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◎◎


 昼が過ぎた頃、清水しみず義孝よしたか玖星ここのほし朱人あけひとと別れた。


「いじめについて、相談があればいつでも言って欲しい。僕は中立で組織側の人間だが、互いが意見をぶつける場くらいはつくることができるよ」


 別れ際の彼の言葉に、朱人は複雑そうな表情を返し、軽く頭を下げると、繁華街に向かい姿を消した。

 その姿を見送って、義孝は歩きはじめる。

 目的地は朱人に話した通り、野城君尋の自宅であった。

 君尋の両親は共働きだが、彼は何とか面談の約束を取り付けていた。

 新任教師の分を超えてはいるが、その程度の信任を彼は学園長に取りつけている。昼行燈ひるあんどんのような性格でありながら、気が付けば懐に滑り込んでいる。義孝にはそんな、不思議な性質があった。

 そう時間をかけずに、彼は野城君尋の家を見つけ出すことに成功した。

 閑静な住宅街に、一見だけ他の家の倍ほどの敷地を有する御殿が存在したからである。その家が、野城一家の住まいであった。


「すみません、連絡をしていた翠城学園の清水というものですが」


 インターホンを押し、そう告げるが、応答がない。

 二度、三度、更に繰り返したが返答は何もなかった。

 義孝は無言で、豪邸の扉に手を掛ける。大きな家とはいっても前庭や門があるわけではない。道路から地続きで入り口のドアがある。

 取っ手に手を掛けると、それは捻る必要もなく開いた。

 平時の彼なら「不用心だな」ぐらいは言ったかもしれなかったが、義孝は無言のままドアの隙間へと身を滑り込ませた。

 玄関に入ってすぐ、異臭が義孝の鼻を突いた。

 金属の腐食臭に似た強い香り――色濃い錆の臭いだった。

 異臭に顔をしかめることも、動じることもなく彼は屋内に踏み入り、を発見する。

 リビングであったろうその場所は、まるで室内で台風が暴れ回ったかのように何もかもが粉砕されていた。

 原型を留めているものは無く、壁や床にも大穴が開いている。

 そして、ソファーだったと思わしきものの上には、うず高く錆びの山が積まれているのだった。

 錆の山は二つあった。双丘であった。


「…………」


 義孝は、口も開かずにその豪邸から出る。

 そして、隣の家でも同じようにチャイムを鳴らし――返答はなく、やはりドアが開いている――室内に入り、錆びの山を発見する。

 七軒の住宅を見て回り、そのすべてで同じ異常が発生していた。

 住宅は他にもあったが、義孝が気配を伺う限り、生きている人間がいる様子はなかった。錆の山の正体に思い至りながら、なお義孝は口を開くことはせず「――――」と、住宅街のど真ん中に突っ立っている。

 それはまるで、何かに発見されるのを待っているような、自らを餌の代わりにする様な振る舞いだった。

 そのの成果は、すぐに顕れた。


「GURYUUUUUUUUUUUUUBOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!」


 周囲一帯を震撼させるような怒号と共に、その存在は何処からともなく姿を現す。

 全長は三メートルを優に超え、全身が骨と皮だけのように痩せ細り、鋭い鉤爪のついた硬直している両手を前方へと突きだす、木乃伊みいらにも似た異形の化け物。

 その虚ろな眼窩の中で、緑色の鬼火が炯々けいけいと燃え、義孝を見詰めている。

 義孝が地を蹴るのと、化け物が腕を振り降ろすのは同時だった。

 寸前まで義孝がいた場所に、バケモノの両の腕が激突、瞬時に周囲数メートルを風化させ錆びの海へと変貌させる。

 義孝がふんわりと地面に着地する頃には、化け物はもう次のモーションに移っている。その細い肉体が、霞むようにぶれ、瞬きをする間に義孝の眼前へと出現する。

 

