2


◎◎


 升中が上位信者を引き連れ戻る頃には、了司の準備はすっかり終わっていた。

 ケープを脱ぎ、白い詰襟の上に、いまは頭まですっぽりと覆うローブを被っている。


「教祖様」


 升中が、ひとりの女性を引き連れ、了司の前に進み出た。

 衣装こそ教団のものを身に纏っていたが、それは客人用のもであり、その三十代の、化粧の濃い女性の顔に、了司は全く覚えがなかった。升中はそのきつい顔立ちをした女性を「貴舩きふね財閥のご令嬢」と紹介した。


「貴舩嗣朗つぐろう様が、本日は御出席できず、代わりに御令嬢にこの世界の真実を認識させたいと、この場に紹介されたとのことです」


(紹介……その歳になって社会見学かなにかのつもりか)


 内心で辟易へきえきと了司はため息をつく。顔には出ない故か、そんな彼の心の動きには気が付かない様子で、女性は施設内を薄気味悪そうな顔で見まわし、「何なのよここ、ちょっとあんた、説明しなさいよ!」と、高飛車な態度で詰め寄った。了司を少年と見縊みくびっての事だった。


(世界の真実を認識させたい、か。これは、世間すら知らなそうな女性ひとだが……)


 了司は胃がキリキリと痛むのを感じながら、高圧的に迫る女性をいなし、升中へと頷きかけた。

 升中が応じて、背後に控えていた4人の老若男女に頭を下げる。

 すると、まず豊かなカイゼル髭を蓄えた老紳士が口を開いた。


「我々の目的は、この世界を汚染する【幻想】の排除にある」


 いまにも詰襟が弾けそうなほど豚のように肥え太った女性が、いやらしく笑い言葉を継ぐ。


「ひとの世にあってはいけないものよ、私たちの――そうね、仮に神様とでもしましょう。その方が忌まわしいものを壊せと言ったの」


 彫りの深いアングロサクソンの少年が、真剣な表情で続けた。


「それは酷く危険なものだ。放っておけば人類社会が崩壊しかねないものもある。故に我々はそれをCatastrophic Crisis Concept――破滅的危機概念――即ちC₃シーキューブと呼び、常に探し蒐集しゅうしゅうしている。それはあくまでも概念であり、形あるものとは決まっていない」


 最後に、口元に傷跡がある目付きの鋭い男性が、酒に焼けた濁声だみごえでこう結んだ。


「そうして俺達の教祖様は、そのC₃がどんなもんであれ、それをあの【鉄扉】の向う側に送っちまう力を持っているって訳だ。C₃じゃなかった場合どうするかって? そりゃあ、壊してリサイクルに出しちまうのよ」


 分かったかい、いいとこのお嬢ちゃん?

 傷跡のある男に、嫌味たらしく皮肉たっぷりの調子でそんな言葉をかけられて、化粧の濃い女性――貴舩は眉を吊り上げたが、その男の眼光に剣呑なものを見て取ったのか「うっ」と言葉に詰まり、真っ向から反論はしなかった。

 ただ、代わりとばかりに了司の方を向き、


「あんた、本当にそんな力があるわけ?」


 と、疑わしそうに尋ねるのだった。

 了司は、否定するでもなく肯定するでもなくゆるゆると首を振り、升中へと目配せをした。升中はまだ何か言いたそうな貴舩を引き連れて、四人組の後方へと下がる。四人組は代わりに前へと進み出て、ぐるりと祭壇を取り囲むような位置についた。

 了司はその間を抜ける。

 祭壇を昇り、角錐の間に身体を差し込み、檻の内部へと踏み入る。


「刻限だ」


 彼は告げ、【鉄扉】の前に立った。

 升中が進み出て、いつの間にかその両手で抱えていた不可思議な塊をひざまずきながら了司へと差し出した。

 それは?と貴舩が問い、升中が本日向う側へと送る破滅的危機概念ですと答えた。

 外見は巨大なペットボトルのような形で、緑色の濃淡がストライプを描いている。ドラッグストアの前にあってもおかしくない外見のそれは、しかし先端から鋭利な注射針の様な器官を覗かせていた。


