第三レポート:非常に繊細なる配慮を要し

 夢は見なかった。


 体内時計は正確だ。例えどれだけ睡眠時間が足りなかったとしても、幼少の頃に授かった規則正しいライフサイクルは乱れない。


 目が覚めると、見知らぬ天井だった。

 夜明け前、薄暗い室内がぼんやりと視界に入ってくる。

 高級宿特有の柔らかなベッドの上で上半身を起こし、生じる目眩に俺は頭を抑えた。

 室内は広く、薄闇の下でもその調度品の一つ一つが洗練されている事がよくわかる。


 王都を出て本格的にレベル上げを開始してしまえば、安宿の硬いベッドさえ恋しくなるような生活が待っている。

 軍資金を節約するに越したことはないが最初くらいはと、王都で一番の宿に泊まる事にしたのが昨夜の話。


 二人部屋を二つ借りたが、隣のベッドには誰もいない。夜に入った時のままだ。

 藤堂が俺と同じ部屋で寝るのは嫌だと、アリアとリミスの部屋に引っ込んでしまったためだ。信じられねえ。


「くそったれが……あの色ボケ勇者め……」


 別に魔王を倒してくれるならなんだっていいが、初日からこれは――ない。

 さすがにそこまであからさまに嫌われるとやるせなさを感じてしまう。

 あの男には危機感と空気を読む力が足りていない。そして、それを意外とあっさりと受け入れるリミスとアリアもどうなんだ、とも思う。

 野宿では男女別なんて事言っている余裕はないので、ある意味頼もしいといえば頼もしいのだが……俺が何かしたか?


 昨日垣間見た勇者の不安定な精神性を考慮すると、文句を言うという選択肢もないのだが。

 しかし、そのような人間には見えなかったが、人は見かけによらないものだ。


 ベッドから立ち上がり、身支度を整える。


 大きく深呼吸。

 朝の冷たい空気で肺を満たし意識を覚醒、何着か持っている黒地に白の線の入った法衣を着込んで鏡の前で髪を整える。

 苦節十八年付き合った顔がこちらを睨みつけていた。切り揃えられた銀髪に緑の眼はここから千キロ程北上した所にあるアーレス地方出身だった母親譲り。一見穏やかな風貌に見られる事が多かったので昔は舐められたが、レベルが上がったからか魔物を殺しまくったせいか、目つきが悪くなっており、最近ではそういう事もなくなっている。

 最後にサイドテーブルの引き出しに閉まっていた黒の指輪を左手薬指に、黒の石のついた金のイヤリングと、十字架の形をした銀のイヤリングをそれぞれ耳に装着すると準備完了だ。


 出発は日が昇ってからの予定だ。この時間帯は街の門も閉まっている。

 まだ太陽が登るには今しばらく時間がかかるだろう。


 主武器であるバトルメイスは置いていくが、代わりに副武器である銀製のナイフを数本、内ポケットにしまう。


 隣の部屋は静まっており、聴覚を限界まで研ぎ澄ますと微かに寝息が聞こえた。恐らく、起きるのは日が昇ってからだろう。


 なるべく物音を立てないように部屋を出る。宿の受付では従業員が眠そうな表情で立っていた。

 前を通る際に声をかける。朝、藤堂達が俺がいない事に気づいても騒がないように。


「教会に行って参ります」


「ああ。お疲れ様です」




§§§




 僧侶プリースト


 それは、アズ・グリード神聖教の奇跡の体現者である。


 得意分野は神聖術ホーリー・プレイ

 回復ヒール結界プリズム補助バフ、そして――破魔エクソシズム


 プリーストは信心が高い程に操る奇跡は強くなると言われている。

 魔物狩りを生業とする傭兵の中で、最も数が少ないのは回復役ヒーラーだが、昨今のご時世、敬虔な信者が少なくなっているからだという愚痴は度々教会上層部の間で出る定番の愚痴でもあった。


