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◎◎


「幻想為るかげの華は、死せる教団の館にて、救世主を――夢見るままに待ちいたり」


 くるくるとそこで踊りながら、歌うように秕未しいなみ銀華インファはそう呟いた。

 スダトノスラム降臨教団ビルの地下だった場所は激変していた。

 黒魔術染みた儀式の場であったそこは、いまは幾つもの琥珀色に輝く樹木の蔓と蔦と根が飾りつけるように張り巡らされ、絡み合って一つの舞台を形作っている。

 一つしかなかった照明も、すべての樹木が耀いているため光源の不足はない。

 秕未華蓮の背後には、奔放に伸びる無数の根の、その結集地点があり、そこから夜の空へと向かって、人間が作りだしたどんなものよりも巨大な幹回りを持つ樹木が伸びている。

 天へと伸びた幹からは、いまも枝葉がいくつも分裂し、天上すべてを覆いつくそうとしている。

 その枝葉、根の一つ一つ、蔦の一本一本に至るまで、すべて秕未銀華の意志が通じている。だから、彼女はいま真火炉まほろの街がどうなっているのか、それをまさに手に取るように理解できた。

 真火炉――【鉄扉】を有するが故に理想郷として造られ、【ヘルメスの庭】の実験場と化していたその町は、今やすべて銀華の手中にあった。


「この街だけじゃないわ。もっと沢山、もっと遠くへ」


 歌うような言葉は、真実しか述べていない。

 実際、既に彼女の手足たる樹木の末節は、真火炉の人間すべてをシンビオントに変え、更に隣町、その隣の街、更にまた隣の街――世界中へと版図を拡大しようとしていた。


「【幻想】は世界と同価値。【幻想】が世界を覆い尽くした時、世界は【幻想】の前に屈服し、新たな世界が生まれるのよ」


 それが、秕未銀華――世界の種子エンブリオの名を冠する【幻想】であった。彼女のが有する【幻想】であった。


「産めよ、殖えよ、地に満ちよ」


 無数の人間の命――その精神を手中に収め、集合的無意識への干渉力を増していきながら、彼女は踊る。

 その踊りが美しさを増す度に、樹木は成長し――やがて、その茎頂に【つぼみ】を抱く。

 その華が――銀のつぼみが開花した時――


「世界は――滅ぶ!」


 高らかに、秕未銀華はそう声を上げ。



「――



 命を燃やす朱色の声が、それに応えた。

 銀華は、噛み締めるような表情で微笑むと、背後を振り返り、こう告げた。


「ようこそ――朱人ちゃん」


 緋色の刃を携え、燃える双眸を彼女に向ける、中性的な顔の少年。

 それが、救世主――玖星朱人と、秕未銀華が、再び廻り合った瞬間であった。

 大惨劇の最中、運命の幕が、いま上がる――


◎◎



 玖星朱人は、言葉を交わすよりも早く地を蹴っていた。

 一瞬後、彼がいた場所から無数の根が、槍衾やりぶすまのように生えてくる。大人しくその場に立ちつくしていれば、今頃朱人の全身は穴だけだっただろう。

 朱人は、舞台の上で微笑み続ける秕未銀化に向けて叫ぶ。


「おまえ! もっと手加減しろ! 僕を殺すつもりか!?」

「……かっこわるい」


 微妙に震えが混じったそのあまりに情けない叫びに、失望をありありと浮かべて、銀華は両手を振るう。連動するように蔦が伸び、朱人の四肢を絡め取ろうとする。


「緊縛プレイになど興味はない!」

「私は、ちょっとやってみたいかも」

「僕は至ってノーマルなんだ! サディストでもマゾヒストでもないっ」

「いっぺん試してみれば、癖になるかも……?」

「そんなもの知りたくもなーい!」


 至る所から飛来する蔦を脅威的な機動と身体能力、何よりで回避しながら、朱人はわめき続ける。


