第五章 端役たちは幕間に奔走する

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「もう一度、言ってくれ――秕未しいなみ神社のご神体こそが、私の探すC₃シーキューブだというのか?」


 夜明けの閑散としたハンバーガーショップ【ローテリア】の店内で、その白い詰襟を野犬にでも襲われたかのようにボロボロにした四方坂よもさか了司りょうじは、対面の女性に向かってそう繰り返し訊ねた。

 言葉の応酬は既に多くを数えていたが、客はろくにおらず、店員もあくび交じりにスマートホンを弄っているだけで、誰も彼らに注目してはいなかった。

 だが、店内で彼らの姿は明らかに浮いていた。

 了司の白い詰襟だけでも十分目立ったが、同席する女性の出で立ちもまた、ひとの目を引くものであった。

 女性。

 上質な真紅のドレスを身に纏った、コーカソイドの美しいブロンドの女性だった。サングラスをはめているため、目元は見えない。

 場末のジャンクフードショップという、おおよそこの場に誰よりも似つかわしくない気品を有するその女性は、僅かに首を傾いで微笑み、それから手元のハンバーガーの包み――この店の看板キャラクターである子犬が刻印されている――を持ち上げて一口、中のベーコンレタスバーガーを齧った。

 形の良い口元が、もくもくと咀嚼に合わせて揺れる。

 その場に絵描きがいたのならば魂を叩き売りしてでも写実したくなるような美しさがその食事風景にはあったが、それは了司にとって重要な事ではなかった。自らが望む答えがなかなか返ってこないことに内心苛立ちながら、彼もチーズバーガーワイドを口に運ぶ。

 確かに彼は空腹であった。

 あの、ひとを風化させる化け物――フリークス――と、いったんの中断があったとはいえほぼ一晩中戦闘を続けていたのだから、それは仕方がないことであった。常人ならば死んでいても不思議ではないし――

 それでも肉体の大部分は再生しており、その再生に必要としたカロリーを、彼は迅速に補給する必要があったのだ。

 都合四つのチーズバーガーワイドピクルス抜きと、単品の唐揚げ15個、付け合せのポテトまでを一気にコークで流し込み、了司はようやく食事を終える。まだやや食べたりない部分もあったが、残りは教団ビルに戻ってから栄養価の塊である特殊ゼリーを飲めばいいだろうと彼は考えていた。


「相も変わらず」

 抜けるように白い肌の、ブロンドの女が、そこで口を開いた。流暢な日本語だった。

「お前達はよく食べる。世の中の食糧事情など考慮に入れない特別製ハイパービルドとはいえ、普段からそれじゃあ、さぞかし難儀をしているんだろうさ」


 女性の声には、隠す気のない慈愛があった。

 その口調はぶっきらぼうであったが、聴く人間に清々しく思わせる気品と思いやりも、同時に存在していたのである。

 了司も、自分の秘密を暴露されたというにも拘らず、それを苦にした様子がなかった。ただ苦笑を返す。


「冷戦時代、密かに東西諸国が手を取り合っていたという事実の方が大衆には衝撃的である。私は、その副産物に過ぎない」

「増加する根源的危機概念シーキューブへと対抗し、世界の根源――【真理】に至るために製造された人工のシーキューブ。一般世俗が呼ぶ超能力を体現するもの――それがお前達【至るべき子供達ヴァーテックス・チルドレン】だ。その最終作――最後の一人である四方坂了司、お前には、が内部分裂で崩壊しその機能の7割を失った今も、ちょっと荷が勝ち過ぎるような期待がかけられているんだ」

「私は」

 彼は、一瞬だけ迷うように目を伏せ、

「私は命令通りに動いている。【鉄扉】を活動位階にある【C₃】と接触させるつもりはない。凡て、活動停止に追い込んで扉の向こうに送り返している」

「…………」


 その言葉を吐いた時の了司の表情を見て、ブロンドの女性は、おや?という顔をした。

 彼女の知る四方坂了司は常に冷静な――言ってしまえば諦観している人間だったが、しかしその時の了司には、迷いのようなものがあるように女性には思えたからだ。

 彼女の頭脳が、そのさがとして思考を始める。


(シーキューブの封印と破棄、それがこの人造存在の根幹であることは間違いない。しかし、これは違うぞ。何か、別の目的をこいつは持っている――そう考えるのが順当だろう)


 彼女はそこまで考えて、手元のウーロン茶をひと口啜る。ポーズでしかなかったが、彼女の聡明な頭脳が結論を出すには十分な時間だった。


(……なるほど。。どおりで、私みたいなはぐれものに利用価値を見出すわけだ。シーキューブの発見も、この人造存在を今日私が尋ねたのも偶発的なものだが、案外この坊主、運命とやらに愛されているのかもしれんね。いや、翻弄されているというべきか)


 少年の過去を思い描きながら、彼女は薄く微笑む。どうやら運命の恩恵は自分にもあったようだと、そう思えたからだった。

 ひとを風化させる化け物――暫定的にフリークスと命名された根源的危機概念と四方坂了司の戦闘の一部始終を、彼女は目撃している。少年の過去と、今の現状、そして彼女の知る全て。