 空は雲ひとつない晴天。魔性の力を強化する満月フルムーンの光だけが夜の街を照らしている。

 季節はまだ春になったばかりであり、空気は肌寒いが、ぼちぼち早起きの街人が起きだす時間らしく、すれ違う人々は皆俺の格好を見て挨拶をしてくれる。


「おはようございます、神父様」


「ああ、おはよう。今日も貴方にアズ・グリードのご加護があらん事を」


 にこやかに吐き出す定番の文句。

 何の意味もない。それでその者に加護が訪れるわけでもない。ただのおまじないみたいなものだ。


 朝の礼拝は僧侶プリーストの最も有名な慣習である。

 秩序神アズ・グリードの力を借りるものは皆、早朝に教会でアズ・グリードに感謝の祈りと加護の願いを捧げる。

 といっても、口に出さずに祈るので内心何を考えているのか知れたものではないのだが、実際にこの行為によって扱う術の威力が上がるというのだから馬鹿に出来たものでもない。


 俺の両親は僧侶プリーストではなかったものの、そんじょそこらのプリーストなど比較にならない程に敬虔な信徒だった。

 幼少時に叩きこまれたのが良かったのだろう、物心ついた頃から続けさせられた習性は、社会の残酷な真理を知ってしまった十八歳の現在に至っても、俺の中に残り続けている。


 今では逆に祈祷しなくては落ち着かなくなっている程だ。まぁ、内心何を考えているのか知『られた』ものではないのだが。


 人類圏で屈指の規模を誇るアズ・グリードの教会はどんなに小さな村でも最低一つは必ず存在する。

 特に、王都であるルークスに至っては両手の指では数えきれない程の数の教会が存在していた。なんでそんなに必要なのか知らないが、恐らく利権とか色々あるのだろう。


 町中を悠然と見回しながら大通りを歩く気分は悪く無い。

 見回りの警備兵も街人も傭兵も商人も皆、こちらには敬意を払ってくる。

 いざ彼等が怪我をした時に、俺達プリーストが助けなければ彼等は医者にかかるしかないからという事もあるし、単に神に仕えるというその身の上を慮っての事でもあるだろう。

 奇跡を除けばこの優越感こそがアズ・グリードが与えてくれる最たるものなのかもしれない。


 教会を目指して歩いていると、ふと道を歩いている屈強な剣士風の男に眼が吸い寄せられる。

 身の丈は二メートル近く。腰に下げた長剣に、そこかしこが凹んだ急所のみを守った鎧。だが、何よりも眼を引いたのはその左手に巻かれた包帯だろう。


 足を止めて声をかける。


「ちょいとそこの剣を下げた男」


 一回呼んだだけでは気付かず、慌てて追いかけながら何度も呼びかけるとようやくコチラを向いた。


「……あ? ……俺の事か?」


 頬に奔った古傷に、見るに耐えない凶悪な魔物を何十匹何百匹も屠ってきたであろう鋭い眼光。日に焼けて黒くなった肌に鍛え上げられた肉体。

 背は百七十五センチの俺よりも頭ひとつ分高いが、それ以上にガタイが違うので外から見れば実情以上に俺が小さく見えるだろう。

 男はいきなり横柄な口調で話しかけてきた俺に一瞬、殺意とも取れる視線を向けてきたが、俺の格好に視線を向け、続いて耳に取り付けられた銀の十字架のイヤリングを見て、剣呑な気配を霧散させた。


「……僧侶ぼうずか。何か用か?」


「その傷を治してあげよう」


 怪訝な表情をする男を他所に、乱暴に包帯の巻かれた腕に人差し指と中指で触れる。低レベルのプリーストだと傷口を直接触らなければ効果がないが、俺ならば包帯の上からでも問題ない。

 そして、神に祈った。


「『三級回復神法エクス・ヒーリング』」


 呟くと同時に、添えた指先に光が灯った。青白い回復神法ヒーリング特有の光。満月が照らしているとはいえまだまだ薄暗い夜の帳の下、酷く目立つ光に通行人の一部が視線を向けてくる。

