第二章 教祖は偽りに心を砕く
1
スダトノスラム
この国で最も離島の数が多い地方都市の、ちょうど中心地から外れた位置にある街――
駅前から数分の好立地だが、曰く付きでもある。
スダ教が設立され本格的な稼働を始めてから、今日までで5年足らずの歳月しか経過していないが、このビルディングが出来る以前、その場所は駅までありながら更地であった。
いつから更地であったか、意見は食い違い、市や町の記録文書にも正確なところは記載されていない。何故更地になったのかも、
戦時中に
いや、不発弾が眠っていて、ある日暴発して更地になった。
その場所はもとより人を受け付けないから、もう何百年も昔から更地のままだ。
などと、信憑性の乏しい噂ばかりが飛び交っている。
また、この宗教自体、その教義が不明瞭であることが多く、外部の者には町中からガラクタを運び込み、片っ端から壊して分別しリサイクルする集団――といった認識しか持たれていない。
ただ、炊き出しやゴミ拾いといったボランティア活動にも積極的に参加するので、これと言って評判が悪い訳ではない。信者が無理矢理勧誘を行うことや、多額の金銭の譲渡を強要される、法外な値段の壺を買わされるといったありがちな噂も存在しないため、中途半端で微妙な立場にありながら、真火炉町の住民たちからは「そこそこ真っ当で無害な、だけどよく分からない不思議な団体」として認知されている。
そうして、そんな奇妙な宗教団体の教祖が何者であるかを、この町の住民たちは知りもしなかった。
「――はぁ」
その日、もう何度目とも知れない溜息をつきながら、
彼は今年で16歳になる少年だった。
短く切りそろえ、金色に染めた髪をガシガシと掻き毟りながら、彼は誰にも聞こえない声で呟く。
「――いにしえのシビデとダビエラのように、主の怒りは世々に渡りて、数多の罪人、悔い改めぬ者、異邦人を錆の柱に変え――」
ぶつぶつと一定のリズムと独特の抑揚で呟かれるそれは、彼のいる白い部屋全体に奇妙な反響をする。それもそのはずで、壁や天井は何処も不規則な凹凸があるつくりになっていて、音を様々な方向へと捻じ曲げてしまう。赤い毛足の長い
「――主は言われた。「汝は何者か」。答えは生者ではなく亡者の口より上がり、長い枷と鎖の響きを連ね――」
その呟きには、明らかな慣れがあった。
すべてを暗記しているだけではなく、日常的に繰り返し口にしているものだけが持つ特有の
「――忌むべきものを砕け、主はお怒りになり、そう言われた。
何らテキストを見ることもなく、了司はそのまま十分近く同じ節を繰り返し呟きを続けていたが、ふと顔を上げると、押し黙るように口を
すると、
コンコンコン、と。
部屋の唯一の出入り口である扉が、丁寧にノックされた。
そして、沈黙。
十数秒、何の反応もない扉へ、了司は一度溜息をついてから――取り直したように覇気のこもる声を投げた。
「はいれ」
「……失礼します」
眼を伏せ、ひどく
「
了司がその年齢に見合わない威厳のある声で、筋骨隆々の男へと問う。
「何かあったか」
「――は」
升中と呼ばれた男は、平頭し答えた。
「
了司は暫し目を閉じる。
脳裏によみがえるのは、常に怯えたようにして目の下に青黒い隈を作っている眼鏡の若い女性と、最近教団に入ったばかりの元バンドマンだという髪を逆立たせた小太りな男の姿だった。
「間違いないのか」
眼を開け、了司は升中に問う。しかしその声は、何処か弱々しい縋るような色さえあった。
升中はその変化に気が付きはしたが、敢えて指摘することはせず「変わらず、といったところだと思われます」と答えるに留めた。
「他には?」
了司がそう問うと、升中は幾分顔をしかめ「若者の間でニグラレグムの噂が、そして裏側で件の化け物の噂が蔓延していると、そう言った情報がまた、はいってきています」と答えた。
(化け物か)
了司はニグラレグムの噂に関しては捨て置くことにした。それはどうしようもないものであり、自分の
しかし――化け物。
(確か、触れたあらゆるものを瞬時に錆びに変える
了司は暫し、思案顔で宙を見つめていたが、やがて「分かった」と口にすると、黒檀の机とセットだったチェアーから立ち上がった。
そうして、いま着ている服――それもまた純白の詰襟だった――の上に、衣装掛けから外したこれもまた白いケープを羽織り、こう言った。
「私が、儀式を執り行おう」
了司が歩きだし、扉を潜る。升中は以前控え、了司が完全に部屋から出るのを待ってその後に続いた。
了司の表情は彼をよく知る升中から見ても平素のものと変わらなかった。
だが、そのとき彼は、ある思いにとらわれていた。人前では決して、億面にも出さないが、常にこう考えていたのである。
(私の振る舞いには意味がない。何故ならそれは、すべてが偽りなのだから。偽りだから、やらなくてはならないのだとしても……)
四方坂了司、16歳。
彼が新興宗教スダトノスラム降臨教団の教祖であることを――知る者は少ない。
◎◎
四方坂了司が教団を立ち上げたのは、五年前の事である。正確に言えば、それは彼が立ち上げたものではなかったが、教主の地位に就いたのは当時11歳の彼であったし、それから教団を導き続けたのも彼であった。
スダトノスラム降臨教の、本来の教義を知るものは一部の上位信者に限られている。それは口外が
一般の信者は、教団を市民たちと同じようにボランティアや廃品回収を行う団体だと思っている。だから、日々真火炉町を探索してまわり、上位信者が支持する奇妙な【ガラクタ】を集め、ボランティアに参加し【噂話】を収集することを主な活動としている。
(無知とは罪ではなく、
