シェルランナーズ

藤村灯

第1話 エニル・エスティマ

(おはようございます! そろそろ起きてくださーい!)


 やたら能天気で無遠慮なモーニングコールが頭に響く。


 うるさい。起きてるよ。

 反応するのが癪だったから無視してただけだ。


 目を開けると、真っ白な天井とアクリルパネルの照明が飛び込んできた。光量はさほど強くない。

 ゆっくり目をならし、身体を起こして状況を確認する。


 5m四方ほどの部屋。真ん中にぽつりと置かれたベッドの上に寝かされていたらしい。


(意識はハッキリしてる? 名前は覚えてるかな?)


 エニル・エスティマ。最後の記憶は薄紅色の液体で満たされたカプセル越しの光景。この人――院内いんないさん、だったか――は「これが最終調整だよ!」と張り詰めたテンションで親指を突き出していたはず。じゃあ、無事全ての工程が終わったのか。


 左右の手の五指を開閉し、肘を屈伸してみる。感覚は正常、妙な張りや強張りも無い。起き抜けだということを除けば、意識も明晰だ。


(おめでとう! ありがとう! 君の素質にはこれっぽっちの疑いも持たなかったけど、急に預言が進行したので! 略してK・Y・Sってヤツ?)


 背中で紐で止めるだけの、ライトグリーンの簡易な手術着を着せられている。吐いても垂れ流しても簡単に処理できるので、このところ馴染みの格好だ。なんかすーすーする。……パンツはいてない!


 調整が終わったのなら、着替えくらい用意されているかと辺りを見回してみるも、それらしき物は見当たらない。簡易ベッドの右手側に置かれたワゴンには、拳銃と三本のアンプルが無造作に置かれている。赤が2本、緑が1本。


 銃はグロック17とかいったか。17発収められる弾層に3発しか入っていない。簡単な訓練は受けたから、扱うことはできるけど。院内さんが「君が銃を使う場面は、本来あっちゃいけないんだけどね。だからほぼ自決用みたいな!」と、ウインクと共に口にしていた記憶がある。その時は冗談かと思って愛想笑いを返したけど、なんだかじわじわと不吉な予感がしてきた!


(不確定要素もあったけど、そのおかげで二正面作戦を回避できたようなものだし? 人間万事塞翁が馬ってカンジ? あ、サイ・オーって書くと、なんかジェダイの騎士っぽくない?)


 赤いアンプルは実験や訓練で馴染みの物だけれど、緑の方は初めて見た。照明の加減か、ぼんやりと蛍光しているようにも見える。


「……院内さーん?」


 下っ端の看護師なのか、責任ある立場なのかよく解らない人だが、わたしの担当であることには違いない。わたしの声に込もったありったけの不信や疑念に反応して、わざとらしい咳払いと共に駄弁が中断される。


(こほん、ごめんなさい。状況が変わりました。起動実験の後、本試験の予定でしたが、今から初任務です。頑張ってね!)


 うわぁ。身も蓋も無い。


 アンプルはともかく、拳銃がここに置いてあるってことは。装備はこれだけで、今この時この場から状況開始って事なのか。


(とりあえず、生きて帰ってね!?)


 元気一杯の不吉なエールと共に、院内さんの声が途絶える。

 もう一度室内を見回し、どこにもスピーカーの類がないことを確認する。

 ESPに関しては、確かに問題ないレヴェルで調整済みらしい。


            §


 昔から運だけは良かった。

 家族を殺されて一人生き残れたのも、人身売買組織に売り払われる前に救出されたのも、全て直感に従って行動した結果だった。


 わたしを救い出してくれたのは警察でも国軍でもなく、傭兵のチームだった。本来の目的は人身売買組織の取引先である教団の襲撃で、商品である子供たちの確保は、事のついででしかなかったようだが。ごつい顔に似合わず面倒見の良いリーダーからは、救われた子供たち皆に、その場で2つの選択肢が提示された。