 光は一瞬で腕に浸透し、すぐに消えた。


 唖然とした表情をする男に尋ねる。


「もう痛みはないか?」


「あ……お……痛く……ねえ!?」


 男が乱暴に包帯を取り外す。薄汚い包帯に付着した固まった血に鉄の匂い。

 だが、包帯の装着されていたその腕には傷一つ残っていない。

 包帯の跡から見るに、それほど大きな傷ではなかったようだが……。


「傷を放っておくのは良くない」


 顔を上げた男の表情には形容しがたい感情が浮かんでいた。


「あ……お……あ」


 口がぱくぱくと開き、言葉にならない言葉を発していたが、俺が黙っているとようやく落ち着いたのか、機敏な動作で深々と頭を下げた。


「すまん、助かったッ!」


「礼はいらんよ。神の信徒に対して当然の事をしたまでだ」


 思ってもいない言葉を返す。


 何もこちらは慈善でやっているわけでもない。

 評判は上げられる時に上げておいた方がいいのだ。プリーストもただの人間、質の悪い者だっているし、プリーストの悪評は凄まじく目立つ。


 別にこちらに損はないわけだし、俺は助けられる時に助ける事にしているのだ。


 続いて、どこか居心地が悪そうにする男に、僅かに笑みを浮かべ冗談めいた口調で聞いた。


「それとも、仲間のプリーストの仕事を奪ってしまったかな?」


「と、とんでもねえ! 俺の仲間のプリーストはまだパーティに入ったばかりで、回復魔法もあまり使えねえんだ。今も昨日の魔物討伐で神力を使い果たして寝込んじまってる」


 プリーストの平均レベルは他職と比較しておしなべて低い。

 普通に戦っていたら魔物を殺す機会などないので、レベルが上がりづらいのだ。そのため、何時の時代も高レベルのプリーストは喉から手が出る程欲しい存在だったりする。


 まるで土下座しそうな勢いでまくし立てる男に微笑を向ける。


「そうか。それは済まなかったな。だが、信仰と経験さえあれば必ず、立派なプリーストになれるだろう。迷惑をかけると思うが、手伝ってやって欲しい」


「あ……ああ。勿論だ」


 頑張れ、少年だか少女だか知らんが、この男の仲間のプリーストよ。

 パーティの生き死にに関わる以上、凄まじい苦労をすると思うが、成長すればこうして崇め奉られるぞ。


 しきりに頷く男に偉そうな声で続ける。


「ついでに補助魔法バフもかけてやろう。存在力は十分に溜めてあるか? レベルアップもしてやろう」


「あ……」


 奇跡を使う以上、神聖術はただではない。神力と呼ばれる力を消費して行われるが、この程度ならば特に問題ない。

 手を伸ばして夢でも見ているかのような表情の男の頭に触れると、額、頬、肩、肋、腹と順々に触れていく。


「『三級筋力向上エクス・ストロング・アド』、『三級敏捷向上エクス・アジリティ・アド』、『三級耐久向上エクス・バイタリティ・アド』――」


 魔導師メイジの扱う『精霊魔法エレメンタル・スペル』も、僧侶プリーストの扱う『神聖術ホーリー・プレイ』も、どちらも術式起動時に術式光と呼ばれる光が発せられる。

 赤、青、黄、緑。様々な色で発せられる光に道行く人の視線が集中する。


 一通り補助をかけ終えると、終わりとばかりにぱんぱんと手を払った。


「レベルアップにはまだ存在力が足りていない。次のレベルまで後2096の存在力が必要のようだ」


 どこか潤んだ目つきで俺を見下ろす男。

 自分よりも背の高い強面の男が目に涙をためている様子は正直、気持ち悪い。


「あ……ありがとうございますッ!」


補助魔法バフは十時間くらいならば持つはずだ。切れそうになったら解るはずだが、あまりいつもと違う魔物を狩りに行ったりはしない方がいいだろう」


 良くも悪くも補助魔法はかなり強力だ。

 いつもの限界を越えた魔物を狩りに行って戦っている最中に切れるなどしたら目も当てられない。


「わ、分かった……いや、分かりました。あ、お礼は――」


 慌てたようにポケットから財布を取り出す男の腕をそっと抑え、止める。

 金貨を積み上げてくれるならば考えるが、懐は満たされている。ポケットに入るレベルのはした金なんて必要ない。


「礼はいらん。もしもそれでも感謝するというのならば、その分、貴方のパーティにいる俺の後輩を助けてやってくれ」


 その目つきが神様でも見るような目つきに変わる。


 普通の一般人がこんな事をやったら何か裏があるんじゃないのかと疑われる所だろうが、忠実な神の僕として知られるプリーストならばそういう事もない。

 左耳に下がった僧侶の証である銀のイヤリングを指先で触れる。そもそもの土壌が、地盤が違うのだ。


「え……あ……じゃ、じゃあ、せめて、名前を――」


「……名乗るほどもないが――」


 縋り付く男を一瞥し、視線をこっそり周囲に投げかけ、自分が注目されているのを確認した。

 虚栄心を満たすためと言うより、これは営業活動の一環である。プリーストの悪行は広まりやすく、善行は広まりにくい。


 一度ため息をつき、さも仕方ないとでも言うかのように名乗りを上げた。


「――アレス・クラウン……ただのしがない神の僕だ。貴方にアズ・グリードのご加護があらん事を」




§§§





「あ、アレス! こんな時間になるまでどこに行っていたのよ!?」


「悪い。礼拝と――迷える子羊達を導いていてな」


 その辺で回復魔法や補助魔法をばら撒く事を辻ヒール、辻バフなどと呼ぶ。王都には随分と迷える子羊達が多いようだ。

 他の僧侶プリーストや医者から見れば明らかな営業妨害だが、通行人に囲まれた俺に文句を言えるわけもなく、また、それでも無理やりに文句をつけようとしてきた者も左耳につけた銀色の十字架と月をかたどったイヤリング――俺がプリーストの中でも司教位である証に顔色を変えて去っていった。


