第5話 逃避行

 時間稼ぎにしかならないかもしれないが、伯父から判断する猶予を貰った。


 私を連れて逃げる積りだった海斗とは離され、キィとも引き離された。伯父は「代わりに保護者を探してあげるよ」といけしゃあしゃあと言ってのけたが、直前のやり取りを全て見聞きしている身には空言でしかない。


 水天宮に隣接する拝島邸の一室に、監視付きで軟禁された状態だが、与えられた時間で私に何が出来るだろう。今更だけど、こうなる前に逃げ出すしか手は無かったのかもしれない。


 海斗の話と拝島伯父とのやり取りで想像される祭祀に怯えながら、独り悶々とただ時間を浪費する。


 どれだけそうしていたのか。ノックの音に身を強張らせる。

 決断を迫られる覚悟をしたが、ドアの外にいたのは冷たいお茶のトレイを持つ美魚だった。


「ごめんなさい、郁海さん。私が父に話してしまったせいで」


「みゅうみゅうは悪くないよ。それより、おこもりの事は知ってたの?」


 硬い表情で俯く美魚。この子も初めて聞かされて戸惑っているのかも知れない。


「海斗とキィの居場所は? 2人は無事なの?」


「……女の子の軟禁されている場所は耳にしました。少しの間だけ隙を作ります。5分経ったら部屋を出て、私の指示通り動いて下さい」


 小声でそう告げると、美魚はお茶のグラスを置いて退室した。


 一番の被害者は巻き込まれたキィだ。逃げるのなら自分ではなく、彼女を優先させなければ筋が通らない。拝島伯父が有力者だとしても、町の人全てを意のままに出来る訳じゃない。屋敷から連れ出せれば、彼女だけでも救えるかもしれない。


 からからだった喉をお茶で潤し、きっかり5分後ドアを開けてみた。


 外に立っていた見張りがいない。

 本宮の準備で社のほうに人を割いているのか。静まり返った屋敷の広い廊下の端を、こそこそと伝い走る。


 思ったより上手く行くかも知れない。何度か人の気配を感じたものの、上手くやり過ごして美魚の指定した場所まで辿り着いた。


 地階への階段。親戚筋とはいえ、拝島の屋敷を自由に歩き回れる身分でもないので、今まで一度も立ち入った事は無い。照明を点けて居場所を知らせる事も無い。私はおっかなびっくり手摺を頼りに階段を下りた。


「こっちです」


 降り切った場所で待っていた美魚が声を掛ける。手にしたランタン型の懐中電灯も光量を絞ってある。


 薄明かりに照らされた廊下を進む。ほとんどの部屋は物置代わりに使われているのか。当たり前のように人の気配は無い。


「どこまで進むの? あの子には見張りは付いてないの?」


 薄暗さと思ったより長く続く廊下に、不覚にも眠気が襲ってくる。

 先導する美魚は無言のまま。


「ここですよ」


 辿り着いた廊下の突き当たりは、重そうな両開きの扉。


「ところで郁海さん、お茶は飲んでくれましたか?」


「ふぇ? なにを……」


 猛烈な眠気に意識が薄れる。


「だからあなたはダメ駄目なんです」


 赤い唇が、笑みの形に歪むのが見えた。



 頭がくらくらする。

 まだ眠いのに、近くで誰かが騒いでいる。


「……今更じゃないですか。父も晦冥様を出し抜こうとしているんですよ? こいつにはそれだけの危険を冒す価値があるって事です」


 うるさいな。あと5分……


「だが、わしらの手に負えるかどうか……」


「十年以上ちゃんと効果があって、今もこのザマなんですよ? 何を恐れることが」


 強い痛みに目を開けると、私の左の乳房を鷲づかみにした美魚と目が合った。


「おはようございます。寝ぼすけさん」


 何? 胸?