 このままストリートチルドレンとして暮らすか。それとも彼が紹介する砂糖黍の農場で働くか。


 一つ目の道は論外だった。ひと時の自由を得られても、身寄りのないわたしは、いずれ自分で自分を売らなければならなくなるのは目に見えている。売り払われる予定だった教団では、儀式として化物――今のわたしには、それが例え話でなく、実在の物を指すと理解できるが――に犯されながら食われたり、溶かされながら謳わされたりするはずだったそうだが、その相手が生粋の人間になるだけのこと。


 囚われの間、両親を殺した男から、笑い話のような調子で話を聞かされた。取引先の一つに、長寿延命のため月に一度、生きたままの少女を、ナイフとフォークで切り分けて食べる老富豪がいると。この男が、濁った目で気味の悪い笑声を漏らしながら、母さんの遺体の上で腰を振る姿を見ているわたしには、それを子供を怖がらせるための作り話だと、切って捨てる理由がなかった。


 二つ目の道は一見まともそうに思えた。一日16時間労働だが、日に三度の食事は保障されるし、雀の涙ほどとはいえ給金も出る。農場主の目的は労働力の確保だから、狂人に儀式の生贄にされるような、積極的な命の危険はないし、いざとなれば逃げ出すことだってできただろう。実際わたし以外のほとんどの者が、その農場で働くことを望んだ。


 その時覚えた予感めいたもの――それは、選ぶべき道ではないという――が、結果わたしの命を救った。後で聞いた話だが、2ヵ月後その農場は無くなってしまったらしい。廃業したというのではない。住人ごと、この世から消え去ったというのだ。農場のあった場所には代わりに、どの文明とも合致しない古代遺跡が、当たり前のように聳え立っていたそうだ。各専門機関の調査の結果、その遺跡は一万年以上前その場所に造られ、ずっとその場所に存在していたという有り得ない結論に辿り着き、以来禁足地として厳重に閉鎖されているのだとか。


 わたしが選んだのはそのどちらでもなく、三つ目の道だった。表向き、わたしたち家族を襲ったのは犯罪組織と発表されたが、なぜ宗教団体の存在は伏せられたのか。襲撃対象としてリストまで用意されていたのに、なぜ無差別的な犯行と結論付けられたのか。知らねばならない。父さんと母さんが殺された理由と、わたしだけが生き残った理由を。


 後から思えば、その熱に犯されたような衝動的な行動も、どこか直感に基づいての物だったのだろう。解放され、監禁されていた倉庫から逃げ出す子供たちの列を離れ、わたしはひとり教団施設に踏み込む傭兵達の後を追った。プロである彼らに気付かれずに行動できたのは奇跡だったのだろう。イエス様に祈りを捧げる教会の地下の納骨堂で。わたしは彼らが、この世の物ではない存在と戦う姿を目にすることとなる。


 激しい銃撃戦の後、邪教の輩と怪物の全てが動かなくなり、死者と負傷者を抱えた傭兵たちが撤収を始めた頃。一部始終を盗み見て、物陰で震えていたわたしは、赤や緑の返り血で服を染めたリーダーと目が合った。悲しそうな瞳で銃口を向ける彼に、失禁し腰を抜かして動けなくなっていたわたしは、それでも声を張り上げて懇願した。


「わたしも連れて行って下さい! このまま、なにも知らないまま終わりたくない!」


 短くは無い逡巡の後、重い溜め息と共に銃を下ろしたリーダーに連れられ、わたしは彼のクライアントである神智学研究所に、検体として迎えられることとなった。


 これも後で知った話だが、リーダーはわたしに銃口を向けたとき、どんな台詞で命乞いをしても、口封じとして引き金を引く決意をしていたらしい。金で命を遣り取りする男が、生死よりも知る事を優先する、年端も行かぬ小娘の姿に、何を感じ何を思い意志を翻したのだろう。


 チトラルで命を落とした彼に、今となってはその理由を問うことはできないが、結局わたしは運が良かったという話だ。

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