 全てを捌き終え、礼拝も終えて宿に戻った時には既に日が登っていた。

 藤堂達も既に準備は終えたらしく、宿の食堂に集まっている。


 魔物は夜に活発に活動する傾向がある。日が出ている間が人の時間だ。

 食堂はやや混み合っており、焼きたてのパンのいい香りが漂っている。


 俺の言葉に、リミスが意外そうな表情をした。


「……アレス、貴方ちゃんとしたプリーストなのね……」


「どういう意味だ」


「いや、だって……私の知っている聖職者と比較して言葉遣いとか粗雑だから」


 非常に失礼な物言いだが、言いたくなる気持ちもわからなくない。

 俺はプリーストであると同時に特殊異端殲滅教会アウト・クルセイド特殊僧兵クルセイダーでもあるのだ。

 回復魔法や説法だけ唱えるその辺のプリーストとは違う。にこにこしていたら闇に舐められる。


 勿論、そんなことを馬鹿正直に言うわけにはいかない。短く答えた。


「これは――素だ」


「……それはもっと問題なんじゃないか?」


 昨夜の狂気はどことやら。

 すっかり平常に戻っている藤堂の指摘に、俺はわざとらしい微笑みで返す。


「勿論、丁寧な言葉遣いも出来ますとも、ご安心ください。藤堂様、リミス様」


「……あ、今、ゾクッとしたわ」


 藤堂とリミスの気味の悪いものでも見るような視線。どうしろってんだ、くそったれ。

 大体、俺の目つきはもうかなり悪くなってしまっている。今更微笑んだ所で焼け石に水だ。

 恨むならば俺を特殊異端殲滅教会アウト・クルセイドに入れたクレイオ・エイメンに言え。


 しかし、アリアもどうやらリミスの味方らしい。


「しかし……私も、アレスの藤堂殿に対する言葉遣いはどうかと思っていたが」


「そ、そうよ! 勇者様に失礼でしょ!?」


 聖勇者の名は高い。歴代の聖勇者の冒険はオペラなどでも盛んに演じられているし、勇者信仰は市井に根深く浸透している。

 アリアとリミスの指摘もそれに基づくものだろう。


 だがしかし、俺の目的は勇者を導くことである。下手に出るわけにもいかないのだ。


 どう答えるべきか、ちらりと藤堂の方を見ると、藤堂は苦虫でも噛み潰すような表情で口を開いた。


「敬語なんて不要だよ。アレスだけじゃない、リミスもアリアも使わなくていい。様とか殿とかつけられても……困る。僕はそんな人間じゃないんだ」


「との事だが?」


 幸いな事に、藤堂の方には横柄に振る舞うようなつもりもないらしい。昨日の醜態が嘘のような意見がすらすらと出てくる。


 何と言ったか……そう。確か、事前に聞いた情報によると、藤堂は元の世界では学生だったらしい。

 貴族でも何でもないただの平民。言葉の節々に見える謙虚さはそのためだろう。


「で、でも……貴方は、伝説の聖勇者で――」


 予想外の言葉に戸惑うリミスに、藤堂が至極真面目な表情を向ける。


「リミス。いらないよ。様なんて他人行儀な呼び方されるよりも、名前で呼ばれる方がずっと嬉しい」


 真剣な表情。顔のパーツパーツが非常に整っているため、真面目にしていると、とても映える。

 多分、将来藤堂の活躍が聖典に刻まれるとするのならば、絶世の美青年とされる事だろう。絶世のは言い過ぎだと思うが。

 俺の面も負けてはいない自信はあるが十人に八人の女はきっと藤堂の方を選ぶだろう。何しろ、目つきが悪くなりすぎているのだ。将来、教会とクレイオを訴える予定である。


 互いに見つめ合う藤堂とリミス。

 別に俺は噛ませ犬になるためにこのパーティに入ったわけではない。

 間に入っていけない雰囲気を意図的に無視し、藤堂の肩をばんばんと叩いた。


「だとよ、よろしくな! 藤堂!」


