第八レポート:旅路は苦難に満ち

 幸いな事に、出立の日は雲ひとつ浮かばない晴天だった。

 雨天時の行軍は大きな負担になる。ツキはこちらに来ていると言えるだろうか。


 手早く朝食を終えて、街の出口に向かって繰り出した。

 物資の類は既に昨日の内に買い揃えられており、それらの荷物は国から賜われた魔導具により、異空間に収納されていた。

 指輪の形をした魔導具だが、貴重なもので、一個しかないのでナオの指に収まっている。


 まだ早朝であるためか、人通りはそれほど多くない。


 ハンターにとって、魔物の討伐はレベル上げのための手段でもあり、生業でもある。

 魔物の死骸は売れる。骨、皮、血、腸。需要に寄って値段も上下するので、ハンターの殆どは毎朝斡旋所に寄って情報交換し、何をターゲットとするのか定めるのが常だった。

 そういう意味で、事前にある程度の金銭を受け取っており、利潤を無視してレベル上げだけに注力できる勇者パーティは恵まれている。


 歩きながら確認する。


「ナオは魔物を倒した事は?」


「……ない」


 やはり昨夜もリミス達の部屋に泊まったナオが眠そうに欠伸をしながら答えた。


「私はある」


「私もあるわ。お父様が弱らせた魔物にとどめを刺しただけだけど……」


 とどめを刺しただけで倒したことがあると呼べるのか、疑問ではあるが、この国で魔物にとどめを刺したことがない者は少ない。

 大体の人間は最低限の能力を得るために、遅くとも十歳くらいまでの間にレベル5まで上げる。

 逆に、倒したことがないという事実こそ、ナオが異世界からの勇者である証明とも言えた。


 何で魔物を倒してないのに15レベルまで上がっているのかが謎だが、莫大な加護を持っている聖勇者、何が起こってもおかしくない。過去の資料の中には、空気中に漂う極々微量な存在力を吸収することで生活するだけでレベルを上げていった勇者の情報だって残っている。この世界で生を受けた人間には信じられない事だ。


「魔物と出会った事は?」


「檻に入れられた犬みたいな魔物なら見たことはあるよ」


「倒せる自信は?」


「……ある」


 力強く答えるナオのその言葉に気負いはない。

 前勇者の剣は振っただけで大抵の魔物は切り裂ける。

 後は、その才能が完全に開花されるまで魔族に目をつけられないかどうかだ。


 ふと、その時地面が僅かに震えた。

 にわかに進む先が賑やかになり、そちらに視線を向けたナオがぽかんと口を開ける。


 頑丈な木の滑車に載せられ、運ばれてきたのは巨大な魔物の死骸だ。

 全身が深い濃紺色で出来た獣。数メートルはある薄い何層もの皮膜に包まれた体躯には一文字に巨大な傷が穿たれており、どくどくという濃い青の血が僅かに流れている。その下部には、巨躯に見合わぬ細い脚が無数に生えていて、生理的な嫌悪を抱かせた。

 虚のようにぽっかりと空いた瞳が絶命を主張し、ただ天を見上げている。


「……何だ、あれは……大きい……あんな魔物がいるのか」


「あれは大物だ。俺達が行く森の浅い部分には生息していない」


「そう……か……」


 さすがにこれだけの魔物が運ばれる機会は多くない。

 道行く傭兵や商人たちに囲まれ、まるで英雄のような所作で死骸を運ぶ魔物狩りのパーティ。その先頭に立っていたリーダーの男がこちらに気づき口を開きかけるが、俺が視線をそらすのを見て、言葉の代わりに雷鳴のような笑い声をあげた。ふいに笑い出した英雄のリーダーに、周囲が怪訝な眼を向ける。


