第6話 ありうべからざるもの
「人間と動物の大きな違いの一つに、言葉を使ったコミュニケーションを数えるのに異論はないよな?」
「……はい」
「実際は鳴き声による情報交換をする動物ってのは、そう珍しいものじゃない。なら、何を持って動物より人間の方が優れていると証明する?」
ぺちぺちと尻を叩きながら少女が問う。
「えと……情報の密度?」
「ふん。あたしが思うに察しだよ。言葉を越えて相手を慮る心遣い。それがなければ、霊長を気取ったところで禽獣にも劣る。そうは思わないか?」
「まったくですぅ」
正座したクリムが合いの手を入れる。少女の手がギリギリ届かない場所で。把握した。クリムはこういう生死を分ける状況判断を、無意識にやってのける奴だ。
「なら、可憐な美少女に向かって、警告なしで背後から銃を乱射するなんてのは、人として到底許される行為じゃないってことは分かるよなぁ?」
「……ほんとすみません……マジ反省してます……」
ゴシックドレスの少女の意識から、意図せず強大で忌まわしい存在に繋がってしまったわたしは、その場で錯乱し銃を乱射してしまったようだ。残弾が少なかったのも幸いした。少女は傷一つ負うことなくわたしを昏倒させると、わたしを人質にクリムをも武装解除させた。この間わずか3分。
全裸で土下座させられたわたしは、その姿勢を保ったまま少女の椅子にされ説教を受けている。意図してなのか偶然なのか、黒手袋に包まれた少女の細くしなやかな指が、時折わたしの敏感な部分に触れる。
ヒップはいいけど、アヌスは勘弁してください!
S-スーツがどういうものか即座に見抜いた少女は、どうやってかは知らないが、気を失っているわたしからスーツを剥ぎ取った。少女にとっては武装解除の意味合いだろうが、装着者が意識を失った場合のセーフティーがどの程度か分からない現状では、ある意味ありがたい措置だったとも言えなくもない。
ショゴスは視覚器官を一つ形成した以外は、一抱えほどの塊の状態のまま大人しくしている。ショゴスに犬のように群れの序列に従う習性があったなら、この構図を観察されるのは非常にまずい。指示の優先度が下がる危険があるし、なにより人として年頃の女としてのわたしの尊厳が、おおいに損なわれ続けている!
「時間がない。訊くまでもなくどうせ目的は同じなんだろ? 協力するなら『星の知慧』回収まで休戦って形にしてやってもいい」
『この娘は銀の鍵の魔女――アスキスじゃないか?』
少女に心当たりがあるらしいベアトリスは、どうやら賛成の意向のようだ。わたしは怖くて、もう少女の方に意識を向けることさえできないが、この魔女にもわたしたちと共闘――いや、利用したい理由があるらしいのは理解できる。わたしたちを殺すつもりなら、とっくにそうしている。
しかし話に聞いたことはあるが、本物の魔女、しかも旧支配者の力を扱える存在と、いきなり鉢合わせするとは。不運なのか、幸運なのか。不用意にも触れてしまったあれが、死してなお滅びない、名付けざられしものハスターという存在の片鱗なのだろう。ESPを精神防壁に回したとして、本物のあれと対峙することが適うだろうか。
「出来れば協力するのは、脱出までってことでお願いできませんかぁ?」
委縮するわたしを尻目に、クリムは遠慮がちなようで大胆な提案をかます。
「クン=ヤンの民か? これはまたずいぶん好き勝手弄られたもんだな……」
こっそり盗み見ると、アスキスはアーモンド形の瞳を細め、何やら苦いものを噛み砕いてしまったような顔をしていたが、
「いいだろう。お前らには存分に役に立ってもらうぞ!」
獰猛な笑みを浮かべて立ち上がりざま、行き掛けの駄賃とばかりわたしの割れ目に指を滑らせた。
「うひゃあ?!」
「その趣味の悪い装備にも、ひと暴れして貰うことになりそうだ」
奇声を上げて転がるわたしに構わず、黒衣の魔女はショゴスの異形の単眼に鋭い視線を絡ませた。
§
駆けながら手早く情報交換を済ませる。この研究施設は、発掘された外なる神・ウボ=サスラの寝所の直上に建造された物らしい。
「顕現してから数十億年のスパンで、この場に横たわっている存在だからな。人間とは物差しが違う。大規模な地殻変動でもなけりゃ、ここから動くとも思えない。神智研の連中は、観測所兼檻として施設を設置し、産み落とされる落とし仔をサンプルとして捕獲しつつ、じっくり攻略するつもりだった様だが――」
