第二レポート:この勇者、不安定につき

 ルークス周辺にはレベルアップのための土地が数多く存在している。

 いや、レベルアップに有効な土地が近くにあるからこそ、ルークスは発展したのだと言う方が正しいだろう。


 ルークス王国の王都、ルークスから五十キロ程離れた地点に存在する、四方数百キロに渡り広がる、ヴェールの森。

 そこは、国によってある程度整備された中堅クラスのレベルアップに相応しいフィールドだった。


 さすがに数百キロある大森林の全てが知られているわけではなく、近くの村では森の奥には古代竜がひっそりと生きているなどという馬鹿げた伝説がまことしやかに囁かれていたりするが、今まではっきりとした目撃証言などがあったわけでもなく。


 奥に行けば行くほど強力な魔物が生息しているが、レベル三十程度までならば整備されている道の近辺でレベル上げが可能となっている。魔物対峙を生業とする傭兵の間ではこの辺りで狩れるようになると一人前、などと言われている、新人傭兵の一つの関門でもあった。

 ちなみに更に奥に進むと魔物のレベルも格段に跳ね上がり、道も地図もないため遭難の危険性が高くなる。行くなら自己責任でどうぞ。勿論勇者に行かせるつもりはない。

 

 魔物には魔人型、魔獣型、植物型、精霊型など幾つかの種類が存在するが、ヴェールの森に生息しているのは魔獣型と植物型が主になってくる。

 基本的に物理攻撃を主体として攻撃を仕掛けてくる敵だ。獣の延長であり、魔人型のように高度な知性を持っているわけでもない。特に才能がない傭兵でもレベルさえ上げれば対応できる辺り、その難易度を察していただけるだろう。

 だが、同時にサバイバルの知識や森というフィールドでの戦い方など、学ぶべき点は多く、その練習という意味では最適だ。


 魔王や高位魔族の支配権は人の手の届かぬ土地にある。必ずやこの森での経験は勇者たちの力になるだろう。


 手始めのレベルアップ先についてこの話をした段階で、異を唱えたのはこの三人の中では一番レベルの高い、レベル20のアリアだった。


「ヴェール大森林……まだ藤堂殿のレベルでは危険なのでは?」


 藤堂のレベルは15。お前とあまり変わんねーよ、と言いたい気持ちが芽生えたが勿論言わない。

 アリアの俺の印象はかなり悪いだろう。別にアリアと色恋沙汰がどうとやらなんて話はするつもりがないが、パーティメンバーとの間のしこりはできるだけ作らないに越したことはない。


 恐らくヴェールの森の事は武家の出として知っていたのだろうが、その知識は実際にそこでレベル上げを行った事がある俺程ではないだろう。


「確かに多少危険ではあるが、奥に行かなければこのメンバーなら十分に戦えるだろう。何より、このパーティにはちんたらレベル上げをしている暇はない。いつ魔族が勇者の存在に感づくか……わからないからな……」


 もし万が一バレて尖兵を差し向けられた場合は結界などで足止めをするなど最善を尽くすつもりだが、何よりの自衛は勇者のレベルをあげる事だ。取り敢えずレベル30まで上げれば相手次第ではあるが、逃げる事くらいはできるだろう。


 後、枢機卿から言われたのだが、勇者のレベル上げ進捗次第で俺にボーナスが出るらしい。勇者の共となった時点である程度の準備金は貰っているが、金はあればあるだけいい。ボーナス欲しい。


 聞いているのか聞いていないのかわからない目つきで椅子に座っていた勇者が、顔をあげる。


「そんなにその魔族とやらは強いのか?」


「今高位魔族に出逢えば五分で肉団子だな」


 勿論、魔族と一口に言ってもピンからキリまで存在するが、基本的に魔族というのは人が対抗出来ない存在なのだ。

 高位ともなれば最低でも、レベル60の一線級の傭兵が複数人で挑んで勝てるかどうかという相手である。いくら才能があったとしても今の段階で相対するのは絶対に避けねばならない。


 幸いな事に、魔族は神の敬虔な下僕であるプリーストの知覚に強烈に引っかかる。特に魔法で調べるまでもなく、俺ならば例え寝ていたとしても気づくだろう。


 俺の答えが予想外だったのか、藤堂が目を大きく見開く。


「五……分!? い、いや、僕、一応騎士団長から手ほどきを受けたんだけど――」


「魔族の能力値は人の数百倍から数千倍だ。多少剣や魔法を使えた所で相手にならんよ」


 だから、万が一を考え俺はもっと強いパーティメンバーが欲しかったのだ。

 俺の上司――クレイオ枢機卿にもっと別のメンバーと変えてもらえないかダメ元で問い合わせてもらっているが、進捗は芳しくなさそうだ。身の上的に考えるとこの上ない原石ではあるのであからさまに文句も言えない。


