第4話 ショゴス

 地上へ向かうエレベータはやはり停止していた。扉をこじ開けシャフト内部の梯子を登ってみるも、途中で隔壁が閉ざされ先へ進めない。いざという時に隔離するための構造なのだから、この状況では当たり前といえば当たり前なのだけど。


「下に降りてみるのはどうですかぁ?」

「あとワンフロアと、その下は……うん? どうなんってるんだろう?」


 端末で確認してみる。地下深くに造られた第4、第5階層のさらに深奥、地下へのシャフトが伸びたその先には、何のデータも記されていない空間が表示されていた。


「んん、ブランクデータ? 建築予定区画かな。それとも、保管庫か試験体用の演習場になってるとか?」


 なんにせよ胡散臭い。わざわざこんな地下深くに作らなければならないというからには、それだけ危険で重要、秘匿性の高い案件が絡んでいるということだ。


「このスペースに資材を運ぶための、別のアクセス手段があったりするかもですねぇ。これはもう、行って確かめてみるしかないですよね?」


 クリムは迷いもせずに提案した。考えなしのようだが、この楽天家ぶりには救われる。確かにここで立ち止まり、深刻ぶってみても始まらない。何があるかは分からないが、上がれないなら下りきってみるまでだ。


 シャフト内を引き返し、扉をこじ開け地下5階フロアに侵入する。損壊の程度は4階と似たような有様だが、フロアが下なぶん、こっちの方により危険な試験体が収容されてたりするんだろうか。考えるだにうんざりする。わたしたちは警戒しつつ、フロアのほぼ半分の面積を占める広い部屋に向かった。


「これは……」


 そこにはひと抱えもある大きな円柱状の水槽が並ぶ、古代ギリシアの神殿のような光景が広がっていた。非常灯の薄緑の灯りに照らされる水槽の中には、さまざまな姿形の試験体が浮かんでいた。


 5対の脚と3つの口を持つ甲殻類。犬になろうとして失敗したような、半ば崩れた肉塊。手足を備える、成人男性の胴より太い蛇。上の階で戦った、縦に裂けた口と異形の腕を持つ試験体――ガグ――の、さらに大きな個体も見える。とりわけ形の定まらぬ、灰色の原形質の塊が数多く収められていた。


「珍しい標本? それとも、眠ってるだけなのかなぁ? ともかく、逃げ出してなくてよかったですねぇ?」


 クリムは恐れのかけらも見せず、物珍しげに水槽を覗き込んでいる。ベアトリスの感嘆するような思考が漏れ伝わってきた。


「クリムはこういうの怖くないの?」

「どうなんでしょう? 覚えてないけど、前に見てるのかもしれませんねぇ」


 3人分の意識を統合する前の記憶は、誰も引き継いでいないんだったか。配慮の足りない質問だったかも知れない。でも、この子たちは例え初見でも、動じたりはしないんだろうとも思う。相棒としては心強い。


「エニルはどうなんです?」


 右手側、入り口から3番目の水槽。その中には人間ほどの大きさの、目の無い顔に触手の束を生やした、カエルめいた生き物が浮かんでいる。これには見覚えがある。10年前、地下の納骨所で目にした異形の存在。やはりそうだ。私たち家族がどうして襲われたのか、どうすれば生き残れるのか。恐れず前を向いて進み続ければ、それら全てを知ることができる。


「……さあ、どうかな?」


 クリムは水槽に気を取られ、わたしの返事を聞いていない。足が止まりがちな相棒を促しつつ、わたしは部屋の最奥へと進む。


 厳重な二重ロックの扉の先は、先程の部屋とは雰囲気が違った。据えられている水槽は特別大きな一つだけ――それも、サンプルを保管するための物ではないのか、無数のチューブやコードが繋がっている。この部屋だけ別系統の電源が用意されているのか、照明を含め、装置の類はどれも作動し続けている。大きな水槽は黒い液体で満たされ、中を伺うことはできない。


「これ、試作中のスーツですよねぇ。優子ちゃんから聞いたことがあります」


 優子ちゃん? ……思い出した。院内さんのファーストネームだ。なれなれしい、ツレなのか!


