第四レポート:その所作は未だ未熟にして

 グラスランド・ウインド。


 それは、アリアが藤堂の元に派遣された際に実家から持ってきた宝具の一つだった。


 アリア・リザースの生家、リザース家は代々優秀な騎士を排出してきた古い武家の家柄であり、この世界に存在する二つの主たる剣術の派閥の内の一つ、プラーミャ流正統剣術の家元でもあった。

 その今代当主であるノートン・リザースは王国の騎士団や軍事を総括する剣武院の最高幹部の一人であり、魔族との戦争が頻繁に起こる今のご時世、剣王と謳われる最も著名な英雄の一人だ。


 ルークスに代々仕え、重用されてきたその家の宝物庫には魔剣や聖剣の類は勿論、戦場においてとてつもない効果を発揮するお宝が眠っている。

 ノートン・リザースは既に五十歳近いと聞いているが、どうやらまだまだ娘を溺愛しているらしい。何がお転婆娘に困ってる、だ!


 アリアが移動用にと取り出したそれは書物で聞いたことのないまさしく伝説級の宝具だった。


 大きさは手の平に収まる程度。色は白、材質は不明でつるつるした質感の何かで作られた馬車の模型だ。


 宝具の類の殆どは魔術的、物理的に極めて貴重な技術が使われており、基本的に量産は出来ない。

 グラスランド・ウインドも、元は妖精種が移動のためにと僅かな数だけ作ったものとされている。如何なる理由で人の手に流れてきたのかは知らないが、壊してしまったら二度と手に入らないだろう。


 自信満々に袋から出しておいて、アリアが頬を掻く。


「と言っても、どうやって使うのかは知らないのだが……」


 おい、宝の持ち腐れだぞ。

 引きつる表情を抑えながら、教えてやる。


「……地面に置いて魔力を込めるんだよ」


 宝具の殆どは物質化された魔術法則だ。

 物自体に刻まれた魔術は非活性、平時は何の効果も持たないが、魔力を込める事でその奇跡を顕現する。


「へー、どれどれ……」


 藤堂が興味深そうにそれをつまむと、地面に置き、まだ慣れぬ動作で魔力を込めた。


 行き交う者の多い通りがざわつく。

 馬車のミニチュアが強く発光し、音一つなく巨大化した。藤堂が慌てて数歩後退る。


 僅か数秒で、そこには貴族が使うような大型の馬車が鎮座していた。


「な……えええ!? な、何これ!?」


「グラスランド・ウインド……物語に登場する魔法の馬車。実在したのね……」


 目を見開き愕然とする勇者とは裏腹に、リミスの方は驚いているものの、案外冷静だ。魔術師の家の出だけあってこういう奇抜な魔導具の類には慣れているのだろう。

 そして、それを持ってきた当のアリアはやや自慢気に胸を張るのみだった。


 中を覗くと、荷台の大きさは四人が乗り込み、荷物を置いてもまだ余る程にスペースが広い。

 明らかに見た目よりも広いのだが、空間拡張の魔術でも仕込まれているのだろう。荷台を覆うクリーム色の幌は厚く、雨風くらいは余裕で防げそうだ。


 が、一般の幌馬車と大きく異なる点は、その馬車を引く白い馬だろう。

 並の馬の一・五倍はある巨躯を誇る六本足の白馬。質感はミニチュアだった時と同じ白くすべすべしており、明らかに生命体ではない。


 馬が低い声で僅かに唸り、光の灯らない双眸をこちらに向ける。


 馬の魔導人形ゴーレム。疲れ知らずで餌要らず。ノックするように身体を叩くと、こんこんという硬い感触が返ってくる。力が弱いという事もないだろう、小型の魔物くらいだったら無視して踏み潰せるだけの威容があった。魔導具である以上、従順である事は疑う余地はない。

 馬車を引く存在としてはこれ以上のものはないだろう。


 その一種、異様な迫力に、リミスが短く息を飲む。


 魔王討伐の旅が失敗したら失われるというのに、剣王も随分と奮発したものだ。

 いくら剣武院の最高幹部と言っても、金で手に入る類の物ではないだろうに。


「これなら馬を休ませる時間もいらないな」


「か、可愛くない馬だ……まさかこの世界の馬は皆こんななのか?」


 復活した藤堂が冷や汗をかきながら恐る恐る馬の眼を覗き込んでいる。

 んなわけねーだろ。明らかに生き物の眼じゃないぞ、それ。


「いや……それは馬の形をしたただの魔導人形ゴーレムだ。まぁ、馬よりは使い勝手が良いだろう。餌も要らなければ排泄もしない。怪我もしないし疲労もない。確か、ある程度までは壊されても自己修復されるはずだ」


