第2話 星の精

 銃を手に廊下を進む。


 室内と違い、非常灯の薄明かりだけが辺りを照らしている。地震でもあったのか、壁の歪みや亀裂の入った床、パネルの剥がれ落ちた天井が目に付く。なにか大きな災害に見舞われた後のようだが、現状説明くらいはあっても良いんじゃないの?


 院内さんの話では、調整が済めばすぐにでも探索班に配属されるという話だったから、状況把握しながらの柔軟な対応もテストのうちってことなのか。


 目覚めた部屋にもこの廊下にも見覚えが無い。眠っている間に、調整を受けていた施設とは別の場所に運ばれていたらしい。完成すれば優秀な兵士にして兵器だが、一歩間違えば制御の利かない災厄を引き起こす。わたし達の様な存在にとってはよくある扱いだ。事が起これば施設ごと廃棄されるケースも珍しくはない。


 っていうか、これは既に廃棄されている状況だったりしない? わずかな不安を抱きつつ一区画ほど進むと、赤いドアが目に付いた。


 わたしが目覚めた部屋と同じで、特殊なキーが必用なドア。おそらく、中には試験体が収容されているか、されていたはず。わたしの部屋と同じ状況に置かれているのなら、キーは自動的に解除されているはず。まだ室内に残っているのか、それとも先に行ってしまったのか。閉じたままのドアを前に、わたしは室内に軽く意識を這わせてみた。


『あーちくしょう! 雑なミッション気楽に投げやがってあのアマぁ!』

『他にも試験体がいると聞いた。合流できれば生存確率が6割程度にはなるはず……』

『退屈だなぁ。ドアも開かないし。誰か来ないかなぁ』


 3人分の、おそらく皆女性の意思。運の悪いことに、ドアを開けられないでいるらしい。仲が悪いのか、相談して問題解決しようという流れにならない。他の同室者をあてにするでもなく、各々勝手に呟いてるイメージがする。


 んんん? なにやらトラブルの予感。だけどわたしにとっても、この先同行者が多いほうが心強い。どうしよう……声を掛けるべきか?


「すみませーん。鍵が掛かってるみたいですぅ」


 軽くノックをしてみると、のんびりした声の主が反応した。まるで緊迫感がない。同室に3人いる心強さから、わたしほど危機感を抱いていないのだろうか。


『誰だ? 職員じゃないからドアを開けられないのか。管理室に行けばキーがあるはずだが……』


 理知的な女性の思考が独り言のように漏れる。なぜか発声しない。


「分かった。まってて、鍵を探してくる」


 わたしはその指示に従うことにした。状況の把握すらままならないが、与えられたミッションがこの施設からの脱出であるのなら、生存者の保護は当然試みるべき事柄のはずだ。せめて見知った、今まで調整を受けていた施設であったなら、手持ちの情報を基に、行動のプランも立てやすかったのに。


 愚痴っていても始まらない。管理室でマスターキーを回収するとともに、この施設の見取り図を探すとしよう。


 警戒しつつ進むわたしは、最初の十字路の前で足を止めた。何者かの気配がする。角から様子を伺うと、廊下の先にうずくまる人影が見えた。


 大柄な男だろうか。非常灯の薄明かりだけでは確認しづらいが、どこか歪なフォルムをしている。何かを貪り食っているらしく、微かなシズル音が響く。だめだ、嫌な予感しかしない。


 赤いアンプルを使いESPをブーストする。気付かれないよう軽く意識を這わせてみると、やはり食事中だったらしい。だが、満たされない飢餓感と、今口にしている物への不満が伝わる。本来彼が口にする物ではないようだが、なにを食べているのか、なにを食べたいのかまでは認識できなかった。

 わたしの知らない単語だったし、何より知らない言語で思考していたからだ。思考パターンも人間とは異なるようだが、試験体か何かだろうか。


 彼――いや、あれを排除してから進むべきか。弾数はわずか3発。アンプルを使った今なら、精神攻撃を仕掛ける事も可能だろうが、それも回数は限られている。人間ではないものを、上手く昏倒させられるかどうか。


 わたしの目的は戦闘じゃあないし、装備を温存するに如くはない。食事に没頭する影をやり過ごし、先を急ぐことにした。


            §


 程なく管理室らしき部屋に辿り着いた。ガラス越しに、明かりの落ちた室内を、点けっぱなしのモニタをぼんやり照らしているのが見える。ドアの隙間から中を伺うと、すぐそこに警備服の男が倒れているのが見えた。


 確認するまでもなくすでに事切れている。何があったのか。全ての弾を撃ち尽くした銃を手に、体液の全てを失い、ミイラのような姿を晒していた。


 わたしは姿勢を低くし、明かりを点けぬまま室内に歩を進め、手早く死体を確認する。制服に数箇所の鉤裂き。右の首筋に傷跡。死体の周囲に血痕はない。


「吸い尽くされたって感じかな……」


 自分の分析ながらぞっとしない。この施設の支給品なのか、警備員の銃はわたしと同じ物だった。制服を探りポケットから予備の弾倉を失敬する。どのみち彼にはもう用のない品だ。そのままカードキーと携帯端末も手に入れた。


 さっそく携帯端末でフロアの見取り図を呼び出し、現在位置を確認する。フロア自体はそう広くはない。だけど、出口を確認するため呼び出した施設の全体図を目にし、思わずうんざりした。


 今いるのは地下4階。ただし、上階までは800mほど下方に位置し、昇る手段はエレベーターが一基のみ。何かあっても簡単に隔離できる造りになっている。その何かが起こった今、当然のようにエレベーターは封鎖されているだろう。


 まあいい、どこへ向かえばいいか分かっただけでも幸運じゃないか。使える装備を探しがてら、まだ生きているモニタに近付こうとしたとき、室内のどこかから微かな物音が聞こえた。


 笑い声……か?


 わたしは右手で銃を構えたまま壁際へ後ずさりし、目を閉じたまま照明の操作パネルに手を伸ばす。

 点灯とともに目を開け、素早く室内に視線と銃口を走らせるが、怪しい影はどこにもない。


 どこだ? 微かなクスクス笑いはまだ続いている。気のせいなんかじゃない。


 残っていた赤いアンプルの効果が、姿なきものの害意を報せる。右手側からだ!


 読み取った意思から標的を描き出すと、わたしは躊躇うことなくそれに全弾撃ち込んだ。

 見えない何かが首筋をかすめるのはほぼ同時だった。


 手ごたえは感じた。首筋に手をやると、微かに血が滲んでいた。

 意識を凝らすと、床でのたうつクラゲのようなものが、微かに認識できた。なにこれ気持ち悪い!


 不可視の生物は、わたしの方に未練がましく鍵爪を持つ触腕を伸ばし痙攣させていたが、やがて動きを止めた。同時に赤いアンプルの効果も切れたらしく、その姿を視認することができなくなった。


 研究所で作りあげた存在なのか、それともどこかで捕えたものなのか。どちらにせよ、生物兵器としては厄介な相手だ。同じような試験体がまだ逃げ出しているのかも――いや、逃げ出しているに違いない。


 弾を使い切ったのはまずかっただろうか。いや、不可視で急所も分からない存在を、無力化できたことのほうを喜ぶべきだ。それより、銃声に引き寄せられる存在がいないとも限らない。わたしは急ぎ管理端末を操作し、赤いドアのロックを解除した。


 念のため、食事をしていた奴と鉢合わせしないよう来た時と別の廊下を進み、わたしはまだ見ぬ生存者達の元へ急いだ。

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