第六レポート:その正義は敗北に通ず
今年はもしかしたら厄年かもしれないな。
どうしてそんなに自信を持てるのか、自身の敗北を微塵も想定していない表情の藤堂を眺めながら考える。
まず第一に、騎士団に訓練をつけてもらったとは聞いたが、果たして藤堂は魔物と戦ったことがあるのだろうか。
それも、相手は下級の魔物ではない。
魔物退治のスペシャリスト達が大勢いるこの村の村長が『レベルが高い』なんて言っちゃうレベルの魔物である。こいつの頭蓋には果たして何が詰まっているのか。それとも、その蛮勇が勇者の条件なのか。
俺なら例え勝てる相手でもこの短時間で即決などできない。
現実逃避に入りかける思考をすかさず建てなおすと、じろりと村長と藤堂達を睨みつけ、言葉短に聞いた。
「相手は?」
「グレイシャル・プラントって奴らしい……
魔物についてある程度の知識は学んでいたのだろう。
植物型の魔物が火に弱いというのも間違いではないが、中途半端な知識が仇になっていた。
グレイシャル・プラント……植物じゃねえ。
それは――竜種だ。
正確に言うと、植物の竜である。
身の丈五メートル以上、根を張って動き、茨で相手を拘束し、冷気のブレスを吐く。
竜種の中には生まれついての竜である純竜と、何らかの原因で他の生物が変化した亜竜が存在するが、グレイシャル・プラントは後者に属する。
純竜種と比較すれば難易度が高い相手ではないが、仮にも竜の一端であるグレイシャル・プラントの推奨討伐レベルは50、それも、六人のパーティを組んだ際のレベルだ。
この地は30までのレベル上げのフィールドであり、なるほど、それを討伐できる傭兵は多くないだろう。
平均レベル15の駈け出しである俺達がどうしてよく知りもしない相手を倒せると自信を持って言えるのか。
ちらりと村長の方を見る。もはや依頼が達成する事を疑っていない眼。
教会の一員として、勇者の権威を落とすのはまずい。
聖勇者を信じる者にとって、聖勇者というのは召喚された瞬間に魔王を倒せる超人なのだ。レベル差など物ともせずに。
だから、村長側にも決して悪意があるわけではないだろう。
――打算はあるかもしれないが。
「俺は反対だ」
「何故?」
「そんな雑魚と戦っている暇は俺達にはない」
――だから、俺は虚言を弄する。
勇者の評価を下げるわけにはいかない。
村長はちらりと俺のイヤリングに視線を向け、あからさまに表情を顰めた。
まとまりかかっていた話をいきなり暴れだした僧侶が反故にしようとしてきたのだから当たり前だが、こちらとしても無理なものは無理。
勇者とグレイシャル・プラントを直接相対させるわけにはいかない。
相手は竜種、元は植物とは言え、攻撃魔法に対して耐性がある。火をつければ燃える、などという甘い話ではない。レベル10のエレメンタラーの魔法なんかでは焦げすらしないだろう。
藤堂が受け取っている前勇者の使っていた剣――エクスならばその硬い皮膚に傷をつけられるかもしれないが、それだって持ち手がレベル15では確実ではない。
神様、俺に試練与えすぎだろ。
藤堂が俺の言葉に、呆れ果てたようにため息をつく。
「アレス、僕達は勇者だ。魔王の手の者に被害を受けているものを放ってはおけない」
せめてレベルが30、30あったらもう少し違っただろう。
だが、力のない者がそのような台詞を吐いても滑稽なだけだ。
視線をぶつけ合い、険悪な雰囲気になる俺と藤堂の間に村長が割って入る。
「まぁまぁ……アレス様の仰ることもわかります。勇者様にとっては亜竜など、相手にするまでもないでしょう」
「……竜!?」
やはりわかっていなかったか、リミスが驚きの声を上げる。藤堂に至っては目を丸くするのみで声すら上げない。
驚いた表情はしていてもまだ何とかなると思っているのか。
村長は意に介す事もなく続ける。こいつ、ぶん殴りたい。いきなりきた聖勇者に変な頼み事するんじゃない。
王都周辺でよく見られるライトブラウンの瞳が同情を買うような涙で潤んでいる。
「しかし……私達にとっては、一大事なのです。もう既に傭兵たちの中にはこの場所が危険地帯と定め、ここから出て行っている者さえいます。今の所グレイシャル・プラントの被害は大きくありませんが、噂はすぐに広まるでしょう。私にできる事はグレイシャル・プラント討伐の依頼を、できるだけ早く倒せる上位の戦士に依頼する事だけなのです」
くそっ。まさかこんな事件が起きているとは。
俺は早くも、情報収集よりも迅速な行動を優先した事を後悔していた。