 あまり心象はよくなさそうだが、一応ある程度俺の存在を認めているのか、藤堂は特に突っかかってくる事もなく大きく頷いた。

 意志の強そうな瞳に、中性的な美青年と呼べる風貌。その動作から溢れる光は一種のカリスマと呼べるだろうか。

 勇者の素質と見た目は関係ないはずだが、その仕草は彼が勇者となるであろう事を俺に予感させるに十分だった。


「五分か……。なら……多少危険でもさっさとレベルを上げないとね」


「身体を少しずつ新しい力に慣らしながら無理のないように、だが迅速に上げていく。取り敢えず三十まで上げれば魔族が現れても逃げる事くらいならできるはずだ」


 逆に言えば、それまでの間は常に油断ならぬ状態に置かれるという事でもある。


 今現在の藤堂のレベルは15、アリアが20、リミスが10。存在の力は基本的に殺したものにしか入らないから、数を狩らなくてはならない。

 かと言って、強い魔物を狩れば一気にレベルが上がるのかと言うとそれも違う。人には一度に受け入れられる存在力の限界というものがあるのだ。レベル1の傭兵が仮に最上級の竜種にトドメをさせたとしても、せいぜい上がるレベルは2か3といった所だろう。そして、普通レベル1の人間に竜は殺せない。


 楽してレベルを上げる方法はないし、まず勇者の場合は基礎能力アップの他に戦闘技能をつけなくてはならない。そもそもの最終目的は魔王の討伐なのだ。レベルを上げただけで魔王に勝てる程甘くはないだろう。


 プランを脳裏に巡らせながら、発言する。


「森に篭もる。目標レベルは最低30。最優先は藤堂のレベル上げだ。最悪、アリアとリミスは代わりがいる」


「……は?」


 別に他意はない言葉だった。

 仲間としてアリアとリミスは確かにまだ頼りないが、それでもあえて見捨てるような選択肢を取る程でもない。

 それは純粋な優先順位の問題、例え剣王の娘だろうが、公爵の娘だろうが、俺はアズ・グリード教会から派遣されてきたプリーストとして勇者の安全を最優先に考えねばならない。


 だがそれはきっと、藤堂本人に取って想定外の事だったのだろう。


 低い声と同時に、空気がざわつく。全身の毛が僅かに逆立つ。


 視線を藤堂に向ける。漆黒の瞳が刃となって俺に突きつけられていた。

 それは殺意と呼ばれる類のもの。鋭く引きつった眉目に噛み締められた唇。端正だった容貌がここまで変わるものか、信じられない程の凶相を形作っている。その瞳の奥にはどろどろとした闇が見えていた。


 戦闘を生業としない一般人ならば全身を飲み込む異様な感覚に裸足で逃げ出していただろう。

 それは、高レベルの傭兵ならば誰しもができる技術であり、しかしレベル15で使えるような技術では断じてない。


 意志さついを昇華し叩きつける技術。


「なっ……」


「あ……う……」


 公爵家の護衛も、剣王の弟子も、高いレベルの人間で固められていたはずだ。

 だが、殺意を発する事などなかったのだろう。取り巻く異様な空間にアリアとリミスが息の詰まったような声を発し身動ぎする。

 その眼は大きく見開かれ、俺と藤堂を見ている。


 恐ろしい才覚。いや、これはまさしく神のご加護によるものだと言うべきか。

 俺が殺意にここまでの影響力を持たせる事ができるようになったのは、人の動きを縛る事ができる程に影響力を持たせる事ができるようになったのは、何レベルの頃だったか……少なくとも、15では絶対に無理だっただろう。問題はこれが彼の意志で自由に操れているものなのか、それとも突発的に出てしまったものなのか、という点だが……一度こうして出来ている以上、二度目は時間の問題だ。


