第7話 ヒトガタ

 鉄の処女の据えられていたほんの十数メートル先には、広い空間が広がっていた。

 どれだけ高いのか天井を見ることはできない。干上がった池のような形で、浅い窪地が広がっている。地下水が流れた形跡はないから、これが外なる神性の存在した跡だろう。向こう岸まではおよそ200mほど。歪な円を描くように、巨大な石版の群れが立っているのが見える。その数13。


「急げよ」


 短く言い残すと、アスキスは手近な石版に向かった。念のため、わたしたちは時計回りの彼女とは反対に進むことにした。時間切れの際、取りこぼす情報を減らすためだが、後から彼女に照会できるのかは怪しいものだ。


 目の前に高さ3mを越える石版がそびえ立っている。ベアトリスによれば、『旧き鍵』と呼ぶこのわずかに青みがかった石は、遠い星で切り出されたものだという。その表面には、地球上のどの文明とも似付かぬ文字の群れが刻まれている。これだけ多くのサンプルがあれば、『星の智慧』と呼ばれるその記述内容も解読できるかもしれない。


『認識することで発動する罠が仕込まれているかもしれない。読もうとはせず、持ち帰ることにのみ注力するとしよう』

「……どうやって?」


 分かるような分からないようなベアトリスの忠告だが、あいにくわたしたちは映像を記憶できる機器を持ち合わせていない。


「わたし、見たものをそのまま覚えておけるよ?」


 クリムが手を上げる。サヴァン症候群に見られるような能力だろう。急ごしらえのチームに見えて、あらかじめ必要なものは用意されている。だが、それが装備ではなく能力として備わっていることに、わたしは微かな不快感を抱いた。わたし達はどこまでも道具扱いということか。


 クリムは石板を上から下までざっと目を通しただけで次へ向かう。嘘ではないらしい。わたしがどう感じようが、どのみちこの場で他の手段は存在しない。


 5枚目の石版へと向かうさなか、何ものかの気配を感じた。銃を構え周囲に意識の網を張る。クリムから預かった弾は残り1発。精神攻撃が通る相手でなかったら、わたしたちにはもう打てる手はない。


 石版の影に何かが隠れている。敵意は感じられない。深い怯えと……好奇心? 場違いな思考に銃を下ろし、わたしはそっと裏側を覗いてみた。そこにはしゃがみ込み、ぷるぷると震える裸の子供の姿があった。


 青白い肌に灰色の髪。様々な人種の平均値を取ったような、特徴の無い顔付き。濃いグレーの大きな瞳には、探るような気配がある。人に見えるが人ではない。乳首や生殖器の無いその身体は、人間を模しただけのヒトガタ。だが、何かが擬態しているのでもなく、この姿が本来のもののようだ。


「なにかいました?」


 それの前にしゃがみ込み、どうしたものかと思案しているわたしに続き、クリムが裏側を覗き込んでくる。ヒトガタを目にした瞬間、クリムが発砲した。


 反射的に手を払い狙いを反らす。いきなり耳元でぶっ放されて耳がキンキンする! クリムは何の感情も表さぬままヒトガタに残弾を撃ち込もうとする。わたしはESPで精神に衝撃を与え、クリムの意識を飛ばした。