水槽に浮かぶ異形の群れ。あれらのうち多くがウボ=サスラの落とし仔なのだろう。
「ウボ=サスラの影響で、寝所には近付いただけで退行現象が起こる結界が形成されている。石版に辿り付くころには、例え魔術師でもプラナリアだかアメーバだかに成り下がっちまう。遠隔操作でカメラを使い測定しても、モニタ越しに影響を受ける厄介な代物だ。そのせいで3度は施設の放棄に追いやられたそうだからな」
これで4度目かと、アスキスは人の悪そうな笑みを浮かべる。
「20年に及ぶ試行錯誤のあと、今日未明に起きた震度6強の直下型地震の直後、神性の反応ごとその結界が消えた」
「…………」
わたし達が眠っている間に起きたこととはいえ、部外者から状況説明を受けるのは複雑な気分だ。
「見計らったように動ける魔術班メンバーがいない時にだ。偶然のはずがない。だから上の連中も、調整中のお前らを投入せざるを得なかったってことだろうよ」
アスキスの笑みが少しだけ形を変え、なかば閉じた碧の瞳がわたしたちに向けられる。うん? これは哀れまれているのか、気遣われているのか……?
壁の照明が途切れた。ここからは先は結界の効果があった範囲。人の身では辿り着けなかった未踏の地。真の闇が広がっているが、S-スーツが視覚・聴覚・触覚を補ってくれる。クリムは夜目が利くほうだと言っていたが、星明りすらない状況では、さすが満足に歩くことさえできないだろう。
クリムに赤いアンプルを飲ませ、わたしの得る感覚情報を同期することを試みる。だが、わたしが見るクリムの姿を見るのでは、ゲームキャラを操作しているようなもので、細かい状況判断はできそうにない。
「まだるっこしい、ちょっとこっち向け。瞬きするなよ」
わたしたちのやり取りを眺めていたアスキスが、イラついた声を上げた。ポケットから小瓶を取り出すと、ぎくしゃく動くクリムの顔に中の粉をぶちまけた。
「うわぁ、なんです? あら? あらら? すごい! 見えるように――」
クリムは感嘆の声を上げ辺りを見回していたが、不意にふらついて壁に手をつき、食べたばかりの携帯食を戻してしまった。
「う……ぐぅ……きもちわるい……」
「だ、大丈夫?」
慌ててクリムと感覚を繋いで確認してみる。不思議なことに、周囲の岩壁がはっきり見える。急にクリアな視界を手に入れ、乗り物酔いのような状態になってしまったらしい。頭がくらくらする。
「初めてならそんなもんだ。心配すんな」
悪びれた様子もなく言い放つアスキス。
「足を引っ張られても困るからな。これはあたしからのサービスだ」
「あんたねぇ……」
可愛らしくウィンクして見せるが嬉しくない。何かするときは前もって説明してくれないと!
褒めるべきはアスキスの粉薬の効果か、クリムの適応力か。それを最初に発見したのは相棒だった。
「なにかいます」
洞窟前方、床面中央。大き目の岩かとも思ったが、明らかに人工物。素朴な造りの顔がこちらを向いている。彫像か?
「あのババァ、やっぱり生きてやがったか……」
しかめっ面でアスキスが呟いた。どこか楽しげな声音なのは、わたしの気のせいか。
「誰のこと?」
「アビゲイル。あたしの師匠だ。あのごうつくばりが。『星の知慧』を独り占めするつもりか!?」
アスキスと同じ、銀の鍵の字を持つ魔女。確か今は消息不明のはず。そもそも魔術班は、便宜上班と呼んではいるが、わたしやクリムのように、正式な構成員と呼べる存在ではない。なぜなら魔術師は個として知恵と力を蓄え、各々の目的と行動原理を持っているからだ。神智研とは利害関係の一致でのみ繋がっている者たちで、いつ離反し対立してもおかしくないほど脆い繋がりしか持たない。
「分かってるとは思うが、あれをぶっ潰さないとウボ=サスラの寝所には辿り着けない。手強いぞ、気合入れて行け!」
クリムは「ある」ではなく「いる」という表現をした。微かにだが、アスキスを介して触れてしまった存在に似た感覚がする。こんどは踏み込みすぎて飲み込まれないよう、細心の注意を払い意識を這わせる。およそ3mの距離に近付いたとき、不意にそれの前面が観音開きに開いた。鉄の処女――アイアンメイデンか!
