次の世界
鋼の殻と雛
地響きを立て、巨大な獣は地に倒れ伏した。神威はまるで感じない。身体が大きいばかりで脳の無い、ただの魔物だ。
襲われ掛けていた少年は、腰を抜かしたまま震えている。言葉は通じるだろうか?
「アイン、もうちょっと気を使ってあげなさいよ! この子はあんたほど頑丈じゃないんだから!」
雛神様はしゃがみ込み、少年に手を差し伸べた。
「立てる?」
「あ……ありがとうございます」
少年はおっかなびっくり雛神様の手を取った。
やれやれ。雛神様の口から、気を使うなどという言葉を聞く日が来ようとは。
「うるさいわね! 不敬よアイン!」
雛神様は細い脚で、ぺしりと俺の尻を蹴り上げれた。
§
目覚めると、俺は見知らぬ景色の中にいた。
無数の穴――恐らく窓の名残だろう――を持つ、角ばった塔の残骸が立ち並んでいる。遠い昔に打ち捨てられた街なのだろう。道には黒い石が隙間なく敷き詰められていたようだが、手入れをする者もいないのか、ひび割れ雑草が生い茂っている。
雑草の間から、わずかに神気を放つ、丸々と肥えたうさぎのような獣が顔を覗かせていたが、俺が顔を向けると、がさりと音を立て草むらに隠れた。
どこか茫洋とした記憶を辿る。焼け落ちたはずの身体は、五体全てが揃っている。身を包むのは、何かの骨で作ったような軽い鎧。神気を帯びているのに気付いたが、驚いたことにそれは鎧だけではなく、俺自身の身体からも放たれていた。
傍らで眠る者が、俺の右手を強く握っている。巫女のような服を着た少女だ。
白い肌。白い髪。混乱する記憶を辿るうち、ぱちりと開いた勝気そうな赤い瞳が俺を見た。
雛神様?
§
魔物に襲われていた少年の話によると、かつてこの街には数万の人々が住んでいたという。掃き清められた道には、曳かずとも自ら動く車が走り、立ち並ぶ塔の窓の全てにはガラスが嵌め込まれ、夜ごと宝石のごとき輝きを放っていたらしい。
「そんな光景、ぼくは見たことないんですけどね……」
今では人は魔物に追われ、地下に隠れ住んでいるのだという。これだけの都を奪われるままにしているとは、惜しい話だ。
「教団は何をしているの? ここにはろくな神もいないのかしら?」
「神様なんていなかったって、ママは言ってます」
少年の言葉に、雛神様の表情が見る見る渋い物になる。
「神ならここにいるわ。あたしみたいのを言うのよ、この、あ・た・し!」
頬を朱に染め、噛み付かんばかりの勢いで少年に言い聞かせていた雛神様だったが、何を思い付いたのか、一転して顔をほころばせた。
「ああ、なるほど。あいつの思惑はだいたい把握したわ。アイン! ここにあたし達の玉座を据えるわよ!」
西の空には、垂れ込める雲の中を泳ぐ龍の腹が見える。奇妙なことに、雲はそいつの動きに合わせて生まれ、そこにだけ雨を降らせている。
「あれは雨龍。雨とともにおりて来て、人をさらって食べます」
空を舞い雨を操るというのに、あれも崇められてはいないのか? ここではどうにも、人と神とのつながりが薄いようだ。
「空を飛べるくせに、まるで神威は感じないわね。そこに隠れてるけものの方がまだ強いくらい」
雛神様に睨まれ、瓦礫の影に隠れていたうさぎめいた獣がびくりと身を竦ませた。
やっと思い出した。この神気はツァトゥグァの物だ。俺達と共にこの地に落ちた骨剣が受肉したもののようだ。相変わらず自ら動くことなく、俺達のおこぼれを狙っているらしい。
「それじゃあ目に付いたヤツを、かたっぱしから狩るとしましょうか!」
雛神様は上機嫌で小さな拳を打ち鳴らした。
二柱一対。混沌の玉座で身体を得た雛神様は自らの神気を分け、わざわざ眷属である俺の身体も作って下さったらしい。
もうお一人だけで充分、母神様を越える力を得ていたというのに。
やはり俺の迷いが、矮小な人間の器を作り上げたことを、お怒りしてのことだろうか?
「なんでそうなるのよ! いまさらそんなのどっちでも良いでしょ!! どんな器でも、あたしの強さに変わりはないんだから!!」
何故だか真っ赤になった雛神様は、またぺしりと俺を蹴り付けた。二柱一対の身では、この痛みは俺に対する罰にはならないのだが。
「馬鹿なの? ほんとに覚えてないの? あんたには、あたしが斯界の神になる所を見なさいっていったはずでしょ! 異界に飛ばされはしたけど、幸いここにはろくな神がいないみたいじゃない。あたしの見せ場はまだまだこれからなんだから、ちゃんと傍に控えてなさいよ!」
そうか。約束を果たすために身体を与えて下さったのか。ならば俺は、今度こそ雛神様の鎧としての務めを果たさねばなるまい。
「あーもう! あたしはもう羽化したも同じでしょ! いつまでも殻のいる雛じゃないし、この身体じゃあアイホートでもないわよ!」
怯える少年を後目に、ぺしぺしと俺を蹴り続ける雛神様。ではいったい、何とお呼びすればいいのだろう?
「あ、あんたが名付けなさい! この身体は、あんたに貰ったものなんだから!!」
名付けるということは、相手を縛ることになる。吾が主に対して不敬ではないのか?
雛神様は耳まで赤くして、俺の脚を蹴り続けている。
どうあっても、この場で名付けずには済まないらしい。
俺は、夢でこの姿の雛神様を目にしてから、漠然と考えてた名を頭に思い浮かべた。
「分かりました。貴女の名は――」
「神様! 腐沼の巨人が!」
俺の声を遮るように、少年が悲鳴を上げた。
塔の間から巨大な人影が現れる。歩みは遅いが、歩いた後が瘴気を放つ泥と化している。
「ぐぬぬ……あたしの迷宮を踏み荒らすなんて!!」
「行きましょう、ホルト」
彼女は刹那きょとんとした表情を見せたが、それが己の名だと気付くと満面の笑みを浮かべ、抜剣した俺を従え駆け出した。
Chick in the Steel. END
鋼の中の雛 藤村灯 @fujimura
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