「どうした?」


 銃声を聞き付けたアスキスが駆け寄ってくる。わたしは取り急ぎベアトリスを呼び出し、状況を確認する。


「何がどうしたの? かけらの殺意も感じさせない、いきなりの発砲だったけど?」

「分からない。こちらもクリムが視認した直後の発砲としか認識していない」


 アスキスは再び石版の影に隠れたヒトガタを見詰め、何か考え込んでいる。


はここにいたのか?……最後の落し仔……いや、ウボ=サスラの実験結果か……?」


 わたしはクリムにも直接尋ねてみた。肉体的にダメージを与え気絶させた訳ではないので、直ぐに反応が返ってきた。こういう場面では便利だな。


『あらら? いつの間に入れ替わったんです?』

「あの子を撃ったの覚えてないの?」

『エニルがなにか見付けたみたいだから、わたしも覗いてみて――あら?』

「後催眠暗示か何かだろ。『人の形をした人以外の存在は、発見次第殲滅』とかな。いかにも神智研の連中のやりそうなこった」


 アスキスは皮肉っぽく口元を歪めた。


「何でそんな回りくどいことを? それが任務なら、わたしやクリムだって――」

「現にお前はろ? 敵意が無いからってな。こいつに暗示を掛けた奴は、ここで見ることになるものまで予め見越した上で、保険を掛けてたんだろうよ」


 信頼されない己に対する羞恥なのか、組織に対する不満なのか。アスキスに何も言い返せずに、押し黙るわたしの胸の奥に、言いようのない感情が重く溜まった。


「まぁ、失敗しちまったものは今さらどうしようもないよなぁ?」


 笑いながらアスキスが顎で差す方を見ると、青白い小さな影が、わたしたちが入ってきた洞窟に向かって脱兎のごとく逃げて行くところだった。


「あー……」

「あれは今のところ脅威にならない。それより、『星の智慧』が先だ」


 どんな手段を用いたのかは分からないが、アスキスは見るだけで記憶できるクリムと同程度の時間で情報を集め切り、洞窟への入り口で落ち合った。帰路で何も起こらなければ、院内さんの告げた制限時間内にホームへ辿り着ける。


 帰り道、アスキスは鉄の処女の内側に書き込まれた呪文に気を取られ足を止めた。なにやら訝しげな顔をしていたが、直ぐにわたしたちに追いついた。


「お前らの脱出の手はずはどうなってる?」

「貨物運搬用の機関車が使えるみたい。院内さんに確認してみる」


 駅舎に駆け込み通信機のマイクを取るや否や、待ち構えていたらしい院内さんに繋がった。


『おめでとう! ありがとう! 君たちならやってくれると信じてたよ。信じて送り出した私もなかなかのものだけどね!』

「ぐだぐだ駄弁るな、やかましい! 回収の手筈がどうなっているのかと、誰が決めたかを教えろ!」


 アスキスはわたしからマイクを奪うと、通信機越しに院内さんに噛みついた。


『あら、ゴスロリちゃん? 久しぶり! やっぱり君も来たんだね。えー、これから50km先の地下研究施設へ向かって貰います。機関車を動かせれば30分程度で着くよ! そこまで行ければ地上に出られます。緊急案件扱いで所長の直接指示だから、安心して!』

「ここを見舞う災厄の規模は当然見当付いてるんだよなぁ? 落下速度も被害規模も計算しなおせ! あのババァに読まれてんぞ!?」


 激昂するアスキス。話の流れが見えない。


「脱出の最短ルートを提示しろ!」


 いきなり振られ、わたしは慌てて端末に地図を表示した。


「えッ? 直通エレベーターは一本だけ。電源落ちてるうえ、隔壁閉じてて進めなかったけど――」

『隔壁の操作は外からしかできません。地上施設の職員はすでに避難済みです……アスキス』


 通信機から聞こえる院内さんの様子が改まっている。何かとても悪い結果が出てしまったらしい。


「あん?」

『彼女達の事も頼めますか?』


 アスキスはため息を一つ吐くと、


「このままじゃ寝覚めが悪い。神智研にじゃねえ、あんた個人への貸しにしておくぞ!」


 通信機のマイクを叩きつけ、駅舎を飛び出した。


「ねえ、どういうこと?」


 回収プランが反故になったらしいことは推測できるが――


「じきここに隕石が落ちる。アビゲイルの置き土産だ」

『いくら魔女でも、そんな芸当ができるはずがない』


 ベアトリスの訝しげな思考。わたしも同意見ではあるが、なぜだか嫌な予感が暗雲のように広がって行く。


「因果律にほんの少しづつ干渉して、起こりえないことを実現させる。あのババァお得意の呪いってヤツだ。奴なら風が吹いたのに気付きさえすれば、桶屋の隣の棺桶屋を儲けさせることだってできる」

「でも、隕石の落下なんて大きな災害、こちらでも当然観測できるじゃない?」

「だろうな。実際地上の退避はすでに完了している。だがあの鉄の処女に、排除されてから初めて発動する呪いが埋め込まれていた。自分以外の誰かが『星の智慧』を手に入れても、決して逃がさないためのな」


 わたしは恐怖で身体がこわばるのを自覚しながら、鋼索鉄道の台車に乗り込んだ。

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