だが、さっさとレベル上げをしないと勇者死ぬし……こんな事になるなら別のレベル上げのフィールドを選べばよかった。
次からはそうしよう。
藤堂の眼に更なる意志の光が灯る。
勇者。聖勇者。
その名の通り、藤堂のあり方は正義を目指している。ただ、そのための力が足りないだけ。
八霊三神も加護を与えるだけじゃなくてちゃんとレベルも上げてくれればよかったのに……いや、こいつがこのままの性格で力を得てしまったらそれはそれで問題になりそうだな。
「アレス、僕は勇者だ。そのために召喚された、召喚に答えた。僕はこの世界の人々のために戦う義務がある」
違う。お前に課された義務は――魔王を倒す事、ただそれだけだ。無駄な事はするな。
英雄召喚の儀式は――そんなに光に満ちたものはない。
その言葉を、俺はすんでのところで飲み込んだ。
今言うべき言葉ではない。感情を無意味にぶつける事は愚者のする事だ。
そういう意味で、先ほどリミスに感情をぶつけた俺は紛うことなき愚者であった。
代替がいないという情報――全ての期待は捨てねばならない。
藤堂は馬鹿ではない。
きっと、このような戦いを続けていけば藤堂はおのずと気づいていく事になる。
海岸の崖が少しずつ波で削られていくように。
俺が今何を言ってもきっと無駄だ。だから、俺は藤堂の感情の矛先をずらす。
藤堂の両肩を掴み、至近距離からはっきりと述べる。
「違う。藤堂、よく聞いてくれ。俺は別にこの村を見捨てろと言っているわけじゃない」
「!?」
大げさに身体を震わせる藤堂から手を離し、続いて村長の方に向き直った。
面倒な事をさせやがって……いや、違う。むしろ、よかったと思うんだ。
村長が余計な事を言わなければ、俺達は何も知らずに森に立ち入り氷樹小竜と遭遇していたかもしれない。
今の状況は悪くはあるが最悪ではない。最低ではない。
「おい、グレイシャル・プラントがいなくなればいいんだな?」
「え……ええ……ま、まぁそうですが……」
「俺達が倒す必要はない。この街の傭兵たちが倒しても何ら問題がないわけだ?」
こいつらは勇者の助けが必要なのではない。この街を困らせている魔物を倒してくれるならば誰でもいいのだ。
俺の言葉に、しかし村長が反論した。
「勿論、それは既に考えました。ですが……今この村には……それを受け入れられるだけの強さの傭兵がいないのです。ハンターたちに依頼を投げましたが、命がかかっている以上無理強いする事も出来ません」
勇者にそれを押し付けるのはいいのか?
一瞬浮かんだその考えもまた、俺の立場から見た主観によるもの。向こうはただ勇者への崇拝故に頼んでしまっただけの話。
彼を恨むのも無駄だ。効率。何よりも効率を考えなければならない。足を止めては誰も幸せにならない。
俺は一度だけ恨みを込めた深いため息をつき、村長を睨みつけた。
何故俺がこんな事に頭を悩ませなければならないのだ。これは本来、パーティのリーダーがやるべき事なのに。
一人で活動してきたつい一ヶ月前が恋しい。
「俺が傭兵たちに話をつける。それでこの話はなしだ。藤堂もそれでいいな?」
やや青褪めた表情で勇者がこくこくと頷くのを見て、少しだけ溜飲が下がる。
藤堂はこのパーティのリーダーだ。その意見に露骨に反対するのはよくない。
大きな確執が発生する事だろう。だが――背に腹は代えられないのだ。
続いて、表情をこわばらせているリミスとアリアにも視線を向けて言った。
「藤堂達は先に宿を取っておいてくれ。情報収集も必要だ。一泊してから森に向かおう」
強力な魔物が出没する以上、今すぐに出るわけにはいかない。
初めの森で全滅なんて目に合ったらそれこそ伝説に残ってしまう。
未来を見通す眼など見なくても前途が苦難に満ちている事ははっきりとわかった。
それは言うまでもなく、俺が魔王討伐に派遣されると聞いた時に想定していた苦労ではない。
§§§
「おい、この中で一番レベルの高い
傭兵たちの中でも特別に魔物の討伐を生業とする者を
彼等は基本的に人間よりも強力な魔物を狩り続けるプロフェッショナルで、そのレベルも人族の平均レベルを遥かに超えている。
村長の屋敷を後にした俺は、ヴェール村で最も大きいハンターの斡旋所を訪れていた。
入ると同時に嗅覚を刺激する鼻の曲がるような煙草と酒の匂い。そして、そこに交じる血と鉄の匂いに顔をしかめる。法衣に臭いが付かなければいいのだが……。
大きめに出した声に、視線が集中した。まるで猛獣の巣に入り込んだような錯覚が全身を襲う。