 慌てて振り払おうにも自由が利かない。露出しているのは胸だけじゃない。逆に、全裸に太い皮の帯を巻きつけたような状態。皮の帯は私の両腕の自由を奪い、天井から吊り下げる形にされているらしい。


「これでも成り損ないの神さまのカケラ。充分効き目はありますよ」


 今ほどまで言い争っていた宮司に見せ付けるように、私の胸を揉み拉いた。

 せめて足を閉じようともがくも、美魚は自分の着物の裾が乱れるのにも構わず脚を差し入れ絡めてくる。

 抗議の声を上げようにも、猿轡をかまされ無様に呻く事しか出来ない。


「どうしてって顔ですね? 判らなくて良いんですよ。あなたはずっと前から奪い奪われる什物でしかないんですから」


 するりと潜り込んだ嫋やかな手が、秘裂をまさぐる。


「誰が勝ち取ろうと、私には最初から興味がありません。それが海斗以外の存在なら」


 ちろりと。首筋に浮かんだ汗を舐め取られる。


 やっぱりそうだったんだ。


 美魚の愛撫に耐えながら、今更ながら彼女の兄への想いと私への憎しみの深さを思い知った。


「生きる価値の無いこの世界で、海斗の存在だけが私の救いだった。隣にいてくれるだけで、玩弄されるだけの生に耐えられた。あの人の強い眼差しが好き。あの人の優しい眼差しも好き――」


 潤んだ瞳で耳元に囁きかける美魚の両手の動きが激しさを増す。


「でも、その眼差しを奪い去る、あなたは大嫌い!」


 陰核と乳頭を捻り上げられ、声にならない悲鳴を上げ仰け反る。


「見ているだけで良いんですか? 時間は幾らでもある訳じゃないんですよ?」


 手首までを濡らした愛液を厭わしげに振り払いながら、美魚は宮司達に問う。


 私達の痴態に瞬きもせずに見入っていた3人の男は、ゆっくりと近付き私に手を伸ばしてきた。荒い息遣いも硬く盛り上がった股間も。劣情を隠そうともしない様に、再従姉妹の情念とは別種の恐怖を感じた。


 おずおずと、次第に無遠慮に胸を這い回る指には包帯が巻かれたまま。淫蕩に濁る目は閉じられる事無く。私は浜辺で陵辱されるキィの少女を脳裏に浮かべる。


 あんな目に合わされるのか。


 唯一彼女との違いは、私を戒めるこの帯は彼女の拘束着と違って、貞操を守る役割を果たせそうに無いこと。


 その事実に絶望し、諦めに身を委ねようとしたとき、扉を蹴破る勢いで海斗が飛び込んできた。


「郁海!」


「海斗……どうして!?」


 声を出せない私の問いを美魚が代弁する。


 淫欲に囚われていた宮司達はまともに反応も出来ず、瞬く間に打ち倒された。


「立てるか?」


 革帯を解かれ、床に下ろして貰う。海斗に手渡された上着を羽織り、とりあえず胸だけでも隠す。


「頭……怪我してる」


 額が割れたのか、包帯代わりに巻かれた布切れに血が滲んでいる。


「どうやって? まさか……父を……」


 何かに気付いた美魚は膝から崩れ落ち、泣いているとも笑っているとも付かない奇妙な表情で呟いた。


「俺は郁海と行く。もうお前も自由だ。自分の行く先は自分で決めろ」


 まだ脚がふらつく私を抱きかかえるように出口へ向かう。


「どうして! どうして私じゃないんですか!? 私といて下さい!!」


 美海の哀願に振り返った海斗は、少しだけ優しい眼差しで応えた。


「一番強くて一番美しい女神と会えたんだ。惚れない訳にはいかないだろ」


 強いって何だ。


 海斗の部屋で聞かされた告白よりはずっとマシだったけれど、背中に響く美魚の慟哭は、私の心に罪の意識を深く刻み込んだ。



 月に照らされる夜の道を、海斗に手を引かれ走っている。


「ねえ……ほんとに伯父さんを……」


 海斗は応えない。不安が襲ってくる。


「ちょっと待って!」


「何だよ!? やれたかどうか俺にも分からねぇよ!!」


「そうじゃなくて!!」


 もじもじと上着の前を掻き合わせる。日が落ちたとはいえまだ夜も早い。昔はおこもりの夜は日が落ちてから外出する者はいなかったそうだが、今は誰に見られるとも分からない。


「せめて着るものと靴を……」


 苛立たしげに唸った海斗は、猫の仔でも捕まえるように私を抱き上げると、再び走り出した。


 お姫様抱っこってこんなにありがたくないものだっけ?

