第8話 走る貝

「天文や気象の類の大きな事象は、最初から大雑把にしか予測できない。そこに『数値をほんの少し読み違えた』、『報告が偶然遅れた』そんな些細なミスが重なれば、『予測より早く、ここに』隕石が落ちることになる。特に混沌は、トラブルの方を好むからな」

「最下層で地下1000mほどですよ? 地上に出ないほうが安全かも?」


 いま一つピンとこない様子のクリムが、首をかしげて提案した。


「生き埋めを免れたとしても、生きてるうちに掘り起こして貰えるのか、微妙な深さだよな?」


 皮肉っぽく返すアスキス。わたしの勘も地下に留まるのは危険だと告げているが、危険な試験体を地下4階より上に逃がさないための隔壁はどうする?


 地下5階に辿り着くと、アスキスは試験体の保管されている部屋へ向かった。並んでいるサンプルの群れにざっと目を走らせると、そのまま奥の区画へと進む。


「いいのがまだ残ってるじゃねぇか。使えそうだな!」


 水槽に6割ほど残ったショゴスを前に、アスキスは楽しげにも忌まわしげにも見える表情を浮かべた。アスキスが黒手袋に包まれた右手を一振りすると、分厚い水槽は綺麗に断ち切られ、黒い不定形の粘液が床へとあふれ出した。


『馬鹿なのかこいつは!? やめさせろ!!』

『うわぁ……やりやがった』

「ちょっとぉー!! なに考えてんですかッ!?」


 ベアトリスでなくても慌てるに足る光景。アニタでさえドン引きした思考が伝わる。


「元々こいつは奉仕するために造られた生物だ、存分に存在意義を果たして貰う。制御する手段はあるよなぁ?」


 悪魔めいた表情で笑うアスキス。事後確認はやめて欲しい!

 このショゴスは、スーツとして人を補助することだけを目的に調整されているはず。わたしの能力でどこまでやれるのか。噛み割った赤いアンプルを飲み、床を広がってくるショゴスに手を差し伸べる。ショゴスは触腕を形作り、わたしに接触してきた。


「……いけそう」


 わたしの思考に反応して、触腕や偽足を形成する。黒い水面から飛び跳ねる黒い小魚の姿を目にし、クリムが歓声を上げた。簡単な作業なら指示通りにこなせるはず。


「よーし。それじゃあ仕事の前の腹ごしらえだ!」


 アスキスは試験体サンプルの保管室に戻り、水槽の群れをぶち壊し始めた。

 正気じゃない! まともな手段では生還できないのは分かるけど!!


 アスキスの意図は把握できた。わたしは床を引き摺って連れてきたショゴスに、試験体との同化の指示を出す。この子には好き嫌いはないらしい。非常灯に照らされた室内に、血肉を啜る音と、時折骨や甲殻を砕く音が鳴り響く。


 荒事に慣れているはずのアニタでさえ、うんざりとした思考を伝えてくる。ベアトリスは浮かんですら来ない。ひょっとして、文字通り意識を失ったのかもしれない。阿鼻叫喚の地獄絵図を、クリムは指の間からこわごわ覗いていたが、いつの間にか右手で頬に触れ、肘を左手で支える「あらあら」のポーズで眺めている。食べ盛りの子供を見る奥さんか!?


 サンプルを喰らい尽したショゴスはサイズを増し、今では部屋いっぱいにまで肥大している。差し渡し5mはあるか。黒々としたそれは、光の加減で玉虫色に輝く体表に、複数の視覚器官を浮かべている。


 わたしのS-スーツに繋がった数本の触腕からは、今はまだ食事の満足感しか伝えてこない。けれどもしこのショゴスが反逆するだけの力を得たと知ったなら、ベアトリスの警告通り、わたしたちはひとたまりもないだろう。


 サンプル室を後にし、ショゴスを引き連れ地上へのエレベーターへと急ぐ。アンプルの重ね飲みで鋭敏になっているわたしの感覚は、廊下の角に隠れているヒトガタを見つけ出した。いつの間にここまで付いてきていたのか。巨大な異形の存在を引き連れるわたしたちを、怯えと好奇心をミックスした表情で見詰めている。