否、真実、こいつらは猛獣だ。人の形をした人ならざる力を持つ者達。魔物狩りを志すものの中にはこの斡旋所の空気に破られて諦める者さえ居るという。
そしてそれは、慣れ親しんだ錯覚でもある。
斡旋所は酒場にも似た施設だ。何年使っているのかもわからない染みの付いた木のテーブルに、無数の酒瓶が立ち並ぶカウンター。
それぞれのテーブルには酒瓶と料理が乱雑に並び、中には昼間から酔いつぶれて伏せている者の姿もある。
まだ町中なので、重い鎧こそ装着している者は少ないが、それぞれが手元に己の武器を置いている。煤けた空気と相まって、まるで戦場であるかのようだ。
俺は、何年も使い続け、もうすっかり手に馴染んでいるバトルメイスを握る手により力を込め、もう一度言った。
「この中で一番レベルの高いハンターを探している」
「……何か用かい、プリーストさん」
一番手前の席に座っていた錆色の薄汚い髪をした女がふらつきながら立ち上がった。
俺と同じくらいの身の丈をした大柄の女だ。近接職なのだろう、腕の太さは俺の倍はあり、乳房は胸筋と一体化していて、厚手の布を大きく盛り上げている。その隣には人間程の大きさもある無骨な戦斧が置かれていた。
一歩歩くごとに床が僅かに軋み、至近までくると女が俺を見下した。
強い酒気の混じった吐息にやや混濁した灰色の眼。しかし、その瞳はギョロリと強い生命力に輝いている。
まるで
背丈自体は殆ど変わらないにもかかわらず感じる強い圧迫感を平静で受け流す。
「討伐して欲しい魔物がいる。それもできるだけ早く。可能ならば今日中に」
「……相手は?」
「
俺の言葉に、場の空気が張り詰めた。
「帰りな。ここでそれを受ける奴はいねえよ」
今の今までこちらに視線すら向けていなかった赤髪の傭兵がぶっきらぼうに言い捨てる。
目の前の女が下から覗き込むように視線を近づけ、何が面白いのかげらげらと下卑た笑い声をあげた。
だが、ノーと言われて素直に引くつもりはない。藤堂の双肩に魔王討伐の成否がかかっているのだ。
俺は無言で指をぱちりと鳴らし、神に祈った。
「
「な――」
指先から若草色の強い光が発生し、そのまま俺の身体を伝って斡旋所全体に広がった。
伏せていた白髪頭の壮年の男、酒をラッパ飲みしていた赤黒い容貌をした男も、カードゲームに興じていた者達もそして目の前に立っていた女も、その全員の身体を包み込み、収束するように光が消える。
一定範囲内の対象の状態異常を回復する神聖術であるそれを受け、酔いも眠気も消え去る。酔いつぶれていた男が起き上がり、やや視線が覚束なかった傭兵たちの視線が正常に戻る。
女が驚愕に目を見開き、まるで猟犬のように唸った。視線の質は既に変わっている。
「範囲魔法……あんた、まさか……
プリーストは需要と比較し、供給が少ない。レベルを上げづらい事もそれに拍車をかけているが、一定範囲を回復できる神聖術を使えるようになったら基本どこのパーティでも三顧の礼で迎え入れられるようになる。
レベル30ではまず使えるようにはならないので、この村のプリーストの中に使える者はいないだろう。もしかしたら村の教会を統括している神父は使えるかもしれないが、傭兵の中では限りなくレアだ。
まるで言い訳の聞かない子供に辛抱強く言い聞かせるかのような気分でもう一度言った。
「
「……報酬は?」
返ってくる答えは先程とは異なっていた。
常識はずれでも見るかのような視線が、興味深げなものに変わる。
俺は至極真面目な表情を崩さずに言い放った。
「
「……報酬はない、と?」
「
下位の亜竜とはいえ、腐っても竜の一種だ。
皮は鎧、牙や骨は剣、臓器は薬などに重宝される。常に需要が供給を上回っており、全身を売り払っただけで一財産になるだろう。
また、竜殺しの栄光は魔物狩りに取って一種のステータスになる。斡旋所での優遇措置はもちろん、実力のある傭兵として名を売る絶好の機会だ。
もちろん、それが命に見合うかどうかは神のみぞ知る。
本来ならば報酬のない依頼など考慮に値しないだろう。
だが、それぞれのテーブルでは難しげに顔を潜め、恐らく気の知れた仲間なのだろう、顔を寄せ合うハンター達の姿があった。
俺は無言で視線を周囲に向ける。俺が求めるのはこの地で最強の傭兵だ。
――馬鹿、相手は亜竜とはいえ竜だ。リスクが高すぎる。
――だが、こっちにはハイ・プリーストがいる。この機会を逃せば次はいつ竜など倒せるか……出世のチャンスじゃねえか。
――くそっ、こういう時に限って武器がねえ。臨時休業だと思って整備に出しちまってる。
――こっちの平均レベルを考えろ。無理だ!
