3

◎◎


 男女が連れ立って歩いている。

 ともに同じ高校の制服を身に着けている。男の方は眼鏡をかけた優等生然とした少年で、女の方は小さな体に不釣り合いな荷物――ショルダーバックを抱えた少女だ。

 野城のしろ君尋きみひろ姫禾ひめのぎ希沙姫きさきだった。

 夕暮れの町中を、人混みを避けて歩きながら、二人はどちらも、困ったような表情で話をしている。


「だから、ホントに知らないっすか――ニグラレグムの噂」

「にぐら……いや、全然聞き覚えがないね」

「がーん!すね。 自分、これ結構流行はやってる話だと思ってたっす」

「どんな話だい?」

「ニグラレグムは【幻想ロマン】を叶えてくれるんすよ」

「ロマン?」

「そのひとが本気で、死ぬほど心の底から必死に願う願望を、叶えてくれるんす。どんなにムッズカシクて、どんなにありえねー!ような内容でも、絶対に叶えてくれるっす。だから【幻想】」

「……随分都合のいい噂だね」

「でもでも、ニグラレグムに出逢であったら殺されちゃうんですよ。マジ、殺されるッす」

「ニグラレグムに?」

「違うっす。仮面の死神にっす」

「……なんだかどっかで聞いたことのあるような話だね……。口笛を吹いたりするのかな、その死神は?」

「無口らしいっすよ、有無も言わせず斬り殺すらしいっす。かっけーっす!」

「俺には、ちょっと分かりたくもない感性だね」


 お互い、なんでそんな話になったのか解らない様子で――それでも一応の盛り上がりを見せながら会話は続いていく。

 そんな二人を追跡する影があった。

 こちらも彼らと同じ高校の学生服を着た、中性的な顔立ちの少年――玖星ここのほし朱人あけひとだった。


(あの女、意外とノリノリだな。女はみんなこうだとは思わんが、しかしあれだけ君尋を拒否しておいて、いまは手のひらを返したように厚遇している。何か、意図があるのか?)


 彼の脳裏では、数時間前【バブルヘッド】が起こした異常発光現象が甦っていた。


(あの赤い光はなんだったんだ? あんな色、いままで見たこともない。あの赤は、まるで、まるで――)


 彼は空を見上げる。

 夕焼けの空は赤い。

 だが、それよりも暗く、なお彼が見た光は赤かったのだ。

 そうやって思いを馳せていると、希沙姫が急に君尋の手をいた。そして一度、後方を振り向き、


(!?)


 にたぁっと、崩れた笑みを浮かべると、君尋を連れて一目散に路地裏へと駆けこんでいった。


(――しまった!)


 朱人がそう察した時にはもう遅かった。

 慌てて駆け出し、彼女たちが姿を消した路地裏に飛び込むが、人影はない。君尋に指令を送ろうとするが、それも届かない。彼の救世主としての能力は、あくまで目視可能な距離でしか発動しない。それが、彼が一息に【バブルヘッド】を殲滅できないでいる理由の一つだった。


「やられた!」


 朱人は壁に右の握り拳を叩き付ける。鈍い痛みが走るが、いまの彼にはそんなことはどうでもよかった。


(確信犯か? あの女もやはり【バブルヘッド】に操られて――しかし、そこまでの強制力を奴らが持っている訳が……可能性があるとすれば、やはりあの赤い光が関わっているのか?)