「ひっ!?」


 それほど力は入れていないのに、藤堂が大げさに悲鳴をあげ、びくりと肩を震わせる。


「ちょっと!」


 リミスが藤堂から視線を外し、ばんとテーブルを強く叩いた。

 こちらを睨みつけているのは、今の今まで見つめ合っていた目つきとは違う、釣り上がった眼。


「あんたは丁寧とかそれ以前に、勇者様への敬意が足りなさすぎるのよ!」


「ほう。アズ・グリードの忠実な下僕である俺が聖勇者ホーリー・ブレイブに敬意を持っていないと?」


「うっ……そ、れは――」


 馬鹿な。俺は誰よりも勇者を敬愛している。

 そうでなければいくら上司の命令とは言え、今の状況。とっくに任務を投げ出しているはずだ。


 神の名を出され、リミスがはっきりと言い淀んだ。箱入りお嬢様だけあって良い教育を受けているのだろう。

 神を馬鹿にするなど、考えた事もないに違いない。俺は最低一日に一回は死ねって思っているのに。


 ……まぁでも、藤堂に敬意を持っているかどうかで言えば……持ってないかな……。


「……リミス、あまり相手にするな」


 アリアが一瞬、咎めるような目つきをするが、すぐに藤堂の方に向き直った。俺には視線を向けさえしない。


「藤堂殿、取り敢えず全員揃ったことですし、そろそろ出ましょう。ヴェールの森近辺の村までは順調に馬車を急がせても五、六時間かかると聞いております。途中で魔物に襲われたりしたらもっと掛かるでしょう。さっさと行かないと、日が暮れてしまう」


「ああ……そうだね……。遊んでいる暇はない」


 ヴェールの森近辺の村まではある程度整備された街道が伸びているが、魔物から完全に守られているわけでもない。他の道と比べれば遥かに安全なだけ、だ。出る時は出る。まぁ、さすがに王都近辺なので盗賊の類が出る可能性は低いが。

 俺は断定口調でこっそり設定していた目標を宣言した。


「取り敢えず、二週間で藤堂のレベルを30まで上げる」


「……は!? 二週……間!? さすがにそれは――」


 絶句するアリアに、あまりわかってなさそうな藤堂とリミス。


 一日一レベル。傭兵たちが聞いたら命知らずと嘲笑するような目標だ。

 だが、俺の補助魔法と回復魔法さえ使い、全ての魔物のとどめを藤堂が刺せば不可能な値ではない。

 まぁ、アリアとリミスについては後からゆっくり上げさせてもらおう。


「無理だ! いや、やめるべきだ! 魔族に感知される可能性が高くなると言っても……そんなに急ぐ必要があるのか!?」

 

「ある」


 二週間で30まで上げると俺にボーナスが出るのだ。その額、五百万ルクス。これは平均的な中流市民の二、三年分の給金とほぼほぼ同じである。

 険しい表情で食って掛かってくるアリアを無視し、当の勇者に向き直る。


「とは言っても、かなりの強行軍になる事は間違いない。藤堂が無理だと言うのならば考えるが――」


「やるよ」


 藤堂はやや青褪めた表情で、しかし即答した。

 恐怖……ではないだろうが、大きく見開かれた眼、その中央の漆黒の虹彩が爛々と輝いている。

 それは決意か覚悟か。


 昨晩の様相を一瞬思い出し、眉を顰めた。

 さて、上司クレイオにどう報告すべきか……。


「強くなる。僕は強くなる。リミスを、アリアを守れるだけ強くなる」


「そうか」


 宣言だけは立派であり、やる気もある。後はそれが無謀にならないように調整するだけだ。

 取り敢えず今は全ての悩みを捨て、僧侶特有の言葉でお茶を濁す事にした。


「藤堂にアズ・グリードの加護があらん事を」

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