 ただし、戦闘用ではないので耐久はそれほど高くないはずだ。もし道中、襲われたら守りながら戦う事になるだろう。

 まぁ、縮めれば袋に入れて持ち歩けるサイズなので難しくはないはずだ。


「そ、そうか……至れり尽くせりだね。ゴーレム、ゴーレム、か……」


 目を瞬かせ、藤堂が馬の身体に触れる。手の平で撫で付けるように。


「藤堂の世界にはゴーレムはなかったのか?」


「……実在はしてない。でも、物語の中でならあったよ」


「なら、これと一緒だな。グラスランド・ウインドは神話で出てくる宝具だ。滅多に見れるようなものじゃない。まさかリザースが保有しているとは……」


「……そういう意味じゃないんだけど……」


 俺の同僚に宝具マニアがいる。今度そいつに自慢しよう。上手くいけば飯くらい奢ってもらえるかもしれない。

 ふとその時、リミスが眉を顰めて呟いた。


「原動力は魔力……これ確か、御者が魔力を消費して動かすのよね?」


 奇跡はただでは動かない。

 大きくするのにも魔力を使ったが、走らせている間も魔力を使うだろう。が、宝具の特性上それほど大量に消費するわけではないはずだ。

 加護によって高い魔力を持つ藤堂が駆ってもいいし、リミスが駆ってもいい。アリアは剣士なのでそれほど高くはないだろうが、馬車を少し動かすくらいはできるだろう。


 魔術スペル神聖術ホーリー・プレイは力の源泉が違う。

 俺には高い神力はあるが、反面、魔力はそれほど持っていない。

 通信の魔導具にも使用するのでできれば節約したい、が――。


 そこで俺は、一つの問題点に気づいた。

 三人を見渡し、大きく手を上げてみせる。


「この中で馬車の御者をやったことがある人、挙手」


「……」


「……」


「……」


 互いに顔を見合わせ沈黙する三人に、俺は何度目かもわからない大きなため息をついた。




§§§





 王からの通行許可証は預かっていた。

 ルークスの東の大門で優先的に処理を受けると、藤堂を旗頭とした俺達ポンコツ勇者パーティは初めて人類圏外に足を踏み入れた。


 王都は巨大な分厚い壁で囲まれている。王都内に魔物はいないが此処から先は話が別だ。


 街道は整備され、騎士団や魔物退治を生業とした傭兵が定期的に周辺の魔物を掃討してはいるが、魔物に襲われたという話は日常的に上がる。

 幸いなことに、ここら近辺に出るような魔物はそれほど強くない。例え襲われたとしても負けはしないだろうが、とにかく注意はしておくに越したことはない。


 消去法で馬車の運転席――御者台に座った俺は、銀色をした手綱を強く引いた。


 手の平を通して魔力がゴーレムに伝わり、ゆっくりと馬車が動き始める。

 馬車の運転方法を覚えたの何年前だったか。馬車の速度はすぐに一般のそれと同様まで上がり、涼やかな初春の風が頬を撫でて後ろに流れていった。


 御者台は二人分のスペースがあったが、隣には誰もいない。

 厚い幌で閉ざされた後ろの荷台に三人とも乗っているのだ。旅の始まりであるためか、静かな、だが希望に満ちた会話が聞こえる。


 馬のゴーレムは本物の馬とは異なり凄まじく従順だ。手綱を軽く引いただけで思った通りに動く。

 これならば素人でも簡単に操作できるようになるだろう。

 できれば隣に座って操作方法を見ていて欲しいが、何か少し疲れたので今は何も言わない事にする。俺にだって疲労くらいあるのだ。


 王都の周辺は起伏のない平野でできている。

 東部には草原が広がっており、遮るものも特になく地平線の彼方までよく見えた。魔物の姿もあるが、道から外れているので特に問題はないだろう。


 『草原の風グラスランド・ウィンド』の名を持つ馬車に相応しい旅路の第一歩と言えた。


 サスペンションが効いているのか、今まで乗った馬車と比べて揺れも小さく快適だ。

 魔王を倒し終えたらこの馬車、もらえないだろうか……もらえないだろうなあ。藤堂が言えば貰えるかもしれないけど、俺、勇者じゃなくてプリーストだしなぁ……。


 そもそもの、魔王を倒せるのかという不安から目を背け、そんな事をぼうっと考えながら馬車を動かしていると、ふと道の外れから獣がふらふらと近寄ってくるのが目に入った。


 緑色の毛皮をした中型の狼。数十程度の群を作り、その鋭い牙と爪で襲いかかるグラス・ウルフと呼ばれる獣型の魔物だ。

 それなりの知恵も持ち、獲物に襲いかかる前に斥候を繰り出す程度の知恵はある。あの一匹が俺達を与し易しと判断すれば本隊が襲い掛かってくるだろう。


