第3話 クリム・クロフォード

 それなりに急いだつもりだったが、赤いドアは既に開かれていた。部屋はもぬけの殻。


 わたしの寝かされていた部屋と同じつくりで、空の寝台が一つ照明に照らされている。ひょっとしたら先程の銃声を聞きつけ、援助に向かってくれたのかもしれない。入れ違いになってしまったのだろうか? 近くにはまだ人型の試験体がいるはずだ。あれと鉢合わせになっていなければ良いが。


 再び管理室への通路を走るわたしの脳に、一つの違和感が浮かんだ。置かれていた寝台は一つ。わたしと違い、どうして3人も押し込められていたんだろう?


 急いだ甲斐あってか、前方に廊下をふわふわと歩く人影を発見した。エスニックな民族衣装を身にまとった、赤い肌の少女。……ちょっと待った! 手術着どころか、わたしとぜんぜん布の量がちがうじゃない! なにこの格差社会!?


 十字路に差し掛かった辺りで少女はわたしに気付き、振り向いきながらふんわりと微笑みかけた。


「危ない!」


 わたしはスピードを上げ、走る勢いのまま彼女を抱きかかえ跳ぶ。直前まで少女の頭部があった場所に、黒い剛毛に覆われた2本の腕が振るわれた。


 全力でタックルされる形になり、少女は脇腹を押さえ呻きながら廊下を転がる。構うことなく、わたしは腕の持ち主目がけ、ろくに狙いも付けずに横撃ちで2発。


 少女を捕らえ損ねた太い腕が庇った頭部は、縦に裂けた口と左右に眼球を持つ異形のものだった。その腕も明らかに人のものとは違い、肘の所から分かれた二つの前腕部を供えている。


 どうやらわたしがやり過ごしたあと、食事を終え移動していたらしい。4mを越える巨大な試験体は、血に塗れた牙を剥き出しにし、不機嫌そうに縦に割れた口元を歪めて見せた。


 だめだ、まるで効いてるって感じじゃない!

 腕に当たった2発の弾はダメージを与えるどころか、彼の怒りを誘っただけのようだ。


「うぐぅ……な、なにが……痛いですぅ」

「走るよ!」


 わたしは呻き転がり続ける少女の手を取ると、無理やり引き起こし駆け出した。


『なにやってんだァ! さっさとオレに代われ!』

「あなたねえ! 助けて貰っといてその言い草は……」


 無作法な物言いにとがめる視線を向けると、のんきそうな垂れ目が物問い顔を返してきた。……うん?

 響く足音で追ってくる巨人との距離が詰まっているのを知り、慌てて前に向き直り逃走に専念する。


『君には私の声が聞こえているのか? 身体の主導権をアニタに。指示は私が伝える!』


 発声されない理知的な思考。漠然とだが解ってきた。この子はそういう存在か。


「アニタ! 任せた!」


 わたしが粗暴な物言いの思考に意識を向け呼び掛けると、繋いだ手を乱暴に振り払われた。


「待ちくたびれたぜ、ようやくオレの出番か! 得物は?」


 手の届きそうな距離に迫る巨大な異形に臆する風もなく、赤い肌の少女は懐から探り当てた銃を抜く。


「弾は……しけてんな、お前のも貸せ!」


 弾倉を引き抜き舌打ちをする。まなじりが吊り上がり、表情が一変している。獰猛に歯を剥き出しにする少女に気おされ、わたしは銃を差し出した。


『ガグだな。少々大きいだけで造りは人とさほど変わらない。急所も然り』

「充分だ!」


 わたしの意識を介して2人の意識が思考を交わす。ESP能力をフリーのwi-fi代わりにされているきぶん。……うん? のんびりしたのがもう一人いなかったっけ?


 少女――アニタは振り下ろされるガグの異形の右手をかわしつつ、触れるほどの近さからその肘に弾を撃ち込んだ。

 砕かれた関節の痛みに怯むガグの股の間を滑り抜け、背後に回りこみながら左膝に2発。


「トロすぎんだよ!」


 膝から崩れ落ちる巨人は、体勢を崩しながらも左腕でアニタをなぎ払おうとする。獰猛な笑みを浮かべたアニタは、わずかに身体を反らすだけでそれを回避し、伸びきった左腕の付け根にさらに3発。


 わずか数秒の間に起こった一連の動きを、わたしは口を開けただ見ているだけだった。理知的な意思はわたしの感覚器官まで利用し、適格な状況判断を下す。アニタは時にアドリブを交え、一瞬の遅れもなくその指示を易々とこなす。恐ろしいまでの身体能力と戦闘センス。傍で見ているわたしには、ガグが自ら急所を晒して攻撃させているようにさえ思えた。