様々な思惑が交じりあい、欲望が飛び交う。
傭兵はリスクの非常に高い商売だ。殆どの者は英雄に至る前に魔物との戦いで命を落とす。成功するためには実力ももちろんだが、強い運が必要となる。
目の前の
「いっこだけ聞くが……あんたも戦場に出てくれるのかい?」
「諸事情があり、無理だ。だが俺の使える
俺にはあいつらのお守りがある。確実を期すならば一緒に戦いたい所だが、あいつらを放っておくわけにはいかない。
その言葉に、審議していたハンター達の雰囲気が変わった。俺が戦場までついていくと思っていた連中だ。
高レベルのプリーストの有無は勝敗に直結する。補助魔法だけではまだ不安なのだろう。
だが、その程度の実力のハンターに用などない。
俺が求めるのは成果。アズ・グリードが求めるのは常に成果だけだ。
やがて、一人また一人と静かになり、ようやく残ったのは一つのパーティだけだった。
トロールのような女傭兵を含んだ五人のパーティ。前衛が三人、魔導師が一人、僧侶が一人。
平均レベルは40、この森で安全にレベル上げをできるアベレージを考えるとかなり上の方だ。
女傭兵に負けない体躯を持った髭面の男――そのパーティのリーダーらしき男がだみ声で腕を差し出した。
日に焼けきった手と手を交わす。
「俺はこのパーティのリーダーのトマス・グレゴリー。こいつらは
分厚いバスタード・ソードを立てかけた壮年の男。
気怠げにふんぞり返る魔導師風の青年に、どこかおどおどしている法衣の少年。
それらにチラリと視線を向け、トマスに向き直る。
「アレス・クラウンだ。神の僕をやってる」
握手と同時に手に込められる万力のような力。だが、トマスは歴戦の勇士だがまだ俺の方がレベルが高い。
平然とそれを受ける俺に、トマスが額に皺を深く寄せる。
「どうしてこの地に?」
「忠実な神の下僕がこんな所にいる理由が神命以外にあるわけがないだろ」
ヴェールの森の深層部は危険過ぎる。
効率のいい30までここでレベルをあげたらさっさと次に進むのが常道だ。
この地は俺にとって既に通り過ぎた地であり、もう二度と来る予定ではなかった地でもあった。
だから、今ここに居るのは神命以外に説明が付かない。
俺は唇をペロリと舐め、半ば本気で、しかし冗談めかして言ってやった。
「まぁ、そろそろ神の僕も引退かなとは考えている」
「む……範囲回復まで使えるのに、何故?」
「神もなかなか人使いが荒くてな」
これが試練というのならば、神は酷いサディストだ。
敬虔な徒なのだろう、プリーストのエリックが立ち上がりかけ、がたんと大きな音を立てる。
見た目とは裏腹にマリナなんていう可愛らしい名前を持っている女傭兵が目を丸くした。
「あんた、面白いね」
「気に入ってもらって何よりだ。ビジネスの話に移ろう。このままじゃ日が暮れちまう」
藤堂が痺れを切らして森に入っていく前に、さっさと始末をつけて貰わねばならない。
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