 それでいい。お前らはお前らの仕事を果たした。貸しも借りもない。ビジネスはそれで終わりだ。

 立ち止まり道を開ける俺達の前を、グレイシャル・プラントの死骸が通り過ぎていく。


 ナオが死骸の眼を見て、僅かに息を飲んだのがはっきりわかった。

 完全にそれらが通り過ぎるの待って、ナオが独り言のように小さく呟く。


「凄い……あんなものを倒さないといけないのか……あんな怪物を倒せるのか、僕は?」


 さすがに今の状態であれを倒せるとは考えていないのか、その声には昨日とは違い、自信がなかった。

 倒せる、倒せないではない。倒して貰わねばならない。氷樹小竜など足元にも及ばない怪物達を。


 そのために、藤堂直継お前はこの世界に召喚されたのだ。





§§§






 近隣の村とは言え、ヴェールの村のその名の由来となった大森林地帯までは数キロの距離がある。

 馬が襲われると役立たずになってしまうので、普通のパーティは馬車など使わないが、魔導具の馬車を持っている俺達は別だ。


 ここに来た時と同様に御者台に座ろうとした俺に、珍しいことにリミスが声をかけてきた。


「わ、私が……運転するわ」


「……お前、馬車が動かせるのか?」


 いや、動かせなかったからこそ、ここに来る際に俺が運転していたはずだ。


 しげしげと珍しい事を言い出したリミスの全身を眺める。

 明るめのブラウンの魔導師のローブは地味ながら最高級品で、その杖も帽子もインナーも首にかけている魔力を増強するのであろうペンダントも、そのどれもが一端の魔導師では手の届かない垂涎の品で、だがきっとリミスはその価値を知らない。


 まだレベル10、箱に入ったままこれまで生きてきたお嬢様にはいつだって仕えてくれた使用人が掃いて捨てる程いたはずだ。

 そんなことを言い出すなんて予想外だった。

 運転もそれなりの体力を使うし、魔導師は体力がない。王都から村までとは異なり、森では戦闘を行うのだ。できればこういった役割はナオかアリアに担ってもらうべきだ。

 僧侶と魔導師は要である。優先順位は僧侶の方が上になるが、無駄に消耗させてしまうのは愚策だ。


 リミスが本気で嫌そうな表情で続ける。

 嫌なら言わなければいいのに、使命感でも湧いたのか、それとも何も出来ない自分が嫌になったのか。


「だ、だから、あんた……私の隣に座って教える事を許可するわ」


「言い方に文句をつけるのも時間の無駄だからそれは置いておくが、馬車の運転を覚えてもらえるならアリアかナオに覚えてもらったほうがありがたいな」


「は? どういう意味?」


 別にリミスに嫌悪を抱いているわけではない。俺はリミスなんて足元にも及ばない我儘で屑でどうしようもない人間を腐るほど見てきた。

 眉を釣り上げかけるリミスをできるだけ怒らせないように言い方を選ぶ。


「貴重な魔導師メイジの体力を馬車の運転なんかで無駄に消耗させるのは愚策だと言ってるんだ。例えこの森でお前が役立たずだったとしても、セオリーは常に守っておいた方がいい」


