ショゴス

 地上へ向かうエレベータはやはり停止していた。扉をこじ開けシャフト内部の梯子を登ってみるも、途中で隔壁が閉じられ先へ進めない。


「下はどうですかあ?」


「あとワンフロアと、その下は……なんだろう?」


 端末で確認する。地下深くに造られた第4、第5階層のさらに深奥、地下へのシャフトが伸びたその先には、何のデータもも記されていない空間が広がっていた。


「んん? 建築予定区画? それとも、保管庫か試験体用の演習場?」


 なんにせよ胡散臭い。わざわざこんな地下深くに作らなければならないというからには、それだけ危険で重要、隠密性の高い案件という事だ。


「こっちから別のアクセス手段があったりするかもですねえ。これはもう、行ってみるしか無いですよね?」


 クリムの楽天家ぶりには救われる。ここで深刻ぶってみても仕方ない。何があるかは分からないが、上がれないなら下りきってみるまでだ。


 エレベーターシャフト内を引き返し、地下5階フロアに侵入する。損壊の程度は4階と似たような有様だが、フロアが下なだけこっちの方が危険な試験体で溢れたりするんだろうか。考えるだにうんざりする。警戒しつつ、フロアのほぼ半分の面積を占める広い部屋に向かう。


「これは……」


 ひと抱えもある大きな円柱状の水槽が並ぶ、古代ギリシアの神殿のような光景。非常灯の薄緑の灯りに照らされるその中には、さまざまな姿の試験体が浮かんでいた。5対の脚と3つの口を持つ甲殻類。犬になろうとして失敗したような、半ば崩れた灰色の肉塊。手足を備えた人間大の蛇。上の階で戦った、縦に裂けた口と異形の腕を持つ試験体の、さらに大きな個体。とりわけ形の定まらぬ、灰色の塊が多く見られる。


「眠ってるだけなのかなあ? 逃げ出してなくてよかったですねえ?」


 恐れのかけらも見せず、物珍しげに水槽を覗き込むクリム。ベアトリスが感心するような様子で呟く思考が漏れ伝わる。


「クリムはこういうの珍しくないの?」


「どうなんでしょう? 覚えてないけど、見てるのかもしれませんねえ」


 3人分の意識を統合する前の記憶は、引き継いでいないんだったか。酷な質問だったかも知れない。でも、この子は例え初見でも動じたりはしないんだろうとも思う。相棒としては心強い。


「エニルはどうなんです?」


 右手側、入り口から3番目の水槽に浮かぶもの。人間ほどの大きさの、目がなく触手の束を備えたカエルめいた生き物。10年前、地下の納骨所で目にした異形の存在。やはりそうだ。私たちの家族がどうして襲われたのか。どうすれば生き残れるのか。恐れず前を向いて進み続ければ知る事ができる。


「……さあ、どうかな?」


 水槽の一つ一つに気をとられ、足が止まりがちな相棒を促しつつ、部屋の最奥、二重ロックの区画へ進む。


 先程の部屋とは違い、据えられている水槽は、特別大きな一つだけ――ただし、サンプル保管用ではないのか、無数のチューブやコードが繋がっている。電源も別系統のものが用意されているのか、装置の類はどれも作動し続けているようだ。水槽は黒い液体で満たされ、中を伺う事はできない。


「これ、試作中のスーツですねえ。優子ちゃんから聞いた事があります」


 優子ちゃん? ……思い出した。院内さんのファーストネームだ。なれなれしい、ツレか!


 クリムが手にしているチョーカーやリストバンドにはわたしも見覚えがあるが、肝心のスーツが見当たらない。過去の試験で着用していたものは、野戦服の下に着込む、身体にぴったりとしたアンダースーツ。体温調節はもちろん、防刃防弾効果に優れた特殊素材が使用されていた。それだけでは体のラインが露わになってしまうが、下着すら無い手術着のみの今の状態に比べれば、喉から手が出るほど欲しい装備だ。


「それを付けて……ここに入る?」


 なぜか語尾が疑問系のクリム。隣に据え置かれたカプセルは、幾本ものホースとコードで水槽と繋がれ、こちらも独立電源で生きている。おそらくチョーカーやリストバンド、アンクルバンドが制御装置で、黒い液体がスーツを形成するって寸法か。アメコミで見たような映像を思い浮かべるが。だが、強固な造りのカプセルは、どうにも棺桶めいて見える。そして、こんな時のわたしの勘はたいてい的中する。


「Shoggoth Suit Syste……?」


『うわああああああああぁ!?』


 カプセルに記された文字を何気なく口にすると、ベアトリスのいつになく取り乱した思考が伝わってきた。


「な……何?」


 うん? という表情のクリムを置いてベアトリスに問いかける。


『ショゴス!? それに触れるな、まだ生きているぞ!!』


 混乱するベアトリスの意思を拾い集めてみると、人類以前に南極で先史文明を築いていた種族が生み出した、生物兵器の名前らしい。


「使えないの?」


『……実用段階まで仕上がっているなら、先ほどのガグ程度脅威にもならなくなる。裸同然の今の君なら、生存確率は数百倍跳ね上がる、が……』

 いつになく歯切れが悪い。


「なら結構な事じゃない?」


『だが、学習能力の高い生物だぞ? 使えば間違いなく知恵を付ける。私達が完全に制御し切れる状態では無いはずだぞ?』


 微かな意思の反応に、水槽に目を向ける。真っ黒な水槽の中から、魚のような眼が一つ覗いていた。『何かが来たから視認してみた』だけらしく、それ以上の思考は何も感じ取れない。しかし、いつから見られていたんだ?


