第九レポート:しかして勇者は戦神に似て
エクス。
それは、聖戦剣エクスの名で知られている、光の力を持つ剣だ。
神が鍛えたとされるその剣は闇を払う権能を有し、その刃は担い手の精神力に呼応して斬れ味を増すという。前代の勇者はその剣により、高位の魔族により振るわれる『魔剣』ごと魔族を叩き切ったと言われている。眉唾な噂だ。
だが、目の前で勇者の振るうその刃には確かにその威光の一端が見て取れた。
青白い剣身が樹木の隙間から降り注ぐ陽光を反射し光の線を描く。
声一つ出さずに発された裂帛の気合とともに放たれた剣撃は、焦げ茶色をした植物型の魔物――
黒くぽっかり空いた三日月型の口が声なき絶叫を放つ。
音もなくびりびりと世界を震わせるそれに、リミスが眉根を潜めて耳を塞いだ。
森に入って初めて行われた初戦――この森で出てくる最も弱い魔物の一種であるトレントとの戦いは意外な程にあっさりと終了した。
遭遇した魔物が一体だった事もよかったのだろう。
アリアも剣こそ抜いたものの、手を出す暇すらない。当然、同じ前衛であるアリアがそうなのだから、俺とリミスは完全に見ていただけだった。
トレントの枯木のような死骸を見下ろし、ナオが見惚れるような鮮やかな動作で剣を腰の鞘に治める。
危うげのない身のこなしに、騎士団に少々の訓練があったとはいえ、ぶれのない鋭い斬撃。
だが、何よりも異常なのは――初めての魔物を前にして怯えが全くない事だろう。
息遣いに心臓の鼓動、頬に浮かんだ僅かな汗に体温。
五感で感じるその全てがナオの状態が――平時と同じである事を示していた。
魔物とは人の命を容易く摘み取る怪物だ。
大体の人間は初めて魔物と相対すると、その気配に強い恐怖を感じて円滑な行動が取れなくなる。
これは幾度もの戦いを経る事で緩和されるが、全く平常な精神で魔物を殺すというのは他者が思っている以上に難しい。
相手が動物ではなく植物型であったのも理由の一つかもしれないが、今勇者の見せた身のこなしは常軌を逸している。ましてや、ナオはこの世界の人間ならば誰しもが幼少の頃に経験する魔物の殺害を経験していないのだ。
いざという時には割ってはいろうと考えていた俺にとって、それは青天の霹靂だった。
「やるじゃない……ナオ」
リミスが、ナオの方に駆け寄る。
魔物を前にして圧勝したにもかかわらず、勇者の目には喜びがない。
「いやいや、この程度……出来て当然だよ。僕は勇者だからね」
「いや、見事な太刀筋です。ナオ殿は剣技の経験が?」
アリアも同じく称賛する。
俺に剣を見る目はないが、見事な太刀筋であった事に疑いはない。
剣王の娘が称賛するとは、それほどのものだったという事だろう。
殺したばかりの魔物の残骸に視線を落とし、ナオが僅かに微笑みを浮かべた。
「いや……召喚された時が初めてだよ。体育の授業でも剣道なんてなかったし」
「なるほど……躊躇いのない剣閃は易易と出せるものではありません。私が聖勇者様にこう申すのも僭越なのですが……才能はかなりのものかと」
「ああ……ありがとう」
褒められた当人はあまり嬉しくなさそうにお礼を言うと、
「この倒した魔物は……このままでいいのかな?」
倒木と無作為に生えた草を踏みしめ、ナオの一歩後ろまで歩みを進めた。
腰を落とし、死骸を検分する。
倒れた死骸の斬れ味は酷く滑らかだ。きっとそれは剣の力だけではないだろう。
「トレント系の魔物は魔力を帯びており、その死骸は木材として優秀だ。このトレントは低位の魔物だが、それでも売ればそれなりの値段になるはずだ。まぁ嵩張るので全身を持ち帰る者は殆どいない。眼が特殊な鉱物でできていてトレントの素材では一番高額で売れるからそこだけ切り取って持ち帰る者が多いが、俺達はその魔導具に収納できるから持ち帰ってもいいな」
「……そうか。わかったよ」
勇者がかがみ込み、トレントの死骸に触れ、魔導具を使用する。
トレントの死骸が一瞬で黒色に変色し、崩れて消える。魔導具の力で異空間に収納されたのだ。
ナオはため息をつくと、ゆっくりと立ち上がった。
「疲れたか?」
「いや、問題ないよ。むしろ思ったよりも大した事はなかった」
「俺から見ても特に問題はなさそうだ。一応レベルを上げられるか見ておこう」
「あ……ああ……そうだったね。……それって触れる必要はあったっけ?」
魔物を倒し存在力を一定量集めることでレベルは上がるが、ただ集めただけではすぐにレベルは上昇しない。
レベルアップとは存在の強化――身体能力の強化だ。
放っておいてもゆっくりと身体が作り変えられていくが、それを加速させるのもプリーストの役割の一つだった。
プリーストの力を借りない場合、1レベル分の身体能力を上昇させるのに二日から三日かかるが、プリーストの力を借りれば一瞬で作り変えられる。
レベル15なのだから何度も経験しているはずだがどこか歯切れの悪いナオに答える。
「触れた方が楽だが、触れなくても出来る」
「……そう。触れなくてもいけるんだ……じゃあ触らない方向で」
ナオの答えに、今までの情景を思い出した。
そう言われてみれば、触れるたびに大げさに動揺していたような気がする。
眉を潜め、一応の確認をする。
「……ナオ、お前、身体的な接触が苦手なのか?」
「あ、ああ……少し、ね」
「
「……」
何も答えずに眉を顰めるナオに、ため息をつく。
先日までの様子を見るに、別に触れただけで死ぬわけでもないらしい。掛ける時は無理やりにでも掛けよう。
