第5話 喰らうもの

 結局クリムはS-スーツを装備することはできなかった。分断されているとはいえ、わたしよりはるかに優れた分析能力と身体能力の持ち主だから、致命的な問題にはならないだろう。


 フロアの西の端にあるドアを開けると、そこは岩肌が剥き出しの、吹き抜けの空間になっていた。見上げればぼんやり天井の壁面が見えるが、見下ろすとどこまでも深い闇が広がるばかりで底が見えない。拡張予定があるのかもしれないが、研究施設はここまでのようだ。


 岩肌に備え付けられた階段を下りた先には、貨物用の鋼索鉄道が設置されていた。停まっている解放式の台車に乗れば、さらに下へ降りることができる。


「なんかどんどん潜っちゃうねぇ。わくわくします!」

「勘弁してよ。こっちは時間制限あるんだから」


 クリムは手摺りから身を乗り出し、下を覗き込んでいる。ぼやいては見せたが、確かに大きな作動音を立てる工業機械を操作するのには、少しだけ冒険心がうずいた。2体の試験体と遭遇した4階と違い、5階では逃げ出した試験体と出くわさずに済んだ。下の方が安全なのだろうか。だとすれば、あとは別のアクセスルートを見付けさえすれば、ここから脱出できる。


 気を緩めかけたところに、ふと何かの気配を感じた。蚊の羽音程度の異物感。クリムに目を向けるも、何かに気付いたふうもない。あいかわらず手摺から身を乗り出して、レールの先の闇を覗いている。


 わたしだけがS-スーツを着込んでいるからだろうか。ショゴスの感覚器官を利用すれば、真後ろを視認することさえ可能だし、台車の作動音が響く中からでも、異音を拾い上げることができる。


 管理室で遭遇した、不可視の試験体を思い出した。こちらの視覚を誤魔化せるタイプかもしれない。さりげなくクリムに注意を促すと、わたしは台車の上にくまなく意識を這わせた。


 かつんと。


 不意に右即頭部に衝撃を覚えた。軽い物が掠めた程度の感触。S-スーツの視覚も併せ意識をそちらに向けると、ぼんやりと白い靄のようなものが見えた。


「クリム!」


 ESPで指示を受けたクリムは、わたしの視線を頼りに抜き撃ちで3発。当たったはずの弾丸は、靄を揺らめかせることさえかなわない。


「当たった?」


 クリムには見えていないのか。靄はじわじわと形を変え、粘液を滴らせ光る、ナメクジめいた細長い擬肢を形成する。先端には鍵爪を持つ小さな手。8本ある擬肢の一つは、既にわたしの即頭部を捉え爪を立てている。


「エニル!?」


 苦痛の声を上げるわたしに慌てるクリム。だが認識すらできない襲撃者に、ダメージを与える術はない。


 擬肢を振りほどこうと、台車の上をもがき転がるわたしは、遅まきながらS-スーツのヘルメットに思い至り形成を試みる。だが細く青白い腕は断ち切られることなく、ヘルメットを透過し側頭部に食い込んだまま。


 いったい攻撃だ!? 焦り混乱するわたしの目の前で、擬肢の持ち主は次第に姿を明確にし、青白いコウモリのような羽根を広げ――


 痛い! 冷たい! つめたいツメタイツメタイツメタイツメタイツメタイつめたい!!!


『見ようとするな! 意思をこちらに繋ぐんだ!』


 脳内に氷柱を突き刺されるような痛みの中、微かに伝わるベアトリスの思考に縋り付いた。


『よーしよし、なんだぁ、で触れる獲物ってのも珍しいよなぁ!!』


 アニタの獰猛な笑い声を感じながら、わたしの意識は闇に落ちた。


            §


「大丈夫?」


 心配顔のクリムが覗き込んでいる。左手首の計測モニタに目を走らせると、幸い気を失っていたのは僅かの間だったようだ。


「うん……。さっきの試験体は?」


 台車は最下層に辿り着き止まっている。見回してみても、わたしを襲った試験体の屍体らしき物はどこにもない。


「分からない。けど、もういないみたい?」


 疑問形のクリムの返事を、ベアトリスとアニタの思考がそれぞれ勝手に補足する。


『食脳種。喰らうものは側には存在しない。認識した者の脳内で形を取り脳を喰らう。君には非常に相性の悪い存在だったな。しかし、研究班が扱うには危険すぎる。本当に逃げ出した試験体なのか?』

