオなのかもしれない、そう思えるだけで少し溜飲も下がる。


 リミスは分からないが、アリアもそれなりには戦えそうだし、ナオの腕が予想よりも上だったおかげか、少しは勝ちの目が見えてきた。


 まだ納得のいかなさそうな表情のナオをしっしっと手の平を振って追い払った。


「結界は神聖術の中でも一際難易度が高い。聖水と違って初回で成功させるのは難しいし、教えるのは最後だな」


「……聖水こぼした場所を足で踏んだだけなのに……納得いかないな」


「ちゃんと祈ったって。足で踏む事をお許し下さい、ってな」


 ちなみに、神は冗談は嫌いだが、俺はけっこう好きだったりする。

 冗談が過ぎたせいか、あからさまに舌打ちする暇そうなナオに、余計なことを考えないように次の仕事を与えた。


「さー、ナオ。結界は張ったからここは取り敢えず安全だ。アリアと一緒に食い物でも取ってこい。猿や狼は食えたもんじゃない。もっとうまいもんがいいな」


 保存食は買い込んであるが、それはあくまで予備だ。

 サバイバルの知識を身につけるためにもできるだけ食料調達もやらせた方がいい。それこそがこの森を狩場に選んだ一つの理由なのだから。


 ナオが俺の顔をまじまじと見て、囁くような小さな声で聞いてくる。


「……まさか魔物を食べるの?」


「魔物じゃないのがいればそれを食うがこの森にそんなのは殆どいないな」


「……シスターから魔物食は教義で忌避されてるって聞いたけど?」


「安心しろ。俺は全然いける」


 さすがに人間の形をした魔族は食べたくないが、この森に居るのは動物にちょっと毛が生えたような奴らばかりだ。

 悪しき魔力を帯びており、そのまま食べると腹を壊すパターンが多いが、俺ならば問題なく浄化出来る。


 プリーストに魔物を食いたがらない奴が多いのは確かだが、それはどちらかと言うと個々人のモラルによるものだ。俺にモラルはない。


 度し難いものでも見るような眼で、ナオが俺を見上げた。


「……アレス、君はプリーストだろ? 教義を守るつもりはないのか?」


「守っている。神聖術ホーリー・プレイがその証明だ」


「……僕の眼には破戒僧にしか見えないよ」


「よく言われるよ」


 事実を言っているだけなのに、勇者様にはお気に召さなかったようで、ナオは眉間にしわを寄せ、俺を睨みつけてきた。

 よく他の真面目なプリーストにそういう表情をされる事はあるが、果たしてナオはそこまでこの世界の神に忠実だったのだろうか。僅か十日でそのような信心を抱いたとするのならば、神が彼に加護を与えるのは当然なのかもしれない。


 別にからかっていたわけではないのだが、聖剣の錆になりたくなかったので続ける。


「魔物を食う行為は確かにあまり他人からいい目で見られないが、決して教義で禁止されているわけじゃない」


「そう……なのか?」


 よほどいいシスターに教えられたのか、ナオはまだ半信半疑だ。

 自分で『禁止』ではなく『忌避』と言ったくせに。


「この森はまだ付近の村から近いが、もう少しこちらのレベルが上がってくると、対応する魔物が人間の手の届かない場所に生息するようになってくる。食料や水の持ち込みには限界があるから、そうなってくると食べる物は魔物しかない」


「……なるほど」


 所詮、教義で忌避すべき事として定められていても、人は食わないと生きていけない。そして、教会側もそれを知って禁止ではなく忌避としているのだ。

 また、一部の高レベルの魔物は他の動物と異なり、かなり美味しい。さすがに食べられる魔物と食べられない魔物があるが、ハンターの中には食べる事を目的として魔物を狩る剛の者も居ると聞いたことがある。