 クリムが手にしているチョーカーやリストバンドにはわたしも見覚えがあるが、肝心のスーツ本体が見当たらない。過去の試験で着用したものは、野戦服の下に着込む、身体にぴったりとしたアンダースーツ。体温調節機能はもちろん、防刃防弾効果に優れる特殊素材で作られていた。それだけでは体のラインが露わになってしまうが、下着すら無い手術着だけの今の状態に比べれば、喉から手が出るほど欲しい装備だ。


「それを付けて……ここに入る?」


 なぜか語尾が疑問系のクリム。隣に据え置かれたカプセルは、幾本ものホースとコードで水槽と繋がれている。以前着用したものは出来合いだったが、おそらくチョーカーやリストバンド、アンクルバンドがセンサーの類で、黒い液体がオーダーメイドのスーツを形成するって寸法のようだ。コミックのヒーローのような映像が頭に浮かぶ。


 だけど、強固な造りのカプセルは、どうにも棺桶めいて見えた。そして、こんな時のわたしの勘はたいてい的中する。


「Shoggoth Shape Suit System?」

『うわああああああああぁ!?』


 カプセルに記された文字をわたしが何気なく口にすると、ベアトリスのらしくない取り乱した思考が伝わってきた。


「び、ビックリした。な……何?」


 うん? という物問いたげな表情のクリムを置いて、ベアトリスに問いかける。


『ショゴスだと!? エニル、それに触れるな! まだ生きているぞ!!』


 恐怖と焦りで混乱するベアトリスの思考を拾い集めてみる。ショゴスというのは、人類以前に南極で先史文明を築いていた種族が生み出した、生物兵器の名前らしい。


「生きてると使えないの?」

『いや……これは恐らく生体素材をスーツに利用する装置だ。実用段階まで仕上がっているなら、先ほどのガグの攻撃程度、脅威にもならなくなる。裸同然の今の君なら、この先の生存確率は数百倍跳ね上がるだろう、が……』


 妙に歯切れが悪い。


「なら結構なことじゃない?」

『それは恐ろしく学習能力の高い生物だぞ? 使えば使っただけ間違いなく知恵を付ける。私達が完全に制御し切れる存在ではないはずだぞ?』


 ふと微かな意思の反応を感じ取り、水槽に目を向ける。真っ黒な水槽の中から、魚のような眼が一つこちらを覗いていた。『何かが来たから視認してみた』だけらしく、それ以上の思考は何も感じ取れない。しかし、いつから見られていたんだ?


「たしか、これを飲んで使うんだよねぇ」


 クリムは懐から赤いアンプルを取り出した。彼女も持たされていたのか。ESP能力のないクリムが使うなら、この生物に着用者を己の一部と誤認させるか、もしくは制御するため、命令の強制力を高めるための物だろう。


 不意にベアトリスの懸念の意味が理解できた。もし着用中にアンプルの効果が切れてしまったら? 指示を聞く理由も、守る義務もない柔らかい肉を、己の内側に取り込んでいると気付かれてしまったら?


『古のものと呼ばれる先史種族が滅んだのは、ショゴスの反乱が理由だと伝わっている』


 ベアトリスの恐れは充分以上に理解できる。クリムが持っているのは赤いアンプルが2本、緑のアンプルが1本。わたしの手持ちは赤と緑が各1本づつ。今が平時でわたしたちが正気であるなら、当然のように忌避すべきおぞましい装備だろうけど――