 それらが導く答えを知り、だから今、彼女はある意図を持って、了司の前に座っているのだった。


「今度こそ、確認させてもらいたい」

 了司が言う。

「組織――【ヘルメスの庭】のエージェントにして私の生みの親であるひとり――C教室一の才媛マルグリッド・ローズマリー」

「そんなに褒めても知っている以上の事は教えんよ」

「……秕未しいなみ神社のご神体が、ひとの願望を結実させる器たるシーキューブである――これは間違いないことなのだな……?」


 彼のその問い掛けに、マルグリッドと呼ばれた女性は頷いて見せた。その美しい口唇がわずかに上がる。


「正しくは胤だな。シイナミとはこの国の言葉で中身の無いたねを指す。未だ中身の無い胤。そこになんらかの幻想を充たすことができれば――その願いは芽吹き、開花し、結実するだろうさ」

「命の危険性は――私を含む、全人類の」

「シーキューブである以上危険であることは違わないよ。でもな、比較的安全な部類だろう、少なくとも昨夜お前が戦ったという【】の化け物と比べれば、幾らもマシだ」

「……そうか」


 了司は、いつの間にか乗り出していた身体を戻し、深く椅子に腰かけて言った。


「では、教団はこれより真火炉まほろ町に存在する根源的危機概念の掃討を開始する。そのフリークスも」


 昨夜、彼が逃げる前に見た女子高生が操った刃も。


「この街に点在するありとあらゆるシーキューブを、教団が把握している限りすべて蒐集する」


(そして――秕未のご神体は、私がこの手に収める)


 彼は決意を内面で固め、詰襟の襟元をただした。

 早朝の寂れたジャンクフードショップで繰り広げられた奇妙な会話は、結局耳をそばだてる者もおらず――いたとしても、何かの小説、ゲームの話に思われたに違いないが――そうして、互いが互いの思惑に気が付くこともなく幕を閉じたのだった。


◎◎


 升中ますなか惣一そういちは、スダトノスラム降臨教団の信者の間でも重鎮として扱われていた。或いは了司の右腕として認識する者も多い。実際、了司は彼を重用しており、真火炉町で起きた事件や噂、シーキューブに関する情報の一切は、一度彼のもとに集まって精査されてから了司に報告されるのである。

 だから、四方坂了司が噂になっていた触れたものを錆び付かせる化け物と交戦したという情報は、了司が惣一に連絡すりよりも早く、彼の耳へ届いていた。

 必然、死傷者の有無も知ることとなったが、その中に野城のしろ君尋きみひろの名前があった。真火炉町の開発が放棄された区域にある廃ビルで、その無残な死体が発見されていた。


(野城というのは以前、教団に寄付をした上場企業の社長の名字と同じではなかったか)


 思いつくのと同時に、彼は自らのデスクに設えられたタワー型ワークステーションを起動する。軽く操作すると、彼が独自に組み上げたアプリケーションが起動し、教団に関連するあらゆる事項がキーワードに即して詳細に羅列されていく。このワークステーションには非公式ながら真火炉町の全市民の情報と、全企業、全団体、各省官庁の出先機関に関する情報がインプットされており、その中から最適解となりえるものが自動で選出される仕掛けになっている。野城君尋については、だから程なくその素性が明らかになった。


翠城すいじょう学園高等部二年。学術優秀。部活動にも熱心。両親はセイロー海産の社長夫妻。教団には所属していないが――」


 父親である野城隆雄たかおは、教団の根源的危機概念蒐集について知っていると、コンピューターは示していた。


「…………」


 惣一がどう扱うべきかと思案していると、彼の懐で携帯電話が着信を告げた。

 名前こそ万が一に備え登録されてはいないが表示されている番号は間違いなく彼が心から付き従う人物のものであった。


「……はい」

「…………」

『目撃者がいる。警察に圧力をかけ、探し出せ。翠城学園の女子生徒だ』

「はい」

『……気をつけろ。その女は、シーキューブをようしている可能性が高い』

「はい」

『同時に人体を風化させるフリークス――これも恐らくシーキューブだ――も探し出せ。既に活動位階にある。絶対に【鉄扉】まで到達させるな』

「了解いたしました」


 彼がそう言い終える前に、電話は切れた。

 惣一はそれを、別段心の無い行為だとは思わなかった。了司が多忙であることは誰よりも彼が一番知っていたし、それ以上に通話口の向う側で、教祖たる四方坂了司が疲弊した声を出しているという事実が彼に苦心をさせていた。

 惣一は、握っていたままの携帯を操作し、電話をかける。

 応答は3コール内であった。


『――読子よみこです、佐崎さざき読子です』

「あなたと国津くにつ氏にやっていただきたいことがあります」

『なんでしょうか』

「野城君尋の最近の交友関係を暴いてください。その関係者の中に、消息を絶っているものがいたのなら」


 ――探し出して、教団まで連行してください。安否は、問いません。


 升中惣一は、冷徹な声でそう告げた。

 了解の意思を返し、通話が途切れる。

 携帯を耳から離し、惣一は室内から外を――それよりもはるかに遠い場所を眺めた。

 しばらくの末、彼はまたどこかへと電話をかける。


「そうだ。だ。用意してもらいたいものがある。そうだ。ありったけのを教団へ――」


 惣一が教団の重鎮であり教主の右腕であり実質的な司令塔であることは周知のことだったが、では彼が過去に、いったいどんな人間であったのか、それを知るものは教主以外、ほとんど存在しないのだった。

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