「ここに残っても危ないだけですしねぇ」


 クリムはさして苦労せずヒトガタを捕まえた。アスキスは一瞥しただけで、特に興味は示さない。見つけてしまった以上、ここで見殺しにすることもできない。


「さて。働いて貰うぞ!」


 クリムがバールでこじ開けたドアから、ショゴスがエレベーターシャフトに雪崩れ込んだ。うぞうぞと這い登り、4階上部で隔壁に突き当たる。鉄。鉛。コンクリート。ショゴスが複数の素材の感覚を伝えてくる。厚さは1mほど。わたしはショゴスが形成した鎚での打撃を始めた。


 効いていない訳じゃない。でも、打ち破るまでどれだけ時間が掛かるか。雑念を捨て、ただ地上の光景を思う。


「tekeli-li tekeli-li」


 ショゴスの鳴き声が聞こえる。もう発声器官を得たのか。


 集中が足りない。わたしは緑のアンプルを噛み砕き、さらに意識を高める。

 試したことの無い服用量だが、今やり遂げなければ永遠に次はない。外だ。外へ出るんだ!


 さらに複数の触腕が絡み付いてくる。関係ない。わたしは外に出たくて、ショゴスも同じことを望んでいる。

 黒い触腕の群れに運ばれたわたしは、シャフト内に迎え入れられる。目の前にはわたしの自由を阻む壁。

 鉄板を突き破り、コンクリートを掘り進む。出来た隙間に触腕を捻じ込み、力任せにこじ開ける。


「てけり・り! てけり・り!」


 わたしの喉から喜びの歌が響く。闇の中に極彩色が撒き散らされる。自由だ。ここを抜けさえすれば、は自由になれる!


「『エニル!!』」


 3人分の呼び声に、呑まれ掛けていたわたしは、辛くもわたしの名を取り戻した。肩に添えられる手。振り向くと黒い粘液の塊は、わたしの大事な相棒をも絡め取り、飲み込もうとしている。


「よし! 風を掴まえた!」


 誰だっけ、この子?


 どこまでが自分だけの物なのか、上手く区切れない。黒く虹色に広がり切った意識の中で。最後にわたしは、一切を拒絶し混ざらずにひとり立つ、黒いドレスの少女の叫び声を聞いた。


            §


 素朴な旋律が聞こえる。どこかで耳にした記憶があるように思う。


「目が覚めた?」


 風が頬をなでる。夕暮れに染まる景色の中、草笛を吹いていた赤い肌の少女は、わたしを覗き込み微笑んだ。


「クリム……?」


 思い出した名前を口にし身を起こす。いい風だ。岩だらけの高台か。

 あたりを見渡すと、目の前にはすり鉢型の地形が広がっている。大量の川の水が流れ込み、水蒸気が立ち上っている。やがてここは湖になるのだろう。


「あ……隕石か」

「思ったより大きかったみたいだねぇ」


 途切れた記憶が繋がってゆく。もう地下の空間は埋まってしまっているだろう。『旧き鍵』が形を残していたとしても、湖の底をさらに掘り進んで引き上げるのは、人の手には余る大仕事だ。


「アスキスは?」

「わたしが起きたときにはもういなかったよ」


 S-スーツはわたしの身体を申し訳程度に覆うくらいしか残っていない。露出した肌には、ところどころ火傷のような痕が残っている。危ない所だったか。服を残して人間だけを攫うことさえできる、名付けざられしものの力に救われた形だ。いつか借りを返す機会はあるのだろうかと考えかけたが、地下での出来事を思い返すと……やっぱり、会わずに済むならそのほうが良いかもしれない。


 視線を感じ振り返ると、背後の草むらからヒトガタが覗いていた。濃い灰色の瞳が、あふれる好奇心で輝いている。


 クリムが物問い顔でわたしの腰の拳銃を見るが、苦笑して首を振ってみせた。

 西の空からヘリが近付いてくるのが見える。

 爆音に驚いて、ヒトガタは草むらの中へ逃げ込んだようだ。


 空の色。

 鳥の鳴き声。

 風の匂い。

 木々のざわめき。


 世界は広い。面白いものはまだまだたくさんある。おっかなびっくりでも進めば良いよ。


 相棒の手を取り空を見上げると、わたしは迎えのヘリに手を振ってみせた。



                          ep.Myth Runners END

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シェルランナーズ 藤村灯 @fujimura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説