中には何も見えない。――いや、どろりと溢れる闇よりも濃い黒の粘性、これが本体か。視覚だけに頼っていたら、闇に同化し何も見えなかっただろう。
クリムの射撃は正確にそれを捉えるも、ダメージを与えた様子はない。触肢で形成された槍を避けながらアスキスが風を放つと、すばやく鋼の棺の中に閉じ篭る。埒が明かない。
「ありうべからざるものか。いると分かってりゃ、追い払う品くらいは準備できたが――」
再び蓋が開き、形成された無数の針が迫る。全てを避け切れずS-スーツを掠めるも、裂かれた傷は自動的に修復された。
「とりあえず、ガワを何とかしろ。あとはあたしがやる!」
黒い針にドレスを穴だらけにされたアスキスが、舌打ちと共に指示を飛ばした。
「アニタ!」
戦闘が始まってから、早く代われと煩くわめいていたアニタは、片手撃ちで触肢を牽制しつつ突進。右手でバールを抜き払う。
「こんのぉッ!」
アニタは閉じかけた鉄蓋にバールを打ち込み、力任せにこじ開けようとする。
隙間から滲み出た触肢が極薄の刃を形作り、アニタの首筋を狙って走る。
「危ない!」
距離を詰めていたわたしは、アニタを突き飛ばした。
刃はアニタのスカートを切り裂くに留まり、返す刀で形成した鎚をわたしに振り下ろす。
わたしは転がりながらかわし距離を取った。鉄の処女は据えられた位置から動かない。どうやら侵入者をここから先へ通さないことだけが目的のようだ。
『合わせて!』
ESPでアニタと完全にタイミングを合わせ、左右から仕掛ける。
ありうべからざるものには、人間程度2人でも同時にあしらえる力はあるようだ。
それでも、こちらは受け持つ触肢が半分で済む。
打ち込まれる黒い槍を、硬質化させたS-スーツの上腕で受け流し、左側の蓋に指を掛ける。
ほぼ同時に刃をかわしたアニタのバールが、右側の蓋に掛かった。
「いいぞ! そのままだ!」
アスキスの詠唱が始まる。鉄の処女に潜むのは、ありうべからざるもの。この顕現はほんの欠片とはいえ、『黒の淵』に数えられた一柱であるニョグタ自身だ。例えアスキスでも簡単に砕けるはずがない。恐らく退去を請い願うための呪文だろう。
鉄蓋を閉じさせないために、最悪手痛い一撃くらいは喰らうことを覚悟していたが、這い出した触肢は逆にわたしを絡め取り、中に引き込もうとする。
「なんですとッ!?」
慌てて手足を蓋に引っ掛け、S-スーツの筋力補助をフルに使って抵抗を試みる。
『やばいやばいやばい』
本物の鉄の処女らしい蓋の裏には、鉄釘の群れとびっしり書き込まれた呪文が見える。引き込まれれば鉄の処女の抱擁を味わったうえ、この身がニョグタへの捧げ物になってしまう。
鉄の処女の中に逃げ込めないのを悟ったか。ありうべからざるものはわたしに絡みついたまま外に這い出し、岩の隙間から地面に染み込み始める。
「ちょ、これほんとマズイ! アニタ! アスキース!?」
S-スーツにアンカーワイヤーを形成させ、手当たり次第に辺りの岩壁に打ち込むも、岩の方がニョグタの力に耐え切れず崩れてゆく。
折り畳まれて、無理やり岩の隙間に引き摺り込まれるかと覚悟した瞬間。奇妙な浮遊感に包まれたあと、わたしはアスキスの腕の中にいた。
ハスターやツァール、ロイガーは、風に乗って贄をさらう。ハスターの力を振るうアスキスには、手品のような人攫いはお手の物だったか。細い金髪。碧の瞳。桜色の唇。お姫様抱っこされ間近で見る彼女の表情は、ため息が出るほど美しく思えた。
「頬を染めるな、気持ち悪い。先を急ぐぞ!」
口元を歪めたアスキスに不意打ちで投げ出され、尾てい骨を打つ。
『だいじょぶですかぁ?』
お尻を押さえ、羞恥と痛みでうずくまるわたしに、クリムだけが気遣いをくれた。
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