「僕は今日まで虐められ続けて来たんだぞ! 今更そんな虐めみたいなことを加えてやられる理由がないじゃないか!」

「愉しいかも」

「僕が楽しくないと言っている!」

「私はやってみたい」

「やれるものならやってみろ! 僕は絶対に捕まってなんかやらないぞ! 痛いのは嫌いだ! 肉体が痛むのも、心が痛むのも嫌いだ!」

「……むー、わがままかも」

「かもかもかもかもと、やっぱりおまえは頭が悪いな!」


 楽しそうな笑みを、その唇に刻んで、玖星朱人はなおも吠える。【バブルヘッド】を倒す以上の力などない無力な救世主は、強大な存在を前にして、一歩も引かずに語り続ける。


「昔からそうだった! おまえは手先が不器用で、要領が悪くって、ろくでもないことばかりしでかして! 初めて作った肉じゃが、味が薄くって食べられたものじゃなかった!」

「あ、朱人ちゃんに言われたくない! 要領が悪いのは自分じゃない! 周りの誰とも仲良くできなくって、泣いてばっかりいたくせに! わ、私が構ってあげなかったら、ひとりっきりだった癖に!」

「僕は一人で平気だった! それが運命だと知っていたからだ! そんな事も解らないから、おまえは頭が悪いというんだ!」

「こ、このっ」


 顔を赤くして秕未銀華が、両手を勢いよく交叉させる。

 上下左右四方八方前方後方――あらゆる角度から槍の穂先と化した【根】が突出し、一斉に朱人へ襲い掛かった。


「なんどもなんども――ひとを馬鹿みたいに言うなああああああああああ!!!」


「おまえは――大莫迦者おおばかものだろうがああアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」


 降り注ぎ、衝き上がり、交錯し、飛来し、突出し、射出される無限量の槍の群れを、緋色の刃にて渾身の力で受け止め、いなし、弾き、裁き、躱し、退け、それでもその残る数十本に蹂躙されながら、血みどろになりながら、朱人は吠える。


莫迦バカが!大莫迦が!度し難い莫迦が!! どうしてこんな道しか選べなかった! どうして僕に一言も言わなかった!」

「それは」

「言えなかったなんて抜かすな! 時間は幾らでもあったんだ! 僕が――語り合う時間なんて幾らでもいつでもあったはずなんだ!」

「だって」

「そうだ、おまえの言う通りだ! だってだよ。だってさ。こんなのってないじゃないか! 莫迦は僕もなんだ、僕こそが大莫迦者なんだ! 何もかも僕が悪かったんだ!」

「朱人ちゃ――」


「僕は――!」


「――――」


「思い出したから、此処にいるんだ。話をするために、此処に来たんだ! そうさ、もっと早ければずっと良かったんだ。でも僕らにはそれが出来なかった。それでも!」


 ――まだ、やり直せるはずなんだ。


「――――」


 朱人の語る真摯な言葉は、確かに銀華に届いていた。

 朱人の表情も、もう笑ってはいない。ひたすらに自らの大切なものを案じる優しさだけがそこにあった。壮絶な絶望を突きつけられてなお、そこには凄絶な覚悟と、凄烈な決意が宿っていた。


「――――」


 いつのまにか、銀華は泣いていた。

 その手で拭っても、拭っても、涙は琥珀色の眸から零れ落ちる。

 やがて、銀華はその場にしゃがみ込む。

 顔を両手で押さえて、必死に崩壊を抑え込もうとする。だけれど、それは意味をなさない。雨霰の攻撃が止んで、朱人はゆっくりと彼女に歩み寄る。

 傷だらけの身体で、襤褸襤褸ぼろぼろの身体で、足を引き摺り、ぼたぼたと血を流しながら、それでも長い時間をかけて泣き続ける少女の傍に寄り添い、その肩に手を置いて、そして彼は、優しくこう囁いた。