 化け物の腕が人知を超えた高速で振り抜かれ、義孝の頭部を薙ぐ――かに見えた瞬間、義孝の姿が消える。

 化け物が視線を下げると、彼はその場に尻餅をついていた。


「GI GIGIGIGIGIGIGIGI」


 化け物が、嗤った。

 茫洋とした表情で化け物を見上げる義孝に、それ以上の打つ手なしと見て取り、触れれば消滅必至の、必殺の一撃を振り上げ――


「そうは問屋とんやおろさんよ!」


 横合いから飛来した真紅の颶風ぐふうが、その痩身長躯を弾き飛ばす。

 吹き飛んだ化け物が、民家へと突っ込みその外壁を盛大に粉砕する。

 義孝の目の前で、黄金色の髪が風にたなびく。

 しっかりとその場に着地し、両の足――高いヒールで地面を踏みつけるのは、真紅のドレスを身に纏ったサングラスの女性だった。


「マルグリッド――」


 義孝の口から、その名が滑り出る。


「マルグリッド・ローズマリーか」


 マルグリッドと呼ばれたブロンドの彼女は、その口元に不敵な笑みを浮かべると、手に持っていたそれを投げ捨てた。

 それは長大な柄に巨大な金属の頭部を有する鈍器――大型金槌スレッジハンマーであった。ハンマーは、瞬く間に腐食し、錆びの山になっていく。


「正義のヒーロー推参! 助けてやるから、待っていろよ、義孝!」


「GURURURURU……」


 威勢のいいマルグリッドの言葉に反応してか、化け物が、瓦礫の中からゆっくりと身を起こそうとする。


「ちっ――お前はもう少し、眠っているがいい! 義孝、目を閉じて耳を塞げ!」


 告げるや否や、義孝の反応すら水に、マルグリッドは背後から何かを取り出し投擲した。

 化け物が不思議そうにその光景を眺める中――爆光。

聴覚と視覚を完全に麻痺させる轟音と激烈な光が一帯を覆い尽くした。


「逃げるぞ!」


 その声が届いているかどうか確認せず、マルグリッドは義孝の手を引いて走り出した。

 背後では、化け物が怒りの叫びをあげていた。


◎◎


 四方坂了司と秕未華蓮かれんは、放課後、華蓮の実家でもある秕未神社へと向かっていた。

 了司は自分の事を正直にスダトノスラム降臨教団の教主であると話した。無論のこと実際に自分たちがシーキューブなる正体不明の概念を扱っていることは伏せ、単純にボランティアもする宗教団体の代表としてあいさつしたのだ。

 華蓮は始め、それでも宗教団体というだけで不安そうな煙たがるような顔をしていたが、玖星朱人の知り合いだと告げるとその態度は一変した。

 彼女は朱人について知りたがり、了司は知る限りの知識を彼女に教えることを条件に、どうにか秕未神社参拝の権利を勝ち取った。


(当然だが、私は玖星朱人と面識はない)


 この十数年間の玖星朱人が送ってきた人生についてそのあらましを語りながら、彼は内心で溜息をつく。

 了司にしてみれば嘘をつくことに抵抗などない。それでも、朱人の壮絶とも言える徹底的な人間という人間に排斥されてきたかのような半生を聴いて、その度に泣き出しそうになったり怒りに肩を震わせたりするか弱い少女を見ていることは、けっして気分がよいものではなかった。

 了司がそれだけの知識を有していることには理由があった。


(そもそもは、野城君尋から始まったのだ)


 野城君尋。

 了司が昨夜、フリークスとの防戦一方の戦闘に於いて、既にその場で惨殺されていた少年である。君尋が如何なる理由で死に至ったのか、了司は未だ知らなかったが、君尋自身については、既にほとんどの事を把握していた。

 翠城学園高等部において成績優秀かつ運動全般に優れクラス委員長を任される優等生であったこと。

 同学園の矢間恵美という女性教師と肉体関係を持った過去があったこと。

 玖星朱人を現在いじめていた張本人であること。

 なにより、その朱人と面談と称したいじめを行った翌日に死亡したことを、了司は既に知っていた。

 升中惣一を経由した教団の情報網がそれを割り出したのだから、了司に疑う余地はない。


(野城君尋。玖星朱人。そこからの接点で、秕未華蓮が存在している。立て続けにこの街で起きた異常事態。そのすべてにシーキューブが関わり、何か一つの糸の上で踊らされているような感覚が拭えない。組織の研究者であったマルグリッドが私を訪ねてきたのも、彼女が秕未神社のご神体がシーキューブであると情報をもたらしたのも――この少女がすべての【鍵】だと示唆しているようでならないのだ)


 そんな勘としか言えない感覚に――だが了司は重点を置く。

 【至るべき子供達】として設計された彼は、破滅的危機概念に対して強い感受性を発揮する。その彼の勘が、秕未神社のご神体――ひいては秕未華蓮の重要性を切々と訴えていた。


「それで朱人ちゃん――玖星君は、いまどうしてるんですか?」


 間もなく秕未神社に辿り着こうというところで、一通りを語り終えた了司に、華蓮はそう問いを投げた。

 了司は僅かに事実を伝えるべきかどうか脳内で算木さんぎをはじき、


「……いまは連絡がつきません」


 と、

 実際は常に教団の信者――上位のエージェントが張り付いており、いまも了司には彼――朱人がこの場所へと向かっていることを知っていた。


(こちらに近づけるな。連絡も取らせるな)


 素早くポケットの中で小型端末を操作し、彼は信者たちに命令を下す。玖星朱人の知人を名乗っている以上、本人が現れればその嘘は瓦解する。


(嘘はばれても構わない。だがそれは、なんとしても秕未のご神体との接触を果たしてからだ。それが私の、この五年の悲願を達成する切り札となるのならば)


 手段は択ばない。

 了司はそう決意を固めつつ、華蓮には朱人との連絡を取るように促す。

 華蓮は言われた通り携帯を取り出し、今朝知ったばかりの電話番号にかけるが、


「繋がらない……朱人ちゃん、心配だよ……」


 当然それは繋がらなかった。信者たちの有能さに満足しながら、了司は華蓮にこう問いを投げようとした。


「それで、次は私が質問させてほしいのですが。秕未神社のご」


 ――御神体、という言葉は、彼の口からは続かなかった。



「――



 聞き覚えのない女性の声の後に、秕未華蓮の絹を裂くような悲鳴が響く。

 四方坂了司は――ゆっくりと視界を下げ、そして薄れゆく意識の中で理解した。


 ――己の心臓に、冷たいが届いたことを。


 刃が捻られ、心臓が砕ける。


「くひ、きひひひひひひひひひひひひひひひ――っ!!」


 姫禾ひめのぎ希沙姫きさきの、猟奇的な哄笑がその場に轟いた。




第五章、終

第六章に続く

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