「たしか、これを飲んで使うんだよねえ」


 懐から赤いアンプルを取り出すクリム。彼女も持たされていたのか。ESP能力のないクリムが使うなら、この生物に着用者を己の一部と誤認させるか、もしくは命令の強制力を高めるための物だろう。ならば、もし着用中に効果が切れてしまったら? 指示を聞く理由も、守る義務もない存在を、己の中に取り込んでいると気付かれてしまったら?


『……古のものと呼ばれる先史種族が滅んだのは、ショゴスの反乱が理由だと伝わっている』


 ベアトリスの懸念は理解できる。クリムが持つのは赤いアンプルが2本、緑のアンプルが1本。わたしの手持ちは赤と緑が1本づつ。今が平時で正気であるなら、当然のように忌避すべき装備だろうけど――


「それじゃあ、わたしから試しますねえ?」


 迷うわたしを尻目にクリムが服を脱ぎ始める。ちょっと待って、考えたのか!? 思い切りがよすぎだ!!


『ふざけんな! あたしはごめんだ!』

『私は断固拒否する!』


 私と同じように思ったのか、アニタとベアトリスの拒絶の意思が伝わる。


「あら? あららー?」


 脱ぎかけの奇妙なポーズのまま、固まるクリム。主導権がなくても、強固な反対の意思は多数決で働くのか。便利なようで不便な存在だ。


「いや、まずはわたしが試すよ」


 馬鹿なのか? やめろと喚くアニタと、今のうちに殺しておく事を勧める! と諭すベアトリスを尻目に、手術着を脱ぎクリムから受け取った装備を身に付ける。これ自体はあくまで指示を伝えやすくし、状態をモニタする用途の物らしい。重要なのはアンプルの方だ。迷わず緑を飲み干し、カプセルに横たわる。


「それじゃあ、閉めるよー?」


 身体の主導権を取り戻したクリムに操作を任せる。どこかわくわくした様子が微妙に苛立たしい。頑強な蓋が閉まり完全にロックされると、カプセル内は真の闇と静寂に閉ざされた。やがてじわじわと足元の方から生暖かい感触に包まれて行く。


 巨大な生物に丸呑みにされるさまを想像しかけて、慌てて打ち消す。例えアンプルの効果がある時でも、これに恐怖を抱いたり、異物である事を認識させ続けるのは得策じゃない。首元まですっぽり覆われた段階で意識を這わせてみると、やはりショゴスは胎内に壊れやすい器官を具えていると誤認しているようだ。当然、主導権はわたしにある。


 終わったのかなあ? と呟くクリムの声が、カプセル内からでも聞こえる。感覚器官の補助もしているらしい。


「わあ、上手く行ったみたいだねえ。次はわたしが!」


 身体にぴったり張り付いた黒いスーツは、光の加減で虹色の光沢を放つ。カプセルの蓋を開け、わたしの姿を見て感心した様子のクリムは、服を脱ごうとして再び固まっている。やはり、同意は得られないようだ。


『行けそうか?』


 硬いベアトリスの思考に頷いてみせる。計測器の類をスーツの上に装備する。


「頭は? ヘルメットとかゴーグルないのかなあ?」


 クリムの疑問を耳にし意識した瞬間、スーツが瞬時にフルフェイスのヘルメットを形成した。


「うわぁ!?」


 色はスーツと同色のようだが、内側からは視界が確保できる。呼吸も問題ない。BC兵器使用下でも、ショゴスを殺せないレベルのものなら自由に行動できそうだ。安全性を考えればこのまま行動すべきだろうが、心理的圧迫感が強すぎる。いざって時だけにしておきたい。


「一つ思い出した。優子ちゃん、『もうだめだあ』って時は、強くそう思うだけで楽になれるって言ってたよ?」


 チョーカーの内側に何かギミックがあるのは気付いていた。自決用の薬物だろう。着用者よりスーツの方が大事なのか、それともショゴスを処分するのが難しいだけなのか。確かに生きながら丸呑みって最期はぞっとしない。

 作動限界を示すモニタが示す数値は3時間。だが、試作段階での目安でしかない。限界はわたし自身の方がよく分かる。


 拳銃の事といい、院内さんは悲観的な方向にだけ、やけに手回しがいい気がする。嫌がらせか!? 無事脱出できたら、一発くれてやらねばなるまい。

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