「さーてと、心臓はどこだ?」


 仰向けに倒れ、もがく巨人の右膝を左手の銃で撃ち砕きつつ、アニタは右手の銃の射線を巨体に滑らせる。


『恐らく正中線』

「真ん中撃っときゃ間違いないってぇコトだな」


 ガグはアニタを捕らえようと、体液を流しながらも左手を伸ばす。それをアニタは右足で無造作に踏みつると、縦に裂けた口の真下あたりから、等間隔に4連射。


 試験体は巨躯を生かした攻撃をろくに見せられぬまま、完全にその動きを止めた。


「あら? あらあら?」


 異形の屍体を踏みつけ満足げな笑みを浮かべていた少女が、不意に戸惑ったような声を上げた。中身がアニタから、ふんわりとした思考の持ち主に入れ替わっている。この子が基本人格なのか。


「状況は把握できてるかな? わたしはエニル。あなたは?」

「クリム。クリム・クロフォードですぅ」


 差し伸べたわたしの手を握り返すクリム。震えていないし、怯えも伝わってこない。ぼんやりしているように見えて、それなりに肝は据わっているようだ。……鈍いだけってことはないよね?


            §


 見取り図を頼りにフロアの探索をしながら情報を交換する。クリム“たち”は一つの身体に紐付いているが、お互いに意思疎通はできないらしい。戦闘時に身体を動かしていたアニタや、指示を出していた理知的な女性――ベアトリス――も、自分こそが肉体の本来の持ち主だと認識しているようだが、平時はのんびり屋のクリムが主導権を持っている。


 神智研でESPの開発訓練を受け始めて以来、何度か多重人格者の意識に触れたことがある。本人の自覚の有無こそあれ、そのどれもが一つの人格の別の側面を見せているだけのものだった。本質の部分では単一の存在と認識できた。だが、今触れている彼女たちは、それらとは根本的に別物だ。ドア越しの会話の時のように、視覚情報無しに意識を這わせただけなら、3人の別固体が存在していると認識してしまう存在だった。


『魔術班の言うところによれば、エーテル体を拡張加工し、私たち3体分のアストラル体を同居させている状態らしい』

「ひとつの身体に3人分の魂を持ってるってこと?」


 ベアトリスのいう魔術班は、わたしを担当する科学班とは全く別系統の技術体系を持っている。現行の法や倫理を外れる行動を容認する神智研の中でさえ、厭われ畏れられる異能者の集団であり、そこには世界に数人しかいない本物の魔術師も含まれているという。眉唾だけど、世間的には充分規格外の扱いを受け、それに相応しい能力を持つに至ったわたしでさえ、クリムたちの存在は理解し切れるものではない。それこそ、魔術の賜物だと認識するほかない。


「すごいねぇー」


 自らを含めた話だと解っているのかいないのか。クリムはふんわりと笑みを浮かべた。うん。この図太いというか、肝の据わったところが、この身体の主人格に置かれた理由だろう。


 わたしのイメージでは、ひとりづつ身動きの出来ない鉛の棺桶に詰め込まれ、背中合わせで溶接された状態で、呼ばれた時にだけ蓋を開けて貰えるようなもの。正気で居続けるのも難しいストレスフルな状態で、とても合理的な存在とは思えない。わたしが精神感応で呼び掛けて、はじめて主導権が入れ替わるというのも、非常にまだるっこしいやり方だ。


『オレの身体を他人に共有させる理由が欠片もねえ。お互い干渉できるようになってりゃ、他を殺して独り占めだろ?』


 乱暴なアニタの思考。おそらく、過去にはそのような形で失敗した試験体も実際に存在したのだろう。起動実験にまでこぎ着けたのが彼女たちだけだというだけで。


 それでも疑問が残る。そこまでして、一人の身体に複数の人格を詰め込まなければならない理由があるんだろうか?


『神智学研究所の存在理由の一つが、超人を造り出すことだからだろうな』 


 ベアトリスによると、魔術師を含むオカルティストたちは、人間を複数の階層で認識しているという。肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体――者によってはさらに多くの階層に分けられるという。


 わたしたちが対峙することになる“神”は、さらに多くの階層で構成される存在だとされ、それぞれの階層の広さ大きさも人のそれとは桁が違う。故に実体としての肉体を壊せても、その存在を滅ぼすには至らなかったり、接触すらしなくても、近くに存在するだけで強い影響を受けてしまうのだと。


『神の顕現に至った召喚事例下での活動要員、いずれは対神戦闘に耐え得る兵士の開発育成が主眼だろうな』


 冷静に自らの存在理由を分析してみせるベアトリス。わたしと違い、彼女たちには過去の記憶が無いという。隣を歩く少女の身体の本来の持ち主が誰であったかは分からないが、残り2人は肉体を失うことを納得できたのだろうか。


 黙り込んだわたしの顔を、クリムは身を屈めて覗き込んだ。


「わたしはねぇ、この世界の隠された面に触れてなお、生き延びられる力を得られたことを感謝しているよ?」


 わたしが考えていたことが、解っているのかいないのか。クリムは柔らかく微笑んで見せた。


 なんだ。それじゃあわたしと同じじゃないか。知るために生き延びたい願ったわたしと、生きるために形を変えた彼女たち。わたしは、傲慢にも相棒バディに対し抱きかけていた哀れみという感情を、芽吹く前に摘み取ることができた。

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