「人間の内臓をダイヤに変える機械で御座います」

「え?」

「あるヤクザが手に入れ、人身売買の副次的利用に用いていたものを、教団のエージェントが奪取しました。ヤクザは人間一人をダイヤに変えることに夢中でしたが、これは本来もっと大規模な影響を与えるものと推測されます。使い方を誤れば、一都市の人間がすべて――というようなこともあるかと」

「…………」


 貴舩は言葉もないようで、押し黙る。それを見届けて了司は、蜥蜴の詰まった檻を開けた。

 犇めく無数の蜥蜴。

 その蜥蜴はどれも、新月の晩に生まれた固体であり、例外は一切ない。了司はその中から一匹、蜥蜴を取り上げる。


「「「「いにしえのシビデとダビエラのように」」」」


 四方を取り囲む四人が同時に声を上げた。貴舩が驚き身を引く。了司は盃に手を伸ばし、自らも呪文――聖句をうたう。


「主の怒りは世々に渡りて」


 杯で、未だ滾々と湧き続ける泉から一杯の聖水を掬い取る。これは一度も月と太陽の光を受けた事のない水であった。


「「「「数多の罪人、悔い改めぬ者、異邦人を錆の柱に変え」」」」


 続く詠唱のなか、カルト集団の様相を帯びる一団に引きった顔の貴舩を無視して、了司は盃の上に掴んだ蜥蜴を持ってくる。


「粛清の後、深く哀れみ、その血を盃に託された」


(――――)


 了司の手が、蜥蜴を握り潰す。貴舩が短い悲鳴を上げ、了司の手からは今捻り潰された蜥蜴の体液が、ぽたぽたと聖水を湛える盃に落ちる。

 うっすらと主に染まる盃の聖杯。

 輪唱が、部屋の特殊な設計により歪に轟く。


「――主は言われた。「汝は何者か」。答えは生者ではなく亡者の口より上がり、長い枷と鎖の響きを連ね――自らは供物であると答えた」


 杯の中身を、了司は錆び付いた【鉄扉】へと勢いよくぶちまけた。

 びしゃりと音を立て【鉄扉】がしとどに濡れる。錆が、血の混じった聖水を蓄えていく。

 変化はゆっくりで、しかし確かなものであった。

 【鉄扉】を縛る鎖が、カタカタと音を立てる。自ら振動し、鎖は徐々に拘束を緩めていく。やがて、鎖は完全にほどけ、【鉄扉】の下へとガチャガチャと音を立てて落ちて行った。

 了司は、跪いたままだった升中から、件の破滅的危機概念を受け取ると、それを小脇に抱え【鉄扉】へと歩み寄った。

 そしてきっかり三回。

 鉄輪で【鉄扉】をノックした。

 変化は、如実に起きた。


 ギギギギギギギギギギ――錆び付いた軋みをあげて、扉が向う側へと開く。


「――忌むべきものを砕け、主はお怒りになり、そう言われた。無知蒙昧なる黒き王はそれに従わず、忌むべきものを統べて、呑み込み――その糧に変えた。彼の王こそが終焉としるべを告げるものである」


 その言葉と共に、了司は巨大なペットボトルの様なそれを、扉の内部へと投げ入れた。

 【鉄扉】の枠をC₃が通り過ぎた瞬間、鉄の扉は獲物を口腔におさめる猛獣のような獰猛さを持って、とその扉を鎖した。

 そして、あっと言う間に鎖がまた金輪に巻き付いて、完全に【鉄扉】は元に戻っていた。

 貴舩は、その光景に呆然と立ち尽くし、四方を取り囲んでいた上位信者たちは安堵の息を吐いた。


「やりましたね、教主様」


 升中がそう声をかけてくるのを、了司は茫洋と聞いた。

 この中で、四方坂了司だけが知っていた。

 自分の振る舞いが、危険な概念存在を破壊することではなく、

 自らの行うすべての儀式が、であるのだと。


(憐れだ)