 幼馴染の腕の中不満顔の私の胸は、その思いとは裏腹に高鳴っていた。


 社務所では近すぎるため、私達が向かったのはおばあちゃんと暮らしていた家だ。

 植木鉢の下に隠していた鍵で扉を開けると、懐かしい匂いが迎えてくれた。


「これからどうするの?」


 仕舞ってあったワンピースに着替え、海斗の頭の傷を手当てする。ずいぶん深く抉れているが、本人は平気だと言い切る。本当に大丈夫だろうか?


 親に手を上げた後ろめたさか、詳しくは話してくれなかったが、拝島伯父に怪我を負わせて逃げ出したらしい。直ぐには意識を取り戻さないはずだし、伯父の言い付けに叛いていた宮司達はまだその事を知らない。仲間割れするにせよ何にせよ、疑心暗鬼と混乱で、組織立って追っては来れないはずだと。


「キィは?」


「あの変な女か? 見なかったが、親父らがどうこう出来るタマじゃないだろ」


「……そう……?」


 言い切る海斗の根拠が良く分からない。不思議な子だったが保護者はいた訳だから。あの素人民俗学者の青年も放っては置かないだろう。


 伯父達に直ぐ連れ戻される事は避けられそうだが、今夜一晩を逃げ切れば良い話だろうか。キィと違い私達は保護者から逃げ出している身。一体どこへ行けば良いのだろう。


「ふぁッ!?」


 包帯を巻くため、海斗の眼前に無防備に晒す形になっていた胸を鷲づかみにされた。思わずぶん殴ろうとするも、手当てしたばかりの額に躊躇する。


「ちょ……やめなさい!」


 狼狽える私に構わず、幼馴染はそのまま胸に顔を埋めた。 


「ここを出て二人で暮らそう……」


「……そんなに簡単には行かないよ」


 ならばどうする。怪しい儀式に参加するというのか。拒絶した上でまだ養って貰うのか。

 どちらも考えられない。最初から海斗の言うように、ここから出て初めて先を考える事が出来るのかも知れない。


 海斗は震えていた。


 当たり前だ。なりは大きくても私より年下だ。怖くないはずがない。

 身体を鍛えて強面ぶってみても、中身は私の後を付いて歩いていたあの頃と変わらない。


 愛おしさに抱きしめると、不意打ちで唇を奪われた。

 抵抗が無いと踏んだのか、胸に置かれたままの手で揉み拉かれる。


「ちょっとまった、こんな事してる場合?」


 抗議も聞き流され、そのまま押し倒される。


「……大丈夫、俺が守るから……」


 震え声で繰り返される言葉に力が抜ける。


 そうだ。海斗が来てくれなきゃ、あのまま戯れに犯されていたんだ。汚らわしい男達にカルト紛いの祭祀の道具にされるのに比べれば、海斗の方がずっと良い。いや、初めては海斗としたい。


 初めての経験は思い描いてのとはまるで違い、ちっともロマンチックじゃなかった。キスで歯をぶつけたり、身体を踏まれたり。愛撫は乱暴すぎるかくすぐったいばかりで、美魚にされた時のほうがずっと感じた。挿入されても破瓜の痛みが気になって、早く終わらないかと思うだけだった。


 それでも、私を悦ばせようとする拙い手付きが嬉しくて。無心に快楽を貪る姿が愛おしくて。

 中で果てた年下の幼馴染の髪を撫で、耳元にそっと口付けた。

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