「やり直そう、いまなら、僕が全部なんとかしてやるから。なあ――」


 ――華蓮。


「――――」

 少女は

 銀華は。

 秕未華蓮かれんは、


「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 声をあげて、滂沱ぼうだの涙を流すしかなかった。

 朱人は、その肩を優しく抱き寄せて、そっと彼女の――大切な幼馴染の髪を撫でる。

 その色はもう、銀色ではない。

 銀である必要が、失われている。


「【幻想】を願ったのは、おまえじゃなかったんだな。本当に【幻想】に囚われていたのは、僕だったんだ」


 彼は、目を閉じて思いだす。

 視界を埋め尽くす鮮やか赤色。

 それは、少女の血の色だった。


(あの日、僕たちはいっしょに鎮守の森で遊んでいて、一つの遊びをした。木登り。どちらかが高く昇れるかなんて、そんな無意味なことを競って、その結果――華蓮は木から落ちて、死んでしまった)


 運悪く、地面に叩き付けられた時、その頭を岩で打ち、秕未華蓮はそのとき死んだ。

 命を喪った。


(だけれど僕は、それが受け入れられなかった。神様に助けてくれって、初めて願った。都合のいい幻想に縋りついた。そして、あの黒の王と出遭った)


 黒の王――ニグラレグムは玖星朱人の願いを聞き届け、秕未華蓮を、秕未銀華という【幻想】として蘇生させた。秕未神社に伝わる伝承を起源に、彼女は生まれ変わり、新たな生を歩み出した。


(僕の【幻想】を叶えるためだけに祝福を与えられた――その言葉に嘘はなかった。華蓮と銀華が同じ存在という言葉にも。だからこそ、僕らは出逢う訳にはいかなかった)


 出逢ってしまえば、今日という日が訪れると、二人は知っていたからだ。

 だからこそ、二人は無意識に、記憶を消した。

 朱人と華蓮は別離し、昨日までを生きてきた。

 しかし、少年を思う少女の心が、少年の孤独に震える弱さが、その邂逅を引き起こした。少年は再び少女と出逢った。

 銀色の少女と出逢った。

 【バブルヘッド】の存在しない少女と出逢った。

 当然だった――少女は、既に死者なのだから。

 



「僕たちは再会すべきじゃなかったのかもしれない。だけれど、もういいんだ。僕は思い出した。僕は決めた。背負ってやるって、そう決めたんだ」


 それが、世界を滅ぼす幻想だろうと。

 すべての人類の敵であろうと。


 ――初恋の、愛するその少女を守り抜くことを。


「――でも」


 華蓮が言う。ただ無力な、泣いているだけの少女が、いやいやと首を振って訴える。


「そんなこと、できるわけ」

「出来るさ!」


 朱人は。

 玖星朱人は。

 胸を張り、これ以上ない不敵な笑みを口元に刻んで、こう応えて見せた。


「何故なら僕は――救世主なんだから!」


(この世のすべてを救うものなのだから!)


「――――」


 それが、限界だった。

 華蓮は完全に泣き崩れる。

 どうしようもない感情の奔流に流されて、恥も外聞もなく、少年に縋りついて泣き続ける。

 朱人はただ、少女を柔らかく抱きかかえ、その背中を撫で続けた。


「もう、大丈夫だ」


 そう言葉を、投げ続けた。


◎◎


 少女は嬉しさのあまり涙に溺れた。

 少年に縋りつき、何もかもの制御を手放した。


 ――その瞬間を、虎視眈々と狙っているものがいるなどとは、想像だにせず。


「――ご、はっ」

「……朱人ちゃん?」

「――――」


 少年が、がっくりと項垂れる。少女には何が起きたのか分からない。ただ、彼の胸から、何かが生えているのは分かった。


(――え?)


 それは、血に塗れた人間の手だった。

 それが、少年の心臓を、左胸を貫き、生えているのだった。

 少年が崩れ落ち、少女の視線が上がる。

 そこに、白い詰襟を着た金髪の少年が立っていた。

 その白い少年は、兇悪な笑みを浮かべて自らの腕を引き抜く。救世主の胸から、血液が噴出する。緋色の刀が舞台に落ちる。

 白い少年が、言った。


「さあ、【鉄扉】を啓け! 私を、初音はつねと逢わせろおおおおおおおおおおおおおおお!」


 四方坂よもさか了司りょうじ

 【ヘルメスの庭】が生み出した、調

 彼の魔手が、秕未華蓮へと――伸びる。




第九章、終

第十章に続く

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