「……貴方、本当にプリースト? ほんっとうに失礼ねッ!」


「うちの教義では虚偽は悪徳だ。守っている者は多くないが、俺は忠実な神の下僕だからな」


 後ついでに酒も煙草も女も悪徳である。その全てを守っている人間が果たして何人いるか……。

 逆に礼儀作法についてはそれほど多くの条項がないのだが、それは礼儀を守るのが当然の行為だからだろうか。


 ともかくとして、世間一般のプリースト像に合っていないのは間違いないだろう。


 リミスは俺の冗談に、嫌悪感からか眉を潜めたが、すぐに口を開いた。


「アリアかナオにやってもらうのは無理よ」


「……何故だ?」


 馬車にせっせと手荷物を積み込んでいるナオとアリアの方にちらりと視線を向ける。

 仲がいいとは言えないが、話せばわかってくれるだろう。幸いなことに、彼等は自分が素人だということを自覚している。


 俺の思惑に反して、リミスはごく論理的に無理な理由を教えてくれた。


「まずアリアは物理的に無理。彼女には……魔力が無いらしいわ」


「……は? 待て待て……」


 確かに魔導具の類は魔力がないと使えないが、殆どの魔導具の消費魔力は魔導師の魔法とは異なり微々たるものだ。

 大体の魔導具はその辺にいるレベル5の街人だって使える。


 この馬車は伝説級の魔導具だが、恐らく設計思想からして人族でも扱えるように作られているのだろう。

 実際に使ってみたから知っている。

 魔力を込めれば込める程その速度を上げることができるだろうが、普通に歩かせる分なら魔力の消費はそれほど高くない。


 近接戦闘職は魔導師とは異なり、魔力が少ない傾向にあるが、剣士の技の中にだって魔力を消費するものが存在するのだ。

 レベル20の剣士であるアリアに扱えない道理はない。


 ――普通の剣士ならば。


 俺は顔を顰め、もう一度確認する。


「魔力が……無い、と言ったのか?」


「そうよ」


「それは……全くのゼロ?」


「そう」


 マジかよ……。


 そっとアリアの様子を確認する。

 魔力がゼロの剣士。ゼロ、ゼロ、かぁ。どうやって戦うんだろう……。


 もし、昨日のリミスの、火系統しか使えないという暴露がなかったら俺はきっとアリアを釣り上げ、攻めていただろう。

 二度目なので衝撃耐性がついていて、何とか耐える事ができた。


 稀に生まれつき魔力がゼロの人間が存在するという話は有名である。


 数としては十万人に一人とか百万人に一人とか、そういう割合だったはずだが、稀に生まれてくる『魔力なし』にはあらゆる魔導具が使えない。

 そんなもんだから、当然、魔法を使う事も、近接戦闘職の持つ魔力を消費する技を使うこともできない。

 どう甘く見積もっても、魔力がその力の肝となるハンターにふさわしい人材とは言えないだろう。

 一般の生活を送る事すら不便なはずだ。


 剣を振る事くらいはできるだろうが、強力な技はすべからく魔力を消費する。剣の腕とレベル上昇による能力増強だけでどこまで戦えるか……。

 何故剣王は娘とは言え、そんな女を勇者パーティに推薦したんだ。頭おかしい。


 まだ数日しか経っていないのにどんどん問題が露呈してくる現状に嫌気が差す。

 本当にこのパーティでいいのか? もし何個も勇者パーティが存在したとして、どのパーティが魔王を討伐するか賭けがなされていたとするのならばこのパーティは間違いなく大穴だ。俺なら賭けない。

 色物集めてんじゃねーんだぞ。


 もちろん、苦情を入れてもチェンジはできないだろう。


 ストレスか、ずきんずきんと鈍く痛む額を抑え、俺は至極建設的な意見を述べた。 


「……魔力ゼロの人間に魔導具を使えるようにするための補助具が存在する。魔力を貯蓄しておける水晶で、魔導具利用の際に代わりに魔力タンクとなってくれる物だ。空になったら魔力を補充してやらなちゃならないが、街に戻ったら国に申請しよう。で、ナオの方の理由はなんだ?」


「……冷静ね」


 意外そうな表情で俺を見るリミス。


 冷静じゃねーよ!

 むしろ、今までその事実を黙っていた事を詰りたい気分だがそんな事をしても意味がない。意味がないのだ。

 チェンジが不可能である以上、俺は孤軍奮闘するしかないのである。


「で、ナオの方の理由は?」


「……」


 リミスは瞳を伏せ一瞬言いよどみ、しかしすぐに顔を上げた。


「あんたの精神衛生的に聞かない方がいい……かも」


「今更だな。俺の精神衛生はここ数日でひどい状態だ。これ以上悪くなりそうにはない。言ってくれ」


 今になって何故俺の精神衛生に気を使いはじめるのか。

 内心戦々恐々だが、面倒事は放っておくと後から必ずそのつけを払うことになる。

 どうせなら最初に全ての問題を出してもらった方がマシだ。これで勇者にも魔力が無いとか言われたら詰んでしまうんだが、昨日馬車の起動をしていたし、そういう事はないだろう。


 黙って言葉を待つ俺に、リミスはため息をついた。


「やっぱり言わないでおくわ。取り敢えず、ナオは無理だから」


「……一応、念のために聞いておくがそれは物理的に欠陥があって、という事か? 魔力が魔導具を使うだけでなくなってしまう程少ないから、とか」


 物理的欠陥。勇者に限ってそういうことはないだろうが、もう今となっては何が起こってもおかしくない感がある。

 もし一週間前の俺が聞いたら一笑に付すような話も、今となっては笑い事ではない。


 緊迫した状態で出した問いに、リミスはあっさりと首を横に振った。


「いえ、そういう話じゃないわ……まぁ、色々あるのよ」


「そう、か……」


 色々って何があるんだよ……。


 非常に気になったが、押し問答するのも時間の無駄だ。

 消去法でリミスしかいないのならばリミスに運転を覚えてもらうしかない。


 何も言わずに御者台に乗り、一歩奥に詰める。リミスが慣れない動作で隣に座った。

 自分の身体とは違う華奢な魔導師の身体。貴族故によく手入れされたウェーブの掛かった金髪から僅かにいい香りが漂ってくる。

 教えると言っても馬とは違ってこの馬車を駆るのは簡単だ。元々、術者の思い通りに動くようにできている。


 恐る恐るといった様子で手綱を握るリミスに基本的な動かし方を教える。

 全員乗車した事を確認し、馬車がゆっくりと動き出した。揺れ動く風景に、リミスが僅かにどこか艶めかしい吐息を漏らした。


 勇者が召喚されてから今日で――十三日目。

 魔族が勇者の召喚に気づき始めると想定されている日まで後十七日。


 俺は小さく十字を切り、前途にこれ以上苦難が立ちはだからない事を神に祈った。


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