 しばらく様子を観察していたが、これ以上放置していると飛びかかってきそうなので、俺は大きく音を叩いて両手を叩いた。


「悪かった。浅慮だった。別に俺はアリアやリミスをないがしろにするという話をしているわけじゃない」


「リミスとアリアに……謝れ」


 唸り声にも似た恫喝の声。

 元々ハスキーボイスだったが、喉の奥から絞り出したようなそれは地獄の底から這い出た亡者のような声となっていた。


 触らぬ神に祟りなし。俺は神の使徒であり、自身のプライドも神に売っぱらっている。頭下げて済むんだったらいくらでも下げよう。土下座してやってもいい。手っ取り早いし。

 即座にリミスとアリアの方に向き直り、深々と頭を下げた。

 

「俺が悪かった。許してくれ」


「あ……ああ……」


「まぁ……ね」


 ご本人達はそれほど気にしていない様子。そりゃそうだ。俺はまだ彼女たちの事を貶す言葉を出しているわけではないのだから。

 二人が許すと言ったのがよかったのか、勇者の殺意がやや収まる。二人がほっとしたような吐息を漏らすのが、俺には確かに聞こえていた。


 頭をゆっくり上げながら、藤堂の方を観察する。


 才覚はあるが不安定、か? 過剰な正義心? それとも幼少時に何らかのトラウマが?

 魔王を倒す勇者として適切なのか、不適切なのか?


 駄目だ。考えても無駄だ。

 どこに地雷があるのかはわからない。観察しなくてはならないだろう。元々、いきなり生まれ育った世界からこの世界に呼び出されたのだ。多少ナーバスになっていても仕方ない。


 ごほんと一度咳払いをして、勇者の眼と眼をしっかりと合わせる。


 だが、それとこれとは話が別だった。

 藤堂は理解し受け入れなくてはならない。自らの命の重さというものを。


「悪かったな」


 俺の言葉にも、藤堂の視線は揺るがず、険しいままだ。

 険しいまま、納得の言葉を口にする。表情と言っている事がちぐはぐだ。


「……ああ。こっちも悪かった、いきなり。だが、もう二度とリミスとアリアを……下に見るような発言はしないで欲しい。不快だ。非常に不愉快なんだ」


「ああ、不愉快にしたのは謝るし、いきなり誤解されるような事を言ってしまったのも謝る。だが、それは無理だ」


「……は?」


 藤堂の眉目が大きく歪む。反射的に力を込めたのか、手の置かれたテーブルがみしりと小さな音を立てる。


 再び殺意を放ち始める前に理由を述べる。


 仕方ない。嫌われるのは仕方ない。だが、言わねばならない。俺だって好きで言っているわけではないのだ。


「何故なら、俺達の使命の第一は……魔王討伐だからだ」


「は? それが――」


「そして魔王を討伐されるために呼ばれたのか藤堂直継、お前だ。俺やリミス、アリアの役割はお前の魔王討伐のサポートをする事、ただそこにある」


 一月前の俺はまさか勇者パーティに参加する事になるだろうとは思っていなかった。


 確かに勇者のサポートをして上手いこと魔王を討伐できれば地位も名誉も財産も手に入るだろう。だが、高位魔族を相手にするというリスクには見合わない。あまつさえ相手は魔族の頂点であり王である魔王、クラノス。巷では絶望王などと噂される真性の怪物である。


 平均レベル九十を超える最高位の傭兵パーティが魔王討伐に挑み、返り討ちにあったのは記憶に新しい。それに比べてこっちのパーティ平均は何レベルだ? 十五? ふざけんな、である。その二つには大人と赤子以上の差異があるのだ。


 俺は別に、魔王を討伐したくてこのパーティに参加しているのではない。枢機卿の命令だから、元々やっていた完遂しかけていた仕事を放り出してまで仕方なく参加しているのだ。


 だが、仕事はきっちりやる。仕事だからきっちりやる。


 身体を震わせる藤堂の方をしっかりと見つめる。


「藤堂、わかっているのか? お前じゃなきゃ魔王を倒せない事を。国王から話は聞いていないのか?」


 正確に言うのならば、藤堂でなくとも加護さえ持っていれば魔王に傷をつけられる。だが、今出さねばならない情報ではない。

 藤堂は押し殺すような声で、だが確かに肯定した。


「あ……ああ……」


「ならば簡単な話。英雄召喚サーモニング・ヒーローの魔法はそう頻繁に使える類のものじゃない。藤堂、お前が死んだら世界は滅ぶんだ。オーケー?」


 過剰な言葉で藤堂を揺さぶる。


 しかし、こうして改めて考えてみると藤堂も随分と災難だな。

 いきなり家族と離れ離れにされて魔王を倒せなど、もし俺が藤堂の立場にあったらボイコットしてしまうだろう。それとも正義感の強いものが選ばれて召喚されているのだろうか?