 俺が言葉を撤回しない事を悟ったのか、ナオは釈然としなさげな表情でアリアの方に歩みを進める。

 二言三言何事か話しかけると、アリアが愕然とした表情で俺を見た。


 大概アリアも堅物だな。なに大丈夫、へーきへーき。


 話し合うつもりはない。いずれしなくてはならない事だ。

 視線を避け、枝を一生懸命集め、火の準備をしているリミスの近くに腰を下ろす。


 森林地帯だけあって、燃料に使える枝葉は腐る程落ちていた。

 ちょうど十分な量が集まったのだろう。こんもりと不格好に積み重ねられたそれはお世辞にも綺麗とはいえないが、燃料としては過不足ない。

 既に辺りは薄墨色の闇に包まれ、空は夕日で真っ赤に染まっている。

 結界でこの近くに魔物が来る可能性は低いが、完全に暗くなる前に火を灯した方がいい。俺は暗闇でも平気だが、まだレベルの低いリミスだときついだろう。


「火石は持ってるか?」


「……必要ないわよ」


 着火用の魔導具である火石を取り出そうとする俺に、リミスが面倒臭そうに呟く。


 同時に、リミスのゆったりとしたローブの袖がかさりと不自然に動いた。


 輝くような朱の蜥蜴が音もなく袖から跳ねると、地面に降り立った。

 いや、輝くような、ではない。実際にその蜥蜴は強い光を放っている。大きさは十センチ程。滑らかな真紅の表皮に、宝石のような濃い暗赤色の瞳。

 身体は小さくとも、そこには魔物とも動物とも異なる超越した雰囲気がある。


「契約している火精か!?」


「ガーネット」


 俺の問いに答えず、リミスが一言だけ述べる。


 それに呼応するように、蜥蜴が小さな舌でちろりと枝の一本を舐めた。

 それだけの動作で、枝が一瞬で強い炎に包まれ燃え盛り、他の枝葉に伝播する。

 炎に色は殆どない。透明な炎が幻想的な陽炎を生み出し、熱が風を呼んだ。小さな焚き火だというのに全身に感じるすさまじい熱気は火石を使用した時とは比べ物にならない程の強い火力。乾燥も禄にしていない集めた枝葉が完全に燃え尽きるのは時間の問題だ。


 俺は、視線をそらし黙ったまま、しかし少し自慢気な様子のリミスをじっと睨みつけた。


「火力が強すぎる。俺達の目的はそれを燃やし尽くす事じゃない」


「ッ!? ……ガーネット!」


 蜥蜴の眼が一瞬淡く輝く。燃え盛っていた透明な炎が赤に変色し、その火勢が衰えた。

 既に大半が灰になってしまっていたので、森に一歩踏み入り、枝と葉を一抱え持ってきてそこに投げ入れる。


 静かにぱちぱちと音を立てて燃える火をじっと見つめ、考える。


 精霊を現世に一つの生命体として顕現化するのは非常に高度な術だ。普通のエレメンタラーはその力を魔術という奇跡で発現する事しか出来ない。

 魔導師は才覚に大きく左右される職とは言え、まさかレベル10で出来る者がいるとは思わなかった。というか、何で精霊の顕現化まで出来るのに火精としか契約してないんだよッ!


 極端すぎるぞ!


 何と声をかけるべきか。ただ火精とだけしか契約していないエレメンタラーよりも火精とだけしか契約していないが火精を顕現化できるエレメンタラーの方が遥かに優秀なのに、あまりに予想外で声を出せない。