 思考を続けながら、彼は周囲を探して回るが、もはや完全に姿を見失ってしまっていた。今から彼らを補足することは難しいと、朱人は諦観と共に溜息をつくしかなかった。

 仕方なく帰途につく。

 徒労から来る疲れは、彼の全身を脱力したように重くして、足を引き摺るようにして歩かなければならなかった。

 人混みに混じり、最寄りのバス停に辿り着いた時には、既に日は暮れて、空には濃紺の闇と星空が広がっていた。


「はぁ……」


 バス停のベンチに崩れ落ちるように座り込みながら、彼はまた溜め息をついた。

 朱人にとって世界は救うものだが、世界はそれを容易くさせてはくれない。多くの場合、彼はこのように振り回されるだけだ。


(学校ではいじめられ、作戦はうまくいかず、いいところ無しだな、僕は)


 彼が、そんな自虐的な物思いに駆られた時だった。

 向かい側の歩道を、誰かが歩んでいった。

 歩道である。車がそこを走っているというならば問題だが、人が歩くぶんには何の問題もない。実際多くの人が行き交っている。彼にとってはありきたりな、誰も彼も似たような人間――そして【バブルヘッド】だ。

 だが、その人影は違った。

 歩いているのは中年男性だった。冴えない顔付きの、頭髪が禿げ上がったビジネススーツの男である。

 顔色は良くないのだが、妙にきびきびとした動作で歩いている。

 問題だったのは、その頭部の更に上だった。


(【?)


 中年男性の頭部には【バブルヘッド】が寄生していた。しかしその灰色の泡立つ頭部からは、これまで朱人が見たこともないような可憐な、銀色の花が咲いているのだった。

 花。

 朱人にはそれが花のように見えたが、花弁は分厚く、下を向いて開いており、一般的な植物のそれとは異なっているようにも思えた。よくよく見れば、【バブルヘッド】の頭自体が殆ど根のようなものに覆われており、元の形がない。球根のようになっている。


「…………」


 無言になりながら、朱人は立ち上がる。既に手足の重さはない。そんなものは使命感で吹き飛んでいる。

 その中年男性を見失わないように、車道を挟んで追跡を始める。

 中年男性の足取りはとにかく軽く、何か補助的な機械でもつけているのではないかと朱人が疑うほどだった。

 男性はあちらこちらによって回り、ある時は民家を訪ね、ある時は商店に入り、ある時は公園で段ボールの中に埋もれていたホームレスへと何かを投げ渡したりした。その間、男性は一言も口をきかなかった。ただ黙々と、憑りつかれているような動きで行く先々を回り、その場その場で人と会う。その人々が、男性の後ろにつき従う。

 そしてその全員の【バブルヘッド】にが根付いているのだった。


(あれは、なんだ? どうやら植物のようにも見えるが、花のようなものがついているのはあの男だけ……これは、分からないぞ)


 すわ、新たな【バブルヘッド】の侵略であろうかと朱人は考えを巡らせるが、よくよく見ると、その植物のような何かに根付かれている【バブルヘッド】は、みな白目を剥いている。そしてそう言った事態を、朱人は知らない。【バブルヘッド】は朱人にしか見えない筈なのだから、朱人が知らないのならば誰も知らないことになる。

 混乱しながらも朱人は中年男性たちの後を追うが、既にその一団は十数人にまで膨れ上がっていた。

 一団の構成員は見事にばらばらで、老婆から子供、ホームレスに暴走族風の青年、明らかに高級なスーツを着た女性もいる。朱人以外には共通点が見いだせないので、その一団に出くわした一般人はギョッとして道を開ける。

 そうしてかなりの距離を移動し、そこで朱人はあることに気が付いた。

 いつの間にか、周囲は彼の見覚えがある景色に代わっていた。


(ここは……僕の家の近所じゃないか。何故こんな所に?)


 首を傾いでいる間にも、奇妙な一団は進む。

 やがて彼らは、ある場所へと入って行った。


(こいつら、どうしてここに来た? まさかとは思うが、いや……)


 朱人の眉間に深い皺が刻まれる。それほどまでに、その場所は集団が目指すには場違いで、彼にとって見知った場所だった。

 秕未しいなみ神社。

 幼い日、彼が何度となく遊んだ場所だった。

 渋面と戸惑いを浮かべたまま、朱人は一団に続く。

 一団は境内を抜け、神社の――その拝殿はいでんへとあがりこんでいった。


(こんな時間に、こんな雑多な人間が来るような場所じゃない。これは明らかな異常事態だ。僕は、どうするべきだ? 一度引いて、様子を見るべきじゃないのか?)