 彼は、誰に向けてでもなく――ただ自分に向けて、そう思った。


◎◎


 その日、四方坂了司は町の探索に乗り出した。

 本来教主たる彼は最前線に立つことはないのだが、どうしても気になることがあって、了司は夕暮れの街並を歩いていた。

 夕暮れと言っても、既にそのほとんどが濃い藍の色に蝕まれている。世界は間もなく夜を迎えようとしていた。


(ニグラレグム)


 牛丼屋の前を通り過ぎどんどん過疎化している区域へと向かいながら、彼は漠然とその存在を考える。


(若者たちの――もっと限定すれば私と同年代の者たちの間でのみ蔓延する【願い】を叶える存在)


 しかし、その存在出遭えば、待ち受けるのは確実な死だと彼は聞いていた。何故、人はそんな危険なものを求めるのだろうと、そうも考えていた。

 四方坂了司、16歳。

 新興宗教スダトノスラム降臨教団の教祖にして、


(人類最悪の――裏切者)


 それが、偽ることのない彼の自己評価であった。

 教団の教祖という姿は仮のものでしかなく、もっと上位の巨大な組織の命令によって彼は動いている――かつてはそうだった。

 しかし、いまの彼は違う。

 根源的危機概念C₃の危険性を熟知し、それを人の手から遠ざけ、人類のために心を砕いているようでいて、実際はそうではなかった。


(私は、ただ、取り戻したいだけなんだ。五年前に失った、私の掛け替えのない――)


 彼の思考が過去へ飛ぶ――その直前だった。

 了司の視界を、何かが横ぎった。


(……ん?)


 何気なく見ると、それは真火炉町でも名高い進学校の制服を着た二人連れであった。

 一人は眼鏡をかけた少年で、もう一人は体格に似あわない大きなショルダーバックを抱えている。

 二人は手を取り合って息せき切って走っており、逃げるように今は使われていない廃ビル群の一つへと駆けこんでいってしまった。


「…………」


 二人組を見送り、了司はため息をつきそうになる。疲労を感じ、近くにあった道路標識に寄り掛かり、周囲を伺う。

 人気は、全くなくなっていた。

 明らかに非常識な気配がある。

 これ以上厄介ごとを抱え込む気分ではなかったが、その二人を見過ごせるような心持でもなかった。

 彼は、その廃ビルへと歩を向けようとして、


「――っ」


 その場から、咄嗟に飛退とびのいた。

 次の瞬間、いままで彼が寄り掛かっていた標識がひしゃげ――そして一瞬で。ボロボロと崩れ落ちる。

 彼の鼻をついたのは、強烈な酸化鉄の臭い――

 そうして、彼は見た。

 闇の中に燃える、朧火おぼろびのように揺れる、尋常ならざる緑色の二つの眸を。

 闇の中より姿を現すそれを、了司は木乃伊のようだと思った。 


「GURUUBAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」


 名状し難い雄叫びを上げ、その異形は光の中に躍り出る。

 それはあまりに醜悪な形状フォルムを要する存在だった。

 骨と皮だけの、枯れ果てた木乃伊の様な、しかし全長は3メートルにも及ぶ長身。

 眼窩は虚ろな穴が開くばかりで眼球はなく、その最奥にて緑の鬼火が燃えている。鼻も耳も見て取れず、しかし口だけが、その奈落のような口腔だけがおぞましい咆哮を放つ。


 化け物フリークス


 四方坂了司は、彼の危惧していた噂の化け物と、そして遭遇したのだった。




第二章、終

第三章に続く

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