 神への背信とも取れるような事を考えながら、俺は続ける。


「アリアもリミスも強くなるだろう。魔王を相手に一人っきりで戦うのは無謀だ。だから、俺達はレベルを上げなくてはならない。だが、同時にいざという時にはアリアもリミスもお前を守るために死ぬ義務がある。当然、アリアもリミスもこのパーティのメンバーとして抜擢する際に聞いているはずだ」


 ちなみに、俺は聞いていない。俺のパーティ加入は神名と言う名の上司命令であった。

 だが、パーティの設立理由を考えるとこんな事、言われるまでもないのだ。勿論、俺は死ぬつもりはないが。


「そ、うなの、か? リミス、アリア……」


 藤堂がまるで縋り付くようにリミスとアリアに向き直る。


 剣王も公爵も悪い噂は聞かない人の親ではあるが同時に国の重鎮である。何故娘を派遣する事になったのかは定かではないが、その程度の事を教えていないわけがない。

 俺の予想通り、アリアもリミスも一瞬互いに視線を交わしたが、おずおずと頷いた。


「あ、ああ……父上からは、一身に代えてもお守りするよう仰せつかっている――」


「わ、私もお父様から――」


 二人の言葉が最後まで出されるのを待たずして、藤堂が眼をかっと見開き頭を抱えた。


「あ……ああああああああああああああああ……」


 表情はわからないが、僅かな雫がテーブルを濡らす。その呻き声には形容できない感情が混じっている。

 その姿は間違えても人類希望の光である勇者のものではなかったが、俺は見て見ぬ振りをする事にした。


 ぶっちゃけると俺は藤堂が勇者であってもなくても別にどうでもいいのだ。


 俺は職業柄、英雄召喚の術式が運命に勝利を約束された勇者を呼び出す術ではない事を知っている。


 藤堂が勇者であっても勇者でなくても、レベルを上げ魔王を討伐させる。ただそれだけの事。

 藤堂が実際に神に選ばれた勇者であっても魔王を倒せなければ勇者ではないし、藤堂が一般人だったとしても魔王を倒せれば勇者なのだ。アズ・グリード聖神教が求めているのはその成果だけなのである。

 未来は如何なる高名な魔導師にも予見できない。結果は蓋を開けてみなければわからない。

 ヒーラーである俺の役割はそこに至るまでありとあらゆる呪法を、外法を使って勇者を生き長らえさせる事にある。一人の人間を勇者にする事にある。


 好きなだけ泣け。

 好きなだけ怒れ。


 俺にはその気持ちがさっぱりわからないが、まぁそれも人それぞれの性格という事で特に何も言うべき事はない。


 一通り勇者の嘆きのBGMを聞いた所で、俺はため息をついた。偉そうな声色で当たり前の事を言う。


「別に藤堂、お前が強くなって守ればいいだろう。幸いな事に、八霊三神の加護を受けている藤堂は何よりも強くなれる余地がある。誰よりも強くなり、魔王を倒せ。仲間を殺したくなければ全力で守れ。それだけでアリアもリミスも死なないだろう」


「ッ!?」


 スイッチが切り替わったように藤堂の泣き声がやみ、その面がゆっくりと上がった。

 朱の唇の端から垂れた涎、真っ赤に腫れた眼の奥で光る爛々とした闇の瞳に、俺は初めてぞくりと身体を震わせた。


 ……あれ? こいつ、まさかやばい奴?


 藤堂の目つき。俺の方を向いていて、だがその視線は俺を捉えていない。

 まるでこの世ならぬものでも見ているかのような夢現ゆめうつつの眼で、藤堂が呟く。まるで自分に言い聞かせているかのように。


「そ、そう……か! そうだ。そう……だね。勝てばいい……勝てばいいんだ」


「あ……ああ……勝てばいい。そうだ、それだけの話だ。そうだな? リミス! アリア!」


 とっさに助けを求める俺。

 リミスとアリアの表情もまた、予想外の勇者の表情に強張っていた。


「え、ええ……そうね!」


「あ、ああ……勿論だ! 何、秩序神に選ばれた藤堂殿なら容易く成せるだろう!」


 おい! この勇者、大丈夫か?

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