命と天秤には乗せられまい。
右手を大きく掲げると、要望の通りナオの頭の上――なるべく離れた位置に固定した。
「『
祈ると同時に、黄金の光がきらきらと手の平から舞い降り、勇者の全身を包み込む。
雪片のようにその頭、肩、身体全体に触れた光は溶けるように消えた。
だが消えたのは一瞬。勇者の全身が今まで以上に強い、白の光を帯びる。
「どうやらナオはレベルアップに十分な存在力が溜まっているようだ」
光り輝いているのは、器が存在力で満たされている証。術者にしか見えないが、レベルアップが可能である証明だ。
普通、下級のトレントを一体倒しただけではレベルは上がらないのだが、元々レベルが上がりかけていたのか、レベル上昇に十分な存在力が溜まっている事がわかる。
アリアが俺の台詞に感嘆のため息をついた。
「アレス、まさか貴様、レベルアップの儀式を出来るのか」
「ああ」
「……聖職者の中でも中堅以上の者にしか出来ないと聞いているが……」
「……レベルアップの儀式も出来ないプリーストを教会が勇者パーティに派遣するわけがないだろ」
なるべく早く勇者を鍛えなければならないのに、自然にレベルが上がるのを待っていたら魔族に襲ってくれと言っているようなものだ。
アリアはやや怪訝そうな表情をしたが、納得したのか小さく頷いた。確かにレベル3の僧侶では出来ない儀式ではある。適当に作ったレベルに穴が出来てきたな。
「じゃーレベル上げるぞ」
「……ああ」
続けて、上げた右手を握りながら下ろし、勇者の身体の前で小さく十字を切った。
ナオが僅かに吐息を漏らし、その額から小さな汗の粒が垂れる。
レベルアップに痛みは無いが、成長のために身体が一瞬熱を発するのだ。
数秒で全身に纏っていた白の光が消え、レベルアップが完了した。
見た目はレベルアップ前と変わらないが、15レベルだったナオはこれで16レベルとなった。能力値もそれに準じて上がっているはずだ。
肩の力が抜け、ほっとしたようにナオが呟く。
「……はぁ。何度受けてもこの身体の奥底から湧き上がるような奇妙なむず痒さには……慣れないな」
「どうしようもないな。何しろ、存在の強さが一段階上がるんだ、それなりの感覚はある。ちなみに、レベルアップの儀式を受けないと自然にレベルが上がるまでその感覚を薄めたような感覚が二、三日続く事になる」
「……そうか。それは……嫌だな……」
言葉だけではなく、心底嫌そうな表情を作る勇者様。
まぁ、暴れないだけ彼はマシである。
レベルアップの感触が苦手な者というのは本当にどうしようもなく嫌がるものだ。特に、人間以外の種族に多いが、手がつけようが無いほどに暴れる者もいる。人以外の種は滅多にレベルが上がらないが、そのレベルアップの儀式はどのプリーストも嫌がる案件となっている。
まぁ、教義的にはそれを求められたプリーストに拒否権なんてないんだが。
最後にいつも通りの文言でレベルアップを閉めた。
「ナオはこれでレベル16に上昇した。次のレベルアップまでは後25780の存在力が必要のようだ」
「……そのゲーム的な表現、城で儀式を受けた時もシスターが言ってたけど、意味あるの?」
「ゲーム的な表現とやらが何を示すのかわからないが、レベルアップ時に次のレベルまでの距離を示すのは教義で定められている」
「……何で中途半端にRPGが入ってるんだ、この世界は……」
何がなんだかわからないが、納得いかなさそうな表情でぶつくさ呟くナオ。
接触を好まないという事で、数歩後ろに下がる俺に、ナオがふと顔を上げた。
「そうだ。そのレベルアップの儀式も、僕、できるようになるかな?」
どうも、聖勇者様はプリーストの神聖術習得に乗り気のようだ。
レベルアップの儀式は別にパーティ内で一人できれば問題ないものなのだが、出来るに越した事はない、か。
「出来るようになるだろう。だが、覚えるのはちゃんと魔物を倒せるようになってから、そして
「……今倒して見せたけど?」
「植物型と動物型では勝手が異なる。植物型は倒せるが動物型は相手にしたくないというハンターだっている。太刀筋は見事だったが、それだけで油断するのはまだ早い」
まぁ、そんなハンターはハンター失格なわけだが、動物型を嫌がる者は少なくない。俺は別にどっちも問題ないが。
ナオが、まるで俺の言葉を信じてないような、小馬鹿にしたような目つきをした。
「それは……どうして?」
「臭いからだ。場合によっては血と内臓を浴びる事にもなる」
「……ああ……」
血の臭いに慣れていないと吐く者さえ出る。ハンターの洗礼とでも言うべきか。
俺の答えに、ナオが陰鬱そうな納得の声をあげる。
アリアもリミスも、殺した経験があるから知っているのか、同意するように頷いていた。
――だが、結論から言うとこの心配は杞憂だった。
この後に出てきた狼型や猿型と言った獣型の魔物に関しても、ナオはトレントを相手にした時と何ら変わらずに、眉一つ動かさず惨殺してみせたのである。
その異様なまでの胆力と精神力、容赦のなさに俺は勇者パーティに入って初めて、彼が正義感しか取り柄のない只の人間などではないという事を実感したのだ。
喜びも悲しみも感じさせずただ作業のように命を刈り取る。
血飛沫を浴びて尚、動揺の欠片も見せない勇者の姿は、どこか人ならざるものの気配を感じさせる。
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