「それじゃあ、わたしから試しますねぇ?」


 迷うわたしを尻目に、クリムは服を脱ぎ始める。


「ちょっと待って、考えたの!? 思い切りよすぎ!!」

『ふざけんな! オレはごめんだ!』

『私は断固拒否する!』


 わたしの制止と重なるように、アニタとベアトリスの拒絶の意思が伝わってきた。


「あら? あららー?」


 クリムは脱ぎかけの奇妙なポーズのまま固まった。主導権がなくても、生死に関わる場面での強固な反対の意思は、多数決が働くのか。便利なようで不便な存在だな。


「クリム。まずはわたしが試してみるよ」


『馬鹿なのか? やめろ』と喚くアニタと、『今のうちに殺しておくことを勧める』と諭すベアトリスを尻目に、わたしは手術着を脱ぎクリムから受け取った装備を身に付けた。これ自体はあくまで着用者の指示を伝えやすくし、着用者とショゴス双方の状態をモニタする用途の物のようだ。重要なのはアンプルの方。迷わず効果の強い緑を飲み干し、カプセルの中に横たわる。


「それじゃあ、閉めるよー?」


 操作は身体の主導権を取り戻したクリムに任せる。どこかわくわくした様子が微妙に苛立たしい。頑強な蓋が閉まり完全にロックされると、カプセルの内部は真の闇と静寂に閉ざされた。やがてじわじわと足元の方から生暖かいゲル状のものが染み出し、徐々にわたしの身体を包んでゆく。


 思わず巨大な生物に丸呑みにされるさまを想像しかけて、慌てて打ち消した。例えアンプルの効果がある時でも、ショゴスに恐怖を抱いたり、異物であることを意識させ続けるのは得策じゃない。これはあくまでもスーツ。道具なんだ。


 首元まですっぽり覆われた段階で意識を這わせてみると、やはりショゴスは胎内に壊れやすい器官を形成したと誤認しているようだ。当然、思考と行動の主導権はわたしにある。


「終わったのかなぁ?」と呟くクリムの声が、密閉されたカプセルの中からでも聞こえる。スーツが感覚器官の補助もしているらしい。


「わぁ、上手く行ったみたいだねえ。次はわたしが!」


 身体にぴったり張り付いた黒いスーツは、光の加減で虹色の光沢を放つ。カプセルの蓋を開け、わたしの姿を見て感心した様子のクリムは、服を脱ごうとして再び固まっている。やはり、他のふたりの同意は得られないようだ。


『行けそうか?』


 わたしは硬いベアトリスの思考に頷いてみせた。幾つかの計測器の類をスーツの上に装備する。


「頭は? ヘルメットとかゴーグルないのかなぁ?」


 クリムの疑問を耳にし意識した瞬間、スーツが瞬時にフルフェイスのヘルメットを形成した。


「うわぁ!?」


 色はスーツと同色のようだが、内側からはクリアな視界が確保できる。呼吸も問題ない。これならBC兵器使用下でも、ショゴスを殺し切れないレベルのものなら、障害なく自由に行動できそうだ。安全性を考えればこのまま行動すべきだろうが、頭から食べられるのを連想し、心理的圧迫感が強すぎる。首から上を覆うのは、いざって時だけにしておきたい。


「ひとつ思い出した。優子ちゃん、これを着て『もうだめだぁ』って時は、強くそう思うだけで楽になれるって言ってたよ?」


 チョーカーの内側に何かギミックがあるのには気付いていた。思考に反応して投与される、自決用の薬物だろう。着用者よりスーツの方が大事なのか、それともショゴスを無力化するのは不可能だというのか。どちらの理由にせよ、開発者のなけなしの思いやりなんだろう。確かに、生きながら消化されるのを待つ最期はぞっとしない。


 左手首に巻いた、作動限界を示すモニタが示す数値は残り3時間。だけどこれは試作段階での目安でしかない。限界はむしろ、着用者であるわたし自身の方がよく分かっている。


 拳銃の事といい、院内さんは悲観的な方向にだけ、やけに手回しがいい気がする。嫌がらせか? 嫌われているのか?

 無事脱出できたら、一発くれてやらねばなるまい。

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