了司はかねがね、そう考えている。
もし、多くの人間が教団の存在理由を知れば恐慌が起きかねないと、彼は本気で危惧をしていた。それに賛同するからこそ、上位信者には政治家や財界の大御所が秘密裏に名を連ねているのである。彼らは彼らの利益のため、情報と対策を必要としているのだ。それを知っているからこそ、祭り上げられただけの教主である了司は虚しかった。
升中と共にビルディングの中を進み、エレベーターに乗り込む。教団ビルは地上6階、地下2階の計8フロアからなり、操作パネルにも、それぞれB2からF6までの番号が割り振られたボタンがある。
了司が何かをするまでもなく、升中が先んじて動き、エレベーターの操作パネル――その上にあった小さな鍵穴に、取り出した鍵を押し込み、まわす。上部を覆っていた金属板が外れ、その下から何も書かれていないボタンが姿を現した。了司は、それを迷わずに押し込んだ。
僅かな揺れと共に、エレベーターが下降を始める。目的地はこのビルを建設した施工業者すら知らない地下フロアである。
「升中」
ふと、思いついたように了司が言った。
「あなたは信じるか、C₃――そして【終焉王】を」
その問いかけに、升中は即答しなかった。
エレベーターが音を立てて止まる。扉が開く。
升中は言った。
「信じていなければ、自分はもっと、罪深い人生を送っていたはずです」
「…………」
了司は、頷きを返すことも返答することもなかった。ただ黙って、エレベーターから進み出る。
(憐れな)
内心でどう思っていようと、それが彼の表情に浮かぶことはなかった。
その地下のフロアは一種異様な様相を呈していた。
まず、遮蔽物がない。上層階では仕切られているはずの間取りが、すべて取っ払われており、吹き抜けのようになっている。また、壁と天井はすべて了司がいた部屋と同じように不規則な凹凸があり、床には真紅――ではなく蒼い絨毯が隙間なく敷き詰められている。地下なので窓はない。替わりにフロアの中央に強い光源が設置されており、それが全体を何とか照らし出している。何より奇異であったのは、フロアの最奥に設えられた祭壇であった。
祭壇。
神道のものともキリスト教のものとも違うそれは、5メートル四方の菱形の上に内円が乗り、さらにそこから檻のように無数の角錐が伸びている。角錐と角錐の間は人が一人はいれるかどうかという狭さである。
角錐の上には例外なく
そして、その角錐の中央には古びた錆塗れの【鉄扉】が安置されているのだった。
【鉄扉】には金輪が付いているが、それは厳重に――同じように錆び付いた鎖で封印されている。
【鉄扉】の隣では小さな檻に十数匹の
(見るたびに怖気が走る)
了司は身体の奥から浮き上がりそうになる怖気を――そしてさらに内に秘めるもう一つの感情も無理矢理に意志の力で抑え込み、後方の升中へと振り向いた。
「私は準備する。その間に、来られる限りの皆と、佐崎たちが見つけ出してきたC₃を運び入れてくれ」
「承知いたしました」
天を衝くような体躯を、小さく折りたたんでお辞儀して、升中はまたエレベーターへと戻っていく。
了司は彼から意識を切り、祭壇へと意識を転じた。
何度となく考えてきたことを、取り止めもなく彼は考える。
(この【鉄扉】が発見されたのは、いまよりもう、2000年以上前だ。偶然発掘されたこの扉は、長い間鉄の扉だと思われてきた。最古の鉄の加工は紀元前だ。それでも当時のこの国の技術水準を思えば
長い間一部のものが聖遺物として隠し続けてきたこの神秘なる【鉄扉】は、しかし近年になりそれが鉄製でないことが明らかになった。
きっかけは些細な事であった。磁石がくっつかなかった、それだけのことである。しかし、それは大きな波紋を呼ぶ一歩でしかなかった。それから幾たびか研究がおこなわれ、この【鉄扉】の異常な特性がいくつも明らかになったからだ。
その最たるものが二つ。
一つは、破壊不可能であるという事。
第二次世界大戦中、資材不足に陥った日本軍がこれを接収しようとしたが、如何なる方法でも動かすことができず、業を煮やした将官が爆薬で破壊しようとしたが、それは叶わなかった。現在技術を結集したダイヤモンド・ドリルでも表面すら削り取ることはできず、よって検体が得られないため研究は現段階で凍結状態にあった。今ある祭壇も、元の土の上に素材を流し込んで無理矢理に形成したものである。
そしてもう一つが、扉の奥に広大な空間が広がっているという事であった。
【鉄扉】は現在、ぴったりとその扉を閉ざしている。
だが、時より自動的に扉を鎖す鎖が外れ、その向う側を垣間見せることがある。
(最後に扉が自らの意思で開いたのは、記録に拠れば1999年。その時には内部の探査が行われた。小型カメラを搭載したケーブルを内部に降ろし、その底が何処にあるのか突き止めようとした。だが、それは無駄に終わった)
ケーブルは不測の事態も考慮して2000メートルの長さが用意されていたが、それではまったく足りなかった。その場で急遽、無線通信が可能なビデオカメラが放り込まれたが、それもどこまでも落下し、最終的に送受信の圏外へと消えて行った。
(当然だ)
了司は、心中でのみ虚しく笑う。
(この【鉄扉】の向う側には――観測される限り我々の宇宙と同程度の空間が広がっている)
「……はぁ」
了司は、また溜め息をついた。その場には誰もおらず、それでも彼の表情は変らなかったが、或いはこの場に彼と長い付き合いがある升中がいたのならば、そこにこんな感情を見出したのかもしれない。
つまり――苦悩を。
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