 この世界に救世主は自分しかいない。その自分に万が一があれば、もはや世界は救われない。その思いが、朱人に葛藤を生んでいたが、


(ええい、ままだ!)


 彼は、成行きに身を任せることにした。

 そっと気配を消して拝殿に忍びより、格子戸から中を覗き見る。

 例の一団が、中年男性を真ん中にして扇状に展開し、ひざまずいていた。


「あっ」


 っと、思わず朱人は声を上げかけ、慌てて両手で口を押さえる。

 彼らの中心、拝殿の奥に、一つの人影があった。

 朱人の位置からは光の加減でよくは見えないが、どうやら体付きは細く、和装をしている。

 その人影が、先頭の中年男性の横――小さな幼女の頭に手を伸ばす。

 それまで朱人は気が付かなかったが、その幼女の頭には普通の【バブルヘッド】がいるだけで、何も根付いてはいない。そして幼女は、周囲の押し黙る一団に怯え「ママ! ママ!」と高級スーツの女性に泣き付いていた。だが、スーツの女性は無言のままで、寧ろ幼女を、人影の方へと押し出してみせる。

 人影が、おもむろに幼女の頭に触れ、いとしげに撫でまわし、


 そして――


 幼女の頭から【バブルヘッド】を引き剥がし、それを大口を開けてバリバリむしゃむしゃと咀嚼する。【バブルヘッド】は「ギィ」とか「ギャ」とか短い悲鳴を何度も上げ抵抗するが、それは効果がなかった。人類を支配する小人の頭部が、あっと言う間に人影にすべて齧りとられ消滅する。

 人影の口元が灰色の体液でけがれるが、それも赤い舌に舐めとられる。

 残ったのは、頭のない身体だけの【バブルヘッド】。

 人影は、そのバブルヘッドの身体に唇を押し当て「ふっ」と息を吹き込んだ。


「――っ」


 朱人は息を呑み、瞠目した。

 いま頭を失ったばかりの【バブルヘッド】の首から、何かが芽吹いたのだ。それはゆっくりと成長し、元の泡立った頭部とは似ても似つかない新たなパーツを形作る。

 それは、植物の根が張り巡らされた歪なのように、朱人には視えた。

 呆然とする彼の前で、その人影は幼女の頭部に【バブルヘッド】を戻し、そして唐突に、声をあげた。


「ねぇ、そこにいるんでしょう?」


(――っ、見つかったかっ?)


 身をすくませる朱人に、人影はさらに声をかけた。


「いるんでしょ? 入ってきなよ。ねぇ」



 ――



「なっ」


 朱人は言葉を失う。その体が硬直している間に、機敏に、何かに命じられるように動いた中年男性が、彼の覗く格子戸を押し開ける。

 一団がモーゼの十戒の海のように左右に割れ、道を作る。

 月光が、拝殿の中に差し込む。

 彼の前に、見知った人物がいた。

 見知っていながら、別人のような人物がいた。

 すらりとした長身を、千早ちはや緋袴ひばかま――巫女装束で包んだ腰まで届く長い髪の少女。

 秕未しいなみ華蓮れんか

 玖星朱人の幼馴染にして、この十数年間交流の一切が絶たれていた少女。

 彼女は朱人に微笑みかけ、こう言った。


「初めまして、人類の救世主さん。私は秕未銀華インファ――」


 ――世界を滅ぼしに来た、災厄です。


 銀華を名乗った少女の頭部に【バブルヘッド】は存在せず、ただ白銀の髪が月光を美しく反射しているだけだった。


◎◎


 こうして、【救世主】玖星朱人は【バブルヘッド】の天敵と出逢う。彼は遂に、敵へと抗うための力を手に入れる。

 それが、どれほど危険の力なのかも知らずに。

 それが、どれほど危険な【】へ発展していくのかも知らずに――




第一章、終

第二章へ続く

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