『なんてこたあねえ、魚を捌くより楽な仕事だったぜ。やったこたぁないがな! もうバラバラにしてやったが、構わねえよな?』


「……ありがとう」


 わたしのESP能力が最悪の形で嵌った形だったのか。そのままステレオで始まるベアトリスのお小言とアニタの武勇伝を聞き流し、わたしはクリムに礼を言った。


 攻撃を受けた所を無意識に確認すると、指先に違和感があった。鉛筆の太さほどの穴が開いている!?


「ちょ、穴開いてる!?」


『言っただろう、食脳種だからな。脳を少しは吸われた様だが、問題は無さそうだな。そんな危険な装備に手を出しても、防ぎきれない物もあるという事だ』


 良い経験になったなと、したり顔の様子で云うベアトリス。人ごとだと思って!


「あっちに良いものがあるよ!」


 笑顔のクリムが指し示す方を見ると、機関車が停まっていた。資材の運搬用らしい。ここは物資をやり取りする駅ということか。レールの続く先は分からないが、脱出の目処は付いた。ホームを捜索すると、回線が生きている通信機が見付かった。鋼索鉄道と同じように、研究施設とは別の非常用電源が使われているのか。これなら機関車も動かせるのかもしれない。


『おめでとう! 試験は無事クリアです! やったね!』


 院内さんとのコンタクトはすぐに取れた。死に掛けたばかりのわたしには、少なからぬ殺意を抱かせる賑やかさだったが。


「機関車が停まってます。これで地上へ出れるんですか?」


 研究施設同様、路線や向かう先がトラブルに見舞われていたり、途中で隔壁を下ろされていたら目も当てられない。


『んー、今のところ無事みたいな? 先へ進むことはできるけど、動かし方は分かるかな?』


「やってみます。無理ならレールを伝って進みます」


 しばしの間があったあと、院内さんが咳払いをした。……嫌な予感がする。


『えー、それではこれから本格的な任務に取り掛かって貰います! 鉄路と反対方向にも横穴が続いてるのが見えるよね? そのまま進むと、窪地になった広い空間になっています。そこには『星の知慧』が記された『旧き鍵』と呼ばれる石版があるはずなので、調査のうえ、可能な限りの情報を持ち帰ってね!』


『まてまてまて、ウボ=サスラの寝所だったのかここは! 貴女はろくに装備もない生身で、外なる神に相対しろというのか!?』


 ベアトリスの取り乱した思考が伝わってきた。冷静なように見えて、案外耐性は低い方なのかもしれない。


「院内さーん、ベアトリスが外なる神とか言ってますけど、またなんか無茶振りしてます?」

『バレたか!』


 バレたかじゃないよ。


『それではここで幸運なお知らせです! 結界の消失と共に寝所の主の反応もなくなりました。今なら好きなだけ探り放題です!』

「それは上のトラブルと関係してるんですか?」

『詳細は現在調査中です。ただし! 制限時間は一時間! 頑張ってね!』


 院内さんの情報が正しくて、この先危険がないとしても、ずいぶん急かされるものだ。障害となる敵性が消えたなら、復旧してから改めて調査班を送り込めば良いような気がするが――


「S-スーツの稼働制限もあるから御の字だけど、ずいぶんタイトですね……」

『あ! あのスーツ本当に着てくれたの? エニルちゃんの制服用意するの忘れてたけど、これで結果オーライだね!』


 あれ、単なる置き忘れだったの!?


『クリムちゃんはどうかなー? お姉さん、2人の晴れ姿見たかったなー』


 三十路が! 可愛くお姉さんぶっても、ESPの前で年齢はごまかせないぞ!