 この勇者パーティは一体何なんだ。


 結局考えに考えて出てきた言葉は端的な言葉だった。


「火精を呼べるのか」


「ガーネットよ」


 それが名前らしい。確かに、その蜥蜴の眼はガーネットのように輝いている。

 火精が僅かに鎌首をもたげ、俺を見上げた。


 エレメンタラーの力は精霊の力に比例し、そして精霊はその内包する力の大きさによって形状を変える。

 顎に手を当て、ガーネットを観察する。


火蜥蜴サラマンダーか」


 尤もポピュラーな火の精霊。

 力は中の上程度で、よく中堅のエレメンタラーが結んでいるが、普通、中堅のエレメンタラーでは精霊の顕現化など出来ないので現世でその姿を見ることは少ない。


 俺の言葉に、リミスがこちらをじろりと見上げ、信じられないことに――一言呟いた。


「……形状は変えられるわ。ガーネット」


 輝く蜥蜴がリミスの合図と同時に、大きく膨張し光の玉となって爆発した。

 あまりの光量に一瞬視界を失い、戻った時に目の前にあったのは身の丈二メートルの巨大な光だ。

 輪郭が薄いが、かろうじて人型を模している事がわかる。


 半透明の身に渦巻く力は本来見えないはずのもの。魔力があまりの密度に燃え盛る炎のイメージで視覚化しているのだ。

 熱を発してはいないはずのそれに本能が熱を感じ、無意識に荒い呼吸が出る。


 ただ、その様子に一瞬足りとも目を離せない。


「馬鹿な……炎の魔精イフリート……だと!? 何故、レベル10のエレメンタラーが最上級の精霊を扱える!?」


「……アレス、あんた意外と……詳しいのね」


 高位の精霊は自由に形状を変えられるという。となれば、こっちの姿が素と考えるべきか。


 まだ完全ではない。完全に具現化された精霊は先程見せたサラマンダーと同様にこの世界に確かな形を刻む。

 しかし、まだ完全ではないが、中途半端の力しか具現化できていないが、このクラスの精霊を具現化出来るのは間違いなく――天稟と呼べる。なんといってもリミスはまだ――レベル10なのだ。


「あんた風に言うなら……フリーディア卿が精霊も具現化できないエレメンタラーを勇者パーティに派遣するわけがない、と言った所かしら?」


 リミスの声色には微かな侮蔑の色が混じっていた。

 昼間の意趣返しか。


 確かに公爵閣下は冗談でリミスを派遣したわけではないらしい。現時点の力を比較するのならば、リミスよりも強いエレメンタラーも存在する。だが、その才覚という意味で今見ているこれ以上のものはちょっと見たことがない。


 リミスが指を鳴らそうとする。音がならなかったが、ガーネットは主の意図を察したように収縮し、サラマンダーの姿に戻った。

 恥ずかしいのか顔を真っ赤にするリミスの姿もしかし、気にならない。からかう気にもなれない。


「何で……」


「……?」


「……何でそこまで出来るのに他の系統の精霊と契約してねーんだよ!」


「ッ!?」


 心の叫びがつい声になって夕闇に染まる森に木霊した。


 絶対おかしいだろ。イフリートを顕現できるエレメンタラーなんて滅多にいないぞ!? どこのパーティでも引っ張りだこだ。これで他の精霊も問題なく使えれば文句なしだったのに。


 ちぐはぐ……ちぐはぐすぎる。ちぐはぐすぎて悪夢でも見ているかのような気分だ。


「……あ、あんたには関係ないでしょ!?」


 俺の言葉に、引きつった表情でリミスが咆哮する。


 確かに。確かに俺は赤の他人だ。公爵閣下とも接点はないし、ただの一人のプリースト、人の事情に立ち入るだけの気概もなければそのつもりもあまりない。

 要は必要なのは勝利だ。勝てば何でもいいし勝たなければ全ての意味が露と消える。


「ああ、確かに関係ない。関係ない、が――くそッ……世の中ままならねえ!」


 せっかく収まっていた頭痛が中途半端な良材料に再発する。


 半端にでもイフリートを扱えるが他の系統を使えない魔導師と、全系統を満遍なく使える魔導師ならば俺は後者を選ぶ。選びたい。

 そのくらい相手による系統選択というのは重要で、そして何より――恐らく俺達の倒すべき魔王は、炎の魔精を十全に使えてもそれだけでは敵わないのである。


 ファンファーレのようにリズミカルにずきずきと発せられる頭痛を我慢しながら、俺はリミスを真剣な表情で見た。


「リミス、お前の才能は確かだ……間違いなく天才だ」


「……え? 何? 今更、いきなりの手のひら返し?」


 別にこっちだって貶したくて貶してるわけじゃねーよ!


 気味悪そうな表情をするリミスに、深々と頭を下げる。


「だから、頼むから世界のために他の精霊と契約を結んで他の系統の精霊魔術も使えるようになってください」


「……え。無理よ」


「は? 何で無理だよ!? お前、ふざけんな!?」


「ちょ――」


 元々そう決まっているかのように反射的に返ってきた『無理』の答え。

 俺の慟哭とリミスの悲鳴が空気を切り裂き、夜のヴェール大森林に響き渡った。




 確かに炎の魔精は強力だし、レベル10でそれを扱えるのは空恐ろしいという表現でも足らない。

 だがしかし、それ以外の精霊と契約出来ないのならば、目的を達せないのならばそれはアズ・グリード神聖教の教義に置いては――愚者と区分される。

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