 一匹一匹はそれほど強くないが、何しろ数がいるのでこの近辺では油断ならない魔物とされている。

 ヴェールの森の魔物と比べて存在力は小さいは、ポコポコ出てくるので数をこなさなくてはならないはでここで相手をしても何もいい事がない魔物である。

 藤堂が見たらテストがてら戦いたいと言うかもしれないが、面倒くせえ。


 数十メートル先、こちらを窺うような狡猾な眼光を浮かべるグラス・ウルフ。俺は殺意を研ぎ澄まし、魔物に叩きつけた。

 狼がビクリと大きく身を震わせ、僅かな悲鳴をあげて逃げ去る。


 グラス・ウルフの討伐適性レベルは10から20。

 彼我の存在力の差を本能で感じ取ったのだろう、人程の知性のない奴らに生存本能に抗い俺を襲うという選択肢はない。


「ん? 何かあったのか?」


「いや……なんでもない」


 背後から聞こえた、厚い幌を通したくぐもった声に、俺はやる気のない答えを返した。




§§§




 馬車を走らせる事一時間。

 その間、襲いかかろうとしてきた魔物は思った以上に多かったが、殺気を叩きつければ皆すぐに撤退する。襲ってきたものはいなかった。

 この、ついこの間までは考えられないような魔物の遭遇率――活性化も魔王の侵攻の影響なのかもしれない。


 日も高くに上り、そろそろ誰かに座ってもらって馬車の操作を覚えてもらおうかなどと思い始めた頃に、ふと背後の幌がばっと開いた。


「ん、どうかしたか?」


「うぅ……」


 顔を出してきたのは藤堂だ。

 血の気のない青褪めた容貌にどんよりと濁った眼。

 昨日浮かんでいた狂気ではなく、単純に調子が悪そうな表情。


 右手が必死に口を抑えており、今まで向けられたことのない縋り付くような眼で俺を見上げる。


「ぐっ、そ、外の空気を……吸いたい……」


 絞りだすような戦慄く声に全てを察する。

 俺は勇者の表情を初めて呆れ果てながら見下ろした。


 こいつ……まさかこの程度の揺れで酔ったのか。


 勇者の背の向こうには心配そうな表情のアリアとリミスの姿。その二人については全く酔った様子などない。


 それはそうだ。この馬車、かなり快適な方なのだから。


 要人の娘であるリミスやアリアからしてもこれほどの馬車はそうそう乗ったことはないだろう。


 今にも吐きそうな顔をしている藤堂。しかしそれでもプライドが勝ったのか、必死に口を抑えながら切れ切れの声で叫ぶ。


「そ、んな、眼を、するなッ!」


「初めに検めた感じだと、馬車の通気性は完璧だ。外の空気とそれほど変わらないだろうよ」


「い……いから、外――」


 俺はまだ負けを認めない藤堂の冷や汗に濡れた額に人差し指を突きつけた。


「『六級状態異常回復神法ミニ・リカバリー』」


 まさか味方にかける最初に神聖術ホーリー・プレイが馬車酔いの回復になるとは、如何に秩序神アズ・グリードでも予見出来まい。

 指先に薄緑の光が灯ると、ゆっくりと拡散して藤堂の全身に広がる。


 神聖術には等級が存在する。

 当然上に上がれば効果も難易度も消費神力も大きくなってくるが、馬車酔い程度ならば一番下の『六級ミニ』で十分だ。


 効果の発動は一瞬。

 口を抑えたままの姿勢で藤堂が唖然と眼を開く。その姿はどこかコミカルだった。


 そっけない口調で尋ねる。


「調子は?」


「あ……ああ……」


 藤堂がそっと口元から手を離す。

 蒼白だった頬には血の気が戻り、顔色は先程とは比較にならないほどに回復している。

 スタミナは多少消耗しているだろうが、回復は時間の問題だろう。


「な……何をしたんだ……?」


「俺はヒーラーだ」


 口論している時間も、休ませている時間もない。

 これからまだ数時間は走る必要があるのだ。一時間で酔う人間を酔うたびにおろして休ませていたら日が暮れてしまう。

 藤堂はしばらく戸惑っていたが、何も言わずにさっと荷台に引っ込んだ。


 しばらくそちらをじっと見ていたが、戻ってこない事を確認し、前に向き直る。 


「……まったく、前途多難だな」


 これが文化の違いというやつなのか、藤堂は馬車に慣れていないのだろう。この分だと乗馬も出来ないかもしれない。


 レベルが上がれば酔わなくなるだろうか?

 全体的な能力が上がるので多分酔わなくなるとは思うが、俺の持つ知識の中にその答えはない。


 結局、馬車がヴェールの森の最寄りの村につくまで三度、勇者は幌から顔を出したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る