「わたしは着てないですぅ」

『あ、そう。クリムちゃんはいいの。エスニック衣装似合ってるからね!』

「ありがとうございまーす!」

「…………」


 なんだ? なんかやっぱり扱いに差があるんじゃない?


 院内さんの駄弁に付き合って、限られた時間を浪費するのも惜しい。わたしたちはすぐに鉄路と反対方向へ向かうことにした。出来るなら装備を補充したかったが、ホームや駅舎の中に銃器の類は見当たらなかった。非常用箱に入っていたバールと、職員の物らしい携帯食一箱がわたしたちの収穫だった。


 拳銃の弾は残り10発。クリムの弾倉に7発、わたしの弾倉に3発を込める。アンプルはクリムの分も全てわたしが持ち、バールはクリムが帯に差している。


「反対しないで受けちゃったけど、いいの?」


 ベアトリスは消極的賛成、アニタも反対はしなかったが、クリム自身の意見を聞いていない。わたしも彼女たちも、それなりの時間と資金を注ぎ込んで作られた存在だ。試験段階での無理な運用による損失コストを訴えれば、院内さんもあるいは即時引き上げに同意してくれたかもしれない。


「んー、そう言うエニルも反対しませんでしたよねぇ?」


 歩きながら携帯食をかじるクリムは、わたしの目を伺うように覗き込んだ。


「わたしはねぇ、昔のことはあまり覚えてないけど、ここで付けてもらったのと違う名前を覚えてるんです」


 少し胸を張り、


「『走る貝』。世界がまだ熱い泥だけだったころ、盲目のそれが進んだ道が土になり理となった。人は開いた二枚の貝の上に住む事になった。そんな存在にちなんだ、りっぱな名前なんですぅ」


 知らない神話だ。どこに伝わる創世の物語だろう。アニタとベアトリスも、それは真の名だと主張している。本当のところはどうなのか分からない。けれどもそれは、彼女たちにとって大切な記憶なのだろう。


「気が合うね。誰も歩いていない道があるなら、わたしがそこを歩いてみせる」


 時間を区切られたということは、ここでわたしたちが引き返せば、情報を手に入れる機会が失われるということでほぼ間違いがない。この先で手に入れるものが、顕現する神への対抗の糸口になるにせよ、既存の概念の枠を凌駕する装備の材料になるにせよ。現場で行動するものたちの役に立つなら、迷わず先へ進みたい。

 わたしはあの日、地下納骨堂で差し伸べられた、大きな手を思い浮かべていた。


 洞窟は自動車でも走れるほど大きく広いものだった。幅は6mほど、高さも同じくらいか。等間隔に電燈が設置され、充分な視界も確保できる。ここはまだ結界の効果の無かった範囲だろう。10分程のち、わたしたちは警戒しつつ急ぐ足を止め、壁際の岩影に身を潜めた。


 前方に小走りに駆ける人影らしきものが見える。ヒラヒラのフリルの付いた、黒のゴシックドレスを身にまとった、小柄な金髪の少女。場違いにも紛れ込んだ生存者なのか、それとも視覚を惑わすタイプの試験体の偽装だろうか。


 今回はクリムにも同じものが見えているらしい。声を掛けるか仕掛けるかを、目顔でわたしに確認してくる。アニタやベアトリスの警告もない。このままだと、少女の方が先に目的地に辿り着いてしまう。敵性存在の可能性が高いが、人に見えるものを無警告で撃つのもためらわれる。


 直前に死ぬような目に合ったばかりだけれど、ここは定石どおり意識を這わせることにする。思考は人間のもの。急いでいる。目的はこの先にある『旧き鍵』。だが神智研の別働班ではない様子。


 もう少し意識の深い部分を探り、敵だという確信を得ることはできないか。その慎重さ、あるいは臆病さが失敗だったと気付いたときは、もう遅すぎた。



 そびえる9本の石柱。

 翼持つ従者の群れ。

 圧倒的な存在。

 空を覆う影。

 蠢く触腕。

 吹き荒れる風。

 捧げられる贄。

 作り変えられる者達。

 複数の眼球が、わたしを捉え――

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